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第四十三話 そして再び(ハッシュ視点)


「……マコトがいない?」


 決して大きく無い呟きが、耳に飛び込んできたのは、その中にあの人の名前があったからだろうか。慌てて本から顔を上げてみれば、厳しい顔をしたカイスがサラの華奢な肩を掴んでいた。小刻みに震えるその横顔は目に見えて色を無くしていて、何かが起こったのだと瞬時に理解した。


(いなくなった……?)


「……っゲルにいらっしゃらなくて、声を掛けて集落を回ったんですけど返事が無いんです。一応、オアシスにも行ってみたんですけど、お姿がどこにも……っ」


 投げ捨てる様に本を置き、カイス達のそばへ駆け寄る。


「まさか出て行ってしまわれたとか……」


 泣き出す一歩手前の声で絞り出された言葉に、じわりじわりと言いようの無い不安が胸に広がっていく。

 彼女がこちらにやってきて、まだ十日しか経っていない。その間ずっと集落に留まりこの世界の事など何一つ知らない、そして賢明な彼女が、――例えあんな事があったとしても――自ら出ていくとは考えにくい。それに集落全体に張り巡らされた結界がある限り、一歩外に出ればたちまちアクラムの知る所となるのだ。彼がゲルから出て来ない所を見れば、結界には何の異変は感じられなかったのだろう。 不安な気持ちを抱えたまま、タイスィールの指示で集落の中をくまなく捜索する。心当たりなどある筈も無く、また、自分が彼女が好む場所はおろか、好きなもの一つ何も知らない事に気付き愕然とした。


 そんな場合では無いと思いつつも、ハッシュは湧き上がる不安と苛立ちを 噛み締めながら、手当たり次第探した所で、タイスィールの声が届き、再びアクラムとナスルを除く全員が広場に集まった。


 そして予想通り、マコトの姿はどこにも無く、いない事を確認しあうと、痛い程の沈黙が落ちる。

 ややあってからサハルが静かに口を開いた。


「先手を取られたかもしれませんね」


 眉間に皺を寄せたサハルに、苛々とつまさきを動かしていたカイスが弾ける様に顔を上げた。


「野盗か」


 短く吐き捨て、頭を掻き毟る。

 既に日は落ち辺りは闇に染まって、熾した火だけが鮮やかな色を持ち揺れていた。爆ぜる音がしたそのそばでに座り込むサーディンは珍しく口を閉じ、どこか虚空を見ていた。一見すると大人しいその様子にハッシュは眉を潜める。


(……サーディンさんの様子が……。あの時、儀式で結界が破られた時は、すぐに救出に向かったのに)


 何かあるのだろうか、と注意深く彼を観察しようとして、タイスィールとサハルの視線が自分と同じ様に彼に向けられているのが分った。


「結界が破られた気配は無いんだよな?」


 カイスがそう尋ねれば、タイスィールは視線を動かし頷く。


「ああ、アクラムが今調べているが、感じなかったらしいよ」


 アクラムは自分のゲルの、浄化された魔法陣の中でマコトの気配を追っている。

 ふと、視線を戻し何か決意したように小さく頷いたサーディンが、立ち上がり カイス達の元へと歩み寄ってきた。


「前来た時、なんか仕掛けられてたのかもねぇ」


 そう言った後、サーディンは何も無い虚空から釈杖を取り出す。埋め込まれた赤い石は燃える火を反射し、生きている様にその輝きを増した。


「やっぱり、魔導師がいたのか」


 野盗がマコトの事を言い触らす利が無く、結界を張らせれば大陸一と言われるアクラム 、そしてサーディンも、凄腕の剣士でもあるタイスィールがここにはいる。それを知った 上で彼らがすぐにやってくる訳が無い、と思い込んでいた。しかし、それはカイスだけでは 無くこの場にいる全員の失態だった。


「……ホントにねぇ。こんな事もあろうかと、目印付けといて良かったよ。さっすが僕。天才だね」


 杖を構えながら、言葉ほどふざけた様子も無く独り言の様に呟いた言葉にサハルの眉尻が上がった。


「目印、ですか?」

「うん。ロジナから取り返した鈴にね。僕の魔力込めといた。さっきから探してるけど、ここじゃ遠すぎてぼんやりとしか分かんない。とりあえず出るよ。――時間が惜しいから、もう行くけど?」


 付け足した言葉はサーディンにしては珍しく、一緒に連れていってもいいという意味合いを含んでいる。最高の魔力を持つと言われるサーディンを出し抜き、知らぬ間に結界に小細工をした魔術師の力を懸念し、確実にマコトを救出する為なのか、もしくはただの気まぐれか――。どちらにせよ、彼がこんな風に他人を同行させるなんて初めてだ。それほど、確実にマコトを救出したいという想いが彼にこんな行動を起こさせているのだろうか。


「……いい傾向だね」


 ぽつりと呟いたタイスィールに、やはり、とハッシュは頷く。

 それほど彼女が大切なのだと、以前とは明らかに違うサーディンの行動が示していた。


「倫理的にどうかなとも思うけど。とりあえず今はよくやったと誉めておくよ」


 タイスィールが呆れたように呟き、肩をそびやかす。そして、前と同じように一緒に行こう、と付け足した。サーディンはふん、と鼻先で笑って自分の耳朶に刺さった赤いピアスを撫でる。そしてすぐにいつもの表情に戻り、指先をぱちりぱちりと鳴らした。


