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第二十九話 お菓子のお礼


 マコトは朝食の片づけを終え、少し悩むように顎に手を当て動きを止めた。


 氷の魔法がかけられているらしい貯蔵庫……マコトの感覚で言う冷蔵庫には、今は玉子しか入っておらず、真っ先に思い付いたのはプリンだったが、こんな暑い場所ではすぐ温くなってしまうだろうし、 痛まないはずが無い。アクラムなら冷やした状態で持っていけばすぐ にぺろりと平らげてくれそうだが、サハルはそうはいかないだろう。


(クレープとかどうかな……二、三口で食べれるくらいの小さいやつ)


 そう思い付き、戸棚にある小麦粉の量をチェックし、中にいれる具を考える。

 ラーダに分けて貰った果物もそろそろ消費しなくてはいけない。形のいいものは細切れにして、後はジャムにでもしてみようか。


 出来上がりを想像して、なんとかなりそうだ、と頷く。

 卵だけはたくさんあるのだから、カスタードクリームを作ってもいいかもしれない。


(卵と砂糖と……お塩入れて……小麦粉だったかな……)

 アルバイト先の店長のレシピを思い出しながら、貯蔵庫から材料を取り出そうとしゃがみ込んだところで、 地面に何か光るものが落ちているのに気付いた。


 花を象った銀細工……確かサラの髪に刺さっていた飾りではなかっただろうか。マコトはそれを拾い上げて、 慎重に砂を落とすと、テーブルの上に置いた。


(サラさんのだよね)


 今朝何度も作り直したせいで空っぽになってしまった貯蔵庫を見てサラは溜息をついていた。


(よく似合ってたな。……探してなきゃいいけど)


 渡そうにも今集落にサラの姿はない。

 朝食が終わった後、材料を無駄にしたからと、買い出しを申し出てくれたのだ。 カイスも付いていくと言うので、それならばと遠慮なく頼む事にした。 賑やかな市場に行けば、きっといい気分転換になるだろう。真面目な性格ゆえか、サラは目に見えて朝食作りの失敗を引きずっていた。


(大丈夫かな……)


 食事中も俯いたまま、無言でシチューを口に運んでいたサラを思い出し、マコトは眉間に皺を寄せた。


 残りのメンバーはと言うと、朝食の後、サーディンは王都から タイスィールと共に呼び出しが掛かり、不機嫌顔もそのままに出て行っ た。ハッシュはゲルで学生らしく課題にとりかかるらしい。サハルは 片付けなければいけない仕事があるからと、手伝えない事をしきりに気に しながらゲルに戻った。アクラムは考えるまでもなく、ゲルの中に違いない。


 ……残るナスルは今朝から一度も見かけていない。肌を刺す様な厳しい視線は 感じないが、きっとどこかで自分を見張ってはいるだろう。護衛は彼 があそこまで大事にしている王からの命令なのだから、 簡単に背く訳にはいかず、それほど簡単に命令に背けるならば、とっくに護衛だって、昨日の宿泊の申し出だって断っているはずだ。


(……けど、荷物取りに行かなきゃな……)


 気まずい、どころの話では無い。

 けれど、少なくとも一度は顔を合わせなければならない。泊めて貰った礼もまだ言っていない事も気になっていた。


(でも、何も言わない方がいいかもしれない)


 沈んでいきそうになる気持ちを引き締め、マコトは休めていた手を再び動かし、貯蔵庫から果物を取り出した。余計な考えを追い払うように、形の悪い果物を鍋に入れて力任せに匙でぐいぐいと押し潰す。 熟れていたせいかすぐにとろりとした液状になり、その素朴で甘い匂いに、強張っていた肩から力が抜ける。


(……サハルさんは、甘さ控えめの方がいいよね)


 焦げないように鍋をかき混ぜながら、マコトは砂糖の瓶を取り出し中に加える。

 暫く煮詰めて一度味見をして確認すると、鍋から半分の量を取り出し別の器に分けた。

 ……アクラムはきっと甘すぎる、と思う位で大丈夫だろう。そう予想してマコトは残った鍋の中に砂糖を足し、また掻き混ぜた。


(出来れば、日持ちするものがいいんだけどなぁ……)


