第四十話 気持ちの行方(タイスィール)
儀式は滞りなく済み、残っていた残りの候補者達も騒ぎから二日後に一斉に戻ってきた。魔法で連絡を取り、おおよその事情は説明してあったせいか、集落は表向き以前と変わらぬ生活に戻っていた。
時間は正午を過ぎた所。タイスィールのゲルにはカイス、サハル、ハッシュ、そしてサーディンまでもが集まっていた。表向きは儀式の後処理と事後報告。しかしその内実は、初日に現れた野盗とマコトに関しての話し合いだった。
「……どうしたものかね」
こめかみに細く長い指を置き、タイスィールがそう呟くと、隣で片膝を立てて座っているカイスが顔を上げ躊躇いつつも口を開いた。
「なぁ、マコトって本当に気付いてんのかよ? 別に怒ってるって感じもしねぇし、昨日も普通に出迎えてただろ?」
「そうですね。会話もして下さいますし」
反対側にいたハッシュが同意する様に頷く。
(本当にそうならいいんだけどね……)
二人の言葉通り、マコトは騒ぎの翌日から、何事も無かった様に台所に立って朝食作りをしている。
あの騒ぎを知らない二人がそう思うのも無理が無い程、マコトの態度は普通だった。
(怒ってくれれば、分かりやすいのに)
つい先程まで忙しく働いていたマコトの後ろ姿を思い出し一人ごちる。マコトはさりげなさを装いながらも、食事の時以外、ゲルから出て来ようとしなくなった。話し掛ければ答えるが、自ら話題を振る事は無い。前以上に絶対的な距離を取られていると気付いているのは、実際の所、サハルとタイスィールだけなのかもしれない。いや、もう一人。
ゲルの一番奥で、だらりと猫の様に寝そべっているサーディンに視線を向ける。彼はけだるそうに上半身を持ち上げ、カイスとハッシュを交互に見渡し、鼻で笑った。
「はいはーい。お子様達は黙っててね」
「なっ」
ハッシュが顔を真っ赤にさせ、サーディンを睨む様に見下ろし、いつもなら食って掛かるはずのカイスは、何か思う所があるのか苦虫を噛み潰した顔をして睨み付けるだけに留まった。それをとりなす様に、タイスィールは牽制の意味を込めて、サーディンに向かって首を振る。
「サーディン、君は少し黙ってて。……面と向かって言われたのだと聞いてるし、態度から察しても彼女は間違いなく気付いているよ」
サラとニムが交互に語った話は俄かに信じ難い話だった。それに、二人が何かを隠しているのが さり気なく逸らされた視線から察する事が出来たが、些細な事なのだろうとタイスィールもサハルも問い質す事はしていない。マコトまでもいかないまでも、幼い彼女達もまた、初めて野盗に遭遇しショックを受けているのが感じ取れたからだ。
「ええ、差し障りなく会話してるだけで見えない壁みたいなものを感じますね」
同じ事を思っていたらしいサハルにタイスィールは苦笑する。
サハルとは何度かマコトについて話し合った。ここに皆を集める様に言ったのは他でも無い彼の提案だっだ。
「じゃあ、なんで聞いて来ないんだよ?」
至極最もなカイスの問いにサハルは、目を眇めた。
「察する事が上手な人ですから、……諦めたのかもしれません」
「はぁ? どういう意味だよ」
身を乗り出したカイスの問いにサハルは答えず曖昧に笑う。
「今日は彼女と野盗とのやりとりを聞いて頂きたくて、こうして集まって頂きました」
「……何かあったのか?」
静かな口調の中に密かに混じり込んだ嫌悪に、カイスは眉を顰めて問い返す。
「野盗が現れた時、最初は外に出ていたニムが捕まり、連れて行かれそうになった所で、マコトが飛び出していったそうです。ナスルが来るまでの時間稼ぎをするつもりだったそうですが……」
この場にいない男の名前に自然とタイスィールの眉間に深い皺が寄る。
