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第三話 橙色の明かりの下で


(誰か――いる)


 意識が浮上して、目を開ける前に人の気配がある事に気付いたのは、ずっと一人で暮らしていたからだろうか。

 小さく、けれど確かに聞こえた衣擦れの音に、心臓が大きく跳ねる。寝起きの気だるさなど一気に吹き飛び、一瞬泥棒だろうか、と強い恐怖を覚えた。


 慎重にゆっくりと瞼を押し上げると、見慣れない白い天井が目に飛び込んできた。等間隔で並ぶ木の枠は傘の骨組を連想させる。


(え……)

 そこは見慣れた自分の部屋ではなかった。

(家じゃない……)

 その事実に愕然とする。


「目を覚ましたかい」


 しわがれた老人の声が、突然耳に飛び込んできて、真は文字通り飛び上がった。慌てて上半身を起こし、声のした方向に体を向ける。


 そこには、臙脂色の変わった服を着た老人がいた。教科書で見たアラブの人の服によく似ている。白く長い髭がまさにそのものだと思った。


(誰?)


 その後ろには赤銅色の髪を持つ若い男がいた。すぐに目がいったのは、その変わった髪の色と、突

き刺さるほどきつい視線を感じたからだ。

 睨み付けられてる、としか感じられない男の視線に、真は咄嗟に身体を竦ませる。


(なに……)


「顔色が悪いね。まだ横になっていた方がいい」


 反対側から労わる様な優しい声がして、真は男の視線から逃れるように振り向いた。

目が合うとにこりと笑ったその人に、真は状況を忘れ、一瞬見惚れる。


(綺麗な人……)


 繊細な顔立ちは最初女性かと思ったが、広い肩幅で男性だと判断出来た。


(……いや、ぼっとしてる場合じゃないってば……っ)

 はっと我に返り、真は再び老人に視線を戻す。

 老人も含め明らかに日本人では無い掘りの深いしかも端正な顔立ちが並んでいる事に、真はただ困惑する。落ち着かず周囲を見渡せば、狭い部屋の中に老人と若い男が二人、胡坐をかいて座っていた。


(なに、この人達、誰? なんでこんな場所に寝てるの……?)


 男達の背後の壁は、ぐるりと丸く円を描いている。

 壁には見たことがない模様が刺繍されている布がたくさん掛けられていた。中央に吊るされた橙色の大きなランプが部屋を同じ色に染めている。異国めいた変わった部屋に、真はますます混乱した。


「ようこそ。『イール・ダール』」


 忙しなく視線を動かす真に、老人は穏やかな笑みを浮かべそう声を掛ける。


(イール・ダール? って何。外人さんだから、挨拶の言葉か何か?)

 とりあえず状況を理解しようと、真は一生懸命記憶を辿る。どんな時でも冷静でいたいという防衛本能が先に働いたのだ。


 今日は高校の卒業式だった。学校を出て、そう、家まで戻ってきた。

 玄関の鍵穴に鍵を差し込んで――鈴が落ちて、それで、――それで――。


「……え」


 戸惑いが口をつく。


 ……分からない。

 綺麗にその後の記憶が無い。

 妙な黒い穴に落ちた、気がする。

 黒い黒い闇。けれど不思議と『落ちる』感覚は無かった。


「……ここは、あの、――どこ、でしょうか」


 頭がおかしいと思われるんじゃないだろうか、と不安になったが、聞かずにはいられなかった。


(あの時貧血でも起こして幻でも見た、とか。それで倒れてるとこ助けて貰ったとか?)

 確かに、上からだんだん視界が暗くなる感じは、それと似ていた気がする。


「世界に名前など付いていない。ただお前がいた『地球』という所とは違う場所だ」


 老人の後ろから静かな声が上がる。さっきから睨み付けてくるあの赤い髪の男だ。


「まぁ。お嬢さん達の言葉で言う所の『異世界』じゃな。タイスィール、お前の方がよく知ってるじゃろ。説明してやりなさい」


 なんだろう。これは。何の冗談? 

