第二十四話 過去の傷 1
カイス達と入れ替わる様に、再び戻って来たタイスィールとサハルに、マコトは慌てて涙を拭い、とっさに顔を俯かせた。
(ああ、もう、泣きすぎ……)
二人からさり気なく背中を向け、気持ちを落ち着かせる為に胸に手を当て深呼吸する。こんな小さな鈴一つに、自分でも驚く程取り乱してしまった。サハルの時といい、今といい、この世界に来てから泣いてばかりだ。
(しっかりしなくちゃ)
自分にそう言い聞かせ、手の中の鈴をぎゅっと握り締める。
そして心の中でゆっくりと十数え、注意深くそれをポケットにしまい込んだ。うっかり落としでもしたら、取り戻してくれたサーディンの苦労を無駄にしてしまう。
(サーディンさんにも、改めてちゃんとお礼しなきゃ……)
最初に鈴の話を持ち出された時、自分では何でも無いと 言う様に振る舞ったはずなのに、こうして気付い て取り返してくれた。きっとああ見えて観察眼が鋭い人 なのだろう。
それに、嘘に気付かれた後ろめたさよりも 、気付いて貰えた事に喜ぶ自分もいるのが不思議だった。
カイスとの会話を冷静に思い返してみれば、きっと手間を掛けさせたのだと思う。
ポケットの上から小さく膨らんだ鈴を一撫でし、マコトは気持ちを入れ替えると、いまだ立ったままのタイスィールとサハルを見上げた。
(えっと……二人共アクラムさんに用事、かな。じゃ、また席外した方がいいよね)
気を取り直してちらりと二人を見ればよく似た優しい眼差しとぶつかり、慌てて顔を伏せる。
二人が来た時には既に泣き止んでいたが、聡い彼らが赤い目に気付か無い訳が無いだろう。ここで理由を聞いて来ないのは間違い無く二人の優しさだ。そんな気遣いに感謝しながら、マコトは広げたままだった縫い物を片付けようとしたが、それを察したタイスィールが片手でそれを制した。
「気遣いは不要だよ。君の話だからね」
その言い方にピンと来る。思えば昨日だってこの時間だった。
(とうとう、か)
今日は誰の所に泊まるのか、きっとそれを伝えに来たのだろう。
残る候補はあと二人……サーディンかナスルどちらのゲルに泊まる事になるのだろうか。ごくりと唾を飲み込み言葉を待てば、不安が表情に出ていたのか、タイスィールは困った様に苦笑し、マコトに歩み寄るとゆっくりと頭を撫でた。
その手は思っていた以上に温かく、マコトはほんの少し緊張感が和らいだ気がして、控えめに笑みを返す。
(やっぱり子供扱い、よね)
今朝のやりとりで、もしかするとタイスィールに年齢の事がばれたのでは無いかと危惧していたが、この様子では大丈夫そうだ。
「そんなに不安な表情をしなくてもいいよ。君にとっては朗報だ」
笑みを称えたままタイスィールは、背後にいるサハルを振り返った。釣られる様にマコトも視線を上げるが、特に掛ける言葉が見つからず、さり気なさを装い視線を外す。
何となくサハルとは今朝の一件から気まずいままだった。
(気のせいなのかな……)
そう思いたいが、しかし台所で会った時の彼はどこかおかしかった様に思えてならない。自分の何かが彼を苛立たせたのだろうか。そう思うと今まで の様に気軽に声を掛ける事が出来なくなってしまっていた。しかし心のどこ かでこれでいいのだと思う自分もいる。近くにいれば、きっと優しい彼を頼 ってしまうから、このまま言葉を交わす事も無くなれば、迷惑だって掛ける事も無くなるだろう。
居心地悪くマコトが視線を彷徨わせると、ふとアクラムが視界に入った。魔法陣の中の彼は胡坐をかいたままやはり微動だにしていない。
(アクラムさん……)
今はともかくサーディンが来た時は、かなり騒がしかった筈だ。あまり広いとは言えないゲルの中で、うるさくは無かったのだろうか。
(すっごく集中してる、とか)
思えば後からやってきた二人も、ゲルの持ち主であるアクラムに声を掛ける様子は無く、礼儀正しいサハルですらそうなのだから、やはり瞑想中の彼には、話し掛けない方がいいのだろう。
円陣の隅に記された花の様な模様の軌跡を無意識に目で追い掛けていると、それまで黙っていたサハルが、静かにマコトの名を呼んだ。弾かれる様に顔を上げれば、いつもと変わらぬ穏やかな微笑みがそこにあり、マコトは内心胸を撫で下ろした。
「タイスィールと相談したんですが、今日からサラとニムと一緒のゲルで生活して貰おうと思ってます。勿論、マコトさんに差し支えが無かったらですがね」
「……え?」
思ってもみない言葉にマコトは手にしたままだった服を握り締め、一瞬気まずさも忘れて サハルの顔をまじまじと見つめ返した。
(……じゃあ、ナスルさんの所にもサーディンさんの所にも行かなくていいって事?)
