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第四十四話 傷の男


 意識毎身体が沈んでいく感覚にぞっとし、無理矢理瞼を押し開くと、ぼんやりとした明かりと人影が映った。どこか遠くで笑い声が起こり、心臓が跳ね上がる。


(ここ、どこ……?)


 体の下の固い感触は地面の上に転がされていると分かる。引き攣れて痛んだ腕が動かないのは、どうやら後ろ向きに縛られているらしい。


 マコトは悪い予感に大きくなっていく鼓動を落ち着かせる為に、一度深く深呼吸し、そして慎重に瞼を持ち上げた。

 丸く湾曲した剥き出しの岩肌の壁。そこだけ見れば洞窟の様だった。マコトの周囲に明かりは届かず、その光源の下には数人の男達と酒の瓶がいくつも転がっていた。


「……っ」

 目を凝らして彼らを見れば、悲鳴が喉に張り付く。


(あの人達……)

 明らかに一般人では無く、つい先日見たばかりの野盗と同じ服装と雰囲気を持つ男達だった。時々野卑た笑い声が上がり、その人数の多さにマコトは顔色を失った。


(もしかして、攫われた……?)


 最後の記憶を手繰り寄せてそう結論づける。

 いくら思い返しても、皆から離れ集落の外れに向かった後の記憶が無い。朝食の雑談の中でもしかすると再襲撃があるかもしれないとは聞いていたが、まさか、こんなにすぐにそれを決行するとは思わなかった。


(……自業自得、だ。それでも注意する様にってタイスィールさんに言われてたのに)


 けれど、一分一秒でも、あの場所にはいたくなくて、出来るだけ彼らから離れた場所へと足が勝手に動いていた。

 ……それに結界はどうなったのだろうか。前回タイスィール達が集落の危機を知る事が出来たのは、結界が破られたせいだと聞いていた。


 つまり侵入者があればその結界を張ったアクラムは気付くはずなのだが。

 薄暗いこの場所では、時間が分からない。攫われた時はちょうど夕陽が沈む所だったが、どれ位自分は眠っていたのだろうか。


 薬かもしくは何らかの方法で無理矢理眠らされたせいか、まだ頭はぼんやりして、考えが纏まらない。


(……分らない。……どうし、よう……)


 どんな目に合わされるのかは先日のやりとりから、大体想像はつく。

 怖い、と思う一方でもう一人の自分が、冷静に状況を判断して、一体どちらが本当の自分なのか分からなくなる。


 とっくに感情なんて振り切れている。もうどこにいても自分は『イール・ダール』で、佐々木真という人間では無い。一緒なのだと思う。けれど飼い殺しにされる位なら、いっそー一思いに殺して欲しい。そんな自分に呆れて、そして、彼らの事を思った。


 自分がいなくなった事に気付いてくれているだろうか、助けようとしてくれるのだろうか。


(でも、……)


 もしかすると。

 このまま見捨てられるかもしれない。


 美しくも聡明でもなく、嘘つきで子供で面倒で、『イール・ダール』という名前以外価値の無い自分。例えオアシスが大事だとしても、もしかすると彼らは助けに来てくれないかもしれない。


「……」


 震えそうになる体を抑える為に、マコトは体を縮こませてきつく唇を噛み締めた。


 その時。



「……ぁ? おおっ目が覚めたか!」


 大きな怒鳴り声にびくっと身体が震え、男の言葉を肯定してしまう。ぴたりと男達の話し声が止み、鋭い視線が一斉にマコトへと注がれ、本能的な恐怖に身体が強張った。その内、初めにマコトに気付いた男が椅子から立ち上がり、乱暴な足音を立ててマコトへと歩み寄る。一歩一歩近付いてくるその振動が恐怖を煽った。


 マコトのすぐそばに座り込んだ男にぐいっと腕を掴まれ、頤を持ち上げられ目の前に明かりを突きつけられる。その眩しさに目を眇めると、男がにたりと笑って呟いた。


「よく寝てたなぁ」

 酔いが回っているのだろう。遠慮なく近づけられた顔は赤らみ、吐き出される息は荒く酒臭い。


「……なかなか、カワイイ顔してんじゃねぇか」


 湿っぽい視線と声音にぎくりと肌が栗立つ。地肌ではありえないほど黒い顔が近付き、マコトは反射的に顔を背ける。男は気分を害したらしく舌打ちして、投げ捨てる様にマコトの腕を外した。支えるものが無い以上マコトはそのまま地面に叩きつけられ、肩に走った鈍い痛みに顔を歪ませた。


「……丁重に扱え。『イール・ダール』なんだからな」


 男達から少し離れた場所から、落ち着いた声が掛かり、マコトは悲鳴を我慢し、顔を持ち上げそちらに視線を向けた。


(この声は……)


『イール・ダール』


 意識を失う直前の聞いた声だ。そう――この声は最初の襲撃にあった時にも聞いた。一番初めに襲われた時に、自分から刃物を取り上げた男に間違い無い。傷跡と彼らに馴染まないその雰囲気が一人だけ違っており、印象に残っていた。


