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閑話<3> 夜明け 1


 まだ暗い内に目が覚めたマコトは、サラを起こさない様にそっと寝床から抜け出すと、手拭を持ち、外に出た。まだ冷たい空気にぶるっと大きく身を震わせたが、思い切って両手を組んで身体を伸ばしてみる。


「んー……っ」


 既に白み始めた空を見上げ、真っ直ぐに伸びる地平線を自然に受け入れる。随分この世界にも馴れたなぁ、と心の中で呟いて、何故か少し照れてしまった。――まだ、この集落しか知らない自分が言うには、おこがましいセリフだったかもしれない。


 まだ少し風が強く、タイスィールから貰ったスカーフを口元まで押し上げて、顔を洗う為に水場に向かったマコトは、 金属がぶつかる乾いた音に、転ばないように足元に置いていた視線を押し上げた。じっと目を凝らせば、少し開けた広場にいたのは、サハルとそれよりも小柄な後姿――ハッシュだった。二人とも手に剣を構えており、向かい合った その間には独特の緊張感が存在していた。


(剣の練習……?)


 これがタイスィールやナスルだったなら、それほど気にならなかったかもしれないが、サハルとハッシュである。頭脳派に違いない二人と剣の稽古という珍しい組み合わせに、マコトは思わず足を止めた。


 一定間隔で打ち合う、そのリズムはまるで楽器の演奏を聴いている様だった。昇り始めた太陽が二人のをすっぽり包み込み、長い影を作る。剣が動く度にその刃が太陽を割って銀色に光るその光景は、まるで一枚の絵の様で、マコトは思わず見入ってしまった。


 ふいにサハルの打ち合いの中でも変わらない穏やかな瞳がマコトを捉え、 微かに口元と視線が動く。


『隠れて』


 確かにそう言われた気がして、マコトはあわてて近くのゲルに身を隠した。


「――では、今日はここまでにしておきましょう」

「……っはぁ、いつもより、……っ早く、ありませんか?」


 剣を下ろしたハッシュは、訝しげに眉を寄せて問うが、サハルはゆっくりと首を振り、ハッシュに自分の持っていた剣を手渡した。


「学生の本分は、勉強です。学院の休みも残り僅かですし、そろそろ課題に取り掛かからなければならない時期でしょう」

「課題ならっ……夜に、やっています!」


 諭すようにまだ息の整わないハッシュの肩に手を置く。しかし、それでも諦めずにハッシュは剣を地面に置き、サハルに詰め寄った。


「っお願いします!」

「稽古を始めてから、あまり睡眠を取っていないでしょう?……厳しい事を言う様ですが、貴方には剣より学問の方が向いてます。このまま順調に学院を卒業し時が経てば、一族に取っても無くてはならない存在になるでしょう。学業優先で、とお約束した筈ですが」


「しかし……っ僕はっ……強く、なりたいのです」

「貴方には貴方だけの才能があります。そちらを開花させた方がいい」


 語調を強めたサハルに、ハッシュは唇を噛み締め俯いた。そのまま剣を掴み、それでも「有難うございました」と頭を下げその場を去る。マコトは息を潜め、真横を通り過ぎ小さくなっていくハッシュの背中を見送った。


(やっぱり、剣の稽古だったんだ)


 けれど、聞いてはいけない事を聞いてしまった気がする。

 しかし、これで最近ハッシュの顔色が悪い理由が分った。早朝から剣の稽古。日中は分厚い本を読み、深夜も課題――と、なると睡眠不足は当たり前だろう。


(まだ、十四歳、だったよね。……そんなに根詰めてたら身体壊すんじゃないかな……)


 どうして自分を追い詰める様な事を、と眉間に皺を寄せたマコトに、後ろから声が掛かった。


「マコトさん。もう出て来て下さっても結構ですよ」


 そう言われて、マコトはおずおずとサハルの元へ向かう。


「すみません。何かお邪魔したみたいで」


 早々に切り上げたのは、ハッシュの寝不足の事もあるだろうが、きっと自分がここに現れたせいもあるだろう。 申し訳ない気持ちで頭を下げれば、サハルはゆっくりと首を振った。


「いえ、切り上げるにはいい切欠になりました。もうそろそろ倒れてしまいそうでしたし。……あれで、眠ってくれればいいんですけどね。……無理ならアクラムに頼んで一服盛る事にします」


 ……若干、最後が気になるが、ハッシュの事を心配しているのだろう。


(仲、良いなぁ。……同じ先生の所についてたってハッシュさん言ってたっけ……?)


「そう、ですね……」


 マコトは振り返り、ハッシュのゲルがある方向へと視線を向ける。確かに、先程のハッシュは今までで一番顔色が悪かった様に思える。真面目な性格であるハッシュ。きっと思い詰めるタイプなのだろう。

 

「ハッシュさんは……」


 どうして、剣の稽古を、と口に出しかけて、途中で言葉を止めた。

ハッシュにはハッシュの事情がある。自分がサハルに聞いていい事では無い。それに、サハルが隠れるように指示したのも、きっとハッシュには知られたくない事だったからだ。


「……いえ、いいです」


 首を振ったマコトに、サハルはおや、を首を傾げる。


「理由は聞かないんですか?」

「……はい」


 マコトが静かに頷くのを、サハルはどこか満足そうに微笑み頷いた。


「そうですね。私も彼の断りも無く理由を言う訳にはいきませんし」


 予想していた答えにマコトも同意する。しかし、サハルはふふっと彼らしくない――どこかタイスィールを思わせる類の笑みを溢したかと思うと、静かにマコトを見下ろした。


「先程のは建前です。優しい貴方がほだされるかもしれない危険な事は、迂闊に口になんて出来ませんからね」

「――え?」


 謎めいたサハルの言葉にマコトは首を傾げて、微笑みを浮かべるサハルを見上げる。


「どういう意味ですか?」


 よく分らない、と言う様にほんの少し眉を寄せたマコトの頬を、サハルは手の甲でそっと撫でる。

 優しい――けれど、どこか落ち着かなくなる仕草だった。


(なに……?)