苦笑している様な二人の顔を交互に見上げると、サハルは穏やかに微笑んで頷いた。
(これからは女の子と暮らせるんだ……)
それにこんな風に寝場所を転々とする落ち着かない生活はしなくてもよくなるのだろう。
嬉しさがじわじわと押し寄せてくる。 やはり仮だとしても自分の居場所が無いと言 うのは思っていた以上に辛かったらしい。
きっと後に残るメンバーを考えて自分に気遣い、申し出てくれたのだろう。
(よかった……)
安堵感に息を漏らし、有り難くその申し出に頷こうとすると、 それまで黙っていたアクラムが「待て」と突然口を挟んできた。
振り返ると薄暗いゲルの中、フードの下の金の瞳がマコトを捉えていた。
「駄目だ」
残る二人も突然アクラムが口を開いた事に驚いたのだろう。一度瞬きをしてから視線を交わしあい訝し気に眉を寄せた。
「アクラム」
名を呼び、タイスィールはアクラムの元へ歩み寄る。魔法陣の外枠に触れるぎりぎりの場所で、タイスィールは片膝をついた。
「何故かな」
静かな声で問い掛け続きを促す。アクラムはマコトから視線を外したが、 側にいるタイスィールを見る事無く、再び瞼を下ろした。
「……次はナスルだろう。サーディンはともかく、ナスルは外してはならない。 必ず守るようにとの伝令が来た」
アクラムの言葉に、サハルの眉がほんの少し寄せられる。
「……そんな話は聞いていません。それにナスルからも辞退したいと申し出がありましたし、無理に一緒にいても彼が選ばれる可能性は無いと思いますが」
最後だけサハルは気遣う様に声音を落とし、マコトを見た。
確かに今、誰を伴侶に選ぶか――なんて考えられないが、 その中でもナスルを選ぶ可能性は限りなく低いだろう。ナスルに嫌われているという自覚は 嫌というほどある。
(……本当に、いつかは選ばなくっちゃいけないのかな)
それは忘れていたかった事実だった。このまま嘘がバレなければ、二年後には選択しなければならない。しかし、もし それまでにまたイール・ダールが現れれば、何の取り柄も 無い自分の伴侶など誰も見向きもしなくなるだろう。
問題はいつ現れてくれるか――。
そこまで考え、ふと何かが引っかかった。
……確かムルシドは『イール・ダール』が現れるのは十年振りだと言った筈だ。
(十年って……すごく間が空いてるよね……)
それまでは二、三年に一度の頻度で現れていたと言っていなかっただろうか。そうだ。だからこそ、こんなに候補者が多いのだとも。
何故イブキから自分まで、十年もの間隔が空いたのだろう。
(たまたま、なのかな……)
それにしては何か釈然としない。
「外してはならない、か。とんだ贔屓だね」
思考の淵に沈んでいたマコトだったが、タイス ィールが立ち上がるのが視界の隅に映り、はっとして顔を上げた。そうだ。結局自分は今日どこに泊まる事になるのか。
タイスィールは物憂げに溜め息を一つ零す。その表情と意 味有り気な言葉で、サハルは何か思い当たったらしい。今度は分かりやすく眉間に皺を寄せると、小さく息を吐き出した。
「王からの命令ですか」
サハルの言葉にアクラムはゆっくりと頷 いた。呆れた様に肩を竦ませ、タイスィールは口の端を釣り上げる。
「本当にあの人は、ナスルに甘いね」
「彼の頑な思い込みを直す良い機会とでも思っているのではないでしょうか。……よりにもよってマコトさんを使わなくてもいいと思いますが」
最後は独り言の様に呟き、こめかみに長い指を当てる。
その表情から、どうやら話はあまり良く無い方向に転がったらしい事が分かる。
(……あの人ってこの世界の王様の事? ナスルさんに甘い……って知り合いなのかな)
タイスィールはサハルの言葉に同意する様に頷 き、話を切り上げると、振り向いた。
「と言うわけでマコト。期待させておきながらすまないね。ナスルのゲルへは私が案内するよ」
「……はい」
「本当に申し訳無い。代わりといっては何だけど、サ ーディンだけは回避するから、今日だけ我慢してくれるかい」
落胆が顔に出ていたのだろう。タイスィールが申し 訳無さそうに眉を寄せてマコトの顔を覗き込む。 マコトは近すぎる距離に一瞬身体を強張らせたが、すぐに首を振った。
そう、サーディンと一緒のゲルに泊まらなくて済むだけマシだ。 既に夜も遅いしきっと後は寝るだけだろう。そしてそのまま朝まで過ごせばいい。
マコトは再び瞑想に戻りこちらを見ようともしないアクラムに 視線を流す。そして少し迷い、囁くような小さな声で礼を言い頭を下げた。
「……お邪魔しました」
もちろん返事が無いが、彼に関してはそれが普通なのだと分かるので、気にはならなかった。
そして、縫い物を入れた麻袋を持とうと絨毯を見下ろし、それが見当たらない事に首を傾げる。 周囲を見渡すよりも先に、それは既にサハルの手の中にある事に気付いた。
「……あの」
「足元が暗いですから、手ぶらの方がいいですよ。このまま ハッシュのゲルに荷物を取りに行きましょうか」
穏やかな笑顔でそう言われて、マコトは少し迷い つつも小さく頷いた。ここで下手に断ると余 計に気まずくなりそうで怖かったのだ。
「有難うございます……」
目も合わせられないままそう呟くと、いいえ、と優しい声が落ちる。
(……やっぱり気にしすぎなんだよね……)
自分に言い聞かせるようにマコトは心の中で呟いた。




