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第五話 やさしいひと

「子供に迫るなんて、サーディンみたいな真似しないで下さい」


 呆れた口調の男を見上げ、マコトはほっとしたように白い息を吐いた。


(た、助かった……)

 動きを止めたタイスィールから、じりじりと後退り、間隔を空ける。


(こ、子供だと思って、からかってるんだろうけど……っ心臓に悪いっ)

 本当に綺麗な顔立ちなのだ。むやみやたらに甘い言葉を囁かないで欲しい。最初など冗談としか思えなかったから、そのまま流してしまったが、今思うとあれだってかなり恥ずかしいセリフだ。


 母の看病とバイト、残りは勉強へと時間を使ってきたせいか、 色恋沙汰には疎い……というか若い男性と必要最低以上話した 事が無く興味も無い自分ですら、艶っぽい声と色気のある顔にどきどきしてしまう。……そんな場合じゃないというのに。


「彼と一緒にされるとは心外だね。サハル、わざわざ迎えに来てくれたのかい?」


 気分を害したとばかりに、タイスィールは眉を寄せて、青年を見た。


(この人がサハルさん、なんだ……)

 タイスィールと同じか少し下だろうか。タイスィールやナスルと 同じ位端正な顔立ちをしているが、彼らより穏やかな雰囲気で、優しい感じがする。 正直二人よりは親しみやすそうだ。


「ええ、長老が出発前に立ち寄られまして、……今日は私が『イール・ダール』をお預かりする事になったみたいですね」


 そう言って穏やかな微笑みをマコトに向ける。それを受けてマコトは、慌てて頭を下げた。


「そう。じゃあ後は宜しく。マコトまたね」

「はい……あの、有難うございました」


短い道案内だったが律儀に頭を下げたマコト にタイスィールは、ふふっと小さく声を立てて笑った。そんな女性めいた仕草すらも不自然では無い。


「そうそう、君の花婿候補に、私も入っている事、忘れないで?」

「……え? ……あ、はい」


 もしかして遠まわしに迷惑だと言われているのだろうか。

 彼の真意がよくわからない。いや言動全てがマコトに取っては理解出来ないが。

 しかしその言葉に、サハルが眉を顰めてタイスイールに訝し気な視線を向けた。それを受けて曖昧に微笑んだタイスィールは、くるりと二人に背中を向ける。


「おやすみ」


 呆気に取られたようなマコトの顔を横目で満足そうに眺めてから、 出て来たばかりのゲルに戻っていった。


「じゃあ、行きましょうか。私のゲルはこちらです。足元が暗いですから気を付けてくださいね」


 タイスィールを見送った後、さり気なく差し出された手に、マコト はおずおずと自分の手を重ねる。確かに慣れない砂漠は足を取られるし 自分の爪先が見えない程真っ暗だ。


(優しい人みたい……)

 最初に泊まるのが、この人のゲルで良かったとマコトは心から思った。


 少し歩いて、さっきまでいたものより少し大きなゲルの前で立ち止まる。

 同じ様なゲルが並んでいるから、しっかり覚えておかないと間違えそうだ。

 小さな木の扉を屈んでくぐると、先程までいた――おそらくタイスィールのゲルだろう、場所と大差は無い。しかしよく見れば隅に沢山の本が積まれていた。


(王宮で文官をしてるって言ってたっけ……)


 そう言われれば確かに納得出来る風貌だった。

 先に部屋に入るように促した、サハルは扉に背中を付けたまま自己紹介を始めた。


「私はサハルと申します。お名前をお伺いしてもよろしいですか」

「はい、サ……マコトです」


 今度は最初から名前を名乗る。サハルは確かめるように口の中で反芻し、にこりと微笑んだ。


「良ければ着替えますか。妹の服で良かったらどうぞ。その格好では寒いでしょう」


 マコトが今着ているのは、冬服のセーラー服だ。少し外に出ただけなのに、確かに剥き出しだった足が すっかり冷え切っていた。しかも今まで気付かなかったのが不思議な位、砂だらけで白くなっている。


(ゲルに入る前に砂落とせばよかった……)


