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第九十六話 流転 2


 ふいに周囲が明るくなり、マコトははっと我に返った。


「マコトさま?」


 眩しさに目を細めて声のした方を振り向くと、扉の前で立つサラの姿があった。手に持つ明かりに照らされたサラの顔が不思議そうにマコトを見つめていた。


 眠っていたと思っていたマコトが起きていた事に驚いたのだろう。しかも薄暗い部屋に明かりも灯さず、ぼうっとベッドに座り込むマコトの姿はさぞ不気味だったはずだ。誤魔化す様に「今起きた所なんです」と、マコトはサラに笑って見せ、部屋を見渡した。いつの間にか日は落ち部屋はすっかり暗くなっている。随分と長い間ぼうっとしていたらしい。




 サーディンが去った後、ナスルは次いで入ってきた護衛にサーディンを追う様に伝え、その場に残った。


「一体何があったんですか」


 以前とは違う気遣わし気にかけられた声に、マコトはすぐに答える事が出来なかった。唇を戦慄かせ、俯いたマコトにナスルは、微かに眉を顰めた。


「王に報告します」


 淡々と告げられた言葉にマコトは驚き顔を上げた。

 そしてナスルの表情を見てそれが本気であると知り、重い唇を開いた。


「あの、違うんです。私が、……」


 立ち上がり駆け寄ったマコトにナスルの手が伸びた。首筋から髪を掬い上げられ、ナスルの目がすっと険しくなる。


「……血が」


 至近距離故に囁きに近い声は、ナスルにしては珍しい苛立ちを含んでいた。


「こ、れは……その、私が悪いんです。サーディンさんを傷付けてしまってそれで……」

「消毒しましょう」


 マコトの声を遮り、ナスルはマコトに寝台に戻る様に言うと開け放たれたままの扉を締め、唇を引き結んだままくっきりと歯形の残った首を消毒し慣れた手付きで手際良く包帯を巻いてくれたのだった。



 治療の間もマコトは必死に黙っていてくれる様に頼んだが、生真面目なナスルは一向に折れてくれなかった。恐らく報告は、王と頭領それに……サハルにも伝わるだろう。


 そっと首に触れ、溜め息をつく。


 ……『イール・ダール』を傷付けたサーディンにお咎めが無い訳が無く、ナスルの仕事は自分の護衛である。動転していたと言え、少し考えればナスルの報告は当然でありそれが仕事である。きっと恨みがましい目で見ていたに違いなくさぞ困らせただろうと、今更ながらマコトは反省していた。


「ナスルさんにも謝らなきゃ……」

「マコトさま?」


 ぽつりと呟いた言葉をサラが耳聡く拾う。いえ、と首を振りかけてマコトは再び口を開いた。頭領には、サーディンの事ははっきりしなかった自分が悪かったのだと直接自分から話した方が良いだろう。


「あの、頭領は今お忙しいですよね?」

「ええまぁ……何かご用事でも? 生憎、頭領は街の方にいまして、暫く城には戻りませんわ。カイスなら城に残ってますけど」

「そうですか……」


 頷きつつ頭を巡らせる。カイスにサーディンの事を相談しても火に油を注ぐだけに違いない。かと言ってサハルに相談すべき事でも無い気がする……と言うよりは、何か後ろめたい気がして。


 同じ体勢をしていたせいか身体の節々に鈍い痛みを感じる。傷に響かない程度で身体を伸ばしていると、部屋の燭台に明かりを点けていたサラが顔を上げた。


「あら着替えられたんですか? お手伝いしましたのに」


 何気ない口調で首を傾げたサラにぎくりとして、マコトはシーツを握り締めた。

 首に巻かれた包帯に気付かれたくなくて、ナスルが出ていった後、首まで覆われたワンピースに着替えたのだ。俯きがちになったマコトを見て、サラは何か思い付いた様に口元を手で覆い微笑んだ。


「ああ、きっとイブキ様にからかわれたんでしょう。でも、マコト様今更ですわよ」


 くすくすと声を立てて笑うサラにほっとする。どうやらサハルが付けたキスマークにようやくマコトが気付いたのだと思ったらしい。首筋にそっと手をやって、マコトは曖昧に微笑む。今は照れ臭さより、サーディンの事が気にかかってた。


「でもまぁ本当に暫くはお控え下さいませね……あら、噂をすればきっとサハル様ですわ」


 こんこん、と控え目なノックの音が部屋に響き、サラがぱたぱたと部屋を横切る。サラの後ろについてきたのは、サラの予想通り、サハルだった。


 あの夜以来、仕事を終えた後そのままマコトの部屋に寄り、夕食を運んでもらい一緒に食べて夜までの一時を過ごすのがここ最近の日課だ。


「お加減はどうですか?」


 いつもと同じ気遣う挨拶にマコトは、少し緊張して頷く。


「はい。大丈夫です」

「それは良かった。後で、ニムが顔を出すと言っていました」


 ニムは現在マコトが心配だからと、サハルが使っている部屋で寝泊まりをしており、マコトの手持ち無沙汰に気付いているのだろう、昨日の昼も尋ねて来てくれた。――盛大にからかわれたりもしたのだが。


