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第四十二話 気持ちの行方(サラ視点)

 マコトとタイスィールが向き合って話をしている間、台所には残る候補者達が集まっていた。


 サハルが買ってきた揚げ菓子を皿に移し替えながら、サラは少し視線をずらし普段自分が生活しているゲルがある方向を見つめ、目を凝らした。


 不機嫌なカイスからタイスィールがマコトと話をしていると、聞いたのはつい先程の事。こうして時々ゲルの方を伺ってはいるが、タイスィールもマコトの姿も未だ見えない。


(……マコト様は、大丈夫かしら)


 野盗に襲われてから既に三日目。その日こそ言葉も少なく、会話らしい会話も無いままお互いすぐに寝床に入ったが、次の日にはサラが拍子抜けする程、普段のマコトに戻っていた。まるであんな事件など無かった様に振る舞い、不器用な自分に忍耐強く料理を教え、他愛無い話にも耳を傾け微笑んでくれる。いつもと変わらないマコトの態度に、てっきり責められるに違いない思っていたサラは、胸を撫で下ろした。


 しかし、時間が経てば経つほど何か説明出来ない違和感のようなものがつきまとい、それが何なのか気になって、先程カイスがポツリと零した言葉で気付かされた。


『……なぁ、マコトはなんで何も言わねぇんだろうな』


 それは。

 責める事も無く、彼女は静かに『距離』を置いた。言いかえればそれは絶対的な『拒絶』で、許すつもりは無いと言う事なのだろうか、と結論を出すと、足元から冷たいものがせり上がって、血の気が一気に引いた。


 ……時間を戻せるものなら、儀式が終わった後どうするのか聞かれたあの時に戻って、何もかも話してしまいたい。


(……私は気付いてたのに。マコト様が傷付かない訳ないって)


 動かしていた手を止めて、唇を噛み締める。

 今ここにいる誰よりも、自分はマコトと共に過ごして来た。一週間程だが、一日中一緒にいれば人となりもおのずと分かる。


 ……彼女は、優しい。今まで出会った誰よりも、きっと。


 この地に住む人間にとって、『イール・ダール』は神と同じ位神聖なものだ。

 それが十年振りなら尚更その神秘性は高まり、サラは祖父から秘密裏にマコトの世話を頼まれた時は、どうしてこんな自分が、と断った程だった。しかし一族の頭領の血筋の娘は、他の一族に嫁入りした者が多く、世話が出来そうなのは、ニムか自分しかいないのも事実であり、勤めていた王宮に休暇願いを出され、結局半ば強制的に送り出された。


 そんな経緯もあり、最初はとても緊張していた。胸の鼓動が邪魔をし、思っていた以上に声が出ず挨拶すら満足に出来ず、自己嫌悪に落ちた。


 しかし、彼女は優しく微笑んで手を差し出してくれた。砂漠の色に映える黒髪に落ち着いた瞳。その優しい瞳はただ一度だけ声を掛けて頂いた王に、とてもよく似ていた。


 ほっとしたその瞬間、ああ、お優しい方で良かったと心の底から安堵した。

 歴代の『イール・ダール』の中には、気難しい者も、度を超えて我儘な者もいたと、古参の女官に聞いていたし、何より何か特殊な能力を持った気位の高い人という固定概念があった。しかし実物は、自分と同じ位の少女で、控え目に微笑み、どこか自信無さ気な所が、おこがましい思いながらも、どこか自分に似ていると思った。だからこそ、自分がそばにいて支え立派な――『イール・ダール』らしくなって貰おうと思っていた。


 けれど、それも最初だけで。

 料理の失敗で落ち込む自分を気にかけて、さり気なく気分転換させてくれたり、唯一の特技である髪結いや、王宮で叩き込まれた衣装の合わせ方、お茶の煎れ方、――なんて、普通の人なら王宮で働いているのだからそれくらい出来て当たり前だと流してしまう些細な事、一つ一つ気付いて認め誉めてくれる。


 まだ新人だからと叱責される事が多い王宮で小さくなって生活していた自分にとって、それはとても嬉しい言葉だった。気の弱さも手伝い叱責ばかりされる二年間は無駄では無かったのだ、と気付かせてくれた。


 ――そして、彼女のそばにいると、自然体になれる自分に気付いた。マコトのそばにいると落ち着く。自分の意見だって前よりもずっと言えるようになった。声だって、憧れのタイスィールや他の男性の前でも震えずに出す事ができる。


 それもまた魅力なのだと、そう気付けば、型にはまった『イール・ダール』らしく振る舞わせようとした自分が馬鹿らしくなった。


 そして決定的に彼女はやはり『イール・ダール』なのだと思ったのが、野盗が現れた時だ。本当ならマコトを庇い自分が出なければならなかった。初めて見る野盗は恐ろしく足が動かなかった。そんな自分とは逆に十八だと自分に告白し、二ムを救うべく自ら飛び出していった。誇り高く自分には無い、そしてこれからもきっと持ち得ない強さに、泣きたいほど憧れた。


