第十九話 揚げ菓子(サハル視点)
商人のかしましい客寄せが飛び交う中、サハルはいつもと変わらぬゆったりとした足取りで目当ての店を探していた。
ここはマコト達がいる集落から馬で一時間程駆けたサラのオアシス。以前マコトが生活用品を揃える時にカイスに連れてこられた場所である。
一際高い声で客引きする若い娘にふと視線を向け、淡いその衣の色に先程まで話をしていた少女の顔を思い出し、サハルは口の端に苦い笑みを浮かべた。
(見事に振られてしまいましたね)
柔らかな視線に気付き頬を染めた女に軽く会釈しつつも、 絡まれ無い様に少し速度を上げその場を離れ、マコトとのやりとりを思い出す。
『ここ、少し整理してもいいですか』
『捜索』に向かったカイスとサーディンを見送り、てっきりゲルに戻るのかと 思っていたマコトは、台所を見渡しそんな事を言い出した。
確かに長い間放置していた台所は必要最低限な場所以外、 全て砂埃が掛かっている状態だ。サハルにしても料理が 出来ると言うものの 毎日自炊している訳では無く、特にイールの感謝祭で集落に戻っている間は、皆と同じ様に携帯食で済ませるか、こうして時々市に出かけ軽く取るかどちらかだった。そして今集落にいる人間で 他に料理が出来るものはおらず、若い男性だけが集まる祭りの特性上、かつては女 達で賑やかに集まっていたであろう台所は、その主を失い見事に荒れ果てていた。
では手伝います、と申し出たサハルにマコトは意外 な程強くそれを断った。
『本当に大丈夫ですから』
その表情があまりに切実だったので、 それ以上何も言えずゲルに戻る事にしたのだが、 間の悪い事に手持ちの仕事は夕べ片付けてしまっていた。
本でも読もうかと思ったが表紙を開いたものの気が乗らず、そういえば妹に頼まれものをしていたな、と思い出し、市場に出掛ける事にしたのだ。
ついでに明日の朝食の材料はあるのだろうか、と思い様子も気になって再びマコトの元へ向かうと、 ラーダから貰った材料がまだ残っているから、と 再び丁重に断られた。
(……材料はともかくついてくる、って言 うと思ったんですけど)
じりじりと真上から降り注ぐ熱は地面を焼いて 少しでも身体を動かせば汗を掻く。額に浮かんだ汗を拭いサハルは歩く速度を緩めた。
先日カイスに買い物を頼んだ時には、マコトは自らついていきたいと申し出てきた。後でそれを聞いたタイスィールに「それは軽率だね」 と嗜められたので、どっちにしろ断るつもりではいたのだが。
小さく溜息をついてサハルは最後に見たマコトの 小さな背中を思い出す。
では他に必要なものはありますか、と重ねて問いかけて も、十分にして頂いてます、と首を横に振るだけだった。
何となく――距離を、取られてしまった気がする。
多分遠慮深いマコトの事、手伝いの申し出を 断ったのも自分にこれ以上時間を使わせた く無かったからだろう。その彼女の美徳とも言える 慎ましさが今は少し寂しい。しかし遠慮するな、と言っても生来の性格故に、彼女が頷く事は無いだろう。
「……もう少し甘えてくれればいいのに」
無意識に呟いた言葉に自嘲気味に笑う。
集落に残してきたのは心配だったが、 実際の所マコトは一人では無い。常に気配を殺して いるので彼女が気付く事は無いと思うが、 常に隻眼の剣士ナスルが側に付いていた。
『イール・ダール』の護衛――それが彼がただ一人の主と仰ぐ王から下された命令なのだ。
もし捜索から戻ってきたサーディンが、マコトにちょっかいを掛ける事があっても、先鋭を誇る王 の親衛隊を務める彼なら何とか出来るだろう。 それに集落にはタイスィールも いる。普段は飄々としているが彼も昔は 親衛隊の隊長を務めていた事もある程の腕前だ。
心配は無い。
しかしそう思うのに、やはり自分の目の届かない 場所にいる彼女に不安を覚える。
あながちサーディンの言う事も間違いで は無いかもしれない、とサハルは再び苦笑した。……ただし。庇護欲が強すぎる という事に関してのみだが。
ふと一段と派手な出店に目がいき、サハルは足を止めた。 色とりどりの薄布で屋根を飾り、その壁には女性物の 装飾品が並んでいる。 金色の細工のものが多く、強い日差しに焼かれて反射し、熱気のようなものが溢れていた。
(装飾品なんて贈っても喜んでくれないでしょうね)
所狭しと賑やかに並ぶ首飾りやら腕輪を見つめ、サハルは吸い込まれる様に歩み寄った。彷徨っていた焦 茶色の瞳がある一点で止まり、サハルは指を伸ばすと鳶色に輝く細い鎖を辿り、その先に続く蒼い石を持ち上げ空に掲げた。
深い藍……日が沈むほんの少し前の落ち 着いた空の色は、何となくマコトを連想させた。
「お兄さん目が高いねぇ。それは彼の『イール・ダール』 の持ち物だって触れ込みで卸してきたんだ。なんとたったの――」
サハルに気付いた店主が隣の店子との お喋りを切り上げ声を掛けてくる。 そんな店主の話をサハルは相槌を 打ちながらも右から左と聞き流した。
例えどれほど古くても『イール・ダ ール』が持ち込む希少な異世界の物が、こんな場所で売買される筈が無いからだ。 こういう売り文句は商売人には一種の謳い文句で、巷では似たような触れ込みの品物が溢れ返っている。
