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第十七話 食事 1


 マコトは大きく鍋をかき混ぜると、手にしていた調味料の瓶を慎重に傾ける。

 白い湯気が立つその中身を、小さな匙ですくい上げると、フーフーと息を吹きかけ冷まし、口をつけた。


(こんなものかな……)


 イブキのゲルで食べたスープを思い出しながら、ペロリと唇を舐めて、心の中で呟く。

 鍋の中には、干し肉をベースにした野菜たっぷりのスープ。白く立つ湯気には、食欲をそそる匂いが含まれ晴れ渡った空の下、乾いた空気に混ざり合って広がっていった。


 あれからすぐにマコトがサハルのゲルを訪ねると、サハルはタイスィールの言葉通 り既に起きており、すぐに顔を出すと、嬉しそうに顔を綻ばせた。……その事 が妙に、嬉しくて照れくさくて マコトは挨拶もそこそこにゲルを出た。


 そしてする事がある、というタイスィールと別れ、共同用の台所として使っている屋根があるだけの広場に案内し、備え付けの調味料の説明をしたサハルは、そのままマコトの手伝いを買って出た。


 よく晴れた空の下でマコトとサハルの料理教室は、和やかな雰囲気の中始まった。 材料を切って煮込むまでは、物静かなサハルと二人きりと言う事もあり、何 事も無く進んだが、美味しそうな匂いが立ち上った頃に、急に騒がしくなった。


 まず誰よりも早くその匂いに釣られたのはカイス。

 派手な寝癖のついた頭もそのままに、広場に現れた。


「あ、おはようございます」


 マコトがいるとは思わなかったのだろう。カイスは寝起きの腫れぼったい目を見開き、呻いた。


「……なんでマコトがここに、……ぅあ! それよりお前、体大丈夫かよ!?」


 つかつかと歩み寄り、心配そうに顔を見下ろされて、マコトは少し驚いたものの、こくんと頷く。

 どうやらカイスにも心配を掛けてしまっていたようだ。


 マコトが安心させるように大丈夫です、と返事を返すとカイスは、 ようやくほっとしたように大きく息を吐き出し、笑顔を見せた。


「おはようございます。今朝はマコトが料理を作って下さるそうですよ」

「いえ、その……大したものは作れないと思うんですけど」


 サハルの言葉にマコトは慌てて首を振る。

 それを聞いたカイスは驚いたように目を見開き、それから興味深そうに、へぇと頷いて鍋を覗き込んできた。


「食えるモンにしてくれよ?」

「マコトさん。カイスはいらない様ですね」


「っ!? 食うよっ! 冗談だろうが!」

「可愛い妹の手料理を礼儀も知らない失礼な人間になんてあげません」


 遠慮の無い二人のやりとりに、マコトの顔に笑顔が浮かぶ。同時にサハルが妹だと再び言ってくれたのも嬉しかった。


(この二人のやりとりを見てるの楽しいなぁ)

 仲が良いからこその遠慮の無い会話に、羨ましささえ覚える。


「わ~なんか美味しそうな匂いがする~」


 そんな声と共に、次にやってきたのは、 マコトが最も恐れていた人物だった。

 ふらりと現れたサーディンに、マコトよりも警戒を露わにしたのは、 サハルとカイスだ。しかしその機敏な反応のせいで、逆にマコトはどう反応すべきか困ってしまった。


「つーかマコトにそれ以上近付くなよ」

「料理をする人間の近くに寄らないのは基本ですよ?」


 寝起きの不機嫌な顔で凄むカイスよりも、危険ですから、とにこやかな笑顔でそう注意するサハルの方が怖いのは、右手の包丁故か。


「……あの、サーディンさん。おはようございます」


 昨日改めたサハルへの認識を再度確認しつつ、マコトは殺伐とした空気を何とかしようと、 出来るだけ自然にサーディンに挨拶をした。若干引き攣ってる気もしなくとも無いが、 こればっかりは仕方無い。

 カイスとサハルは驚いた様にマコトを振り返る。 二人とも何か言いたげな顔をしたが、結局何も言わずに黙り込み、カイスはサーディンの首元を掴むと、ずるずると引き摺って自分が座っていた丸太の隣に座らせた。

 マコトは少し距離が出来た事に、こっそり胸を撫で下ろす。


 何の断りも無く、胸を掴まれるという体験は恐怖でしかなかったが、 それでもサーディンの事をマコトは嫌えなかった。


 言われた事が事実だと言う事も大きかったが、サーディンの少年の様な…… というか子供としか思えない行動や見るからに幼い仕草も大きく起因していた。


(多分、悪気は無い、のよね……)


 マコトは昨日一日考えて、そう結論付けていた。

 それにその後のサーディンの奇怪な発言、サハルとの容赦の無いやりとりで、幸か不幸かあれほどあった恐怖心は薄れてしまった。そして常に庇ってくれるサハルの存在も大きい。


 マコトは今もすぐ側で、手際良く果物を剥くサハルをちらりと見上げる。


(ホント、サハルさんがいてラッキーだったよね)


 マコトが慣れない世界で不便な思いをしない様に、常に気を配ってくれる。何より優しい彼に妹扱いされるのは、とても嬉しかった。おかげで一人ぼっちだと 気分が落ち込む事も無い。


