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第二十三話 鈴 2


(こんなものかな……)


 手頃な籠に少し冷ました小さなドーナツとお茶を入れ、マコトは頷いた。朝ご 飯の後片付けを終えてから作ったせいで少し時間が掛かってしまったが、出来は 悪く無い……と思いたい。カイスから貰った揚げ菓子に似せたので、きっとこれなら違和感無く食べて貰えるだろう。

 

 サラにはこれは趣味の様なものだから、と 何回も説得し、渋々ながら頷いて貰った。さすがに個人的なお礼の品まで手伝わ せる訳にはいかない。


(小麦粉とか調味料、向こうの世界と変わらなくて良かった……)


 おかげでさほど躊躇う事も無く調理が出来た。この分なら朝食のレパートリーにも困らなくてすみそうだ。


 砂が入らないように籠にも、皿に残した残りのドーナツにも薄い布を掛け、マコトは気合いを入れて歩き出す。

 真昼の太陽は地面を焦がし、歩く度にサンダルの中に入り込む砂さえ熱い。元 の世界はまだ春一番の冷たい風が吹く季節だったせいで、その落差に必要以 上に暑いと感じる。日焼けしない様にと長袖だった 上に、朝のタイスィールとの一幕が気になりもう一枚着込んだせいで、乾いた風 は熱を孕み 余計に暑く感じた。


(また水浴びしたいな……。サラさん達はどうしてるんだろ……)


 毎日こっそりと身体を拭いてはいるが、やはり限界はある。 機会があれば聞いてみようと思い、周囲を見渡し方向を確認する。

 行き先は、二度目の訪問となるアクラムのゲルだった。


「……食べて貰えたらいいんだけど」


 マコトは胸に抱えた籠に視線を落とし、小さく呟く。

 最初はカイスの揚げ菓子とタイスィールのスカーフのお礼に、何か返せないか と考えたものだったが、ふとアクラムを思い出し、食事を取らないにしても、いつでもつまめる菓子ならどうだろうか、と思い付いたのだ。それに手作りの日焼け止めも有り難く毎日使わせて貰っているし、贈る理由としては十分だろう。


「確かこの辺り……」


 集落の真ん中辺り、一際大きなゲルなのですぐに分った。印象深かった戸の上 に吊り下げられた動物の骨を確認し、マコトは籠を持っていない方の手で拳を作 り、軽くノックをした。そして少し迷って『マコトです』と声を掛ける。暫く間 が空いて中から「入れ」と愛想の無い返事が返ってきた。


「お邪魔します」


 なるべく音を立てないように、そっと扉を開けて中を覗き込むと、アクラムは扉に背を向け立っていた。珍しく瞑想中では無いようで、首を伸ばして手元を覗き込めば、机の上で小さな小瓶を並べ、蝋燭の下で何か作業をしていた。


 黒尽くめの男の前に並べられた幾つもの小瓶、その組み合わせは まるで魔法使いの様だった。

 薬師を兼ねていると言っていたから、やはり薬を作っているのだろう。慎重に量りを傾けるその姿にマコトは急いで扉を締めた。風で薬が飛ばないとも限らな い。


「……何か用か」


 手の中の小瓶から一滴慎重に落とし、アクラムは背中を向けたままようやく口を開いた。思わずその不思議な薬剤の色に見入っていたマコトは慌てて、視線を上げる。


「……え……あ。あの、これたくさん作ったので、もし良かったらどうかなって」


 とは言うもののアクラムが甘いものが好きだと言うことは、ハッシュに確認済だ。

 というか、お菓子を持っていった時にそれとなく聞いたカイスには、一瞬前までの上機嫌さが嘘のように仏頂面になり『食うんじゃねぇの』と素っ気なく返された。


 その微妙な答えに、結局好きか嫌いかどうなんだろうと、台所まで来ていたハッシュに再度尋ねたのだ。日焼け止めを貰ったからそのお礼にと事情を説明すると、ハッシュは一瞬複雑な表情をしたがすぐに微笑んで、「お供えの菓子をよく食べてらっしゃいますよ」と 教えてくれた。……カイスもハッシュも少しおかしかった気がするが、気のせいだろうか。 少し不安になったが、しかしつまらない嘘をつく必要など無いだろう。


