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第三十五話 祝福


 水浴びで汗を落とし早く床についたおかげで睡眠不足も頭痛も解消し、今朝はすっきりした目覚めだった。


 もう既に恒例となった賑やかな食事を終えサラと共に後片付けしていたマコトだったが、視界の隅に二ムを捉え、こっそりと盗み見る。


(ニムさん、どうしたのかな……)


 食事が終わってからも、ニムは珍しくそのまま台所に残っていた。マコトを避けているらしいニムは、食事の時以外ここを訪れる事は無く、同じ事を思ったらしいサラもその理由を聞いていた。


 しかしその問いにもニムは、別に、と短く答えただけで、水場から少し離れた作業台に頬杖をつき少し苛立った様子で人差し指で机を叩いている。


 少し気まずい雰囲気のまま時間は過ぎ、皿を洗い終えた所で、マコトは背後から声を掛けられ顔を上げた。振り向いたその先には純白の衣装に身を包んだタイスィールが立っており、マコトは思わずその目映さに目を瞬かせる。


「まぁ、タイスィール様……っ」


 分かりやすくサラの目が輝き、その夢見る様な表情に苦笑する。確かにうっとりと見惚れる気持ちが分かる程、タイスィールは格好良いや綺麗を通り越して神々しかった。


(これが祭りの衣装なんだ……真っ白できれい)


 昼過ぎには出発だと朝食の時に教えて貰っていた。

 砂漠では滅多にみない色は目に焼き尽く程鮮やかで清廉だ。何となくタイスィールにはもっと派手な色合いが似合うと思っていたが、汚れの無い白も彼の艶やかをストイックに引き立ててとてもよく合っている。結局美しい人は何を着ても似合うのかも、と感心しながら、マコトも特別なのであろうその衣装をじっと観察していた。


「一年ぶりだね。この衣装に袖を通すのも。どこかおかしな所はないかい?」


 いいえ、とてもよくお似合いです、と熱い視線と賛辞を贈るサラに照れる事無く、ありがとう、と微笑み、長い裾を綺麗に捌きながら、タイスィールはマコトに歩み寄りその手を取った。


「……え……?」


 掴まれた自分の手とタイスィールの顔を交互に見つめ、マコトは困惑したが、昨日のサラの言葉を思い出した。


(えと、挨拶、かな……)


 少し緊張を和らげたマコトに気付いたのか、タイスィールは綺麗な微笑を貼り付けたまま、その場に跪く。そして折角の衣装が汚れるのでは、と心配して眉を寄せたマコトの手の甲に、ゆっくりと顔を近づけた。


「……っ……」


 突然の事に喉の奥に悲鳴が張り付く。

 長い前髪の隙間から伺う上目遣いの視線の艶っぽさに、マコトはピシッと石の様に固まると そのまま耳まで赤くさせた。


(ゆ、油断した……っ)


 何にだ、と自分に突っ込みながらも、マコトは匂い立つ様なタイスイールの色香に指一つ動かせないでいた。最近タイスィールと二人きりで接する事が無かったので、やっぱり文字通り油断していた、のだと思う。甘い声やその仕草一つも艶めいて、刺激が強すぎてときめく以前に心臓が物理的に痛い。


「母なるイールに感謝と、ダールの訪れに幸福を誓います」


 艶やかな低い声。

 自然な仕草で手の平に指を沿わせて、マコトの指先を掬い上げる。そしてそこにも先程と同じ様に口付けた。

 きゃあっとサラの嬉しそうな悲鳴が聞こえた気がしたが、何かに戒められているようでそっと添えられただけの手を振り払う事が出来なかった。


(……ぅ……)


 洗いものをした後きちんと手を洗えば良かった、とかそもそもこんな事がサラの言う『挨拶』なのだろうか、とか色んな事が頭の中を駆け巡る。触れた指先が熱を持っているようで、マコトは立っているだけで精一杯だった。


