第十二話 本音
食事を終え昼過ぎにやってきた患者と入れ替わる様に、タイスィールとマコトは慌ただしくオアシスを発った。
(まだもう少し話したかったな……でも、また遊びに来てって言われたし)
見知らぬ異世界で、同郷の人間がいるというだけで、こんなにも心強く思う。 先の『イール・ダール』がイブキの様な人で良かったと思った。
イブキは一緒にいると元気になれる様なそんな人だった。夫であるラーダも、言葉 数こそ少ないが、懇切丁寧に料理の調味料や、この世界の味付けなど教えてくれ た。大柄な体に反して器用に魚を捌き、野菜の皮を剥く。その手際の良さに感心すれば、元は王宮の厨房で 働いていたのだと教えてくれた。自分には勿体無い先生である。
(何とか要領は掴んだと思うし、火をおこすのさえ出来るようになれば、私でもご飯位作れるよね)
ラーダに半ば無理矢理手伝いに行ったのもつまりは料理の仕方を覚える為だ。 何もせずにただ養って貰っている今の状態がマコトには、どうしても耐えられな い。かと言ってイブキの様な専門的な知識も無く、自分が出来る事など限られている 。その上で思い付いたのが料理だった。
代々の『イール・ダール』のおかげで、割と向こうの料理もこちらの世界で受け入れられているらしく、シチューなど肉が違うだけで大差無く、全体的に薄味に する事さえ気を付ければ、問題無さそうだ。
帰りの道ではタイスィールは終始無言で手綱を握っていた。マコトもそれに合わせる様に黙っていたが、不思議と居心地は悪くなかった。
馬に揺られてうとうとしていたマコトは、目の前の馬のたてがみが 赤く染まっている事に気付き、顔を上げた。
(ぅ、わぁ……)
この世界で初めて見る夕焼けにマコトは感嘆の声を上げる。
大地は黒く、空は赤く、千切れた雲は橙色に発光して周囲は闇と交じり合い紫色に染まっていく。
「きれい……」
夕焼け空はこんなに美しいものだったのか。昨日は早々にゲルに入ってしま ったから気付かなかった。
(勿体無い事したなぁ……)
しみじみとそう思って、沈んでいく夕日を見つめていると、それまで黙っていた タイスィールが静かに問いかけてきた。
「向こうの世界とはそんなに違う?」
「はい……。あっ、いえ、……もしかしたら、一緒だったかも……」
違う国に行けば砂漠は存在するし、と思って答えた言葉だったが、 ふと、自分がいた場所でも、これほどでは無いにしろ近い物は見れたかもしれない、 と思い付く。
(……こんなに、ゆっくり空を眺めた事なんてあったかな)
――何も夕焼けだけでは無い。抜けるような空の青さや、雲の形。
日常に追われて天気を確認する以外に見上げる事など無かった。
「……イブキさん、いい人でしたね」
全てを優しく包み込むその暖かな色が、別れたばかりの彼女を思い出させた。
マコトがぽつりと呟いた言葉に、タイスィールは思い出す様にゆっくりと目を伏せる。 それから穏やかな笑みを浮かべて、掠れた声で呟いた。
「私が好きだった人だからね」
それきり、タイスィールは口を開く事は無かった。
掴み所の無いタイスィールが零した――初めての本音に、マコトはただ黙って頷いた。
すっかり日が落ちる少し前にタイスィールとマコトはゲルに戻った。手を貸して 貰い、マコトは馬から降りると、タイスィールに向かって頭を下げた。
「今日はどうも有難うございました」
タイスィールは穏やかに笑って首を振る。
「……お礼を言うのは私の方だよ」
下げた頭にぽんと手を置かれる。からかう様子も無い真面目な声に、 マコトはゆっくりと頭を上げた。
「今日はカイスの所だね。まだ戻って無いようだし、私の所で待ってるかい?」
少し迷ってマコトは首を振る。