 だから、大丈夫なはず。


「ドーナツ……いえ、あの揚げ菓子なんですけど」


 不安になりながらそう伝えると、アクラムはそこで初めて視線を上げた。薬匙を右手に掴んだまま、マコトの胸の前で抱えられた籠を、まるで透視でもするように凝視する。


 そして、ややあってから、


「茶を淹れる」


 ポツリとそう呟いた。

 いつもゆったりと構えている彼にしては珍しく、いそいそと端に設置してある戸棚に向かう。幾つか並べてある瓶をじっと見つめ、フードの中の細い顎に指を置き、迷う 素振りを見せた、


 ……何だかとてつもなく、らしくないセリフを聞いた気がする。


 アクラムが、お茶を、淹れる。


(……今、食べるって事かな)


 ちらりと盗み見たその口の端に微かな微笑が浮かんでいる気がして、マコトは一瞬呆気に取られたものの、次の瞬間には吹き出しそうになってしまった。


「……っお茶なら持って来ましたから、今淹れます……!」


 笑いを誤魔化す為の苦し紛れの申し出にアクラムはすぐに「頼む」と返事をした。何となく客人をもてなすとか、そういうのは苦手そうだな、と思い、ますますそのギャップが微笑ましい。


(可愛い……って思ったら失礼かな。きっとすごい甘党なんだよね)


 持って来て良かった。作った以上やっぱりこうして喜んで貰えるのは嬉しい。

 アクラムに許可を貰い、マコトは気を取り直し、机の隅で冷蔵庫で程良く冷やしたお茶を淹れた。少し迷ったが結局自分の分も淹れる事にする。揚げ物をして いたので気分的にお腹は一杯だったが、作った側の人間としては食べている所が 見てみたかったからだ。


 二つ並んだカップを気にする事も無く、アクラムはのそりとマコトの前に移動し、その場で胡座を掻く。今日も黒いマントに身を包んでいるせいで、薄暗いゲルの中では背負った影と一つになり、その体は随分華奢に見えた。


 アクラムの目の前にお茶を差し出し、菓子の詰まった籠を置くと、アクラムは躊 躇無くその一つを掴み、何も言わずに口の中に放り込んだ。


「……美味い」


 もぐもぐと口を動かしそう漏らすと、また籠に手を伸ばす。一心不乱に小さなドーナツを食べるアクラムにまた自然と笑みが零れた。


「有難うございます」

 料理を作るのは好きだ。そしてこうして「美味しい」と言って貰えたらやはり嬉しい。



「お前が作ったのか」


 無言で四つ一気に食べた所で、アクラムはそう問い掛けてきた。その勢いにちゃんと噛んでるのだろうかと余計な心配をしていたマコトは少しほっとして頷く。そうか、と返事をしてアクラムは新たにつまんだ菓子をじっと凝視し、また口の中に放り込んだ。


「あの、お茶も飲んで下さいね」

 マコトの忠告に気分を害した様子も無く、アクラムは素直にカップ に口を付けた。一口口に含んで微かに片方の眉を吊り上げた。


「美味い」

「あ、そうですか」

「茶葉が違うのか」


「あの……台所にあったもので、元々カイスさんのなんですけど、……ごめんなさい、分らないです」


 台所にあったのは、マコトの世界と同じ紅茶だった。集落に来た時にカイスが持って来たものらしいが、面倒臭がりの彼は水ばかり飲むので、そのまま放置されていたらしく どうせこのままでは痛むだけだからと、サハルに使いたいだけ使って下さいと言われたのだ。もちろんカイスには了解を取っているが、アクラムのこの反応からすると有名な茶葉だったりしたのだろうか。


「カイスさんに聞いてみますね」


 マコトがそう言うと、アクラムは少し考えるように間を空けた後「分った 」と、頷いた。返事にしては奇妙なそれにマコトが首を傾げている時もアクラムは また無言で菓子に手を伸ばしていた。


(む、胸焼けしないのかな……)


 すでに七つが腹の中に納まり、残り一つとなった菓子をじっくりと 見つめてから、アクラムは今までに無くゆっくりと咀嚼し始めた。その仕草は最後の一つを惜しむ子供そのもので、マコトはまた込み上げて来た笑いを必死で 堪えた。