「タイスィール、マコトさんが困っていますよ」 


 正面から掛けられた馴染みのある声にはっとし救いを求めて、マコトは視線を上げる。いつの間に来ていたのかタイスィールのすぐ後ろに、サハルが立っていた。タイスィールと同じ純白の衣装だったが、所々デザインが異なり、大腿部分に手のひら程の鷲の刺繍が紺色で象ってあり、その落ち着いた雰囲気は普段の彼そのもので、そういう意味ではタイスィールよりもよく似合っていた。


「サ、サハルさん、その」


 マコトの呼びかけを受け、サハルは心得た様にしっかりと頷き、タイスィールを見つめる。その非難を含んだ視線にタイスィールは振り向く事無く大きく肩を竦めて立ち上がった。するりと腕が外され、マコトはほっと胸を撫で下ろす。


「そんな怖い顔しないでくれないかい?『イール・ダール』に挨拶していただけだよ」

「……貴方はいつも悪ふざけが過ぎます。……マコトさん驚かれたでしょう? 

タイスィールの口上は、感謝祭のならわしの一つなのです」


「そう、なんですか」


 それならそうと挨拶する前に教えて貰いたかった。昨日サラが『楽しみにしてて下さい』と、にんまりと笑っていた事を思い出し、マコトはがっくりと肩を落とす。あの時からこんな状況を予想していたに違いない。


(サラさん、人で遊ばないで下さい……)


 少し恨めしげにサラを見るが、本人は胸の前で両手を組み、夢見る様にうっとりとしている。紅潮した頬、潤んだ瞳、サラ自身もタイスィールに憧れを抱いている一人なのだろう。幸せそうなサラにマコトは結局何も言えず、恥ずかしさも手伝ってさり気なくタイスィールから距離を取り、サハルに歩み寄った。


「……サハルさんも、格好良いですね」


 挨拶と共に控えめに添えられた賛辞に、サハルは一度驚いた様に大きく瞬きし、それから嬉しそうに目を細めた。そして。


「どこがいいですか?」

「……え?」


 小首を傾げたマコトにサハルは柔らかく微笑む。


「幸福をお約束する場所です。タイスィールは御手だったでしょう」

「……え……? ……っ! サハルさんもやるんですかっ?」


 思わずといった様にそう叫んだマコトに、サハルの笑顔は不自然に固まった。

 マコトはマコトで、タイスィールだからこそ、祝福の口上のついでに、あんな事をしたのだと思い込んでいたので、思わず驚きをそのまま口に出してしまったのだ。人の心の機微に聡い彼女にしては珍しい失態だった。


「……ちょっと。アンタ」


 ずっと静かだったニムが尖った声を上げる。マコトははっと我に返り、 自分がいかに目の前の男に失礼な事を言ったのかようやく気付き、一気に顔色を青くさせた。

 固まったまま動かないサハルを見上げ、首が千切れんばかりの勢いで首を振った。


「すみません! サハルさんが嫌とかじゃなくて、その、口上だけで、タイスィールさんが冗談でされたのかと」


 顔を真っ赤にさせ必死で説明するマコトに、サハルはようやく、幾分表情を和らげ口元を手で覆った。


「ああ、……いえ、それも含めて慣わしの一つなんです。で、どこがいいですか?」


 サハルには珍しく畳み掛ける口調で問いを付け足され、マコトはその勢いに驚きつつも視線を泳がせた。


「え、……あの、えーっと……」


 正直に言えばどこだって恥ずかしい。言い淀むマコトを暫く見下ろしていたサハルだったが、いつまでたってもはっきりしないマコトに、にっこりと笑みを浮かべた。


「分かりました」


(あ、止めてくれるのかな……)

 そう思ったのも束の間、サハルの手が肩に置かれて、少し引き寄せられる。


「失礼」


 驚いて顔を上げたその瞬間、そんな言葉が落ち、サハルの顔が、近付く。反射的に目を瞑ってしまったマコトの頬に唇が触れる感触がし、すぐに離され肩に置かれた手も同じタイミングで外された。


「……っ」

(ほっぺた……っ)

 悲鳴を上げる程では無かったが、それでも突然の出来事にマコトは頬を押さえ、驚きのままサハルの顔を凝視した。


「おや、妬けるね。私も遠慮なんかしなければよかった」


 大きく肩を竦めたタイスィールの言葉を無視し、サハルはにっこりと笑って口上を述べた。


「母なるイールに感謝と、ダールの訪れに幸福を誓います」

「ぅ……あ、はい……」


 何と答えていいものか分からず、マコトは恥ずかしさも相俟って黙り込む。

(タ、タイスィールさんと一緒にして貰うんだった……っ!)