 そうなると、やはり焼き菓子の類になるだろうか。イタリアンレストランでアルバイトしていたお陰で、ケーキや焼き菓子の作り方は大体分かる。レジの横に置いておく小さなクッキーを、時々マコトは作らせて貰っていた。しかしここにはオーブンは無い。


 どうしたものかと考えながら、また味見をし火を止める。カスタードを作る為に卵を取り出し、手際よく材料を加え、混ぜてみた。とろりとしたカスタードが出来上がるが、どうにも粉臭い気がして 、マコトは眉間に皺を寄せる。


(バニラエッセンスが欲しいなぁ……)


 さすがに代替品は無いだろうが、一応サハルにでも確かめてみよう。そう思って次はクレープの生地に取り掛かった。


 その横で小麦粉を水で溶いたものを平たい鉄板に流し込み厚さが均一になるように鍋を回す 。一枚目は少し寄れて厚くなったが、二枚目からは綺麗に焼けた。マコトの世界のも のよりは白っぽいが味見をするとそれ程大差は無かった。それを何枚か作り、手頃な大きさにしてカスタードクリームを中に入れて巻いてみる。その上に鮮やかなジャムを乗せれば完成だ。


「あ、良かった。美味しそう……」


 少し華やかに欠けるが、シンプルなクレープだと思えば、一応それらしくは見える。


 形が崩れないように、慎重に籠の中に入れる。サハルは二つ。アクラムは少し迷って、 四つ入れてみた。普通の人なら胸焼けする……が、あのアクラムなのだし。 足りないよりはマシだろう。


 台所を出て、もう迷う事も無くゲルを尋ねると、アクラムはマ コトが持っていた籠に視線を落とすや否や、さっさと魔法陣から立ち上がり、それをしっかりと受け取ると、微かに口の端を吊り上げた。


「楽しみにしていた」

「……え?」


 ぽそりと呟かれたその言葉があまりに意外で、マコトは思わず戸惑いをそのまま口にした。しかしそんなマコトを気にする様子も無く、アクラムは体を返すと昨日と同じ位置に座り込んだ。


(お菓子持ってくるの、楽しみにしてたって事、よね)


 挨拶よりも先に投げかけられた言葉を吟味し、そう結論づける。

 さっそく籠に掛けた布を取り、その中身を確認しているアクラムに、思わず笑みが零れた。 既に用意しておいたお茶をアクラムの前に置くと、「失礼します」と早々に引き返そうとした。が。


「『イール・ダール』」


 既に慣れてきた名前にマコトは振り返る。

 名前を呼んで欲しいと思わないでもないが、いちいちそれを口にするのも憚れた。


「はい?」


 彼らしくなく少し迷うように間を空けた。

 そしてぽつりと一言呟く。


「もう行くのか」

「……あ、はい。サハルさんの所にも持って行くので」


 マコトはそう言って左手に持っていた籠を持ち上げる。アクラムは、また少し間を空けて「そうか」と小さく頷き、 無造作にクレープを掴み頬張った。


(なんだろう……あ、昨日ずっとお邪魔してたから、今日もそうなのかなって思ってくれたのかな?)


 さすがに二日も滞在できるほど図々しくない。それに結局ここに自分がいると、 人が来て賑やかになってしまう事も分かった。きっと静かに瞑想したい彼にとって、昨日は迷惑だったに違いない。


(……でも、アクラムさんなら迷惑ってちゃんと言いそうだけど……違ったかな)


 もくもくとクレープを齧っているアクラムにそんな事を思う。しばらく眺めていたが、 口に合ったようだと判断し、「失礼します」と再び断って、マコトはアクラムのゲルから出た。





(アクラムさんは食べてくれたけど、サハルさんはどうかなぁ)


 口に合えばいいんだけど、と少し不安に思いながらも小さく溜め息をつき、マコトは一度周囲を見渡した。目印になる変わった色の扉が付いているゲルを見付けて、右に曲がり迷いの無い足取りでサハルのゲルに向かう。


