第四十八話 やさしい世界とやさしい人達
もうすぐ、夜が明ける――。
闇に微かに混じり込む地平線の白い光を、マコトは馬に揺られながら見つめていた。マコトが乗り込んだのは、カイスの馬だったが、まだ暗い事もあり、馬はある程度の速度を保ちながら進んでいるので前と違い景色を見る余裕もあった。
話そうと思えば、近くにいるサハルやタイスィール、サーディンにも声は届くだろう。
ナスルは十年振りとなる兄と積もる話もあるだろうとタイスィールが事情聴取を含め一時離脱を許可し、スェと残り、ここにはいなかった。
(……あの人がナスルさんのお兄さん、か)
短い間過ごしただけだったが、彼は野盗の頭領だと思えない程気さくで明るい人だった。仲間との掛け合いを思い返しても、殺伐とした雰囲気は無く、ほんの一瞬だけ見せた深い悲しみも一瞬にしてかき消し、気遣いかけた自分に必要無いと言う様に笑って見せた。
……彼は、きっと強い人なのだと思う。一体どういった経緯で野盗の頭領になったのか知る由も無いが、彼は部下にも慕われていた。
ナスルにとって十年振りの兄との再会。心配していた兄が無事だったのだ。これでナスルの心の傷は少しは癒されるだろうか――。
そこまで思って、胸の奥が疼き出す。しかし。
(余計なお世話か……)
そう気付き、マコトは首を振る。確かに今は他人の事より自分の事だった。
(……早く、言うべきだよね)
ずっと考えていた事と、それから謝罪。年齢を偽り、彼らを騙していた事は間違い無いのだから。
それでも話し出すきっかけが見つからず、マコトは忙しなく視線を泳がせる。
そんなマコトの髪を柔らかな風が吹き上げ、夜明けを知らせ始めていた。
「お前さ……」
馬に揺られながら、不意にぽつりと呟くような声でカイスが口を開いた。その相手は言わずもがなマコトしかいない。
口を開いたもののどこか迷う様に間を置くカイスはきっと、先程見た胸の事を聞きたいのだろう。年頃の少女らしく胸を見られた事は恥ずかしい、と思うが年齢を誤魔化していた事を謝るいいチャンスかもしれないと思い、マコトはゆっくりと口を開いた。
「あの、私」
「マコトさん」
珍しく遮る様に真横からサハルの声が静かに掛かった。振り向いたマコトにサハルは優しく微笑み首を振る。その意味を掴みかねたマコトが首を傾げると、前にいたサーディンが手綱を持ったままくるりと振り返った。
「カイスさぁ」
呆れた様な顔をして、サーディンが鼻で笑う。
「く・ぅ・き・読もうね~」
「っお前にだけは言われたくねぇ!」
サハルとは反対側に馬を寄せていたタイスィールが、くすりと笑ってマコトに艶やかな視線を送る。
「今まで通りで、いいんじゃないかな」
「そうですね」
「はぁっ!?」
カイスの声に馬が窘める様に嘶く。それをちらりと流し見てタイスィールは肩をすくめた。
「おや、相変わらずカイスは鈍いね」
「馬鹿だからねぇ」
「根が素直なんですよ」
サーディンが畳みかけ、サハルがフォローした所で、カイスはぐるりと首を回し、目を瞬かせた。
「……~っお前らいつから!」
ようやく話の流れに気付いたのだろう、カイスが唾を飛ばさん勢いで怒鳴る。
やはりばれていたのかと思う一方で、それでも黙っていてくれた事実に胸が温かくなる。そしてマコトもようやく……タイスィール達が言わんとしている内容に気付いた。
つまりは、マコトの嘘を見逃してくれると言う事で。
「……いいんですか……?」
震える声で問い掛ければ、タイスィールとサハルは優しく微笑んでゆっくりと頷く。
「何がぁ?」
ニヤリと笑ってとぼけてみせたサーディンに、マコトはぐっと奥歯を噛み締め、そして深く頭を下げた。
「……有難う、ございます。……それと、あの……ごめんなさい」
こんなに、優しい人達なのに。どうして自分だけが辛いと思ったのだろう。
隠していた彼等だって、自分に罪悪感を感じていた。振り返らずともそれは言葉の端々や、途切れた言葉、不自然な静寂で感じる事が出来る。
「……謝るのは私たちの方です。オアシスの事、黙っていてすみませんでした」
サハルはほんの少し馬を近付けて深く頭を下げる。マコトが慌てて首を振ると、何やらブツブツと呟いていたカイスはくるりと顔を回し、マコトを睨み付ける様に見下ろした。
「言っとくけど! おまけなんて思って無いからな」
「そうそう、僕オアシスなんか付いてこなくても、マコトをお嫁さんにしたいし!」
懸命に言葉を重ねるカイスに、らしくなく慌てたように口を挟むサーディン。
いつになく真面目な顔をして言い募る二人に、心の奥があったかくなる。 昨日まで謝罪など聞きたくないと思っていた。だから、彼等が謝るのも許さずに、避けていた。けれど今ならそれを受け入れられる事が出来る。
「もう、いいんです」
自然に込み上げる笑みをそのまま顔に出せば、カイスはほっとした様に表情を緩めて前に向き直る。
そして、今なら言えそうな気がして、マコトは一度深く深呼吸してから口を開いた。
「あの、私、決めたんです」
決して大きくない声だったが、その言葉に言い争いをしていたサーディンとカイスがピタリと口を閉じた。そして残る男達に緊張が走ったが、思考を纏めるのに精一杯のマコトが気付ける訳も無く、途切れ途切れに言葉を紡いでいく。
「その、……私。誰とも結婚しなくても、西の一族を選びます」
沈黙が落ち、マコトの言葉にカイスは思い切り眉を顰め、サーディンは面白そうに口の端を吊り上げ、残る二人は一瞬呆気に取られたものの、お互いの顔を見合い、苦く笑った。
「……あの、何かおかしな事言いましたか?」
おのおの違う反応をしたタイスィール達にマコトは、戸惑いながらもそう尋ねる。それに答えたのは一番の年長者であるタイスィールだった。
「いや、どうして誰も選ばないのかな、と思ってね……我々では君の相手は務まらないかい?」
わざとらしく伏せられた瞳は、演技だと分かるのに焦ってしまう。
(あ、あれ。伝わってない……?)