 マコトは後悔する。このままでは絨毯を砂まみれにしてしまいそうだ。一晩お世話になるのに、これ以上迷惑を掛けたくない。 


「着れそうなものを用意しておきました。では、私は外で待っていますね」

 サハルはそう言うと予め用意していたらしい服のを差し出すと、再び扉を開けてゲルから出ていった。

 第一印象は正解だったらしい。


 自分の事を子供だと思っているはずなのに、わざわざ着替えの為だけに、外で待っててくれるなんて、とても紳士的だ。


(ホントにいい人だなぁ……)


 手渡された着替えを見下ろしたマコトは、絨毯が敷かれた床に服を並べる。ボタンのついたワンピースが二枚。分厚いものと薄いものがあるから、重ねて着るのだろう、と推測する。それから下にズボンらしきものを履くらしい。これも生地が厚くて暖かそうだ。


 まずスカートの下からズボンを履く。少し余ったので折り返すと、次にセーラー服の砂埃を広げないように、慎重に上着を脱ぎそのまま 丸めた。下着とキャミソール一枚の剥き出しの肌に冷気が刺さって、マコト はぶるりと大きく身体を震わせた。


(砂漠の夜って寒いんだ……)


 先程はよほど満天の星空に夢中になっていたらしい。 今更思い知って急いでワンピースに袖を 通す。かじかみ始めた指で、前のボタンを止めようと見 下ろした途端、真は固まってしまった。


(……胸が、止まらない……)


 両端を引っ張ってみるが、何とかなるレベルでは無い。小柄な癖にこんな所だけ発育が良いのも困りものだ。


(妹さんって幾つなんだろう)


 そんな疑問が頭に浮かぶ。

 例えばもう少し胸が小さかったとしても、入りそうにない。サハルの妹なら二十歳は超えているだろうと勝手に思い込んでいたが、もしかするとまだ子供なのだろうか。

 袖丈は何なら少し長い位だ。分厚い方なら少し大きめだろうかと思ったが、結果は同じだった。


(どうしよう……、制服も、砂だらけだし……)


 サハルはこの寒空の下、外で待っていてくれているのだ。 これ以上待たせるのも悪い気がしたマコトは、ワンピースを丁寧に 折り畳み直し、再びセーラー服の上着を再び頭から被った。スカートは脱いでしまっているので、ふた昔くらいの女子学生のようだ。


「サハルさん」

 マコトが呼び掛けると、律儀に「入りますよ」と念を押してサハルは中へ入ってきた。奇妙な出で立ちになったマコトの姿を見て、数回目を瞬かせる。


「もしかして着方が分かりませんでしたか?」


 優しく問われて、マコトは言い淀む。


「いえ、あの……」

 サハルは床に折り畳まれたワンピースに視線を向けて、少し困ったように眉を寄せた。


「好みに合わないかもしれませんが、着替えた方がいいですよ。朝方はもっと冷えますし」

 幼い子供に噛んで含ませるような口調に、マコトは本格的に困ってしまった。わざわざ用意して貰った着替えを嫌がれる程我侭では無い。マコトは優しいサハルに誤解されたくなかった。


「いえ、……用意して貰ったのに、ごめんなさい。……その、入らなくて……」

「……? 妹は貴方よりも年上なのですが……」


 このままでは延々この繰り返しだろう。


(ああ、もう……ッ)


 マコトはサハルから視線を外すと、思い切ったように口を開いた。


「む、胸が、入らないんです……っ」

 恥ずかしいなんてものじゃない。なにが悲しくて会ったばかりの男に自分の胸の大きさを打ち明けねばならないのだろう。

 マコトの勢いに驚いたサハルは、一瞬釣られる様にマコトの胸元を凝視した。しかしすぐに自分の不躾な視線に気付いたのか、目を逸らす。


「そうですか。では、私の服でもかまいませんか?」

「……それでお願いします……」


 恥しさに頬を染めて俯いていたマコトが、サハルの視線に気付く訳もない。

 とくに何の反応も無く、普通に返事を返されて、マコトはただ頷く事しか出来なかった。


(……私の馬鹿)

 一人意識して、恥ずかしがってる自分が情けなくなった。



2007.9.28

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