 とうとう最後の一つを完食したアクラムは、指についた砂糖を舐め取ると、ふむ、と満足気な溜息をつ き、のそりとした動きで片方の膝を立て体勢を変えた。


「異世界にも同じ菓子があるのか」


 今食べたドーナツの事だろうかと思い、マコトは頷く。


「他には?」

「あとは……他にも、色々ありますけど。……オーブンがあればクッキーとかケーキとか」

「オーブン……」


 アクラムはそう呟いたきり押し黙った。少し俯いたその表情が沈んでいる気がして、マコトは少し考える。確かフライパンで作れるケーキが何種類かあった はずだ。レシピも何となく覚えているから大丈夫だろう。


「あの……、また作ってきたら食べてくれますか」


 思わず発したマコトの言葉に、アクラム微かに顔を上げゆっくりと目を瞬かせた。表情は変わらないが 何となく目が嬉しそうだ。


「作ってくれるのか」

「はい」

「いつだ」

「え、いえ、いつでもいいですけど、あ、でも材料が」


 すぐに帰って来た問いにマコトはしどろもどろに答える。


「材料があれば作れるのか」

「……そう、ですね」


 多分、大丈夫だろう。そう思って頷くとアクラムは鷹揚に頷いて口を開いた。


「分かった。用意する」


 慌ただしい問答を勝手に切り上げ、アクラムは再び黙り込んだ。マコトが差し出した茶を受け取りゆっくりと口に運ぶ。


 また沈黙が戻り、マコトは少し迷う様にしばらく空っぽの籠を見つめていたが、 思い切って口を開いた。


「あの、日暮れまで、ここにいてもいいですか」

 駄目元でマコトはそう問い掛けると、アクラムは驚いた様子も無くゆっくりとマコトを見つめた。


(……やっぱり迷惑、だったかな)


 すぐに返事が無い事にマコトは心の中だけで溜息をつく。

 居場所が無いから、と言う訳では無いが、何となくここなら誰にも顔を合わせ ずに済みそうだと思ったのだ。


 サハルやハッシュ、それにカイスだって何かと気遣ってくれる。それは有難くはあったが、時々それが無性に申し訳無くなるのだ。

 かといってサーディンと二人きりはやはりまだ怖い気もしたし、ここにいられ れば嫌われているらしいニム、それにサラとも顔を合わせずに済むだろう。


 それに――きっと、こうやって候補者のゲルにいれば『彼』の手間も省けるだろう。

 気付いたのは昨日。あの場面で現れた彼を思えば、それ程考えずともおのずと答えは見えてくる。


 マコトは俯いたまま返事を待っていると、コップを手にしたままアクラムは鷹揚に口を開いた。


「好きにしろ」


 さして興味も無いとでも言う様に吐き捨てる。その愛想の無さに一瞬対応が遅れ た。


(……好きにしろって事は……えっと……いてもいいって事かな)


 マコトは少し考えてそう結論を出し、ほっと息を吐き出して頭を下げた。


「ありがとうございます。じゃ、もう少し」

「それに」


 いさせて下さい、と言いかけたマコトの言葉をアクラムが遮った。


「……?」


 ゆっくりと膝で立ち上がり、籠のすぐ横に手を置きマコトの方に身を寄せる。 薬の独特な匂いが鼻をつき、至近距離を通り過ぎた耳元に、温かい吐息を感じた。


「甘い匂いは好きだ」


 男性らしい、低い声。

 耳元で囁かれてマコトはびくっと肩を竦めた。驚いて顔を上げれば、不思議な色合いのアクラムの瞳と真っ直ぐぶつかる。

 猫の様に首を伸ばし、鼻を蠢かしたアクラムにマコトは目を瞬かせた。


(甘い匂い……あ、お菓子作ってたから……)


 匂いを嗅いでいるのか、と理解してすぐ、飛び上がる様に慌てて身を引いた。 毎日風呂に入っている訳では無い。甘い匂いならまだしも汗臭いと言われるのは 、年頃の少女としては嫌すぎる。