 タイスィールと言うのは、どうやらあの綺麗な顔の人の名前らしい。名指しされた彼は、肩を竦ませて芝居がかった口調で口を開いた。


「さて、何を見せればお嬢さんは信じてくれるのかな?」


 組んでいた長い足を解き、壁伝いに歩いたかと思うと一気に窓を開け放つ。四角く切り取られた木の窓から見えたその景色は無数の星。明るい月が砂しか無い地面を照らしていた。


「……砂漠」


 月の砂漠、そんな古い歌を思い出した。テレビで見たあれの背景にそっくりだ。


「そう、ここはね。サブールっていう砂漠の真ん中だ。少なくとも君が住んでいた場所には無かっただろう? ……後は魔法、だね。ナスル簡単な魔法見せてあげて」


 ナスルが小さく頷き、右 手を真の前に差し出した。聞き取りづらい発音で呪文らしきものを呟くと、その手の平に小さな青い炎が生まれる。光はゆらゆらと揺らいで、ナスルが握り締めるとすぐにかき消えた。その一連の動作を、真はただ呆然と見つめていた。


(ちょっと、待って……)


 異世界、魔法、単語と今見た炎が頭の中でぐるぐると回っている。

 どう反応すればいいのか分からず、真はただ押し黙っていた。月並みに夢では無いかと左の手の甲を捻ってみる。


 ――痛い。ちゃんと痛みはある。 


(私起きてる、よね? ほんとにこれ現実!?)


 バイトの休憩室に置いてあった漫画本で読んだことがある。

 異世界に召還された普通の女子高生が、女神の化身だとか言われて、世界を救うのだ。まさにその冒頭のシーンを再現したような一幕だった。


「……あの、私、特殊な能力とか持ってません」


 とりあえず思い浮かんだ言葉を口に出すと、目の前の老人は、肩を揺らせて笑った。同じくタイスィールも苦笑していたが、ナスルだけは無表情を貫いている。


「大丈夫じゃよ。別にお前さんに世界を救ってもらおうとか思っておらん」

「私に言わせれば、無関係のか弱いお嬢さんに救われなきゃ存在出来ない世界なんて、滅ぶべきだと思うけどねぇ」


 まさに先回りされた言葉に、真は呆気に取られた。


(じゃあ、私は何のために……)

 救世主に祭り上げられるのも御免だが、逆に存在意義が無いのも辛い。

 笑いを収めると、老人はうんうんと何度も頷く。


「うむ、前の娘と一緒じゃな。そういうショウセツやら……なんじゃ、マンガといったかの、まだ流行っとるんか?」


 前の娘、という言葉に引っ掛かり首を傾げると、老人が懐かしむように目を細めた。


「十年前の『イール・ダール』じゃ」

「っ私みたいなのが、他にもいるんですか!?」


 勢い込んでそう問い掛ける。 

 そうならばこんなに心強い事は無い。


「ああ、十年前までは三年に一度は必ず現れていたからな、ワシが知っているだけで七人はいる」


 老人の言葉が何か引っかかったものの、真は老人ににじり寄った。


「その人達はどこに……」

「皆、この地に留まり、一族の男と婚姻を結んで幸せに暮らしているよ」


 まるで孫に話すように、ゆったりとした優しい口調で話す。

(婚姻……ってつまり結婚ってことよね)


「みんなこの世界にいる……って事は……」

 嫌な予感がして、真は言葉を続けた。否定してくれる事を期待して。


「じゃあ、元の世界には帰れないんですか……?」

「方法は無い」


 それまでの優しい口調とは打って変わった強い口調で、老人はきっぱりと言い切った。

 真はぎょっと目を剥き、老人に食って掛かる。


「こ、困ります! だって……ようやく高校卒業できて……働き口が見つかって、……っ そうだ、バイトに行かなくちゃ、いけないのに……っ!」


 言ってる事が無茶苦茶だ。自分でも分かったが、何でもいいから言葉にしなくては、 本当にそれが現実になりそうで怖かった。夢なら早く冷めて欲しい。異世界に飛ばされたなんて 悪夢以外の何物でもない。


「元の世界には戻れない」


 老人とは違う硬い声が背後から発せられた。

 視線を向けなくても分かった。赤い髪の男に違いない。反論を許さないとでも言うような。冷たいその声は、真の喉を凍らせた。


「ナスルそうもはっきり言うもんじゃない……お嬢ちゃん。 これも女神が定めた運命じゃと思って諦めてくれんか。向こう の世界に比べたら随分不便じゃと思うが、慣れればそう悪くも無いぞ」