 今更そんな後悔をしても遅い。もしかすると先程の仕返しだったりするのだろうか、と考えて、すぐに否定する。


(まさか、ね)

 サハルがそんな子供っぽい事をする訳が無い。

 サハルはいつもと同じ表情でマコトの正面から真横に並ぶ。視界から外された事にほっとし、 真っ赤になっているだろう熱い顔を隠す為に俯いた。


「……え、っと。やっぱり、皆さん同じ事するんですか」

「嫌なら断る事も出来ますよ」


 独り言の様に小さく呟いた問をサハルは拾い上げ律儀に答える。


「本当ですか!」


 つい喜びの声を上げたマコトに、今度はタイスィールが苦笑した。しかしその困ったような視線はマコトでは無くサハルに向けられている。


「サハル。いくらなんでもそれは可哀想だ」

「え……」

「『イール・ダール』の祝福を貰えなかった男はね、女神の祝福を受ける事が出来なかった事になる。……つまり伴侶を生涯持てないと言われているんだ。この世界に圧倒的に女性が少ない事もあって、独身の男はこぞって貰いたがる。まぁ勿論迷信だけれどね」


 つまりは受けられ無いと、嫌な思いをすると言う事なのだろうか。


「ついでにイブキさんは割り切ってるよ。自分の甲斐性無しを自分のせいにされちゃ困る、って」


 まぁ半ばヤケクソでね、と似合わない言葉を付け足して、タイスィールは笑った。

 あのイブキでさえ受け入れている……?

 ……つまりは断る事が出来ないという事だろうか。

 彼女らしいエピソードはマコトにとっての最終勧告に等しかった。


(こ、困る……っ)


 一瞬このまま出発までどこかで隠れていようかと半ば本気で思っていたが、どうやらそれも出来無さそうだ。




*


結局悩んでいる間に、カイスとハッシュがやって来て台所は一層賑やかになり、マコトは逃げ場の無い状態でおろおろと視線を彷徨わせていた。


「何だ。お前らもう来てたのか」


 そんなマコトに気付かず、カイスはタイスィールとサハルを交互に見渡し、むっと眉間に皺を寄せる。慣れないせいもあるのだろう、腕を動かす度に大きく揺れる袂や長い裾を見下ろし動きを止める。普段の軽装とのギャップもあり、サハルやタイスィールに比べて明らかに動きにくそうだった。


(確かにカイスさんには向かない衣装かもなぁ……)


「つーか、そこ。似合わねぇ事位分かってるって」

 苦笑したマコトに気付いたのか、指を突きつけたカイスが唇を尖らせて軽く睨む。子供のような仕草にマコトは少し緊張して固くなっていた表情を和らげ首を振った。


「素敵ですよ」

 そう、確かに落ち着いていれば、白い衣装も大きく胸の中央に刺繍された鷹の模様もよく似合っている。


(……タイスィールさんは無地で、カイスさんが一番大きいんだ……)


 一族の中での決まりごとの様なものなのだろうか。次期頭領であるカイスの模様が一番大きい事を考えれば、自ずとその役割も分ってくる。……多分一族の中での位、もしくは立場を示すものなのだろう。


(この世界の事、ちゃんと勉強していかなきゃなぁ……)

