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閑話<4>苦くて甘い


 カイスとタイスィール、それにサーディンが戻ったのは、出発してから僅か三日後の事だった。


 朝方に戻ったタイスィールは、サーディンにマコトを起こさないように、と釘を刺し、 念には念を入れサハルのゲルに立ち寄り彼を見張る様に頼んだ後、ようやく自分のゲルに戻った。


 それでもきっかり三時間後に目を覚まし、身支度を整えると、 一族の決定と、長老からマコトへの伝言を伝える為に皆が集まる台所へと足を向ける。


 スープの匂いが風に混じり、空っぽの胃を刺激し、 その暖かで優しい香りにタイスィールの端正な顔に自然と笑みが浮かんだ。


『西の一族に残りたい』――というマコトの意思を伝えると、 一族の重鎮達はこぞって喜びを示したが、長老だけは深く刻まれた皺一つ動かさず、 そうか、とだけ呟いたきり何も言わなかった。


 見た目以上に狡猾でタヌキだと――彼がよく知る、先のイール・ダールはそう言ったが、ムルシドには ムルシドで、十年前の過去から引き摺る何かがあるのだろう。


 カイス、タイスィールを交えて一族内で一昼夜掛けて下した結論は、マコトの存在を明るみにする事だった。


 ――悪い事では無いと思う。

 大多数の人間は、未だオアシスが現れた事も知らず、不安な生活を送っており、 マコト自身にしても、このまままだ若い少女にずっとこんな乾いた場所で過ごせというのも酷な話である。 そして、何より祝福される存在なのだと言う事を、彼女自身が知って欲しいと思う。


 決定するが早く、一族の長それぞれに早馬を出し、次の日には交感魔法を使っての緊急会議が開かれた。


 秘匿していた事実に当然起こうるべき反発はあったが、召還されたばかりの彼女の混乱が激しく、また彼女自身が自分の存在を公にしたがらなかったのだ、と ――と最もそうな顔で西の一族の長――カイスの父親は嘯いた。


(どちらかと言うと、本当の狸はあっちだと思うけど)


 勿論何の咎も無かった訳でも無く、責任は全てムルシドが負い、四族の纏め役から降りる事となった。

 何よりも十年振りの『イール・ダール』の機嫌を損なえばどうなるか、もう失敗は許されず、彼女の意思を尊重しなければならない、との王の言葉もあり、表向きは許諾せずにはいられなかったのだ。


 また、先のイール・ダールであるイブキが子を成し、次いでこの世界で一番力のある 王の先見が、近いうちに、遅くとも半年以内には、また新たな 『イール・ダール』が召還されると予言した事も深く影響した。


 しかし、何はともあれ大々的にお披露目を――、と他の部族の頭領達は譲れない一線として提案した。お 披露目のその後で「西に残りたい」という言葉が真実かどうかを確認する、と。

 一度でも会えば、説得する機会はまだあると踏んでいるのだろう。


(さて、どんな手で来るのやら……)


 こちらも向こうも必死。だが、マコトの人となりを知る分、こちらの方が有利だろう。それに彼女がそのたおやかな外見とは裏腹に案外頑固だと言う事も知っている。


(派手なのあんまり好きじゃなさそうなんだけど、我慢してくれるんだろうなぁ)


 そんな彼女の優しさが好ましく、しかしやっぱり不憫にも思える。

 しかし、着飾るマコトと言うのも、男としてやはり見てみたい気がする。 それに普段からマコトを着飾らせたそうなサラもきっと喜ぶだろう。





(――おや、珍しい)


 台所に続く広場に入るなり、タイスィールは、顔を上げその足を止めた。

 視線の先には、マコトとサラ、それにカイスとサハル、それにサーディンがいた。


 存在するだけでその場の雰囲気が和らぐマコトのお陰か、 あの三人が仲良く……とまではいかないだろうが、同じ場所に居続ける事は珍しい。


(……面白い)


 台所を見れば、作業台に立つマコトの側には当然のようにサラが付いており、その反対側にはカイスがいる。会話をするには微妙な距離で、その間隔をさり気ない足取りでじわりじわりと詰めていっているのが 遠目から見ればよく分った。


 会話の切欠を探して落ち着き無くそわそわしている――、まさにそんな感じだ。


 あの一件の後、自分と共にすぐに王都に向かったカイスはまともにマコトと会話しておらず、気まずいものがあるのだろう。胸を見てしまった後ろめたさもあり、 急速に彼女を「女」として意識し、だがなかなか切欠が掴めない、と言う所だろうか。


 タイスィールは傍らのゲルに寄りかかり、少し観察することにした。傍観者という立場ならこの見世物は面白いのである。


「……青いねぇ」 


 カイスのそんな機微を感じる事が出来るのは、やはり十年目の自分も同じ様に、苦くて甘い同じ感情を持て余したからだろうか、そう思ってくっと喉の奥で静かに笑う。


「よ、よぉ!」


 明らかにどもった声でカイスが投げた挨拶に、サラは胡乱気にマコトはいつもと同じ様に穏やかに挨拶を返す。


 近くの椅子に後ろ向きで行儀悪く座っているサーディンは、うつらうつらと船を漕いでいた。彼だって自分と同じ 強行軍。疲れが溜まっていない訳が無い。それでもマコトの起床時間に合わせて 出て来る所が可愛らしいというか何というか……。


