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第十八話 明るい家族計画




 水洗いを済ませた皿を木の枠に立てかけ、砂が入らない様に薄手の布を掛ける。一連の作業を終え、空を見上げると太陽は随分と高い場所にあった。七人分の食器となるとやはり時間が掛かる。しかしマコトは賑やかに並ぶたくさんの皿を見下ろすと、額に浮かぶ汗を拭いながらうっすらと微笑んだ。


「どうかしたんですか?」

 そんなマコトの表情の変化に気付き、そう問い掛けてきたのはサハルだ。

 賑やかな食事を終えて、後片付けに取り掛かったマコトに「手伝います」と申し出てくれたのは、やはり面倒見のいい彼だった。まだ勝手が分からない為、申し訳無いと思いながらも、マコトは有り難く手伝って貰う事にしたのだ。


「え……っあ、はい」


 見られていたのかと、ほんの少し頬を染めて誤魔化す様に苦笑いしながら、マコトは口を開いた。


「あの……暫く一人で生活していたので、こんな風に、たくさんお皿洗うの初めてで……ずらーっと並んでるのなんか嬉しくて」


 控え目な笑顔を浮かべごにょごにょと小さな声で呟いたマコトに、サハルは心得た様に穏やかな笑みを浮かべた。


「私も久しぶりに大勢で食事を取りましたが、いいものですね」

「はい、みんなで賑やかに食べるのっていいですよね」


 珍しく弾んだ口調で答えるマコトに、サハルは少し驚いた様に目を瞠る。 しかしそれはほんの一瞬の事で、彼はすぐに頷いた。 同意を受けマコトの顔に笑顔が広がる。


「夢は大家族ってかぁ?」


 そんなマコトの背中にからかう様な声が 投げ掛けられた。振り向いた先にいたのはゲル に戻ったはずのカイスだった。どこかに出掛けるのか、厚いマントを羽織り、手には使い古された皮の袋を持っていた。

 そして何故か――その隣に、サーディンまで いる事に気付き、マコトはまじまじと見つめてしまう。珍しい組み合わせだ。


「そーいうのもいいよねぇ……」

「っうわッお前いつの間にそこにいたんだよッ」


(あ、なんだ。気付いて無かっただけか)


 カイスは飛び上がってサーディンから距離を空けると、 思い切り嫌そうに眉を潜め、犬を払う様にしっしと手を動かす。しかしそんなカイスの失礼な仕草に一瞥もくれずサーディンは夢見る様にうっとりとした口調で、何事か呟いた。


「大家族かぁ……子供がいっぱい……いいなぁ」


 サーディンの周りにだけ、禍々しい極彩色のお花畑が広がって見えるのは幻か。

 一体何を考えているのか――呟く内容で察せるが、全く知りたくない。例え結婚して子供を生む様な事があっても、申し訳無いがサーディンとだけは会わせないでおこう。マコトは頭の片隅でそんな事を誓った。


 サハルはサーディンの姿を見とめると、何も言わずにさり気なく移動し、マコトを庇う。目の前の広い背中にほっとし、改めてサハルに感謝した。


 しかし、やはりこうなってしまうと、緊張感が張り詰め場の雰囲気が悪くなる。それはマコトにとってもあまり嬉しくは無い事態で。ましてや自分が原因な事を考えれば一層居たたまれなくなる。


「随分と仲良くなったみたいですね」


 サハルは懐に手をやるとサーディンを綺麗に無視して、カイスだけに視線を向けた。一体何を隠し11持っているのだろう、知りたいようで知りたくない。


「んなワケねーだろッ。この一瞬で突然現れやがったんだよっ」

「そうそう。マコトとお喋りしたいんだけどさぁ。サハルが物騒だから盾にしようと思って誰か来るの待ってたんだ」

「……あぁ?」


(新たに火種を蒔いて、どうするんですか……っ)

 ますます悪くなっていく雰囲気に、マコトは心の中でそう突っ込み、 困った様にそれぞれの顔を見渡する。諸悪の根源であるサーディンだけが、目が 合うとご機嫌にひらひらと手を振ってきた。


(ああ、もうこの人はッ……)


 きっとこの状況すら、楽しんでいるのだろう。やはり自分が何とかしなければとマコトは話題を探し慌てて口を開いた。


「だ、大家族もいいですね……っ元々私一人っ子なので、 自分が結婚したら子供いっぱい欲しいって思ってたんです!」


 カイスに掛けられた言葉を思い出し、とっさに思 い付いて話し掛けてきたマコトに、サハルはゆっく りと振り向く。その表情はサーディンと 向き直っていた時とは、全く違う穏やかな ものだった。……カイスがその変わり様に顔を引き攣らせる程。


「マコトさんの子供なら男でも女でも可愛いでしょうね」

「子供なら男でも女でも可愛いよねぇ」


 一部分を抜いただけなのに、サーディンが言うとどうしてこんなに怪しくなるのか。襲いかかってくる脱力感にマコトはこっそりと溜め息を付いた。


 サーディンはくるくると鉄製の杖を回しながら、何か思い付いた様に、あ、と呟き、唇に人差し指を乗せた。華奢な体躯の彼だからこそ許される仕草だ。


「子沢山希望ならさー、子供の父親が全員違うってどう? みんなそれなりに美形だからきっと色んなタイプの可愛い子が生まれ」

「だぁっ! もういいもういいっお前は余計な事言うな黙れ帰れ散れいっそ消えろ」


 サーディンの言葉をカイスが大声で遮ると、サーディンは子供の様に頬を膨らませ、ちぇと舌打ちする。再び口を開きかけたサーディンにマコトは悪い予感を覚えて慌てて話題を振った。