 うっかりと失礼な事をやらかしてしまいそうだ。


「……そうか?」

 マコトの賛辞に、カイスは満更でも無さそうに、自分を見下ろした。 そしてくるりと体を反転させて背中を向けるとサハルの方へ歩み寄る。 儀式の打ち合わせなのだろうかそれにタイスィールが加わり幾分顔を引き締め話を始めた。


(えっと……私はいつまでいればいいんだろう)


 洗い物も既に済んでいて、ぼうっと突っ立っている状態だ。挨拶が避けられないのならばさっさと済ませてしまいたが、忙しそうなカイスに催促するのも気が引ける……いや、それよりも自分から申し出るのがどうにも恥しかった。

 手持ち無沙汰で何となく視線を彷徨わせていると、ずっと押し黙ったままのニムに気付きマコトは首を傾げた。いつもならカイスが来たと同時に口喧嘩が始まるのだが、今日のニムは押し黙ったまま口を開こうとしない。


 さり気なく移動しニムの表情をちらりと盗み見て、マコトは、あ、と上げかけた声を慌てて飲み込んだ。


(ニムさんて、もしかして……)


 先程のタイスィールを見つめていたサラよりも、もっと密やかで、熱っぽい視線。その先には真面目な顔をして打ち合わせをするカイスがいた。


(カイスさんの事好きなのかな)

 寄ると触ると喧嘩ばかりなので折り合いが悪いのかと思っていたが、愛情の裏返しだったのだろうか。マコトの視線に気付く様子もなく、ニムは熱心にカイスを見つめていた。その頬はうっすらと赤く染まっている。


(そうなんだ……)

 秘密に無断で踏み込んでしまった気がして、マコトは慌てて顔を背ける。その途中である事に気付き、ああ、と納得した。

 だから、自分の事を嫌っているのか。確かに好きな相手が突然、見ず知らずの異世界の女の婚約者候補になれば驚きもするだろう。


(誤解させないように、カイスさんとはあまり喋らないほうがいいよね……)


 手が掛かるから、カイスも構う事になるのである。やはり自分は自立を急いだ方がいい。


「じゃ、さっさと始めるぞ」

「……え」


 いつの間にかカイスは話し合いを終え、マコトのすぐそばまで来ており、マコトははっと顔を上げる。


(ニムさんの目の前でとか、いくらなんでも……)

 これ以上嫌われたくない。

 自然と及び腰になったマコトにカイスはむっと眉を顰める。 やや強引にマコトの腕を取るとタイスィールと同じくマコトの手を取り口付けた。タイスィールとは真逆のぶっきらぼうなその仕草にマコトは逆にほっとした。幾分落ち着きを取り戻し、静かにカイスの口上を聞く。


 ハッシュも機会を探っていたのだろうかそれに続き、口上を述べるとタイスィール達にからかわれながら耳まで赤くさせて同じく手の甲に口付けた。


(恥ずかしいけど、みんなも恥しいんだよね……)


 多分同じ様な顔をしているのだろう、ハッシュは顔を上げマコトと目を合わせると照れたように笑った。その目元は赤い。


「何だか照れますね」

「……ですね」


 お互いに照れ笑いして、ほんの少し気が楽になる。自分だけが意識している訳では無い事にほっとした。

(ニムさんは)


 好きな相手が目の前で別の女に手とはいえ口付けするなんて気分が悪いだろう。気になってちらりと盗み見ると、ニムは既にいなかった。


(ゲルに戻ったのかな……)

 きっとカイスの挨拶など見たく無かったのだろう。予想はついていたはずなのにわざわざこの場所に来たと言う事は、それ程までにカイスの正装姿を見たかったのだろう。そんな少女のいじらしさを可愛いと思う。おそらく自分には一生縁が無いだろうと思うと余計に微笑ましい。