「お買い得ですよ。なんならもう少しお安くさせて貰いますし」
汗の滲んだ血色のいい顔に、愛想笑いを貼 り付けて店主はサハルの顔を覗き込む。
――鎖が少し古いが、石には傷も無く透明度も高い。
「貰います」
サハルは店主にそう告げると、ついでにと隣に並んだ同じ細工の赤い首飾りを指差した。
「それも頂けますか」
落ち着いた青色と燃える様な赤。
まったく毛色の違う装飾品に、店主は青い目をくるりと一周させてにやりと笑った。
「ほほう。兄さんもやるねぇ」
それぞれ別の相手に贈るものだ、と長年の商売人のカンが働いたのだろう。店主は二つの小さな袋に別々にそれらを入れサハルに差し出した。
「どちらも妹ですよ」
苦笑してさらりと躱し、サハルはそれを懐にしまい込んだ。
本来の目的である妹への土産を購入し馬を預けている場所まで戻ると、菓子の香ばしい 匂いが鼻をくすぐった。大通りから少し逸れた 場所に賑やかな行列が出来ており、女性と子供で 埋め尽くされたその先には、揚げ菓子屋があった。中にはなつめの餡が入っており行列を見て分る通り子供や 若い女性に人気がある。
(そういえば甘いもの好きそうでしたね……)
サーディンから貰った飴玉を美味しそう に舐めていた。ついでにあまり愉快では無い事も思い出し、サハルは一瞬眉を寄せたが、すぐにそれを首を振って打ち消した。
そしてずらりと並ぶ行列の最後尾を探す途中で、よく知った人物を見つけ、サハルは一瞬目を疑った。
仏頂面で居心地悪そうに並んでいるのは集落で別れたカイスだった。
『捜索』に出掛けた筈のカイスがどうして こんな場所にいるのか、と一瞬眉を寄せたが 、ようは他の集落の人間に『西』の人間が誰かを探している姿を目撃させるのが目的だ。 賑やかな市場だって十分にその役割を果たせるだろう。
しかし、何故彼が焼き菓子屋に並んでい るのか。甘いものは嫌いでは無い筈だ が、こんな風に女子供に交じって行列 に並んでまで食べる程ではないはずだ。
「……」
――誰の為か、なんて考えなくても分かる。
眉間に深い皺を刻み、なかなか進まない行列にいらいらと爪先を動かしているその様子にサハルは、複雑な笑みを浮かべた。そしてカイスに見つからないようにくるりと踵を返し、足早にその場から離れる。
(……ここは、その顔に免じて花を持たせてあげますよ)
多分お土産として喜ばれるのは、今カイスが買おうとしている安価な菓子だろう、と言う事は分かっていた。サハルは懐から首飾りが入った小袋を取り出し、その表面を指先で撫でる。安い買い物ではない分、マコトが貰う理由が無い、と受け取って貰えない可能性だってある。
ではどうして買ったのかと言えば、サハルにもよく分らない。けれど。
(何かを与えたい、と思うのはただの自己満足なんでしょうね)
あるいは贖罪か。
罪の無い異界の少女を騙して、言い方を変えれば見張りを立て外界から 軟禁している状態だ。
彼女が知れば傷付くだろう事は分かっている。
後片付けをしている時に見せてくれたあの笑顔は、二度と見せてくれないかもしれない。
――では、カイスもそうなのだろうか。
サハルはふと思い付き足を止める。
前にマコトの買い物を頼んだ時も、渡したはずの自分の財布から金は減っておらず、その時は 気まぐれでカイスが出したと思っていたが、そうでは無かったのだろうか。
もともと面倒見のいいカイスだが、マコトに必要以上に構い意識しているのは、今朝のやりとりだけでわかる。マコトは熱中するとじっと人を見る癖があり、透き通った黒曜石の様な瞳で見つめられると、 どこか落ち着かなくなるのだ。サハル自身何度も経験したが、妙に緊張する一瞬だった。カイスもきっとそれに晒され、あんな態度を取ったのだろう。
マコトはまだ子供で、カイスの好みか らすれば外れている――、と考えてサハルは一瞬動きを止め、 カイスがいた店の方向を振り返った
もしマコトの年齢がもう少し上なら、それこ そカイスの好みなのではないだろうか。
――正直に言えば、マコトが年齢を詐称している可能性 は五分五分だと思っている。諦観した ような老人を思わせる時もあれば、妙に幼い 仕草を見せる時もあり、サハルにも判断が 付かないと言うのが正直な所だ。
穏やかで優しいそして抱き心地のいい女 がいいと、カイスは酒が入る度にそう口にする。
(……まいりましたね)
恋愛感情かどうかは別にしても、少なか らず、カイスはマコトを意識している。サー ディンは勿論、タイスィールもマコ トに対して何か思う所があるようだ。とり あえず兄として、サーディンの魔の手から守り抜く 事は考えていたが、相手がカイスやタイスィールと なるとどう反応すべきか迷う。
(馬鹿馬鹿しい、まだ誰も何も言わないのに)
しかし誰も候補者から外れないというその事実。
……きっとそれすらもマコトの重荷になっている事は分かっている。
(では誰かが行動をし始めたら……)
自分はどうするのだろう。しかしそうなるとも う遅いかもしれないと思い、相反する感情に惑って首を傾げる。
何が?
そう冷静に考える一方で、サハルは確かに焦燥感のようなものを感じていた。




