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第二話 瞬く星の先

手綱を引いて馬の方向を変えた男が、くるりと周囲を見渡し白い息を吐いた。

頭上の空には数えきれないほどの星が瞬いて、弧を描き流れていく。砂漠の空の下、男に追い付いた数人の男達が馬の足を止め、一様に空を見上げた。


「本当にここかよ。アクラム」


 少し苛立ちを含んだ声を発したのは、銀色の髪を持った男だった。金属を連想させる硬そうなその髪は短く整えられ、意思の強そうな眉と釣り目がちな瞳を強調させている。男は馬から下りると、後ろを振り返り黒尽くめの男に視線を向けた。


「星の位置は合っている」


 抑揚の無い声でアクラムと呼ばれた男はそう告げる。

 他人が聞けば不機嫌なのかと問いたくなる程の愛想の無い声だが、それは彼にとって平常通り。声だけでなく表情も乏しいのは占い師という職業だからか――どちらにせよ自分は到底真似出来ないと銀色の髪を持つ男、カイスは溜息をついた。


「落ち着きなさいカイス。アクラムの先見は外れた事も無いのだし。こうして待つ楽しみというものもあるだろう?」


 少し癖のある長い髪をかき上げて悠然とした笑みを浮かべたのは、ここに集まった五人の男の中でも年長のタイスィール。女性と見まごう程の繊細な微笑みは夜の闇に映えて妖しく美しい。


「どんな方なのでしょうね」


 穏やかにそう言ったのは、声同様男達の中では柔らかな雰囲気を持つサハルだ。飾り紐で一つに結われた焦げ茶色の長い髪が風に吹かれて靡いている。

 その中で終始無言を貫いているのは、赤銅色の髪を持つ、隻眼の男ナスル。

 冷たい視線はただ虚空に注がれて、分厚い外套から獅子の紋章が掘り込まれた剣の柄が覗いていた。


「――来た」


 ぽそり、と小さく呟いたアクラムの言葉に四人は同時に空を仰いだ。

 一際大きな星が地上に降り注ぎ、一瞬だけ空を金に染め上げる。


「みたいだな」

 眩しさに目を細めて、カイスは興奮を抑える様に、乾いた下唇を舐めた。


「我らの『花嫁』が」

 タイスィールとアクラムの声が重なる。


 その、一瞬後、大きな地響きが起こった。

 逃げようとする馬の手綱をきつく握り締めアクラム達は、ぐらつく足元に力を込めてやり過ごす。立ち上った砂煙が収まると、砂しかなかった目の前に――緑に囲まれた鮮やかなオアシスが現れた。小さ な黄色い花が畔に咲き誇り、見上げるほど高い椰子の葉が夜の風にざわざ わと揺れている。その澄んだ水面には、天上の月と星が映り込んでいた。


「凄い、ですね……」


 感嘆の声を漏らしたサハルの呟きに応える者はいない。

 その場にいたアクラム以外の全員が、目の前で起こった奇跡 にただ呆然と立ち尽くしていた。


 その中で真っ先に行動を起こしたのは、顔色一つ変わらないアクラムだった。

 まっすぐにオアシスに足を向け、小さな花が咲き誇る緑の中に、視線を彷徨わせ目的のものを探す。


「いた」


 短く呟いた声に、男達ははっと我に返る。アクラムの視線を追い、 慌てたように駆け寄る。

 大きく伸びた草の上にうつぶせで倒れていたのは、小柄な少女だった 。アクラムは躊躇う事無く少女の体に触れ、荷物のように身体を返す。 月明かりに少女の顔が露になった。


「ぁあっ!?」

「……」

「……おや」

「これは」


後からそれを覗き込んだ四人はそれぞれ思い思いの顔をした。

気にする様子も無く、アクラムは少女を抱き抱えると自分の馬に連れて行く。


「……いや、うん、ちょっと待てアクラム」


 ようやく、といった様に最初に口を開いたのは、困惑顔のカイスだった。


「何だ」

「いや、可愛いっちゃー可愛いけどよ」


 彼らしくなく、口の中でもごもごと言い淀んで、アクラムの胸の中にいる少女に視線を落とす。


「良かったな」


 他人事の様に返された返事にカイスはかっと目を見開いた。


「ってか若すぎるだろ! いくらなんでも……十三、四歳か。ニムより小せぇ気がすんだけど!」


 ちなみにニムとは苦笑しているサハルの妹で十五歳になる少女だ。生意気盛りで、カイスなど既に口では到底かなわない。


「……子供……?」


 アクラムはカイスの叫びに、ふと首を傾げる。


「つーかなんだよッ! 十年振りの『イール・ダール』だって期待させるだけさせといて! それとも『呪い』はまだ続いてんのかよっ!」


 うがぁっと呻くようにカイスが叫ぶと、その肩をぽん、と軽くタイスィールが叩いた。 まるで慰めるように。彼がこの中の誰よりも待っていた事はここにいる全員が知っている。


「まぁ、可愛らしい顔立ちをしているし、将来が楽しみだと思えば、それもまた、ね」

「……育てるつもりですか」


 呆れ顔で問いかけたサハルに、タイスィールは意味深に微笑んでみせる。


「俺は出るトコ出てて締まってるトコは締まってる色っぽい姉ちゃんが良かったんだ……!」


 カイスの落胆した呟きに、一同は苦笑いする。


「……今、思えばここにサーディンがいなくて良かったですね」


 迎えに来れなかった候補者はあと二人いる。

 その内の一人が、限りなく黒に近い灰色の幼児愛好者――本から言えば少し違うらしいが――の、サーディンだ。

 今は少し離れた王都で暮らしているが、サーディンが村に帰って来ると、 サハルは妹を寝台の下に隠し一歩も出るな、と厳しく言い付ける。 温和なサハルがそこまで用心する程、サーディンの幼女を見る目は怪しかった。


「まぁ、花嫁云々は別にして、こんなに素晴らしいオアシスが出現した事を素直に喜びましょう」


 愉快では無い、どころか思い出すのも泥のような疲れを呼び起こすサーディンのせいで、どんより淀んでしまった空気を払拭するように、サハルは明るく言い放った。


「……まぁな」

「それに、女性の年齢と言うのも分からないし、案外これで成人してるかもしれないよ?」


 サハルに続き明るい口調でタイスィールも口を開く。

 カイスは顔を上げ、再び少女の顔を覗き込み、苦虫を噛んだような顔をした。


「間違いなくガキだろ……泣かなきゃいいけどな」


 突然訪れる事となった『異世界』に。

 きっと親はとても心配しているだろう。サハルもアクラムの腕の中で穏やかに寝息を立てている少女の顔を覗き込み、表情を曇らせる。


 カイスの言葉にアクラムを除く一同は顔を見合わせ、溜息をつき、一人一人と自分の馬に乗り込んでいく。


「子供……」


 一人ぽつんと取り残されたアクラムは、異世界からの『花嫁』を見下ろすと、外套らしきもののボタンを外し、遠慮なく胸元に手を突っ込んだ。眠りが深いのか幸いな事に真が目を覚ます気配は無い。


 むに。


「……」

 膨らみは顔に似合わず大きく柔らかい。


「うむ」


 ぽつりと発した呟きは、既に走り出した男達には届くことは無かった。


 胸の中の少女……この時を持って異世界の『花嫁』となった――佐々木真、は高校を卒業したばかりの自分が、まさか中学生に間違われているなんて思ってもいないに違いなかった。






2007.9.28



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