 一向に動く様子の無い彼らに、お茶でも淹れようかと思っていた矢先、台所の屋根の下で本を開いていたハッシュが口を開いた。


「あの二人遅いですね」


 ここでいう二人とは、きっとアクラムとサーディンなのだろう。あの二人とも先程の挨拶をしなければならないかと思うと、このまま逃げてしまいたくなる。

 ……特にサーディン。彼が手の甲で満足するとは思えなかった。


「アクラムはともかくサーディンは逃げたんじゃねぇだろうな」


 そう呟き二人を迎えに行くためにカイスはそのまま歩き出す。やはり面倒見がいいのは確かなようだ。

 程なくしてカイスに伴われてやってきたのはアクラムだけだった。


(サーディンさんは、いなかったのかな)


 とりあえずほっとして、マコトは改めてアクラムを観察する。こんな青空の下で彼を見るのは初めてだ。彼も今日ばかりはタイスィールと同じ純白の衣装で、普段とのギャップに戸惑ったが、しかしこれが意外とよく似合っていた。


 マコトを見とめたアクラムは静かに歩み寄り口上を述べる。そして自然と差し出していた手を掴まれたかと思うとそのまま引き寄せられた。見下ろすその瞳がどんどん近付いてくる。


(……ぇ、ぇえっ)


「っおいっ!」


 驚いたカイスが横からアクラムの身体を引っ張ったので、アクラムの唇がマコトのそれから逸れて頬に当たる。


「だぁあぁ! お前は何してんだよッ……っ!」


 胸倉を掴まれ、アクラムは不機嫌そうに眉間に深い皺皺を作り淡々と呟いた。


「……口付けと言えば唇だろう」

「口付けじゃねぇ! 祝福だっつってんだろうが!」


(ああ、や、やっぱり口にするつもりだったんだ……っ!)


 異性と付き合った事すらないが、やはり初めては好きな人としたいと思う。何よりこんな衆人環視の前でだけは勘弁して欲しい。

 唾を飛ばさん限りの勢いでカイスが怒鳴りつけ掴んでいた襟元を外すと、アクラムは憮然とした表情をマコトに向けた。


「何故だ、既に」

「あああああああああっ! ッつーか! そろそろ出ようぜ!」

「そうですね。もうこんなに日も高いですし」


「……何かあったんですか? それにサーディンさんもまだいらっしゃらない様ですが」


 突然叫び出したカイスとそれに同意したサハルに、ハッシュは首を傾げる。サハルはその肩を掴み、さり気ないながらもそこに込められた力にぎょっとするハッシュににこにこと笑った。


「そうそう君に頼みたい仕事があったんです」

「お前もぼさっと突っ立てねぇで、行くぞ!」


 カイスは鋭い一瞥をハッシュに送り、アクラムの肩に無理矢理手を回し、マコトから遠ざけようとする。


(……何か、あったのかな?)


 三人の奇妙なやりとりを聞きながらマコトも首を傾げる。が、……正直助かった。さすがにアクラムの目の前でカイスにお礼を言うのは悪いので、軽く目礼するだけに留める。

 アクラムは口付けを邪魔されたせいか無表情ながらも、眉間に縦に刻まれて戻らない皺が不機嫌を現していた。……こういう時はもしかしなくてもアレに限る。


「あの、アクラムさん」


 作業台の上に置いてあった袋を掴み、マコトはアクラムに差し出した。


「これ、良かったら持っていって下さい」


 中身は先程焼いたばかりの、焼き菓子だ。くん、と小さく鼻を動かしアクラムは袋を受け取る。ゆっくりと中を覗き込んだ彼の眉間の皺は消えていた。


「感謝する」


 そう呟きアクラムは紙袋を大事そうに抱え直すと、ポンポンとぎこちなくマコトの頭を撫でた。

「……」


 タイスィールやサハルは事あるごとに 撫でてくれるが、アクラムに頭を撫でられるのは初めてである。子供扱いされているようで嬉しくもあり恥ずかしくもある。


(もしかして……二人の真似してるのかな。私が喜ぶと思って)

 そう思うと、胸の奥がほんわか温かくなってくる。


(アクラムさんってやっぱり可愛い人だなぁ)