(……元々、落ち着いた方だと思ってはいたけど……)


 驚かなかったと言えば嘘になるが、もし年の近い姉がいればこんな感じなのだろうかと何度も思っていたせいか、自分でも驚く程素直に納得できた。


 それに少なくともサラは、年齢を偽っていたマコトを責める気にはなれない。この世界で女性は大切にされ、数も少ない事から、婚姻は女性の意志が第一に尊重される。男性がいくら望んでも、女性側に受け入れられなけば、例え身分差があったとしても結婚は破談となるのだ。


 オアシスの所有権が左右されるからと言って、突然訪れた見知らぬ世界で、見知らぬ人間と結婚させられる――なんて、サラに限らず年頃の女の子だってあまりに乱暴で身勝手だと思うだろう。自分なら間違い無く拒否するだろうし、年齢を誤魔化したマコトの気持ちも理解出来る。


 つまりは、自分に置き換えれば簡単に理解出来る話だったのに、彼女が『イール・ダール』と言うだけで簡単に受け入れられる気がしていたのだ。愚かにも。だから気付けなかった。


 せめてもの贖罪だと思ったわけではないが、だからこそ、サラは敢えてタイスィール達にマコトの告白を伝えなかった。特に打ち合わせをした訳では無いが、ニムもその事には触れていない事を思えば、マコトを嫌っていた彼女にも少しは自分と同じ気持ちがあるのだろうと思う。


(……マコト様が、怒るのは無理ありませんわ)


 しかも、一番重要な事を黙ったまま、集落の中に閉じ込めていた。

 小さく溜め息をついた所で、視界の隅にタイスィールの姿が映り、慌ててその周りを見渡す。期待していたマコトの姿はどこにも無く、サラのそんな視線に気付いたタイスィールは、苦笑を漏らし、擦れ違いながら耳元に囁きを落とした。


「すまないね」


 期待に応えられず、と言う事なのだろう。思っていた以上に顔に出ているらしい自分を叱咤し、サラは小さく首を振った。こんなにも近くに憧れの男性がいるというのに、はしゃぐ気にもならなかった。


「いえ……」

「お茶の用意を頼むよ。マコトも後から来るからね」


 最後に付け足された名前に、サラはほんの少しだけほっとする。こうして一緒にお茶を出来るなら、タイスィールとの話し合いはそれ程悪いものでは無かったのだと、思いたい。


「分かりました」 


 寝不足で少しぼんやりしている頭を起こす為に両手で頬を軽く叩く。お湯を沸かし注ぐ量に注意しながら、慎重にポットを傾ける。カップを並べて砂糖をさじで掬い上げ、目の高さまで持ってくると小さく頷き、琥珀色の水面に静かに流し入れた。


 それから残る七つのカップには、躊躇いなく慣れた量を加え一息つく。

 かき混ぜるのも彼女が一番先。紅茶の銘柄を選んだ時からそうだ。


(美味しいって言って下さるかしら)


 彼女が目を細めてそう呟くその一瞬がとても好きだ。そしてゆっくりと一口ずつ飲んでくれる。彼女程自分の紅茶を大事に飲んでくれる人はいない。――嫌われたくない。


 出来ればずっとこうして世話をしていきたいと思う程、自分は彼女の事が好きだった。

 例え『イール・ダール』で無く、マコトと言うただの女の子だったとしても、自分はきっと今の様に慕ったと思う。


(……なんて、今更かしら)


 自嘲気味に呟いて、白い湯気の中にマコトの顔を思い浮かべる。

 ……もし、このお茶を飲んでくれたら伝えてみようか。


(本当は謝りたいけど、せめてそれだけでも……)


 謝罪なんて聞きたくないからこその『拒絶』だとは分かっている。

 サラは手際良く支度を終えて、纏めてテーブルの上に運ぶ。後はニムに任せても大丈夫だろう。


「お茶が入りました。少しマコト様の様子を見てきますね」


 カイスとハッシュ、そしてサハルに囲まれているタイスィールにそう呼び掛けると、一斉に全員が振り返り、各々返事を返してくれる。婚約者候補である彼等もまた彼女の事が心配なのだろう。


(いつかは……マコト様は彼等の中から伴侶を選ぶのよね)


 出来ればこの四人の中から選んで欲しい。ハッシュは少し頼りないかもしれないが、彼らはサラから、見ても優しく彼女の事を守ってくれそうだ。


 そう、彼女がこの世界に来て良かったと思えるほど幸せになって貰いたい。


 祈るようにそう思ってサラはマコトがいるゲルに足を向けた。






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