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第六話 存在する世界と歴史

前がしまらない服と、肩が抜けそうなほど大きい服、ど ちらがマシだろうと考えてマコトは後者を選択した。


 再び着替えを用意し、ゲルから出て行ったサハルに感謝しつつ、 急いで服を着替える。


「服の中で泳いでますね」

 ゲルに入って開口一番にそう言ったサハルの目は優しく、からかっている様には感じない。


「明日には服を用意しますね。今日はそれで我慢 して頂けますか?」

 マコトが頷くと、サハルは、気がきかなくて申し訳ありません、 と頭を下げた。


「いえ……っこちらこそ迷惑を掛けてすみません」

 恐縮した様にマコトが慌てて前に出した両手をぶんぶんと 振る。その仕草に大きく襟元がずれ、白い肩が剥き出しになった。こほん、と咳払いしてからサハルはそれとなく目を逸らす。


「では、もう夜も遅いのでお休み下さい。私が使っていた寝床 で申し訳ないのですが」


 サハルが示した場所を見てから、マコトは部屋の中に視線を巡らせる。毛布が重なった寝床らしき場所は、そこしかなかった。


「あの……サハルさんは、どこで寝るんですか」

「仕事が立て込んでましてね、今日はもともと眠 らない予定だったのですよ。だから遠慮なく使って下さい」


(忙しいんだ……じゃ、あんまり話しかけちゃ駄目かな。 聞きたい事色々あったんだけど……)


 それとも、自分に気を使わせない為の優しい嘘なのか、マコトには分からなかった。


「長老が慌しく出発してしまいましたから、 貴女にこの世界の事を ちゃんと教えてあげるようにと、言いつかってます。 まだ眠れないようでしたら、お話致しましょうか?」


 考えていた事が顔に出たのか、と思うくらいタイミングよく サハルがそう切り出した。

 確かに身体もだるくて、精神的にも疲れている。もう眠ってしまいたい気もしたが、こんな中途半端に不安な状態では、ものすごく嫌な夢を見そうだ。


「でも、忙しいんじゃ……」


 躊躇いを見せたマコトに、サハルが大丈夫ですよ、と 笑って見せた。


「どちらにせよ徹夜には変わりませんし、少し一息つきたい所だったんです。では、まず 『イール・ダール』について説明しましょうか。長老はどこまで?」

「えっと……私みたいに異世界から来た女の子を『イール・ダール』って…… あと、現れるのは十年振りだって聞きました」


 途切れがちなマコトの言葉に、サハルは丁寧に頷いてくれる。

 少し考えるように間を空けた後、サハルはゆっくりと説明を始めた。


「『イール・ダール』は昔の言葉で、イールはこの大地を造り上げた 女神の名前、ダールはその娘、という意味です。 真実かどうか……神話の話になるのですが、千年前この世界は 戦が絶えず、悲しみに暮れたイールが、大地から女を全て消 し去りました。伴侶や娘を奪われた男たちは戦を止め、 女神に平和を誓うと、女神は自分の娘を大地の祝福と共に 地上に遣わしました。それが『イール・ダール』の始まりと言われています」


「大地の祝福?」

「ええ、この砂漠の大地に娘とオアシスを贈るのです。 貴女が現れた時も、昨日まで無かった砂漠にオアシスが出来ました。…… とても綺麗でしたよ」


「オアシス……」


 そう口に出してみるものの、どうにも想像出来ない。いや魔法が存在する世界なのだ。 それ位で驚いていては駄目なのかもしれないが。


「他に質問はありますか」

「……さっき、タイスィールさんに聞いたんですけど、サハルさんは、王都で文官をされてるんですよね? 王様がいるって事は、この国は君主制なんですか?」


「基本的には違いますね。王の権力は絶対的なものではありません、この大陸の中 心に王が治める王都が、その周りに砂漠の民族が四つ存在しそれぞれが小さな国家の 様な自治体として独立しています。私達はその内の一つ、西の民と呼ばれる一族です」


 サハルの説明にマコトは首を傾げる。


「じゃあ、王様って何の為にいるんですか?」

「王は全てを統べる存在では無く、女神の『監視者』なんです。だから敬われ慕われる」


 よく分からない、とマコトはますます首を傾げた。


「えっと……その四つの民族が、戦いとか……しない様に見張ってるって事ですか」

「それも仕事の一つですね」


 曖昧な同意は違う、という事なのだろうか。

 よく分からない。


 これ以上聞いても今は理解できそうに無かったマコトは、少し話題を変えた。


「王都で働いてるって事は……サハルさんは、普段 ここで生活されていないんですよね? ここには、何の為に……?」


「ここは二十年前まで、もともと一族が住んでいた土地です。 無人のゲルが幾つもあったでしょう? 一年に一度、ここから馬で二時間ほどにある聖地で 、成人した独身の男が集まって祭壇で『イール・ダール』の出現を祈るのです。今、ちょうどその時期で……、 貴女と会えたのは本当に幸運でした」