彼は自分の一存で謹慎中にしてあるが、カイスやハッシュ達にその本当の理由は伝えていない。直情型のカイスは間違い無く怒るだろうし、騒ぎを大きくしてこれ以上マコトを傷つける訳にはいかなかった。
王に向ける忠誠心と頑固なまでのナスルの一途さを、タイスィールは嫌いでは無い。
親衛隊に配属されてから、辞任するまで彼の成長を見て来たつもりだった。剣の腕もいいし、将来が楽しみな青年でもあった。しかし、ナスルが彼女にした事は、許される事では無い。
(本当に要領が悪いと言うか……)
ナスルがもう少し小賢しく保身に走り、黙って適当な場所で現れるか、そのまま身を隠していれば逆に良かったのかもしれない。きっと彼女はあれほど傷付かなかっただろう。
そう考える途中で、否定する。
――違う。彼女を傷付けたのはナスルだけでは無い。黙っていた自分も同罪だ。サハルの様にオアシスの事を長老に掛け合う事もしなかったし、ただ傍観していただけだ。そして、これからもそうするつもりだった。
なのに。
(……どうしてこう『イール・ダール』に惹かれるのかな、私は)
最初は、少し懐かしさを感じさせる毛色の変わった少女を、見ているだけのつもりだった。
優しさに触れたのは、甘く苦い痛みを昇華した時。
そしてハッシュ達が集落にやって来た時、彼女はわざわざ自分に許可を求めた。既にあの時から 彼女は自分の立場に気付いていた。その聡明さに舌を巻き、黒曜石のような漆黒の瞳に魅せられたのだろう。 そして切ないまで頑なさに気付いたその瞬間、華奢な身体を引き寄せ、これ以上傷付く事の無いよう真綿に包む様に全てのものから守りたいと、思った。
サハルの様に長老に掛け合わなかったのは、十年前の悲劇を間近で見ていたからこそ、 どんなに訴えても無駄だと分かっていたからだったが、それでも、敢えて長老に進言していたならば、 この胸の罪悪感は今よりも少しマシだったかもしれない。
結局自分も、悪い意味で『大人』になってしまったのだろう。カイスやハッシュの様な純粋さも無く、サハルの様な堅実さも無い。
(……本当に何の因果か……十も年の離れた少女なんてね)
前回以上にタチが悪い。と、自嘲気味に笑って溜め息をつく。自分に言い寄ってくる女は後を立たない。 しかし、そこから選べないのが、散々イブキに天の邪鬼と言われた所以だろうか。
(……まぁ、とりあえずはマコトの気持ちを取り戻すのが先だけどね)
心の中でそう呟き、タイスィールは静かに語るサハルに意識を戻した。
「まぁ、マコトさんらしいと言えばマコトさんらしいですけど」
「まぁな」
マコトの無鉄砲とも言える行動は、若いハッシュやカイスには正義感ゆえの好ましい行動に思えたのだろう。軽率だと思う一方で、結局は無事だったと言う結果から、焦る様子も無く同意する。しかし、そこで話は終わらない事をタイスィールは知っている。
「……野盗は当然ながら、二人を連れて行こうとしました。けれどマコトさんはニムの代わ りに自分を連れて行けと仰ったようです。そこで自分は『イール・ダール』だと」
「ああ、そこで言ったのか。……でも、なんでそれでニムと交換してもらえると思うんだよ」
カイスは片眉を吊り上げ、首を傾げる。
獲物が二人に増えただけ。きっと男達にはそう映ったのだろう。サハルは間を置き視線を落とした。そして。
「――彼女は、こう言ったそうです。自分の首に包丁を押し当ててニムを連れて行くなら『死ぬ』と」
カイスとハッシュの目が驚きに見開かれる。詳しいやりとりを知らなかった彼らはサハルの顔を凝視した後、ごくりと喉を鳴らした。
一体。それは。
「ハッタリだろ……!?」
カイスは顔を引き攣らせたままそう怒鳴る。
「……そうであればいいと思いますが、人の死を見続けてきた野盗が見抜けないとも思えません」
「本気だったって言うのかよ!」