「それにしてもマコトさんは手際が良い。私の手伝いなんて必要無かったみたいですね」


 てきぱきと片付けをしながら、サハルはそう言い、にこやかに微笑む。


「いえ、一人では火もおこせないし、手伝って頂けて良かったです。朝早くご迷惑かけてすみませんでした」


 かき回す手を止め、マコトは恐縮するように頭を下げる。 その拍子にまとめていた髪が重力に逆らえず、するりと解けた。 生憎この世界にマコトが使っていたようなヘアゴムは無い。

 代わりにと使った制服のスカーフでは、やはり無理があったようだ。


「ぁっ」


 右手は匙、左は蓋と両手が塞がっているマコトは、鍋に入らないように慌てて背筋を伸ばす。紺色のスカーフは ふわりと風に揺れ、地面に落ちた。

 それをすくい上げたサハルは、つるつるとしたその生地の表面を見つめた後、小さく頷き自分の後頭部に手を回し髪をまとめていた紐を外した。 幾つもの髪紐を使っているのかサハルの髪は一つに束ねられたままだ。


「髪に触れても構いませんか」


 もしかして結ってくれるのだろうか。サハルの問いに、 マコトは塞がったままの自分の両手を見下ろしてから、少し迷うように間を空けて頷いた。


 ……多分、大丈夫だろう。


「すみません。じゃ、お願いします」

「じっとしてて下さいね」


 サハルは器用にマコトの髪をくしけずり、手早く一つに縛ると飾り紐を綺麗な蝶結びにした。紐を引っ張り出し、形を整えたその一瞬サハルの小指がマコトの首筋に触れた。


「ひゃっ、ん」


 びくっと肩を竦ませ、マコトは小さな悲鳴、と言うよりは 明らかに異なる――艶っぽい声を上げた。


 その掠れた声を聞いて、ピシッと凍り付いたように動きを止めたサハル。その後ろでのんびり欠伸をしていたカイスも、口を開いた状態のまま固まっている。


(変な声出た……っ)


「……へぇ、マコトは首がイイんだ~」


 ぼそりと面白そうに呟いたのは勿論サーディン。しかし瞬時にサハルとカイスにぎろっと 睨み付けられると、視線を明後日の方向に向けた。


「いえいえ、こちらこそ失礼しました。きちんと結べましたよ。さぁ、そろそろいいんじゃないですか?」


 幸か不幸かサーディンの余計な一言のおかげで、我に返る事が出来たサハルは、瞬時に思考を切り替え マコトの肩をぽんっと軽く叩いて、話題を変える為に鍋の中を覗き込んだ。


「火を止めましょうか」

「あ、はいっ」


 気分を害した様子も無い、サハルにマコトはほっとする。

 皿を取りに行こうとしたマコトの前に、いつのまにか立ち上がっていたカイスが道を塞ぐ。その手には丈夫そうな木の皿があった。カイスの後ろにはサーディン。彼も同じく皿を手にして並んでいた。


 その姿はまるで給食の時間に並ぶ小学生を連想させた。


(男の人がお皿持って並んでるの、なんか可愛い)


 カイスが聞けば、きっと怒り狂うだろうそんな事を思いながら、マコトはこみ上げてくる笑いをこらえ、カイスから皿を受け取り、スープを注いだ。


「お~うまそ~」


 手の中の皿を覗き込み、カイスはそう呟いて、無邪気にそう言い放った。子供の様なその笑顔にマコトの顔にも笑顔が浮かぶ。


「サーディンには、私が入れてあげますよ」

「嫌だよ。サハル絶対手にかけるでしょ」


 熱々のスープは、冷めにくいように片栗粉 らしきものを入れてトロリと仕上げてある。 こんなものが手にかかれば、間違い無く火傷するだろう。


 もはや疑問系でも無く断定した口調に、マコトは昨日の二人のやりとりを思い出し、ひやりとする。もしかしなくても、この二人の 雰囲気の悪さは間違い無く自分のせいだろう。


(サハルさんも、口先だけでもいいから否定しましょうよ……)


 とりあえず任せない方がいいと、 サーディンの皿を受け取り、マコトは熱々のスープを注ぐ。 慎重に手渡そうとしたその時、何かに躓いた様に、突然前のめりに倒れ込んできた。


「っ大丈夫です」


 か、と問おうとしたマコトだったが、にっと猫のように笑ったサーディンと一瞬目が合い、背筋に悪寒が走った。

 サーディンは、そのままマコトの首元に顔を埋め、耳にふっと息を吹き込んだ。


「ッやっ」


 突然の事にマコトは皿を放り出し、瞬時に 赤くなった耳を押さえる。

 宙に浮かんだ皿の中身を零す事無く、サーディンは綺麗にキャッチすると、ふふふ、っと声を立てて笑った。


「あったり~何でか首弱い子って耳も弱いんだよねぇ……ってうわッ!!」


 最後まで言い終わるか終わらない内に、 サハルが手にしていた包丁を投げていた。 サーディンの足元ぎりぎりの地面に、ざっくりと深く刺さったそれは、 相当な力で投げられたものだろう。


「近づかないで下さいって言いましたよね?」


 くっきり青筋を浮かべたサハルに、さすがのサーディンも大人しく、マコトから少し離れた木の下にそそくさと移動し、座り込んだ。


(やややっぱり近付かないようにしよう!)


 頬を赤く染めてマコトはそう決意する。

 彼とはどうしても上手くやれる気がしなかった。




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