 自分の感情に正直に行動する分、彼の行動は分かりやすいが、サーディンの場合、 それのどこからどこまでが真実なのか未だ掴み切れない所もある。


(でも、まぁアレを上辺だけでも手懐けられるんだから、マコトって凄いよね)


 実は、まだ定まらないマコトの相手にサーディンを、と推す人間もいた。

 サーディンの魔力は大陸一とまで言われており、王都の貴族から籍を抜き、西に戻ってきた時は、とても歓迎された。――あの嗜好を知るまでのほんの一時だったが。


「あんな変態と一緒にさせて、嫌がって逃げられたらどうするのか」という大多数の反対意見により、結局うやむやになった。……まぁ勿論、万が一にもそんな意見が通ろうものなら全身全霊を掛けて阻止したが。





「カイスさんも、昨日遅くに帰って来てたんですよね」

「あ、ああ……!」


「お疲れ様でした。眠くありませんか? 今ご飯入らなさそうだったら、お昼にでも軽いもの作りますよ」

「いや、その、お構いなく」


 明らかに挙動不審な動きに、マコトは首を傾げる。少し離れた場所でサハルとハッシュは何かを話しながらも、 二人とも、そんな様子をじっと観察していた。


 不器用なカイスを睨み付けるように見ていたサラが、目の前で吹き零れた鍋に、小さく悲鳴を上げ、後ずさ った拍子にマコトの背中にぶつかった。


「……きゃ」


 バランスを崩したマコトを慌ててカイスが抱きとめる。

 すっぽりと胸に収まったマコトに、カイスは「うわぁ!」と大袈裟に叫び、ばりっとマコトを引き剥がした。


「……え、ぁ……ッ!」


 またマコトの身体がふらつき、それを受け止めたのは、いつのまにか側に来ていたサハルだった。既に吹き零れた 鍋はハッシュが火を止め処理済である。


「わ、悪い……!」

「いえ。……その、私こそ、すいません」

「マコト様……! 大丈夫でしたか!? もうっカイス何するんですか!」


 サハルの後ろから顔を出したサラが、つかつかと歩み寄り、カイスに怒鳴った。


「な……っ、も、もともとお前がマコトを突き飛ばすからだろ!」

「突き飛ばしたなんて人聞きの悪い! カイスったら抱きとめるまでは良かったのに、また突き飛ばすなんてどれだけヘタレですの! 次期頭領として情け無い! だからマコト様に候補にすら入れて」


「はいはい。そこまでにしてあげて下さいね」


 マコトを抱き止めたまま、サハルはやんわりとサラを押し留める。


「マコト。カイスってば巨乳好きだから気を付けた方がいいよ~」


 いつのまにか起きていたのか、作業机に肘を付き、サーディンは不機嫌な声でそう忠告する。


「っぁあ!? ななな何、言ってんだよ!」

「えー? よく言ってたじゃん、女はちちだー! 出るとこ出てるのがイチバンだー! って酔った時の常套句。やだなあぁ忘れちゃったの?」


 ふん、と鼻で笑ってサーディンは両腕を上に身体を伸ばす。その後ろで、サラは一歩を後ずさり 顔を引き攣らせて呟いた。


「カイス……最悪ですわ」


 マコトは匙を持ったまま固まっている。


 男の自分には計り知れない事ではあるが、胸の大きな女性にその話題は大抵タブーなのだ。特によく知らない内はそれが目当てだと思われやすいし、イブキから聞いた話によると、わりと頻繁にそういう女性は痴漢行為に及ばれるらしく、嫌な思いをする事が多いらしい。


 案の定、マコトは彼女には珍しく表情を固くし、俯いてしまった。

 しかし、それでもすぐに顔を上げ、無理矢理口の端を上げて笑みを作った。


「……あの、私、他が小さいから、そう見えるだけで。そんなに大きい訳じゃないんですよ」


 はは、と健気に軽口を返したマコトに、カイスは慌てて首を振り、


「そんな事ねぇよ! あんだけありゃジューブンだっ……って……」




 墓穴を掘った。





 ――前言撤回。

 十年前の自分はあんなに馬鹿では無い。


「何ですって! 一体いつマコト様の胸を見たっていうんですの!」

「うわ、やめろ、ソレ包丁……ッ!」


「あーほんっと馬鹿。さすがの僕も同情しちゃうね」


 作業台に行儀悪く腰掛けて、サーディンはこっそり作り掛けの菓子に手を伸ばし、一つ摘むと 口の中に放り込んだ。


「ねーねー、マコト、ココうるさいしさぁ、僕のゲル来ない? 寝不足だからまた添い寝して~」


 それぞれが好き勝手に言葉を放ち、広場は一層騒がしくなる。

 こういう場面では必ずフォローに入るサハルは、サーディンだけは牽制しつつも珍しく何も言わず、 マコトの背後に陣取って静かに事態を静観していた。


(……やれやれ。サハルもそろそろ本格的に動くのかな)


 味方にいれば心強い、しかしその逆となると手強い相手となる。


「さて、行くかな」


 タイスィールは身体を起こし、賑やかな台所へと足を向ける。吹き抜けた風に長衣が翻り、彼の体に柔らかく絡みついた。




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