家族でも恋人でも無く、それどころか一方的に嫌われているニムを庇う為に、簡単に命を投げ出す。そんな有り得ない姿を簡単に想像出来てしまう事すらおかしいのに、何故か不思議と違和感無くそれが出来る。その行為はあまりにも潔く愚かで――そして痛い。
タイスィールは自然と自分の胸に手を置き、そして拳を握り締める。
初めて言葉を交わした時から、どこか大人びた少女だと思っていた。もしかするとそこから間違っていたのかもしれない。
「……私達は彼女を誤解しているかもしれません。彼女は強いのでは無く、諦めているのかもしれません。守るものの無い強さは張り詰めた糸の様な危うさがあります」
「よく分かんねぇよ……っなんでそんな簡単に……っ」
「彼女の生い立ちも原因かもしれないね」
タイスィールの呟きにサハルはちらりと視線を流す。どうして彼女のそんな事まで知っているのか。絡まった視線はそう問い掛けていた。
「何もかも自分だけが知っているとは限らないよ?」
こんな感情的な彼は珍しく――いや、最近では ちょくちょく見るようになったが、自分でも大人気無いと思いながら、年長風を吹かせてそう答える。こちらの意図に気付いたのか、サハルはいつもの表情に戻り、ただほんの少し目を眇めてカイスに向き直った。
「どうすんだよ。このまま放っとくのかよ」
「……いえ。やはり一度お互い腹を割って話すべきでしょう」
「そうだね。とりあえず私が話しに行こう。あまり大勢で行っては迷惑になるし」
タイスィールがそう結ぶと、ハッシュもカイスも、そしてサハルも渋々ながら同意した。
まだ若いカイスやハッシュには荷が重く、サハルでもいいが、彼はマコトの事になると冷静さを欠く。
そしてそうした自分にも気付いているのだろう。自分だって人の事は言えないが重ねた年齢の分、装って振舞う事は出来る。 それらを踏まえた上で、やはりタイスィールが一番適任だった。
「……で、カイス。野盗については?」
タイスィールは、頷いたもののそれぞれ何か言いた気な顔をしている候補者達を見渡し苦笑し、話題を変えた。
「地下牢に入れてある。マコトの事もあるしまだ王都には送れないが……ただ気になる事が」
タイスィールは頷いて先を促す。
「アクラムの結界が破られてただろう、あの中にそれを破った魔術師がいるはずなんだが、それらしい奴はいなかった。野盗共に聞いても知らぬ存ぜぬの一点張りで庇い立てしてる様子もねぇ」
「忘却の術でも掛
けられたかな」
確かに手を合わせた男達に魔法を使うものはいなかった。それにリーダー格の男にもそれ程の統率力も無く呆気なく彼らは捕まった。他に誰かがいたと考える方が正しい。
「最悪、マコトさんの事も広まるかもしれません。まぁ向こうも、 手に入れたいと思うなら、吹聴して回る利はありませんが」
「ここ二、三年は野盗も静かで、嫌な噂のある商隊しか狙わなかったのに何かあったかな。どっちにしろ、隠れ家を見つける必要がある。王都に応援は頼めないからね。そっちで動いてくれるかい」
「おう。手配済みだ」
あっさりと頷いたカイスにタイスィールは意外そうに片眉を上げた。
「おや、さすが次期頭領」
「……からかうんじゃねぇよ」
不機嫌に吐き捨てたカイスにタイスィールはいつもの艶やかな笑みを向け、言葉を続けた。
「いやいや、再会した時から思っていたけど、一年見ない間にすっかり立派になった。おしめを替えてあげたのがつい昨日の出来事みたいなのに、時が立つのは早いもんだね」
「ッ何十年前の話だよっ!」
くっくっと喉を鳴らして、タイスィールは笑い、サハルもハッシュも表情を和らげる。
「本当にね、立派になった」
この自分と肩を並べられる程に。そして。
「……負けないけどね」
「何か言ったか?」
低く呟いた、タイスィールにカイスは怪訝そうに眉を潜める。
「いや、何も」
タイスィールはそう嘯き、少し空気が和らいだ所でその場は解散となった。