 後ずさったマコトの腰を伸びてきたアクラムの手が攫う。首筋に生暖かいざら りとした感触が走り、肌が一瞬で粟立った。


「っゃ……」


 くすぐったさに身を捩り、首を回して確認した時には、アクラムはマコトから体を離していた。

 薄い唇を赤い舌が濡らす。黒い装束にその赤は鮮やかに妖しく映えた。


「嘗めても甘いのかと思った」

 口を開けたまま、マコトはぽかんとアクラムを見つめる。


(な、嘗められた……っ)


 つまりはそういう事で。マコトが固まってる間にアクラムはまた元の場所に戻り、お茶を飲み干した。底を見下ろし無言でマコトに差し出す。条件反射の様に マコトは思わず無言でお代わりを注いでしまった。


(一体何を……っ)


 状況が理解出来ず、混乱しかけたマコトの意識をアクラムの低い声が呼び戻した。


「知りたい事があるなら答える。何かあるか」


 また突然何を言い出すのか。マコトは瓶を手にしたまま固まった。


(知りたい事って……)

 それよりもアクラムのさっきの行動は一体何なのだろう。タイスィールやカイスの様にからかう風でもなく、全く悪気も無さそうだ。


(この人、いわゆる天然とか……そういう性格なのかな)

 非常識さはサーディンと張るのでは無いだろうか。いやわざとじゃない分それ よりも性質が悪いかもしれない。


「何も無いのか」


 淡々とした口調で繰り返されてマコトははっとする。

 一体何故アクラムが突然こんな事を言い出したのかは分らないが、聞きたい事なら山ほどある。しかし、いざとなると言葉が出て来ない。


「え……っと……」

 言い淀んだマコトに、アクラムは少し考える様に黄金色の瞳を動かした。そしてややあって口を開く。


「帰りたいか」


 静かに吐き出された言葉にマコトは驚いた。

 自分の生まれた世界に帰りたい――それは当然の願いだ。

 しかし異世界に来たその日に『帰る方法は無い』と言い切られたのだ。 どうして今更そんな事をアクラムは口にしたのだろう。


「そう、ですね。……出来るなら」


 もしかすると慰めてくれるつもりなのだろうか。そんなものはいらない。望んでいない。自然とマコトの声音は警戒心を孕んで強張ったものになっていた。しかし返って来た答えはマコトの予想を大きく外した。


「帰った先がお前の知る世界では無いとしてもか」

「え?」


 戸惑いをそのまま口に出すとアクラムは表情を変えることなく、淡々と言葉を続けた。


「女神の御手は時空を裂き娘を選ぶ。帰った場所が元いた世界でも、時の流れが 違う。ここの一日は異世界よりも長いと言う。時が重なれば既にそこはお前が存在した世界では無いだろう」

「じゃあ……」


 この世界に来て既に五日だ。という事は向こうの世界では、それ以上経過し た事になるのか。


「どれ位ですか」

「倍よりは短い時間。二日弱程か」


(じゃあ八日以上は経ってるって事……?)


 行方不明だと一通り騒がれ、そしてもう日常に押し流され忘れられている時期だろうか。

 そう考えたら少しおかしくなった。自分の存在のなんて希薄な事か。しかし、計算してからその違和感に首を傾げる。……何故アクラムが異世界の時間の流れを知っているのだろうか。


 つまりは。


「……誰か元の世界に帰った人がいるって事ですよね」


 異世界からやってきたその人物で無ければ、ここまで詳しく時の流れなど分らないはずだ。

 しかし注意深く言葉にした問い掛けに、答えたのはアクラムでは無かった。


「――また、それも神話だよ」


 艶やかでしかし少し強張った声が、光と共にマコトの上に降って来た。


「タイスィールさん……」

 扉の向こうにいたタイスィールはいつもの様に花の様に微笑んで「入るよ」とゲルの持ち主に声を掛けた。アクラムが返事をする事は無かったが、タイスィールは遠慮の無い足取りでゲルに入り、扉を閉めるとマコトのすぐ隣に座った。


「意外な所で会うね。二人で逢引だなんてアクラムも隅に置けないな」


 くすくすと笑いながらマコトを艶っぽい瞳に映し、 それからアクラムに視線を向ける。からかう様な口調に対しその瞳はほんの少し険しい。


(神話って……事は)