今日一日行動を共にした事で、タイスィールの印象も変わり、一緒にいても緊張はしなくなっていたが、……何となく、タイスィールが一人でいたいのでは無いかと思ったのだ。
「そう、じゃあ毒虫が入らない様に結界を張っておくよ」
あっさりと引き下がったタイスィールの申し出にマコトは素直に礼を言う。
自分の意見を尊重してくれた事が嬉しかった。
カイスのゲルに向かう途中でマコトは前を歩くタイスィールに問いかけた。
「でも、勝手に入っていいんでしょうか?」
「大丈夫。カイスには今朝ちゃんと言ってあるから」
その言葉に安心してマコトはカイスのゲルに足を踏み入れた。
先程の言葉通り結界を張り、タイスィールは小さく息を吐く。
「じゃあ、食事を持ってくるから待ってて」
「あ、いえ、……お昼食べ過ぎたのでいいです。果物たくさん貰っちゃたし、お腹すいたらそれ食べます」
「そう。でも気が変わったらいつでも声掛けて」
タイスィールはそう言うと、短く別れの挨拶を口にてゲルから出て行った。
再びゲルの中を見渡す。意外に……と言っては失礼だろうが、服が乱雑に積まれている他は、 大きな汚れは無い。
しかし絨毯の上に敷かれたままの寝床を見て、マコトは、あ、と小さく声を上げた。
(昨日の長老さんの寝袋、借りようと思ったのに……)
アクラムのゲルまで行こうと一瞬扉の方に向かったマコトだったが、 結界を張ってもらった事を思い出して足を止めた。
(……しまった。中から触れると消えちゃうんだよね……)
再度タイスィールに結界を張って貰うのは、気が引ける。
それにアクラムがまだ戻っているとは限らないのだ。
(確か、『捜索』だとか言ってたよね。一体何を探してるんだろ……)
マコトは首を傾げつつ、カイスの帰りを待つ事にした。
その場に座ろうとしたその時、部屋の隅に見覚えのある服がある事に気付き、マコトは確かめるように 目を瞬かせた。近づいてみると、やはり、それは昨日裾を直したばかりの藍色の ワンピースだった。その下には繊細な装飾が施された箱が少し開けられた状態で置いてあった。
(もしかして……)
隙間から見慣れた藍色の制服が見えて、そっと蓋を押し上げると、 そこには予想通り、昨日買ったばかりの服や生活用品が入っていた。
ついでに見当たらなかったコートも一番奥に入っている。
「アクラムさんかな……?」
この箱に入れて運んでくれたのだろうか。麻袋に入った状態のままで放置 してしまっていた筈だ。それ以外に心当たりは無い。
(みんな、気遣ってくれてるよね……)
申し訳ないほどに。
箱の表面の彫刻を指でなぞりながら、マコトは心の中で呟く。
(……カイスさんだって、一杯買ってくれたし)
貰ってばかりで心苦しい。食事の用意位では返せない様な気がする。
マコトは溜息をつくと、箱の中から新しい服と裁縫道具を取り出し、 また裾を詰め直す事にした。
「眠い……」
ポツリと呟いて、マコトは手にしていたワンピースを横に置いた。
二、三時間までは没頭出来たが、いささか作業が単純すぎる。
連日の乗馬で、身体は鉛の様に重く、マコトは大きく伸びをした。それだけでも 腰や肩の筋肉が悲鳴を上げる。
(だるい……。結界って寒さも遮断するのかな……あったかいし、このまま絨毯の上で寝ても 大丈夫な気がする……)
そう思ってそのまま床に突っ伏しかけたが、はっとして眠気覚ましの為に 首を振る。
「駄目駄目! まだ戻って来てないんだから……」
わざと声に出して、何とか眠気を誤魔化す。
一晩お世話になるのに、挨拶もせず眠るなんてしたくない。
それでも慣れない馬で遠出した疲れが眠気になって襲い掛かってくる。
どうにも瞼が重く、うつらうつらしたその時、ふっと部屋の中に冷たい風が吹き抜けた 気がした。
そして扉が静かに開く音。
「……なんだ起きてたのか」
