第三十二話 怖い夢は見ない(サーディン視点)
赤い、紅い、花。
ぬるりと身体に巻きつく蔦を振り払って、どこまでも逃げる。
ああ、いつもの夢だと諦めて刹那的な快楽に身を任せれば、楽になれるかもしれない。
けれど。
いつも砂しか望めないその先に、今日は闇があった。
飛び込むように駆け込んで、その違和感に首を傾げれば温かい闇がゆっくりと身体を包み込み瞳を閉じれば瞼の裏に今度は白い闇が映りこむ。
あたたかい、と思った。
ぱち、と目が覚めた。
ここ数年で久し振りの爽快感。夢を見ていた気がするのにすっきりしている。
首を傾げたと同時に、そばに誰かがいる事に気付きサーディンは少し考えてから納得した。
ああ、なるほど。
どうやら自分はマコトにしがみついたまま眠ってしまったらしい。すぐそばから規則正しい寝息が聞こえてきて、すっきり目が覚めたと思ったのに、また瞼が重くなってくる。
頭を撫でてくれていたマコトも、結局自分と同じように眠ってしまったらしい。警戒してるクセに肝心な所で無防備だ。思ってたよりも馬鹿だなぁ、と夜這いと脅しを掛けた事実を棚に上げて、くすくす笑う。
(こんなとこでうかうか寝てたら襲っちゃうよ)
そんな事を思いながらも、サーディンはマコトの胸の中から動こうとせずじっとしている。それどころか少し空いていた隙間を埋めるように体を寄せて、サーディンは、うむ、と一人ごちた。
(本格的に治ったかな)
今度誰かで試してみよう。
とりあえず気持ち悪くないし、吐き気もしない。
(ああ、でも、気持ちいい)
その温かさ。
そんなことを思いつつ、サーディンはおもむろに目の前にある胸のボタンに手を伸ばした。丁寧に小さなボタンを上から一つずつ外していく。四つ外した所で、全く日焼けしていない白い膨らみが露わになった……それは、今まで嫌悪の対象でしかなかったもの。
(あんまりまじまじ見た事無かったけど、キレイかも。……やだなぁ、僕乳離れ出来て無かったのかな)
サーディンに西の一族であった実の両親との記憶は無い。生まれた時から魔力が高く、暴走させる可能性も高いからと生み落とされてすぐに、慈善家で有名な名門貴族である今の親に引き取られた。
制御出来る様になるまで、広大な屋敷の結界が張られた離れの部屋の中で生活していた。物心着く前から既にその状態でありそれを不思議に感じた事は無かったが、突然の『不慮』の事故で当主とその夫人が亡くなった。そして、遺産は傍系の誰かに引き継がれ 厄介払いされる様に王立魔術院に入ったのがもう十年以上も前。
(まぁ乳離れだとか言う前に母親との記憶なんてこれっぽちも無いけどさ)
けれど何となく懐かしい様な気がして、自然と引き寄せられる。
ふわふわしてて柔らかいなぁ。
じーっと見てるだけだと言うのも、男として間違ってる気がする、なんてにやっと笑う。
例えば服から零れ落ちた胸を両手で揉みしだいてその先の色付いた部分に舌を這わせて口の中で舌と歯で嬲れば、どんな表情でどんな顔して啼くんだろう。
――なんて、そりゃあ少しは思うけど。
(そういうんじゃなくて……ええと)
なんだ。これ、この感情。そういう上っ面だけじゃなくて。
ずーっとこのままぎゅってしてて貰いたいような。交じり合って一つになれたら、どこまでも安心するような感覚。
(いや、でもそれってやっぱりヤっちゃいたいって事?)
自分に問いかけて見るが、答えなど返ってくる訳も無く。
その意味を知りたくて、そぅっと胸に顔を埋めてみる。
さすがに怒られるかな、と思った。
ついで起こすことになるかな、とも。
ぐっすりと寝入るマコトを起こすのはなんだか可哀想な気がした。
(うわ、なんか気遣い出来てるよ僕!)
気持ち悪……っ! と、かつてカイスに投げた感想を自分で呟き一旦顔を上げたが数秒考えて、まぁいいかと手を膨らみに伸ばしかけたところで。
「……あの」
声が掛かった。
いつのまにか目を覚ましていたらしい。ちぇっと舌打ちして、サーディンは上目遣いでマコトを見た。
「なに?」
淡々と返ってきたサーディンの言葉に、マコトは眉を寄せたまま途切れがちに尋ねた。
「どこを、触って」
「おっぱい」
「……~っ」
マコトの顔がみるみる赤くなる。そして寝起きとは思えない程の俊敏さで弾けるように飛び起きた。
(あ、こういう顔もイイかも)
せめて胸って言ってください! とよく分からない主張をしてきたマコトに、首を傾げて続けてもいいかと、オネガイしてみる。
……速攻で却下されたけど。
そしてそのままマコトをゲルまで送り、眠ったのは明け方近く。
生真面目なマコトなら、寝不足でも朝の支度に遅れる事は無いだろう。
「寝ようっと」
頑張って早起きして、料理を作るマコトの側にいよう。なんだか知らないけどからかうと楽しいし側にいると心が安らいで嬉しくなる。
マコトの匂いが微かに残る寝床で大好きなものに囲まれて眠れば、もう怖い夢は見なかった。