「……あの、どうやって帰ったかは分からないんですか」


 一瞬流され掛けたが、マコトは話題を戻し、今度はタイスィールに問い掛けた。その真面目な表情に 彼にしては控えめに微笑む。


「残念ながら伝わっていない。それに、その時間の流れは現れた『イール・ダール』達の 時間をすり合わせて出したものでもあるんだ」

 タイスィールは、一つに束ねて流した髪を手の平で撫でながら、 ほんの少し眉尻を下げる。その言葉にマコトは少し考える様に間を置いた。


「でも、……戻る方法はゼロでは無いですよね」


「……戻りたいかい」


 それは優しい声だった。アクラムの聞き方とは百八十度違う問い掛けは心を波立たせなかった。


「……十分良くして頂いてるのにすみません。けど……私の居場所はあの世界ですから、戻れるなら戻りたいです」


 そう、あの世界なら自分は一人で生きていける。こんな風に始終誰かに頼らなければ生活もままならないなんて事は無い。マコトはそう思い、そして切実に帰りたくなった。――『ここ』に長くいてはいけない気が、ずっとしていた。


 素直な気持ちを吐き出せば、タイスィールの目が少し柔らかくなった。


「そう。……けれどね? こちらに来るときと帰る時が一緒に動いてるとは限らない。神話ではそれくらい の時間軸だったけれど、 時空を超える事は確かだと言われているんだ。どうする?  君が生まれる前にまで遡ったり、遥か未来まで飛ばされたら。 ――君達の世界はそんなに甘く無いのだろう?」


 なるほど、アクラムの先程の発言の意味が分かった。

 そこは既にお前の知る世界では無い。つまりはそう言う事なのだろう。 例えば五年後帰れたとして、自分は元の世界では既に二十八になっている。それ位で済めばまだいいが、それが十年後、二十年後となれば、 不自然な若さでは『本人』と認められず戸籍も無い状態では仕事どころか住む場所さえ見つからないだろう。


 タイスィールの話は確信そのもので、 慣れたその口調から、きっとイブキとも同じ様な話をしたに違いない。そう思えるくらいそれは馴れた説得だった。


 ――道が開けたと思えばすぐに閉じる。いやこれは閉じられたと言うべきだろうか。


(結局帰っても居場所が無いって事……?)


 マコトは鈍く痛み出した頭を押さえた。


「それにしても、マコトは何しにここへ来たんだい」

 少し重くなってしまった空気を払拭する様に、タイスィールが明るい口調で話題を変えた。


「……あ、タイスイールさんにもスカーフの御礼に作ったんです。持ってきましょうか」

「それは有難い。ちょうど小腹が空いていたんだよ」


 マコトは軽く頷くと空っぽになった籠を手に取ると、静かに扉を開けて出て行った。

 のそりと少し膝を崩したタイスィールが、長い髪をかきあげ、その下に彼らしく無い剣呑な光を含ませてアクラムを見据えた。



「アクラム、何のつもりだい」


 鋭いその口調にアクラムは、ゆっくりと瞬きを繰り返し面倒そうに口を開いた。


「……菓子を貰った。礼代わりに何か聞きたい事があるかと尋ねただけだ」

 その淡々とした口調に、タイスィールは視線を少し和らげ肩を竦めて見せた。


「マコトを元の世界に返すつもりは無いよ。長老も僕もね。安易に口を滑らせて貰っては困る」


 少し間を空け、アクラムは納得がいかないとでも言う様に眉間に皺を刻んだ。


「お前は、先の『イール・ダール』に懸想してたのでは無いのか」

「……君は本当に遠慮が無いね」


 真っ直ぐ向けられたアクラムの言葉に、タイスィールは苦笑する。

 しかしかつて少年だったずるい大人はそれに答えず、小さく肩を竦ませただけで、さらりと話題を変えた。


「ところでアクラム。女性へのお礼は話じゃなく、花や宝飾品の方が喜ばれるよ。覚えておいた方がいい」


「花」




 このタイスィールの発言がまた一騒動起こす事になるが、それはまた少し先の話だった。





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