 成人男性に対して思う事では無いが、遠慮がちなその手の暖かさを感じながらマコトは小さく微笑んだ。


「じゃ、最後は僕ね~!」

「っうわっ! お前突然現れんなっ」


 いつのまにかカイスの後ろに現れたサーディンは、仰け反るカイスをそのまま押しのけ、にこにこ笑ってマコトの方へ歩み寄った。が。

 その右手をカイスが、反対をサハルがしっかりと掴む。


「いや、お前はいい」

「いまさら祝福なんて贈れませんよね」

「そうですね。女神に感謝なんかしないでしょうし……」

「まぁ日頃の行いが悪いんだから、諦めたまえ」


 次々に辛辣な言葉を叩きつけられ、サーディンは一瞬きょとんとした顔をした後、子供のように手足をバタつかせた。


「やだやだやだやだ~っ!」


(でっかい子供がいる……)


 最近では滅多に見ないスーパーのお菓子売り場の光景を思い出し、マコトは思わず吹き出してしまった。


「い~や~だぁっ! マコト助けてっ! 僕一生女日照りとか耐えらんないよっ!」


 とうとうべそをかきはじめたサーディンに、マコトは慌てて笑いを引っ込めた。 さすがに可哀想に思えてマコトは眉間に皺を寄せて何か手立ては無いかと考える。


(……されるのを待つから危険なのよね)


 マコトはある事を思い付き、よし、と心の中で頷いた。


「あの、二人共もう少しサーディンさんを押えてて貰えますか」

「勿論です」

「おう」


 同じタイミングでカイスとサハルが返事し、サーディンは盛大に表情を歪め非難の声を上げる。


「マコト酷いよっ!」



「えっと、……失礼、しますね」


 マコトはサーディンの手にそっと触れる。サーディンも含めて唖然とする一同を前に、手の甲を少し持ち上げ、体を屈ませた。そして軽く触れるだけの口付けを落とす。


(あ、自分からする方がまだマシかも)


 恥ずかしさの度合いが。

 そんな事を思って唇を離したマコトだったが、ぴしっと固まったまま自分を見ている一同に気付く。


「えっと……この場合は私がさっきの口上を言うんですか?」


 しん、と静まり返った場にマコトの問いが響く。


(え、あれ。やっちゃいけなかったかな)


 不安になったのも束の間、緩くなった拘束を抜け出し、サーディンは口付けされた手を空に掲げてはしゃいだ声を上げた。


「やったあああ! マコトに! 自分から! 口付けしてもらっちゃった~!!」


「……祝福ですよ」


 若干引き攣りながらサハルはそう訂正する。


「ああ、でもさぁどうせなら、口の中に入れて嘗め回してしゃぶってくれた方が良かっ…」


「調子に乗んじゃねぇよっ!」


 よほど浮かれていたのか、ようやく正気に戻ったカイスの一撃が珍しくサーディンに当たった。


「いったああ! 何すんだよ馬鹿!」

「なんだとっ!」



「はいはい。それまでにしておきなさい。―――定期的に様子を見に来るけど気を付けてね。 何か困った事があればナスルに言いなさい」


 その名前に自然に身体が強張る。ナスルとはあの時から顔を合わせていなかった。避けられているのだと分かって はいたがそれにほっとしている自分もいて、敢えて考えない様にしていた。

それを眇めた視線で見下ろしていたタイスィールは、微かに吐息を吐き出し、安心させる様にマコトの頭を撫でる。


「……大丈夫だよ」


 その気遣う様な声音にマコトははっとし、首を振る。

 マコトは迷いを振り切るように勢いよく顔を上げタイスィールに笑顔を向けた。


「はい。……いってらっしゃい」

 マコトが付け足した言葉にタイスィールは一瞬驚いたように目を瞬かせて、それからほんの少し照れた様に笑い、仕切り直す様にこほん、と咳払いをした。


「……うん。いいね、こういうのも。……じゃあ、サラ留守の間の事は宜しく頼むよ」


 タイスィールに話し掛けられて、サラは頬を染めながらもしっかり頷く。 マコトも小さく会釈をして集落の入り口まで一緒に向かい、タイスィール達を見送った。





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