「あ~分ってンよ」


 男は肩をそびやかせて、それでもどこか名残惜しそうにマコトを見ている。それに気付いたらしいまた別の男が、舌の回らない口調で酒瓶を振り回した。


「おい~! 手ぇ出すなって言われてんだろうがぁ?」

「ンだよ。味見位いいだろうが。……お前、ナジームがいなくなったからって、スェに乗り換えるつもりかよ」


 不機嫌に男が唸り、取り成した男の胸倉を掴む。それを乱暴に払い除けて男は怒鳴った。


「んな訳ねぇだろう!」


 男の怒声に、マコトはびくっと体を強ばらせる。しかし男達の会話から分かった事もあった。どうやら自分は、ここにはいない誰かの命令で、攫われたらしい。


「じゃ、ちょっと位、いいじゃねぇか。……ナジームもドジかましやがって、スェも調子乗ってやがる。この上『イール・ダール』も手に入ったらますます調子づかせちまうぜ」


 また違う男が吐き捨てるように呟き、部屋の中に重苦しい沈黙が落ちる。


 静寂を破ったのは奥のテーブルで杯を傾けていた男だった。


「……なぁ、コイツ俺らで飼うか?」


 男の目が細くなり、それぞれ順番に男達に視線を向け乾いた唇を舐めた。

 探るようにそれぞれの眼が忙しなく動く。ごくり、と誰かの喉が鳴り、マコトのすぐ側にいた男が上擦った歓声を上げた。


「ッいいねぇそれ! スェを頭から引きずり落とすいい考えじゃねぇか。それに最悪「蒼鷹」を抜ける事になっても。『イール・ダール』さえいればどこに行ってもいい取引材料になる」

「……おおっ! いいな!」

「最高じゃねぇか! 俺ぁもうこんなクソみたいなとこ、うんざりしてたんだ。殺しはしねぇ、襲うのはスェが決めた豪商だけで単独行動禁止なんて妙な決まり作りやがって! 楽な小せぇ商隊や家族連れは襲うななんて慈善事業かよ……!」


 頷き叫んだ男を皮切りに、男たちがそれぞれ鬱憤を撒き散らすように口々に喋り出す。


(これって、内部分裂……してる? 失敗した、ってもしかして、この前の事かな)


 先程ちらりと出たナジームという名前は、話から察するに集落に来たあのリーダーらしき男なのだろう。


(スェって……名前よね。彼らに嫌われてるけど、高い地位にある人で、きっとあたしを攫う様に指示した人だ)

 そのスェと言う人を裏切り、彼らは自分を横取りしようとしている。……事態は好転したのかそれとも暗転したのか、分らない。


「じゃあ、っと」


 マコトの側にいた男がまたしゃがみ込み、地面に散らばったマコトの髪を掴む。


(いた……っ)


 至近距離で見た男の口の端が釣り上がる。興奮で血走った目に自分の引き攣った顔が映った。ほんの少し騒ぎが収まったが、明らかに男達の雰囲気が変わった。そしてまた違う男の声が響く。


「女を抱くのは随分久しぶりだなぁ?」

「ああ、スェは中の女に手ぇ付けるな、って煩いからな」


 ぎしっと椅子の軋む音がして、転がり地面に落ちた酒瓶が派手な音を立てて割れる。濃厚なワインの匂いがあまり広いとは言えないその部屋に充満した。


「……や……ッ」


 恐ろしい予感に身体を竦ませて、身体全体で這うように後ずさる。近付く彼等の目はまさに獲物を狙う残酷な捕食者の目で、ふいに横から伸びてきた手にマコトは地面に倒された。胸元のボタンが引っ張られて弾け飛ぶ。大きく固い手がその膨らみに伸びようとしたその時、男の肩を誰かが掴んだ。


「待て」

「ぁあ? ……んだよ。ラジ」


 マコトの腕を押さえていた男が、少し驚いた様に静かに静観していた傷の男を見上げ、口元を歪めた。


「……」

 ラジと呼ばれた男は睨みつけてくる男を一瞥し、それから一度マコトに視線を移す。表情を変える事無く、興奮する男とは反対に落ち着いた低い声で呟いた。


「……私が先だ」


 その声に、ほんの少し生まれた期待が打ち砕かれる。


(ああ、本当に、……もう、駄目なんだ……)


「ンだよ~ぉ。お前」


 眉を顰め、ちっと舌打ちした男は、ラジの言葉に反発する。いきり立った男を、少し年嵩の男が止めた。


「いい、譲ってやれ。ラジがいなきゃこいつも攫ってこれなかったしな。へっへこれからも宜しく頼むぞ」


 明らかに媚びるような声音に、覆い被さっていた男が低く舌打ちしマコトの前からどく。代わりに近づいてきたラジがその大きな手を伸ばし、マコトの口を覆った。そして首元にゆっくりと顔を埋め小さな声で囁いた。


「もう暫く我慢しろ」



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