「いえ、とんでもない、です。どっちかっていうと逆ですし。あの、そういうんじゃなくて。その無理に、ですね。タイスィールさん達に結婚してもらわなくても、っていうか迷惑かけるつもりじゃなくて。……ここに、いたいんです。じゃあオアシスの所有権って西の一族に、なりますよね?」
「いえ、それは嬉しいですが」
少し困った様に返事をしたサハルを遮りタイスィールが口を開く。
「君に選ばれて迷惑なんて思わないよ。むしろ光栄だね」
「……そう言って貰えて嬉しいです」
「本気にしてないよねぇソレ」
「え?」
呆れた顔で呟いたサーディンにマコトは首を傾げる。見渡せばタイスィールもサハルも少し疲れた表情を見せており、マコトはますます首を傾げる。
ややあってから、カイスは手綱をひき馬を止めてから、くるりと首を回しマコトを見下ろした。
「いい! とりあえずややこしい事は後にしてお前はここにいるんだな! よしっ」
確認する様にカイスは周囲を見渡しそれぞれに視線を向ける。全員が頷いたのを確かめそしてまたマコトに視線を戻した。
「お前は今日から俺達の西の一族の一員だ。次期頭領の俺が認める。……改めて宜しくな」
「……ぁ」
その意味に気付き、マコトは、くしゃりと表情を歪め、深く、頭を下げた。
「有難うございます……っ」
腰に回した手に重ねられた手は温かい。それに答える様にマコトはカイスの背中にしがみつく様にぎゅうっと力を込めた。
「……ッうわ……」
「……っ、す、すいません……ッ」
痛かったのだろうか、と慌てて腕を緩めるが、 カイスの身体は強張ったままだ。耳が赤い気がするのは輝きを増し始めた朝陽のせいだろうか。
「カイスやらしぃ~」
「そういう事は言わないであげるのが友情というものだよ」
「そんなうすら寒いモノ僕らの間にあるわけないじゃない」
俯いたまま涙を拭えば、朝日に照らされ、生まれた影が伸びていく。四つの影の闇はどこまでも黒く、アパートとこの世界を繋げたあの深淵を思い出させた。そしてカイスの背に掴る自分の影もまた同じ。
(……ああ、そっか……)
あれほど感じていた違和感は自分を守る殻。孤独感はそこでずっと留まりたいと思う自分の臆病な心が生み出した言い訳だ。
自分の気持ちを伝え、思いを通わせればこうして少しずつ景色に溶け込み、馴染んでいける。
やさしい世界と。
やさしい人達。
優しい彼らだからこそ、この優しい景色に自然に溶け込む事が出来るのだろうか。それなら。
「……たい」
それはマコトがこの世界に来て初めて願った思いだった。
彼らに認めて貰って、ほんの少しだけ自分に自信が持てた。
彼らと共に景色に溶け合って一つになれたらきっと幸せ。そしてそれはきっと自分の気持ち次第なのだ。
臆病で嫌われたくないと恐れていた自分は居場所を与えてもらえるのを待っていた。そうではなく、こんな風に最初から自分で作ろうとするべきだったのに。
ここで、この世界で、生きていきたい――。
再び心の中で強く呟くと、胸の奥から何か熱いものが込み上げる。
「風が出てきたから、目ぇ瞑っとけよ」
乾いた砂から守るようなカイスの背中にマコトは、溢れ出した涙を隠す為に額を押し当てた。
一部完結
ここで一部完結になります!おつきあい有難うございました。
少し休憩します。




