第九十九話 女神祭(タイスィール視点)
「あ~……くっついちまったなぁ」
バルコニーの下、はにかみながら幼い少女から花束を受け取るマコトと、それを慈しむ様な優しい視線を向け、守る様にそっと腰に手を回すサハルを見下ろし、溜め息をついたのは、珍しくきちんとした服装に身を包んだスェだった。
今日は延期になっていた女神祭のお披露目と同時に、正式に決まった――サハルとマコトの婚約式だ。しかしマコトの髪には花嫁の花とされている白い花が挿され、サハルも祭用の正装をしており、実質結婚式と言っても差し支えない程、大々的に行われた。
行儀悪く肘を付いてその様子を見ていた彼だったが、しばらくするとくるりと身体を反転させ、部屋を見渡しニヤリと意地の悪い笑みを浮かべて口を開いた。
「残念だったなぁ、お前ら」
それぞれ思い思いの顔をした、元……候補者達を代表し、タイスィールは長椅子から立ち上がり、スェの元へ歩み寄る。
やるか、と茶化して両手を構えたスェに苦笑し、その拳に軽く自分の拳をぶつけて、タイスィールはその横に並んだ。
「傷心中なんですから、そっとしておいて下さい」
そう呟き、タイスィールはバルコニーの下に向かって軽く手を振る。いち早く気付いたサハルがマコトの耳に何か呟くと、マコトははっとしたように顔を上げ、笑顔で手を振り返して来た。
長い袖が風を孕んで膨らみ、その上の笑顔は柔らかく、自然とタイスィールの顔にも笑みが浮かぶ。
「……マコトが幸せなら、ね」
胸の奥にまだある想いが疼くのを感じながら、タイスィールは一人ごちる。スェはそんなタイスィールを横目でちらりと見て、満足そうに笑って軽く肩を叩いた。
「……仕方ありませんよね」
ぼつりと呟いたハッシュの頭を、その隣にいたカイスが腕を伸ばし、ぐしゃぐしゃに掻き回した。
彼女が笑っていてくれるなら、その隣にいるのが自分で無くともいい――なんて、偽善だ。けれどいつかそう思いたいと思う程、彼女が幸せであれば良いと思う。
珍しくハッシュはされるがまま、何も言わなかった。
それぞれ昇華しきれぬ思いを抱えて、しんみりとした空気が部屋を包んだ。
その時、
「っていうか、別に諦めなきゃいいんじゃない?」
嘲りを含んだ軽い声がしんみりとした空気をぶち壊す。魔法で移動したのであろう音も無く部屋の中心に降り立ったのは、二度と会う事は無いだろうと誰もが思っていた男の姿だった。
「サーディン……!」
「お前、旅に出たんじゃ……!」
いつもとは違いきちんと纏めた髪をわずらわしそうに手で掻き回し、サーディンは、ひらひらと手を振って見せた。
「何ソレ。旅? なんで僕がそんなめんどくさい事しなきゃいけないの?」
はぁ? と、両手を上げて小馬鹿にしたように返したサーディンに、カイスは、一瞬呆気に取られたものの、すぐに眉を吊り上げた。
「お前、一体何してたんだよっ」
彼は先の『イール・ダール』誘拐事件の容疑者である。 マコトの望みもあり、身内の恥だからと内々に王の許可の許無かったものとして処理した故に表立って責められないが、 説教の一つや二つは聞くべきだろう。
……こうも堂々と悪びれなく現れて、 一族の話し合いの場で真面目にサーディンを庇ってやった自分が腹立たしい。
しかし、その勢いのまま飛びかかろうとした カイスの身体をサーディンの次の言葉が止めた。
「っていうかさ―、別に夫は一人じゃなくてもいいんじゃない? 十年振りの『イ―ル・ダ―ル』なんだし。過去に前例もある事だしさ」
オアシスの所有権も去る事ながら、歴代の『イール・ダ―ル』は子だくさんでその上、女児を生む事が多い。故に初代から数代目までは少しでも可能性を増やす為に、夫となる男の数は定められていなかった。
「……何を言ってるんだい」
呆気に取られる候補者に、いち早く復活したタイスィールが 呆れた様に呟いた。次いで我に返ったらしいスェも 噛み付く勢いで怒鳴った。
「ちょっと待て! 流石にマコトを泣かそうとするなら、俺が許さんぞ」
「部外者は黙っててよ。血なんて一滴も繋がって無い癖に父親面なんて超キモいよ」
「ああん? このくそガキ、黙って聞いてりゃ調子に乗りやがって」
子煩悩な父親からすっかり野盗モードに豹変したスェが、拳を鳴らしながら、 サーディンににじり寄る。しかし当の本人は、全く意に介した様子も無く唇に人差し指を置いた。
「王様さーあの人表立って名乗れない分マコトにめちゃくちゃ甘そうじゃん。旦那は多い方がこの世界に引き止められるよ~って言ったら案外簡単に王印貰えそう」
