第十一話 同胞 1
別れ際の言葉通り日が昇ってすぐに、タ イスィールはマコトを迎えに来た。
「おはよう。マコト」
甘い匂いまでしてきそうな、艶っぽい声は寝ぼけた頭に刺激が強すぎる。しか も耳元で囁かれて飛び起きたマコトは、心臓が口から飛び出そうな程驚いた。
どくどくと煩く鳴る心臓を落ち着かせ、手早く身支度を整える。昨日の乗馬で 慣れない筋肉を使ったせいか、太ももがこれでもかというくらいの凄い筋肉痛だった。
二人は言うよりも早く――こういう事に疎そうなアクラムさえも、紳士的にゲ ルの外へ出てくれたおかげで、痛む身体を庇いながらも、気を遣う事無く着替え が出来た。
「こちらの服もよく似合うね」
ゲルに入ってきたタイスィールは、こちらの衣装に着替えたマコトを見て、に っこりと笑う。
「……ぁ、ありがとうございます」
今日の服は、昨日袖を詰めた薄いベージュのワンピースと黒のズボンだ。既に 袖を詰めた紺色か迷ったが、何となくカイスと鉢合わせしたら怒られそうな気が してこちらに決めた。店の店主が 揃えてくれたのは、若い娘が好みそ うな華やかな……し かも薄い色が多かった。
(汚さないようにしよう……)
そう思ったものの、既に自分自身が相当汚い 気がする。炎天下だと言うのに丸 二日風呂に入っていないのだ。
(ここにいる人達はどうしてるんだろ……)
砂漠の真ん中で、水が貴重だと言う事はマコトにも分かる。昨日は、サハルが顔を洗うようにと、たらいらしきものに水を入れて渡してくれた。
……同じ事を、今日も期待しては駄目だろうか。
昨日タイスィールに連れられ、アクラムのゲルに着くまでに、周囲をくまなく探してみたが、井戸も水場らしきものも無かった。
タイスィールに続いてゲルに入ってきたアクラムは、相変わらずマイペースで 、既に定位置で瞑想を始めている。その様子を眺めながらマコトは小さく溜め息 をついた。
(やっぱり、サハルさんが、特別気がきくだけなんだよね……)
ぴくりとも動かないアクラムを見てそう思う。
……そもそもアクラムはいつ寝たのだろう。二枚目のワンピースの丈を詰めて、明日早いから、と長老の物だと言う寝袋らしき寝床に先に寝かせて貰ったのだ。随分と遅くまで起きていた気がする。うつらうつらとし始めていた目には何か作 業をしているアクラムの姿が映った。
何気なくアクラムを見ていたら、突然目が開き、ばっちり目があった。
「マコト」
まじまじと見ていた事を咎める響きは無かったが、淡々とした声音は却って怖い 。
「……はい?」
恐る恐る返事を返すと、アクラムはごそごそと袂から何かを取り出した。
「これを塗っておけ」
ぼんと放り投げられたものをマコトは間一髪で受け取る。手の中にあったのは 、緑色のジェル状の何かが入った小さな瓶だった。
「日焼け止めだ。『イール・ダール』は肌が弱いと聞く」
「え、あ、……有難うございます……」
確かに、歴代の『イール・ダール』が地球のどの国から来たのかは知らないが、 砂漠出身だという人間はきっと少ない。この炎天下の環境で生まれた時から暮らして来た 人間とは比べ様もなく、肌が弱いという事になるのだろう。
(夕べ作業してたのって……)
まどろみながら見ていた光景を思い出し、マコトは既に瞑想しているアクラムを見つめる。
もしかしなくてもこれを作ってくれていたのだろうか。瓶から微かに香る薬草の匂いを 昨夜嗅いだ気もする。
わざわざ自分の為に――そう思うとマコトは胸の奥がざわついた。サハルと同じ、 慣れない優しさがくすぐったい。
「じゃ、行こうかマコト」
「あっ……はい。あの、アクラムさん。本当に有難うございました! じゃあっ行ってきます」
マコトはアクラムに向かって何度も頭を下げてから、マントを手にし部屋を出て行った。
二人の足音が遠のき、一人残された部屋の中でアクラムはそっと目を開いた。
「……騒がしい娘だ」
そう呟き、しかしすぐに硬く瞼を閉じると、アクラムは再び瞑想に戻った。
* * *
ようやく目的の場所に到着し、馬から降りたマコトは、大きく伸びをした。
――今日も空は青い。雲は地平線に寄り添うように沈んで綺麗なグラデーションを作っていた。
「一応まだフードを被っててね」
タイスィールの言葉にマコトは素直に頷き、 目深に被り直した。
(……私の存在って、あんまり他の人に知 られちゃいけないのかな?)
昨日のサハルの言葉を思い出しながら、マコトは前を行くタイスィールの背中を無言で見つめる。
声に出して確かめるのは何故か躊躇われた。――怖い、のだろうか。この世界で『イール・ダール 』の存在は異端に違いない。ムルシドを含め出逢った人 間は歓迎してくれているが、違う場所ではそうとは限らない。
(深く考えない様にしよ……)
見知らぬ世界で迫害などされたくは無い。
まぁ今は支障が無いから聞かなくても良い事の様にも思えて、やっぱりマコトはその問いを口にする事は無かった。
タイスィールがマメに休憩を取ってくれたおかげで、昨日程疲労感は無かった。
今日は後ろでは無く前に乗る様に薦められ、マコトは素直に従った。
昨日は、乗ったと思ったらいきなり凄いスピードで走り続け、必死にカイスの腰に掴まっていて、目線が高いのも相俟って「怖い」としか思えなかったが、今日は違った。
腰を支えられ、後背気味に背筋を伸ばせば安定する。タイスィールから分かり やすくコツを教えて貰い、緊張せずに乗る事が出来た。
ただやはり慣れない筋肉を使っているせいで、太ももが固く張る。明日こそ筋肉痛で動けなくなりそうで、マコトは 不安になる。
(筋肉痛に塗る薬とかあるかなぁ……)
ポケットの中の日焼け止めを見下ろし、マコトはそう思う。
(無さそうだよなぁ……)
そもそもこの世界で筋肉痛になる人間などいなさそうだ。
長い移動時間で、マコトはタイスィールからこの世界について 色々な事を聞いた。
タイスィールはマコトが思っていたよりも親切で、話も上手く、時には冗談も交えて説明してくれたおかげで 歴史の話も退屈だとは感じなかった。
『……そういえば、移動方法ってラクダじゃなくて馬なんですね』
歴史を聞いている途中で、呟いただけのそんな質問にもタイスィールは丁寧に 答えてくれた。
『ああ、昔はラクダで移動していたんだけどね、今は、馬に体温調節の魔法を掛 けてある。おかげで随分時間が短縮出来るようになったんだ』
『そんなに遅いんですか?』
『うん。歩くのと同じ位かな。……ああ、でも荷物が多い時は重宝するんだ。一頭で二百キロくらいは 積めるからね』
そんなに、と思う。自分の世界にも存在した動物なのに、知らない事ばかりだ。
乗ってみたいなぁと考えていたのが顔に出たのだろう。
『そんなに優雅なものでも無いけどね』
くすくすと笑いながら、タイスィールはマコトの顔を上から見下ろした。
そんなやりとりを馬の上で繰り返して、およそ二時間程で『イール・ダール』が いるというオアシスに辿りついたのだ。