「何かお話あるんですよねっ!?」


 そう意気込んで問い掛けた言葉に、サーディンは、再び、へら、と表情を緩めた。


「うん、そう。ハッシュが昼位に着くってさっき連絡あったよ」


 その言葉にいち早く反応したのは、サハルだった。


「ハッシュが……随分早いですね。もう少し掛かると思いましたが」

「……ハッシュ、さん?」


 首を傾げたマコトに、カイスは、あー、と困った様に唸って頭を掻い た。聞き慣れない名前にマコトは、サハルの言葉を繰り返す。正直名前だけでは男か女か分からなかったが、後者なら ばいいのに、と思ったのが顔に出たのだろう。サハルは慰める ようにマコトの肩に軽く手を置いた


「最後の婚約者候補ですよ。今年十五になるはずです」

「じゅうご……」


 マコトはそう呟き絶句した。もちろん婚約者候補がまだいたのかと言う事にも驚いたが、何よりその年齢だ。


(十五って言えば……中学三年生よね……っそれが婚約者? 有り得ない……)


 もしかしてタイスィールを引き合わせられた時のイブキもこんな心境だったのだろうか。確かに驚く、と言うか逆にそんな年頃の少年と結婚なんて現実味が無さすぎる。


「でも年も近いですし、婚約者候補とは別と考えても、気楽に話せるんじゃないでしょうか。彼は王都 の学院生ですし、マコトも少し前まではそうだったんですよね」

「え? あ……そうですね」


 ここでは十四だと言う事になっているのだ。おかしい所かちょうどいい取り合わせになるだろう。

 動揺した事を悟られない様に、マコトはゆっくりと頷き、説明してくれたサハルにお礼を言って、話題を変える為に当たり障りの無い事を尋ねてみた。


「どんな方なんですか」


 特に興味を惹かれた訳では無いが、その言葉に少しだけ探る様な響きが入る。最近来た候補者と言えば――言わずもがなサーディンだ。あれだけ強烈な個性を持つ人間は滅多にいないとは思うが、一応人となりを確かめておきたい。


「しっかりした子でね。研究熱心で ……いささか熱心過ぎる所もあるんですが、きっと、貴女に会えるのを楽しみにしてると思います」


 熱心過ぎると言う所で、サハルは少し困った様に表情を崩した。何かあるのだろうかと考えるよりも先に、カイスが大きく肩を落とし、盛大な溜め息をついた。


「あ―口うるさい奴がまた増えるな」


 カイスはそうぼやき、水瓶の蓋を取り皮袋に注ぎ込む。なるほど水筒のようなものかとマコトはこっそりその一連の作業を観察していた。

 一度沸騰させた水を、暑さで蒸発しない様に瓶自体に魔法を掛けてい るのだ。飲み水はこれを、洗顔などに使う生活排水は集落の中心にある井戸から汲み上げて使う事をサハルから教え て貰った。


(十五歳……ホントなら三つ下だけど……)


 カイスが瓶の蓋を戻した時に、ふと目線が合う。妙な沈黙が落ちて、ぶっきらぼうに飲みたいのか? と 問われマコトは慌てて首を振った。

  何の皮なんだろうとうっかり凝視しすぎてしまったらしい。気まずさを誤魔化す様に視線を落とし、 手持ち無沙汰に目の前の毛羽立った布巾を絞る振りをする。そのせいでカイスの耳がほんの少し赤くなっている事に マコトは気付かなかった。

 そしてその様子をサハルは観察する様に見下ろしている事に、カイスも気付かない。


 サハルはサーディンを警戒しながらも、口元に拳を当て何か思うように瞬きを一つした。


(……それにしても、婚約候補者ってまだいたんだ)


 アクラム、カイス、サハル、タイスィール、ナスル、それにサー ディン……これにハッシュというらしい少年が入れば七人だ。 それだけの人に迷惑を掛けているであろうこの状態はマコトの気分は重くさせる。 いっそ新しい『イール・ダール』が現れてくれればいいのに、と最近は思うようになっていた。


(……楽しみにしてるだろう、なんて)

 きっとサハルの優しい嘘なのだろう。

 こんなつまらない自分の婚約者候補なんて、きっと迷惑に決まってる。……そう、今目の前にいるサハルだって、今の所疎んじられている気配は無いが、近いうちに きっとそう思われる日はやってくる。


 マコトは昔から良し悪し関わらずそんな雰囲気を誰よりも早く察する事が出来た。

 だからきっと『そう』なる少し前に、気付く事は出来るだろう。それまでになんとか 自分一人で自活できる道を見つけなければならない。


(……優しいから同情して構ってくれているだけなのよね)


 温かな優しさが心地よすぎて、つい忘れそうになる。

 食事の支度だって明日からは一人で頑張らなきゃ、と心の中で自分を叱咤し、顔を上げた。


「ハッシュとは、同じ師について学んだ時期がありまして。一応兄弟子と言うことになりますからもし何かあったら私に相談して下さいね」


 マコトの不安を察したのか、サハルはマコトの頭に手を置き、兄が妹にする様に優しく撫で微笑む。


「……有難う、ございます」


 その大きな手の温かさに、マコトは一瞬泣きたくなった。



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