サーディンの言葉にその場にいた全員が閉口した。
王がマコトを極端な程意識しているのは、 事情を知る一部の人間からすれば、とても分かりやすかった。 タイスィールの名前を借り高価な衣装や 宝石を山程贈ってみたり、挙句の果てには 護衛を巻いてこっそりと離宮の影からマコトを見守ってたりする。 思わずタイスィールが、「貴方はどこの乙女ですか」と突っ込みたくなる 程の溺愛ぶりだ。
「……王の許可だけあっても無駄だろうが」
何の為に四族会議があると思うんだ、と、噛み付いたカイスに、サーディンは懐から取り出した一枚の紙を皆に見える位置まで掲げた。
「西以外の三族の頭領は了承済み。オアシス付いてこなくても 『イール・ダール』は子沢山で女の子生む確率高いし、 どこの村も女の子少ないしね。渋る訳ないよねぇ。 あ、多数決でももう可決するけど。一応次期頭領として 君の血判も貰ってもいい?」
至極真面目に話すサーディンに、カイスは目眩さえ感じる。 北東南のあの爺らはボケたのか、なんでよりにもよ ってサーディンにほいほい血判なんてやったんだ。
「マジかよ……」
心の中で厳しい頭領達の頭をタコ殴りしながら、 カイスは乾いた笑いを零し顔を覆う。
「うんマジ。それにマコトにだってちゃんと言ってあるから問題ナシ! 『なんとかするから、笑ってて』ってさ! はいみんな幸せで大団円」
……それ絶対、ちゃんと意味通じて無いから。
後日改めてマコトから涙混じりに聞いた切ない一幕が台無しになった瞬間だった。
「でさー、僕、市場でいいもん見つけたんだよねぇ」
そう言いながら、手の中の羊皮紙をくるくるくると紙を巻き、また懐に戻し、 代わりにサーディン取り出したのは小指程の、細く小さな小瓶だった。
「勃たなくなるクスリ」
にやっと猫の様に笑ってサーディンは皆の目の前でその中身を揺らせた。ガラスの瓶に呆れたタイスィールの顔が映る。
「サーディン、君ね……」
「婚約式だけど実質結婚式じゃん。今晩初夜だよ、初夜。 絶対マコト、サハルにねちっこく責められるよ。 だからこれ酒にちょこっと混ぜてさー初夜に勃たない旦那とか超見物じゃない? それでマコトが愛想尽かしてくれたら尚最高だし」
「……」
それは一時的なものか、永続的なものか、後者なら間違いなく止めなければ、同じ男として気の毒すぎる。しかし、相手は未だに想いを残す愛しい少女。複雑な感情がそれぞれに沸き上がり、皆が皆、たしなめる言葉を躊躇した。
「ほら基本的にマコトまだ十四歳って事になってるじゃん? 幾らなんでも妊娠させちゃマズイし、良識ある大人としては 断固阻止しなきゃ」
……確かにサーディンの言う事も最もである。しかし後半部分 は、全く同意出来ないが。
「それにお返しだよ。僕睡眠薬盛られた事あるんたよね。コレくらいの報復可愛いもんだって」
静まり返った部屋の中、真っ先に我に返ったのは、自称父親であるスェだった。
「つーか止めろナスル」
お前、マコトの護衛だろうが、と促されたナスルの反応が鈍い。
「あ、今第二夫でもいいかなーとか思ってたでしょ」
からかうようなサーディンの言葉に、ナスルは不機嫌に口を開いた。
「黙れ……!」
珍しく苛立ちを表情に出してナスルは怒鳴った。しかし、その向かい側でふるふると拳を握り締めていたハッシュは、勢いよく立ち上がる。
「そうですね……! 僕候補者の中でも一番若いし、可能性が無い訳じゃありませんよね!」
「ちょ……! 流石にそれは無いだろ!」
隣にいたカイスがぎょっとした様に目を剥き、若すぎる暴走を止める。
ナスルも巻き込みぎゃあぎゃあ騒ぐ候補者達を、少し離れた場所から見ているタイスィールは小さく肩を竦めた。
「本当に君達は……」
まぁ、でも。
人妻となった君もきっと魅力的だろう。
「……大概私も諦めが悪いなぁ」
まぁ、年長者らしく若者達を見守る事にするけど。
「笑顔が曇らない程度の、チョッカイなら有りかな」
サハルが向けられる愛情に安心しきって胡座をかき、マコトをぞんざいに 扱う事もあるかもしれない。そうならない為に緊張感を与えておくのもいい。 (適度な刺激は、夫婦円満の秘訣と言うしね)
くすくすと笑いながら、タイスィールは纏めていた髪をほどき、再び外へと視線を向けた。
気にしていたのか、先程とは違いマコトはすぐに気付きまた手を振る。隣に立つサハルが訝し気に眉を寄せる程、にっーこりと、とびきり甘い微笑を返した。