 

 つまりはここには、若い男しかいないという事だろうか。 異性には聞き辛い事だってあるのに……、とマコトは肩を落とした。

 ああ、だから孫娘を寄越す――と言ったのか、ムルシドの言葉の意味を ようやく理解する。


「皆さん、王都に移住されたんですか?」

「いいえ。その近くのオアシスに村を作って生活しています」


 まだ聞きたい事は山程ある――のに、瞼がだんだん重くなってくる。 やはり疲れているのだろうか。



 うつらうつらと船を漕ぎ出したマコトの様子に、 苦笑しつつ、サハルは少し考える様に間を空けてから口を開いた。


「私も一つ聞いてもいいですか?」

「……え? はい」


 慌ててごしごしと瞼を擦ったマコトに、サハルは躊躇する様子を見せたが 、静かな口調で言葉を続けた。


「どうして、そんなに落ち着いてらっしゃるのです?」


 マコトは一瞬目を見開き、それから困った様な笑顔を作った。


「落ち着いてなんてませんよ? 今もどうしようかって不安で一杯です」

「……元の世界に帰れない事を長老から聞いた筈です。 ましてや貴女は子供なのですから、 もう少し取り乱してもいいと思うんですが」


(そんな事聞かれても……)


 サハルの質問に戸惑いつつも、マコトは正直に答えた。


「……私にも分りません。さっきも言った通りです。 戸惑っているし、今も不安でたまりません。……けど、それは向こうの世界 でも同じ、だから……」


 高校を卒業し、来月から一社会人として働く事になる。新しい環境という意味なら同じだと 言えるかもしれないが。

 世界は違うけど、と心の中で付け足し、 自分の考えがあまりにも楽観的で可笑しくなる。


(え……っと……何聞かれてたんだっけ……)


 本格的に瞼が重くなってきたと同時に、頭の中に白い靄のようなものが掛かって、 思考がうまく纏まらない。


「もともと、表に出ない性格なんですよ」


 説明するのが面倒で、マコトはそう言って話を終わらせようと思ったが、サハルはそれを許さないとでも言う様に、黙ったままだった。


「……それに、心配してくれる家族もいませんし」


 静寂に焦れたマコトが付け足す様に呟いた言葉に、 サハルの目が薄く眇められる。


「お一人でしたか」

 同情している色は無い淡々とした口調に、マコトは逆にほっとした。こういう時、 気を遣われるのが一番辛いのだ。必要以上に平気な振りをしなければいけなくなるから。


 母一人子一人で、生きてきた。


 母が若くして自分を産んだ事で、生家から縁を切られ親戚付き合いは一切無く、父の事を尋ねても母は微笑み、ただ『とても優しい人よ』と繰り返すだけで、どこの誰かは一切教えて貰えなかった。深く追求しなかったのは、その笑顔が本当に綺麗で幸せそうだったからかもしれない。


 それに知りたいと思ったのは本当に幼い時だけで小学校も中頃になれば、マコトも父の事を尋ねる事は無くなった。周囲にも片親しかいないという子供は珍しく無かったし、元々いなくて当たり前の存在を気に掛ける必要も無かった。

 ……もしかすると母の葬儀には現れるかもしれないと、ほんの少しだけ期待したが、やはりそれらしき男性は現れる事は無かった。


「ええ、……母と二人暮しだったんですが、 去年病気で亡くなってそれから一人暮らしをしていました。……今日、高校……えっと、 学校の卒業式だったんですよ。あ、学校って分かります?」


「ええ。王都にもありますよ」


 サハルは優しく頷いて、続きを促す。


 何を一人でべらべらと喋っているのだろう。と、 不思議に思う。やはり異世界に混乱しているのだろうか。止めてくれればいいのに、自分を見るサハルの目が優しいから、止められない ……違う、止まらないのだ。口を紡げば、違うものが溢れ出しそうで。


「……で、一時は学校も辞めるべきかと悩んだんですが…… お母さんの願いでもあったし……本当、無事卒業出来て良かった」


 実際本当に辛かったのは、母が亡くなってからではなく入院中だ。放課後から深夜までぎっしりとアルバイトをしなくては生活出来なかった。入院費は僅かな貯金と高額医療費控除で支払えたが、家賃を含めた生活費を工面するのに、いっそ退学してその分働いた方がいいのでは無いかと何度も思ったものだ。

 けれど、そうすればきっと母は気に病むだろう。

 だからこそ、母が亡くなった時、本当に辞めようかと思ったのだ。


 ぽつぽつと呟く様に自分の生活を話す。他人が聞いても面白くも無い話、 本当の日常。しかも時々愚痴まで混じるのだ。 自分ならさっさと切り上げて席を立つだろう。




2007.9.28



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