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第九十八話 成長 1(タイスィール視点)


 半日――それぞれが色んな感情を胸に潜め、一同は無言のまま、集落に降り立った。馬の紐も括らずに到着した勢いで飛び降りたサハルの手綱をタイスィールが引き取る。――馬が逃げればマコトどころか自分だって王都に戻る事が出来ないと言うのに、それすらサハルの頭から抜け落ちているようだ。


 恋とは激しいものだと、傍観者の立場で観察しながら、こうして帰りの算段を付けている自分は、彼よりもマコトを想う深さが足りないのかもしれない。


 一目見るまでは無事だと信じられない。あの男を動かしているのは、その一心なのだろう。しかし、タイスィールはそうは思わなかった。


 一度攫ったマコトを再び帰そうとしたサーディンの行動。あの感情と本能で走る幼い子供に恐らく何か、あったのだろう。



『ニシノシュウラク、ムカエニ――』


 不器用に言葉を紡いだ鳥の声は、無機質でどこか哀しく聞こえた。


 マコトのオアシスに同行していた西の人間に聞けば、サーディンは、大多数の予想を裏切り真面目に働いていたらしい。育ち始めた大地に力を送り、天候を調節し土壌を作る。派手で根気の無い彼には向かない仕事故に、働きよりも償いに重点を置いた罰は彼に良い影響を与えたのかもしれない。サーディンは、時々王都の方角を眺めては、微かに微笑み花に魔力を注いでいたらしい。



 サーディンは確かにマコトの事を想っている。


 その性格故に、想いを伝える術は拙く愚かだったけれども。





「マコトさん……っ」


 サーディンのゲルに飛び込んだサハルに引き続き、タイスィールが入ると、そこには虚ろな視線のまま、涙を流すマコトの姿があった。着衣に乱れも無い事にほっとし、さほど広くも無いゲルの中を見渡し、サーディンの姿が無い事を確認する。


 玩具箱を引っくり返した様な賑やかさは、どこか虚しく物悲しく見えて、タイスィールはそっと目を反らした。


「何も」


低く掠れた声に一同の身体から力が抜ける。けれど。


「わた、しは……傷付け、て」


 ――ああ、彼は。


 想いを告げて、傷つけて、傷つけられて、その傷を抱えたまま消えた。


 恐らく自分は口に出す事は無いであろう『告白』を告げたサーディンをどこか羨ましいと思う。


「ずっと……都合良く知らないふりをして、私なんかを好きでいてくれたのに……っ」


 黒く潤んだ瞳からぼろぼろと零れ落ちた涙に、斜め前にいたカイスが顔を歪めたのが分かった。繕う様に唇を噛み締め、それでもじっとマコトを、見ている。


 ハッシュはそれよりも分かりやすく、目に見えて狼狽した。まだ幼い彼には、少しばかり可哀想に思え、タイスィールはハッシュの後ろに立つと肩に手を置いた。ぎくりと肩を震わせたハッシュは顔を上げ、タイスィールは苦く笑って見せる。ハッシュはくしゃりと顔を歪めて唇を噛み締めた。



 彼らはきっと、今、知ってしまった。


 ――想いを告げた相手もまた、苦しむと言う事実を。ましてやマコトは初で優しい。もし、自分が告げたなら、きっとこんな風に泣くのだろう――、なんて、嫌でも想像がつく。


 マコトの目の前に跪き、涙を拭っているのはサハルだった。たった一人その資格を有する彼が抱き寄せない事に少しの苛立ちを感じつつも、それが真面目な彼らしいと思う。


 しかし今の、マコトの告白は、恋慕い想いを通じ合わせたばかりのサハルには残酷である。

 タイスィールはカイスとハッシュの間をすり抜けてマコトのすぐ側で膝をつく。


「向けられる好意全てに応えられる人間はいないよ」


 それは理想であるが夢想だ。言葉を代えれば傲慢で利己的とも言える。


「あの子はマコトのおかげで随分人間らしくなった。きっとまた大事な人が現れる。君に幸せになって欲しいからサーディンは消えたんだ。私が言うのだから説得力があるだろう?」


 見開いた大きな瞳から、また雫が零れる。ああ、そう言えば、マコトがこんな風に泣くのをタイスィールは、初めて見た。



 ――泣かないで。


 自然に伸びた手が、マコトの目元を拭う。


 どれだけ泣いたのか、その瞼も小指に当たった頬も熱っぽく、潤んだ瞳に自分が映る。物分りのいい大人を気取った自分からそっと目を逸らすと、わざとらしく肩を竦めた。


「それに、些かサハルが気の毒だ」


 想いを通じ合わせたばかりの恋人が、他の男の事を想い泣いている。

 サハルにとっては、酷く気持ちを揺さぶるだろう。


「……ぁ……」


 サハルに視線を向け、マコトは小さく後悔を漏らした。


「私の事は放っておいて下さい」


 マコトの背中を撫でながら、サハルは憤りをぶつける様な厳しい視線を送ってくる。


(気を効かせたつもりなんだけどね)


 皮肉る口調になったのは、未だ心の奥底に燻る妬ましさだろうか。


「行きましょうか。ここにはもう結界も無く夜になれば獣がうろつきます。傷が開くといけませんから私が運んでも構いませんか」


 あくまでもマコトの意思を聞く為に、サハルは確認の言葉を乗せた。衣服に乱れは無く、そう言った形跡も見られないが、顔見知りとは言え男に誘拐された事は、マコトにとってもショックだったはずだ。


 触れてもいいか――と、言外に尋ねたサハルに、少し落ち着いたらしいマコトは珍しく素直に頷いた。先程のタイスィールの 言葉を聞いて、気を遣ったのかもしれない。



「……似た者同士だね」


 故に惹かれ合うのか。

 それはタイスィールの完敗の言葉だった。




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