 まるでフォローするように、老人が優しく説明する。

(諦めるって無理、……なに、一体どうしたらいいのよ……っ)

 向こうの世界では、行方不明だという事になるのだろうか。

 家族はいないが、きっとアルバイト先のみんなが心配するだろう。ああ、就職先まで世話して貰ったのに、店長の顔に泥を塗る事になる。なによりそれが申し訳ない。恩を仇 で返すとはまさにこの事だ。


 いっそ目の前の老人や、さっきから胡乱な視線を投げつけてくる男に怒鳴ってやりたい。


 けれども、彼等のせいでは無い事は、混乱しきった真にも分かった。

 実際に、こうして手厚く保護されている時点で、きっと恵まれている。穴から落ちた場所で放って置かれたら、右も左も分からない状態で生きてはいけなかったかもしれない。しかもここは砂漠、水も無しで一日も過ごせたかどうか。


 そう考えると、無性に怖くなった。当たり前の様に存在していた地面が無くなり、足元が揺らぐ感覚、とでも言うのか。起きた時から感じていた不安がだんだん大 きくなっていくのが分かる。


 母一人子一人だったせいか、物分りが良すぎる、というのは真の長所でもあり、短所だった。喚く事も嘆く事もせずに黙りこくってしまった真を眺め、老人は物憂げに表情を曇らせる。


「この世界は女が少ないんじゃ。 『イール・ダール』……異世界からの娘が現れたら、 一族から男を選出して婚姻を結ぶ事になっておる。 こっちの世界では十六が成人なんじゃが……」


『イール・ダール』という言葉が、自分を指している事は分った。


「結婚、ですか……?」


「いや、嬢ちゃんはまだ小さいから、十六になったらじゃな」


 返って来た意外な言葉に真は、眉を顰める。


(……小さいって私一体幾つに見られてるんだろ)

 確かに真は小柄で童顔な方だが、同じ世代の友人よりはしっかりしているつもり だし、実際にそこまで下に思われた事は無い。


「十年振りじゃからの。一族の男もよりどりみどりじゃぞ」

「……え?」


 老人は面白そうにニヤリと笑って、真を見た。

 何だか言ってる事がよく分からない。


「で、お前さん、いくつだね?」

「あ、はい十――」


 そこまで言って真は、はっと口を紡ぐ。


(さっき十六で結婚、とか言ってたよね。じゃあ、十八って本当の年齢言ったら、結婚しなきゃいけないって事……?)


 異世界に来たと言うだけでもまだ頭の中で処理しきれていないのに、見ず知らずの男と結婚なんてとんでもない。……というか、絶対に嫌だ。


「……十四、です」


 少し考えてそう答える。

 さすがに厳しいかと思ったが、意外にもあっさりそうかと頷かれ、真は肩透かしをくらった。

 東洋系の顔立ちは幼く見られる事が多いと言うし、きっと彼らからすれば平凡な自分の顔など子供にしか見えないのだろう。そう自分を慰めて、真は少し虚しくなる。


「そうかそうか。あと二年か、惜しいのぉ。『イール・ダール』が現れたのは十年振りじゃ。盛大に婚儀を行おうと 思っておったのに」

「長老、気が早いですよ。まだ相手も決まってないでしょうに」

「しかし十年振りなんじゃ。皆が待ちに待った『イール・ダール』じゃぞ。 盛大に祝って何が悪い」


(このおじいちゃん、偉い人だったんだ……)

 長老と男が呼んだ事に気付き、今更ながらに真はそう思い、老人の顔を観察する。 一体幾つなのだろうか、柔和な顔は皺だらけで百歳を過ぎていると言われても信じられそうだ。


 タイスィールと老人の親しい掛け合いに、先程までの緊張した雰囲気が幾分和らいだ。 ふむ、と自分の言葉に頷いて、老人は思い出した様に顔を上げた。


「そうじゃ、肝心の名前を聞いてなかったの。嬢ちゃん」

「……佐々木真です」


 少し躊躇いながらも正直に名前を名乗る。


「ササキマコト?」

 この世界には名字という概念が無いらしい。

 妙な発音でフルネームを呼ばれて、真は慌てて首を振った。


「まこと、でいいです」

「そうか、マコトじゃな。ワシはムルシドじゃ。息子が西の頭領をやっているから、世話役と言った所かの、悪いが色々忙しくてな、もう行かねばならん。 孫娘を寄越すから、それまで、不便な思い をさせるがここで生活しておくれ」