開かれた隙間からそんな声が降って来て、マコトはほっとする。
「おかえりなさい」
それは随分久しぶりに使う言葉だった。自然に口に出していた言葉にマコトは少し驚く。バサリとマントから砂を払い、中に入ってきたのは、当然、このゲルの持ち主のカイスだった。
「……ただいま」
少し躊躇する様な間を空けたものの、カイスはそう答える。
ふわり、とマコトの胸に暖かいものが広がった。
カイスはマントを脱ぎ捨て、マコトの手元を見て、口を開く。
「寝てると思ったんだが。……縫い物してたのか。まだ終わらねぇの?」
「いえ、私ももう寝ます」
マコトが首を振ると、カイスは少し考えるように間を置き、あーと間延びした声を出してから、首を傾げた。
「もしかして待ってたか?」
「……いえ?」
少し空いた沈黙が、問いを肯定した。カイスは表情を崩して、大きな 手でマコトの頭をくしゃっと乱暴に撫でる。
「ちゃんと寝ねーと背伸びねぇぞ」
「……気にしてるんですから、言わないで下さい」
そう言い返しつつも、マコトの心は弾む。遠慮の無い会話はまるで、 仲の良い兄妹や、友人の様だ。
頬を膨らませたマコトにカイスは、ふっと息を吐いて笑い、そしておもむろに上着を 脱ぎ捨て、上半身裸になると寝床に向かった。
「……~っっ! どうしてこの寒いのに脱ぐんですか!」
マコトの悲鳴にカイスは首を傾げた。
「あ? 習慣なんだけど」
何でも無い事のようにカイスはそう返事をする。
そうあっさり言われると、意識している自分の方が恥ずかしくなる。
(し、仕方ないよね。私の事子供だと思ってるんだから……!)
自分にそう言い聞かせてマコトは、極力カイスを視界に入れない様にしながら、 繕っていた服を片付け、絨毯に寝転がろうとした。
既に深夜だ。アクラムが戻っているとしても、こんな時間に起こすのは忍びない。
既に寝転んでいたカイスは、ああ、と今更気付いたように声を上げた。
「あーそっか寝るトコ無いよな。よし、抱き枕にしてやる。こっち来い」
にやっと笑ってカイスは寝床に転がって、毛布を持ち上げ隙間を空けた。
「……なんでですか」
「まさかそんなトコで寝るなんて言うなよ」
「半分譲ってくれる気なら、もう一回結界張ってくれませんか」
自分でも図々しいな、と思いながらマコトが冗談めかしてそう言うと、 カイスは少し眉を寄せた。
「お前、俺に寝るなって言うのかよ」
呆れたようなカイスの言葉に、マコトは首を傾げる。
「結界はな、術者の意識が無くなると消えんだよ。 今まであったヤツ誰の結界か知らねぇけど、今頃ようやく眠れるって喜んでるんじゃね?」
意外な言葉にマコトは驚く。
(という事は、タイスィールさん、今まで起きててくれてたんだよね……)
なんだか申し訳なくなってマコトは表情を曇らせた。
「ほら、とっとと来い、お嬢ちゃん」
カイスは再び手招きする。
その仕草は本当に、駄々をこねる子供相手のものだ。
(……あー、なんか、もういいや……)
正直疲れた。
自分を子供だと思っているのだ。同じ寝床で寝たって 『そういう』心配をする必要は無い。
結界が消失したせいか、部屋の温度が徐々に下がり始めていた。
暖を取る為だ、と自分に言い聞かせて、マコトはそっとカイスの横 に転がった。
寝顔を見られたくないので、自然とカイスに背を向ける形 になったが、気にする様子は無かった。
暫く黙っているとすぐ後ろから規則正しい寝息が、 マコトの耳に飛び込んできた。よほど疲れているのだろうか、恐るべき寝付きの早さだ。
(……ふわ、ぁ……ねむ……)
身体が温まってくると、忘れていた眠気が一気に戻ってくる 。マコトは一つ大きな欠伸をしてから、そのまま瞼を閉じた。
暖かい。
何となくいい夢を見れそうだ、と薄れゆく意識の中でぼんやりと思った。