「……僕さぁ、自分のもの横からかっさらわれるのが一番ムカつくんだよねぇ」


 苛立たしさを内包した呟きに、カイスは目を眇めてサーディンを睨む。


「……お前のモンじゃねぇ」

「へぇ、なに? じゃあ誰のモノ? まさか君? 笑えない冗談だねぇ。っはは、……僕サイッコーに気分悪いんだ。馬鹿な事言ってると消し炭にしちゃうよ?」

「やってみやがれ、この馬鹿が」


 睨みあった二人の間にサハルが入り、カイスに視線を向ける。


「いちいち挑発に乗らないで下さい。今はこんな事してる場合じゃないでしょう」


 バツが悪そうに黙り込んだのはカイスだ。サーディンはふん、と鼻で笑って、そっぽを向いたがそれを取り成す様にタイスィールが口を開いた。


「じゃあお姫様奪還と行こうか。他に着いて行きたい者はいるかい?」

「私も行きます」


 即座にサハルが反応する。ハッシュは手を上げかけたが、結局その途中で手を下ろし拳を固く握り締めた。魔術師でもなく、剣を扱えない自分が行けば足手まといになるのが分かっていたからだ。


 アクラムはこの場に残り、彼らが残したであろう仕掛けを解析して修復しなければならない。

 この中で一番役に立たないのだと痛切に感じた。


 サハルと話した時も、儀式の途中で異変を知った時も、そして今も。


 自分は何も、出来ない。


 悔しさに固く握り締めた拳が小刻みに震える。唇を噛みしめ俯いたハッシュの横でそれまで黙っていたカイスが声を上げた。


「おい、俺を置いてくなんて言うなよ」


 片眉を持ち上げたタイスィールに、カイスは睨むように彼を見る。


「……カイス。君は次期頭領なんだ。怪我でもすれば私は君の父上に顔向け出来ないよ」

「うるせぇよ。死ななきゃいいんだろうが。危険なら引けばいいんだろう。……マコトはもう一族の一員だ。……本人が嫌がっててもな。なのにこの、俺が見捨てる訳にいくか」


 きっぱりと言い切ったカイスにタイスィールはふっと表情を緩めたが、すぐに引き締め、ハッシュに視線を向けた。


「ハッシュ。今の話をナスルとアクラムに伝えて貰えるかい。君には悪いけど留守を頼む」

「……分かりました」


 そう頷くしかない自分が情けなくて、ハッシュは俯いたまま踵を返し、アクラムのゲルに向かった。それでもハッシュの気持ちをタイスィールは汲みわざわざ用事を言いつけてくれたのだろう。しかし、その優しさすら今は胸に痛い。


 出来るだけ冷静に状況を説明すると、アクラムは表情を変えず、そうか、とだけ返事をして、ゲルを出た。既にやるべき事は分かっているのだろう。ハッシュも足早にその後に続き途中でナスルのゲルに寄る為に別れる。


 ナスルとは元々あまり面識も無く、マコトへの態度からあまりいい印象は無かった。扉の前で呼び掛けると、ほどなくして隙間が開き、自分よりも遥かに高い位置に変わらぬ顔があった。


「何か用か」


 とっつきにくい返事に、不快感が込み上げる。


「マコトさんがいなくなったんです」


 微かにナスルの眉が吊り上がる。しかし彼はそれ以上表情を変えず淡々と言い放った。


「状況の説明を」


 ゆっくりと顔を上げたナスルに、簡単に状況を説明する。

 するとナスルもアクラムと同じようにハッシュの脇をすり抜け、広場へと向かった。


「ナスルさん……?」

 その意外な行動にハッシュは思わず名前を呼んだが、ナスルは振り返る事無く一直線に広場に向かっている。おそらく彼も捜索隊に加わるのだろう。


 嫌っていたのでは無かったのか、と思わず眉間に皺を寄せた自分に気付き、はっとして首を振った。

 

 遠く、馬の嘶く音。

 無事を願う。それ位しか今の自分にしか出来ないから。


 噛み締めすぎて切れた唇の端を拭い、その蹄の音から逃れる様に、自分のゲルまで走り、扉を開け、細く長く息を吐く。古い本の匂いを嗅げば落ち着くはずだった。


 ハッシュは机の上の分厚い本に手を伸ばし、いつもの様に開いて視線を落とす。

 目を通し捲りかけて指がひっかかる。


 ――そんな些細な事で。


 苛立ちが、爆発した。


「……ッ!!」


 ハッシュは勢いよく本を振り上げてそのまま壁に投げつけた。バシッと打ち付けられる音が響き、綴じていた紐が切れて紙がはらはらと舞い落ちる。


「……っは……っ」


 堪えていた言葉を吐き出して、荒い息を吐き出し肩を上下させると、視界が滲んで、こみ上げてきた何かを飲み込む様にぐっと奥歯を噛み締めた。


 こんな場所で、待ってなどいたくない。――自分がもう少し強ければ、マコトを助けにいけたのに。

 彼女は『イール・ダール』で、西の一族にとって大事な存在だ。

 自分の話に耳を傾けてくれ、そして問い掛ければ真面目に考えてくれる、とても優しい、大事な少女。そばにいると好奇心が満たされるのと同時に心が休まった。許されるならば、ずっとそばに、と願う程。


「……っマコト、さん……!」


 ――だからこそ自分が、この手で、助けたかった。タイスィールのように、サハルのように、自分以外の候補なら簡単にその光景が想像出来る。


 何もかも足りない。学院で詰め込んだ膨大な知識なんて、何の役にも立たない。今程自分を無力だと感じた事は無かった。


 ハッシュ唇を噛みしめ、絨毯に散らばった本の残骸を睨み付ける様に見つめていた。




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