 ここで生活、その言葉にどきんと心臓が跳ねた。体験した事の無い砂漠の世界、やっていけるだろうか。不安になったが、他に選択肢は無く、真はただ頷くしかなかった。


「早速じゃが……。さっきも言った通り『イール・ダール』 は十年振りじゃから、花婿候補は全部で八……いや、七人いる。ここにいるタイスィー ル、ナスルもその内の二人じゃ」


「長老、私は」


 長老の言葉に、それまで後ろで控えていたナスルが少し表情を動かし、口を挟んだが、振り返った長老と目が合うと最後まで言わず押し黙った。


「宜しくね」

 それとは正反対にタイスィールは真に向かってひらひらと手を振る。


(候補……って、この人達が……?)


 どう見ても二十代後半にしか見えない。年齢が離れすぎている…… 以前に、二人とも美形過ぎて恐れ多い、と思う。相手は自分じゃなくても選り取りみどりだろう。

 そう思ってある事に気付く。

 きっと自分同様、彼らの意思で候補になったわけでは無いのでは?


(多分独身だから……、とかきっとそういう理由よね……)


 こんな平凡な自分の相手だなんて、申し訳ないと思う。


「婚儀は二年後になるが、今なら好きな相手を選べるぞ。みんなイイ男達 じゃからな。交流を深める為にも順番にそれぞれのゲルに泊まるんじゃ」

 何でもないことの様に言われたその言葉に、真は眉を潜めた。

「……え?」


(見知らぬ男と同じ部屋で寝ろと!?)


「長老それは……」 

 絶句した真の代わりにタイスィールは、苦笑して返事を返した。


「なんじゃ、こんな小さな子に一人で眠れというのか」


 いえ、もう十八なんですが!

 真はいっそそう叫びたかった。花婿候補というからには、多分妙齢の男達だろう。さして広くもないテントらしき部屋の中で二人きり、と言うのは、さすがにマズい気がする。


「最初はサハルのゲルがいいかのぅ。きっとニムの服があるじゃろう」


 一人で大丈夫です、と言おうか迷っている内に、いつのまにか真の宿泊先は、強 引に決定された。


「あの」


 遠慮しようと、口を開いた真の言葉を遮るように、コンコン、と控えめなノックの音が狭い部屋に響いた。機敏な動作で扉に向かったのはナスルだった。


「長老、馬の準備が整いました」


 闇しか見えない隙間から吹き込む冷たい風に、真はぶるりと身を縮ま せ、掛けられていたらしい毛布を無意識に引き寄せた。


「残念じゃがワシは失礼するよ。じゃお嬢ちゃん、また近い内にな」


 ムルシドはそう言って、毛布の上に置いていた真の手を両手で優しく握り締めた。

 皺だらけのしかし暖かい手の感触に驚き、真はその手をじっと凝視する。突然の行動に真は驚いたが、それは決して嫌な感じでは無かった。


「元気でな」


 ムルシドはタイスィールの手に捕まり、腰を上げると、まるで小さい孫にするようにぽんぽん、と真の頭を軽く撫でて、ナスルと共に出ていった。



 ただ一人部屋に残ったタイスィールに気付き、真は話し掛けるべきか迷う。


(……あ、サハルさんって人の場所聞いてみようかな)


 老人が言っていたのは確かそんな名前だったと思う。

 ようやく会話になりそうな内容を思い付き、真は顔を上げる。しかしそれよりも先に、タイスィールが口を開いた。


「マコト、で良かったかな?」


 高くも低くも無い男の人の声なのに、妙に艶っぽいそれに心臓が跳ねる。

 父ですら幼い頃に亡くした真が、男に呼び捨てられるなんて初めての事だった。少し困惑したが、この人も自分の事を子供だと思っているのだから、あまり気にしないようにしよう、と心に決める。


(うん、『ちゃん』付けよりもマシよね)


「はい。あの……タイスィールさん、でしたよね……?」


 合っているだろうかと不安そうに首を傾げる真に、タイスィールはにっこりと微笑んだ。






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