「じゃあ一緒にご飯食べられますね」

「ええ、あの子は人一倍元気ですから賑やかになりますね」


 苦笑したサハルにマコトも微笑みそっと目を伏せる。


 サハルと顔を合わせるには、やはりどこか気まずい。何も言わない様子から察するにサハルにはまだ伝わっていないのだろう。


 食事までまだ間があるからと、サラがお茶を用意していると先程話題に出てきたニムが賑やかに入って来た。挨拶もそこそこにマコトの寝台に腰を下ろし、サラにお茶を催促する。


 そんなニムを嗜めた後、サハルは思い出した様にマコトに顔を向けた。


「そうだ。マコトさん。お披露目の後の事なんですがどうしますか? 暫く滞在するのなら王はこのまま部屋を使ってくれても、本宮に来て貰っても構わないと仰ってはいますが、……でも、西の村の皆も戻ってくるのを心待ちにしてますでしょうし」


(ちゃんと考えてなかったな……でも、西の集落にも住む所用意して貰ってるし。戻った方がいいのかな……)


 どうすればいいのかサハルを見ると、彼は困った様に笑った後、シーツの上に揃えたマコトの手を握った。


「願わくば一緒にいたいんですけどね。嫁入り前だとうるさい方々がいますし」

「……それは私の事ですか。サハル様?」

「まさか」


 ぴくり、と眉を吊り上げたサラにサハルは、やんわりと首を振る。


「サラさんはどうなさるんですか?」


 そういえば一応自分付きの女官である彼女はどうなるのだろうか。


「私はマコト様付の女官ですから、例え結婚なさってもついて行きます!」

「うわぁ、超お邪魔虫……」

「ニム!」


 げんなりとした声で呟いたニムに、サラは顔を真っ赤にさせ、きっと睨み付けた。


「まぁ、マコトさんもまだこちらの世界に来て間がありませんし、サラに付いていて貰う方が私も安心です。しかし、その場所となると難しい」


「そうなんですか?」


 首を傾げたマコトにサハルは苦笑し、それを見ていたニムは弄っていた毛先を離すとマコトに視線を向けた。


「アンタちょっとは気付きなさいよ。お兄ちゃんとしては王都に残って欲しいけど、文官やら武官やら親衛隊とか若い男がいっぱいいるし、かといって村に帰らせるといいトコ一週間に一回会えるか会えないかでしょ」


 思いも寄らないニムの言葉に、マコトはサハルを見る。

 それは、自分と離れたくないと思ってくれていると言う事だろうか。


「……否定はしませんが。でもマコトさんが好きな様にして下さいね。別に定住しなくてはならないと言う訳では無いのです。ただ王都に残るなら後見人は私になるでしょうし、一月に一度は村にお帰り頂く事になると思います」


 驚いた様なマコトにサハルは苦笑した後、穏やかな声で説明を始めた。


「あの、……王都に残ったらハスィーブのお手伝いはそのまま続けても良いんでしょうか」


 ずっと前に考えてた事を尋ねてみる。

 それを聞いたサハルは、ああ、と頷いて微笑を浮かべた。


「そうですね。それが一番安心です。では、正式に雇用契約を結びましょうか」


 願っても見ない申し出にマコトは頷きかけ、その動きを止めた。……サーディンも宮廷魔導師である。おそらく王城にいれば顔を合わせる事になるだろう。もしかしなくとも顔も見たくないと思うかもしれない。


「……あ、いえ。やっぱりもう少し考えてもいいですか。あの、いつまでにお返事をすれば」 


 マコトの様子に、サハルは少し不思議そうな顔をしたが、すぐに穏やかな表情を作り安心させるように「いつでも結構ですよ」と頷いた。

 

いつもより言葉数が少ないマコトに、三人は体調が優れないのだと思ったらしい。夕食も早々に済ませ、マコトに気遣う言葉を掛けてから、部屋を出ていった。



(ちゃんとサーディンさんと話して……)


 とりあえずこのままでは駄目だ。


 もう遅い時間だろうか。そろそろ眠らなければ、明日顔色が悪ければサラとサハルも心配するはずだ。


 静かな夜。


 しかし何か違和感を感じ、マコトは身体を横たえたまま視線を巡らせる。

 薄い月明かり。虫の声。冷ややかな風を感じ――マコトは首を傾げた。


「……あれ……?」


 眠る時は必ずサラが戸締りをしてくれているはずである。

 それにいつもならもう少しささやかな虫の声が、今日は嫌に耳に付く。


(窓開いてるのかな)


 確かめようとマコトは上半身を起こす。微かに溶けた飴の様な甘い匂いがして、後ろから誰かに抱きすくめられた気がした。そのまま身体の力が抜け、最後に見たのは血の滲んだ薄い唇。


 月の光が艶やかな蒼い影を照らした。






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