 すでにサーディン以外のほとんどの候補者達のゲルの場所は、頭に入っていた。


(サハルさん、お仕事中だよね。邪魔にならない様に渡したらさっさと戻ろう)


 今朝あんな事があってから、何となく気恥ずかしく、料理をしている間もマコ トはあまりサハルの顔を見る事が出来なかった。二人きりで会うのも今朝以来だ。


(励まして貰ったのに、思えばお礼も言ってないし)


 後になって冷静に考えてみると、頭をかきむしって叫びたくなってしまう。恥ずかしい。泣いて縋るなんてなにも二度も同じ事をしなくても。


(よく泣く子だなぁとか思われてそう……)


 向こうの世界では、どちらかと言うと感情は出ない方だと思っていた し、人前で泣いた事なんて数える程しかない。

 普段は違うんです、と誤解を解いておきたいが、またあの話を混ぜっ返すのも今更だ。


 小さな溜め息を吐き出してから、気持ちを入れ替え勢いよく砂を跳ね上げて歩く。


(うん、もうさすがにサハルさんに迷惑かけられないし)


 サハルのゲルの前で足を止めると、気持ちを切り替える為に深呼吸する。少し緊張しながらも扉を叩こうとしたその時、目の前の扉が勢いよく開いた。マコトは慌てて後ろにひいたが、扉の先が鼻を掠めてひやりとする。


「……あんた……!」 


 自分より高い位置から注がれた強い眼差しに、ぎくりとし一瞬動きが止まった。

 同じ色でも随分印象が違う。マコトは驚きに目を瞬かせ、ゲルから飛び出 そうとしている少女――ニムを見上げた。兄妹なのだから、サハルの ゲルにニムがいても不思議では無いのに、必要以上に驚いてしまった。


「……何」

 低くぶっきらぼうな言葉に、少し困って視線を下げると 腕に捲かれたいくつもの飾り紐が鮮やかに目に留まった。今まで気付かなかったが、それはサハルが髪を纏めている紐とよく似ている。もしかするとマコトが貰った紐も、元はニムのものだったのだろうか。


 そんな事を思いながら、マコトはお菓子の入った籠を少し持ち上げニムの前に示した。


「あの……サハルさんにお菓子を持って来たんです。よかったらニムさんも」


 どうですか、と続けるよりも先にニムは苛立たし気に眉を顰めた。

 あ、失敗した。


 そう思ったのと同時にニムは後ろを振り返り強い口調で叫んでいた。


「じゃあ、お兄ちゃんまた後で!」

「待ちなさい、まだいいとは」


 少し遠い位置からサハルの答えがあり、マコトは一瞬にして強張った肩の力を抜く。


(……良かった。いた)


 しかし呼び掛けられた本人は、サハルの静止も聞かずマコトの隣をすり抜けて出て行ってしまった。


「マコトさん」


 扉に歩み寄ったサハルは、とっくに気付いていたらしくマコトを見て穏やかに微笑んだ。

 立ち話でも何ですし、と部屋に入ってくるように促され、マコトは遠慮がちに足を踏み入れた。


「我侭でね。甘やかしすぎたのかもしれません」


 苦笑するように微笑み、開け放たれた扉の先のニムの後ろ姿に視線を流す。しかしその口調には、それすらも可愛いとでも言う様な親しみが込められていて、素直に羨ましいと思い、マコトも少し笑って頷いた。


「これ、お菓子なんですが……」


 マコトは本題であるお菓子の籠を絨毯に置き、差し出す。サハルは それを笑顔で受け取ると、中を覗き込み、丁寧に頭を下げた。


「有難うございます。早速頂いてもいいですか」

「どうぞ。お茶淹れましょうか」

「ああ、さっき淹れたものがありますから」


 立ち上がろうとしたマコトを押し止め、サハルが奥にある台所に向かう。すぐに戻って来たサハルの手には小さなコップが並んだ盆があった。どうやらマコトの分も淹れてくれたらしい。