「私もそろそろ動きます。卑怯な事をしますが、――許して下さいね?」


 茶目っぽく笑ったサハルに、ますます意味が分らなくなる。それよりも距離が――いつのまにか近い。そう言えば、まだ顔も洗ってない、と咄嗟に後ろに下がったマコトだが地面に下ろしたゲルの杭に足を取られ、身体が傾いた。


「きゃ……っ」


 しかし危なげなくその腕を取り、サハルは反対の手をマコトの腰に手を回し途中で抱き止める。


「大丈夫ですか?」

「あ、ありがとうございます……」


 自分のドジっぷりに呆れながら、妙な居心地の悪さを感じ、サハルの腕から抜け出そうとしたその瞬間、サハルは眉を寄せ、呟いた。


「失礼」


 そう言ってマコトを抱き上げ、そのまま横向きに抱えられる。


「サ、サハル……さん!?」

 突然の事に驚くマコトを見下ろすサハルの眉間の皺が濃くなった。


「――軽い」


「は、い……?」


「マコトさん……痩せましたね」

「え、え……え?」


 思っても見ないセリフにマコトは一瞬呆気に取られ、返事に詰まった。確かに、慣れない砂漠の大地故に、汗も掻くし、食欲も落ちた。が、そう極端に痩せた訳では無いので、正直分らない。体調は悪く無いし、食べているのは向こうの世界じゃ考えられないほど新鮮な食材である。気持ち的には、健康になった気さえしていたが。


 しかし何故このタイミング。

 しかも、一瞬抱き上げただけで、体重の変化が分かるサハルは相当凄いのでは無いだろうか。


「きちんと食べて下さいね」


 本気で心配しているのだろう。

 いつになく厳しい顔でそう申し渡され、マコトは首を縦に振るしか無かった。





* * *




 そして数時間後、大量に差し入れられたお菓子を前に、マコトは珍しく途方に暮れていた。いつかカイスが買ってきてくれた杏餡の揚げ菓子だった。


 食べ切れなかったら、他の人にも分けてあげて下さい、とは言われたが、この半分はマコトさんが食べて下さいね、と釘まで刺された。その気遣いは嬉しいが、これはかなり無茶な気がする。


(アクラムさんにお裾分けしよう……)


 とりあえず。彼ならこの半分は軽く食べてくれそうだ。

 ついでに、とある事も思い付き、マコトは大きめの籠に溢れる位焼き菓子を詰め込み、アクラムのゲルを尋ねた。


「今日はサハルさんが買って来てくれたお菓子なんです」


 いそいそと籠を覗き込むアクラムにそう声を掛ける。既に一つ口に入れていたアクラムは口の中のものを咀嚼して飲み下すと――何故か、微妙な顔をした。がっかりしたような、悲しそうな。複雑な表情。しかしすぐにいつもの無表情に戻り、いつもの如く機械的に一つずつ口に運んでいく。


(……? 凄く美味しかったけど……)


 台所でサハルと共に試食済である。

 売り物なだけあって、自分が作る中途半端なお菓子よりも断然美味しかった。


 口に合わなかったのか、と思ったが、それでも口に運ぶ手は休めない。気のせいだったのだろうか。と思った所で、本来の目的を思い出した。


「あの……睡眠薬とかじゃなくて、こう、気分が落ち着いてよく眠れる……みたいな、そんなお茶ってありますか?」


 マコトの質問に、アクラムはもぐもぐと口を動かしたまま、無言で頷く。

 あれだけ詰め込んだ焼き菓子の山が既に半分近く崩れてから、ようやく落ち着いたのか、アクラムはすくっと立ち上がり、棚に並んだたくさんの薬瓶の中から一つを手にして、マコトに差し出した。


「少し温めの湯で淹れろ。南の一族で飲まれてる茶葉だ」

「え、あ、有難うございます」


 大事そうに両手で受け取り、お礼を言ってマコトは立ち上がる。

 これでハッシュに茶を淹れれば、張り詰めているあの雰囲気も少しは和むだろうか。失礼します、と扉を開けたマコトの背中に、アクラムはいつもと同じ抑揚なく問いを口にした。


「明日は」

「え?」 


 振り返ったマコトにアクラムは床に置いた籠を指差す。


「またコレか」

「……」


 ――よほど口に合わなかったのだろうか。しかし、これが合わないとなると、自分の作ったお菓子はきっと不味い部類に入るはずだが。

 不安になってアクラムの表情を伺う――が、彼はいつもと同じくあまり顔に感情を出さない。


「いえ、……あの、明日は私が作ろうと思ってます」

「そうか」


 おそるおそる申し出て見れば、返って来たその呟きがどこか、嬉しそうな響きを持っている事に気付き、マコトは首を傾げた。


(……アクラムさん、杏嫌いなのかな)


「杏嫌いでしたか?」

「……そうでもない」


(あ、もしかして温かいのが好きなのかな。出来たて美味しいもんね)


 それでも、買ったものより自分が作ったお菓子の方がいいと言われたら嬉しい。マコトはにっこりと笑って大事そうに茶葉を抱えてアクラムのゲルを後にした。


 取り残されたアクラムは、食べかけの揚げ菓子をじっと見つめた後、そっと籠の中へ戻した。






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