「有難うございます」

「マコトさんが淹れてくれるお茶の方が美味しいんですけどね。どこかで習ったんですか」


 サハルの言葉にマコトはいいえ、と首を振りかけて途中で思い出した様に、あ、と声を上げた。


「習った訳では無いんですけど、あのアルバイト……じゃなくて食事を出すお店で働いていた時に、紅茶の淹れ方教えて貰ったんです。アクラムさんにも誉めて頂いたし、そのおかげかもしれません」


 マコトの言葉にサハルは、おや、と顔を上げた。


「アクラムにも?」

「はい。昨日お菓子を持っていった時に」 

「……誰が飲んでも美味しいですからね」


 微妙な間が空き、マコトが首を傾げると目があったサハルはにっこりと微笑んだ。


「美味しいお茶が毎日飲めれば嬉しいですね」

「あ……じゃあ、明日から今日位の時間に持ってきましょうか?」


 嬉しそうに表情を輝かせたマコトの申し出に、サハルは一度目を瞬かせ、小さく笑った。


「……それは嬉しいですね」


 穏やかな笑い声は少し苦かった様にも聞こえ、首を傾げる。


(変な事言ったかな……?)


 純粋に自分が役に立てるなら、と嬉しくなって言ってしまったが、もしかして迷惑だったのだろうか。

 直前の内容を攫うよりも先に、サハルは、籠の中のクレープに話題を変えた。クレープを手にとり興味深気に観察してからあくまで上品に口に運ぶ。


一気に口に放り込んだアクラムとは対照的だった。しかしお互いが『らしい』食べ方だなぁと 笑いが込み上げてきて、慌てて顔を引き締める。サハルはきちんと味わうようにゆっくりと咀嚼し、男の人らしい喉仏が上下した。


「果物の酸味がちょうど良くて美味しいですね。これはマコトさんの世界の料理ですか?」

「料理って程ちゃんとした物では無いんです。今日はジャムなんですけど、ハムとかお肉とか野菜とか色んなものも挟むのも美味しいんですよ」


「なるほど。それも美味しそうですね」


 それからしばらくこの世界のお菓子やら、この世界の料理などとりとめの無い話をし、 マコトが長居したな、と気付いた時に、サハルが、そうだ、と懐を探った。


「これ良かったら、お菓子のお礼に貰って頂けませんか」


 差し出されたサハルの手の平の上には青い石のネックレスが載っていた。 短めの鎖は綺麗な銀色で、小さく細工が入った台座には不思議な色合いの青い石が嵌っている。 サハルは無言で凝視したまま固まっているマコトに苦笑し、胸元に合わせるように指先でぶら下げて持ち上げた。


「ああ、やっぱりよく似合ってます」


 少し嬉しそうに呟いて、微かに口の端を吊り上げる。

 はい、と再び差し出されて、マコトはその青い石から再びサハルの顔を見つめた。


「え。あ、でも……」


 それは、深い青が綺麗な石だった。その深い青を見ているだけで、心が穏やかになる様な不思議な色合いだ。気に入る気に入らないなら、間違いなく気に入ったと言える。しかし。


 貴金属の価値に詳しい訳では無いが、気軽に貰えない程高そうだ、と思う。自分よりも、他の女性……例えば妹であるニムにあげた方がいいのでは無いだろうか。


 そんな思いが顔に出ていたのだろうか、サハルは少し困ったように笑うと、静かに首を振った。


「ニムにはもうあげましたので。ちょうどそれと対になるような赤い石を、ね。ついでにと思って買ったものですから、気軽に受け取って下さい」


 軽いながらも真面目な一言に、マコトは少し迷って頷く事にした。確かに ニムにはこの深い青よりも鮮やかな赤が合いそうだ。


「有難うございます。……すみません、貰ってばっかりで」

「美味しいお菓子のお礼です。それにまた作ってくれたらいいのになぁなんて下心もあるんですよ」


 サハルの一言に、ほんの少し気持ちが軽くなる。


(大事にしよう)


 差し出されたネックレスを受け取り、有難うございます、と マコトは再び礼を言うと、サハルの瞳が嬉しそうに眇められた。





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