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第十話 占い師


「残念だけどカイス。その役目は私が頂こう」


 聞き覚えのある艶やかな美声は、ある意味忘れられない。マコトはびくっと大きく身体を震わせ、声のした方に視線を向けた。


「タイスィール、さん……」

 昨日深夜にからかわれた事は記憶に新しい。

 何より彼からの褒め言葉や甘い言葉は不相応すぎて、どう返せばいいか分からなくなってしまう。少し苦手かもしれない、と言うのが彼に対しての正直な印象だった。


「早かったですね」


 突然のタイスィールの登場に、サハルはそう言って空を見上げた。

 まだ夕暮れにも早い。


「まぁね、でも、ちゃんと北の砂漠まで流して挨拶してきたよ」

 タイスィールは、意味深な笑みを浮かべて、マコトを見る。

(な、なんで私を見るのかな)

 そう思いながら、マコトはさり気なく足を動かしタイスィールとの間隔を取った。


「なんでお前なんだよ。いいって明日も俺がコイツに付き合うし」


(カイスさんナイスです……っ!)


 納得のいかない顔で反論したカイスに、マコトは目を輝かせる。今日一日過ごしただ けだが、カイスはやや強引ながらも、基本的に優しい事が分かった。そばにいるだけで緊張し そうなタイスィールよりも、まだ話しやすいカイスに案内してもらいたい。


 しかしマコトの気持ちを知ってか知らずか、タイスィールは、その言葉に、 おや、と片眉を上げた。


「カイス。君明日は会議があるだろう。父上についていく予定だったろうに。サハルは王都。明日の捜索はアクラムの番だ。――残るは私しかいないだろう?」


 うっと呻いて黙り込んだカイスに、マコトはがっかりする。


「準備すんの忘れてた……っ」とぽそりと呟き、背中を向けたカイスを見送ろうとして、ある事に気付いた。急いでカイスの服の袖を引っ張る。


「あの……今日は本当に有難うございました。連れていって貰えて嬉しかったです」

 深々と頭を下げたマコトに、カイスは悲壮感漂っていた表情を幾分和らげた。


「おぅ」

 短く呟くと、カイスは観念したように溜息をついてひらひらと手を振り、馬を引いて自分のゲルに向かって歩き出す。おそらく忘れていたという準備をする予定なのだろう。


(会議に出る、って事はカイスさん偉い人なのかなぁ……馴れ馴れしくしすぎたかも)


 カイスの後ろ姿を見送っていたマコトに、タイスィールは口を開いた。


「じゃあ行こう。今日はね、アクラムのゲルだ。色々変わったものがあるから 面白いかもしれないよ」


 タイスィールの顔を見上げ、マコトは物言いたげにじっと見つめる。それに気づ いたタイスィールは、小さく首を傾げた。


「どうしたの?」

「私、は、あの……サハルさんの所に……」


 しどろもどろに紡いだマコトの言葉に、サハルは一瞬嬉しそうに表情を綻ばせた 。そんなサハルの様子を見つめタイスィールは苦笑する。しかしゆっくりと首を振った。


「サハルは今晩から出発するんだ。それに権利は平等にあるからね。 君には候補者のゲルをまわって貰わなくてはいけない。――何も決断を急ぐ事はないんだ。それともアクラムが嫌なら 私のゲルに来るかい?」


 タイスィールの言葉にマコトはブンブンと首を振る。


「……ふふ、冗談だよ。僕の番はカイスの次で明後日だ。長老はどんな基準で決 めたんだろうね?」


 楽しげに笑みを深めて、タイスィールは地面に置いていた今日の荷物を, 両脇に抱えた。


「あ、自分で持ちます!」

「女の子に、こんな重いもの持たせられないね」


 ウインク付きでそう言われて、条件反射の様に固 まってしまったマコトの肩をサハルがぽんと叩く。はっと我に返り 振り向くと、サハルが申し訳無さそうに口を開いた。


「そういう事なんです。明日の夜には戻りますから。これ、裁縫道具です。お使いになると思って用意しておきました」

「あ、有難うございます……」


 サハルが差し出した小さな皮製の袋を、マコトは有り難く受け取る。

 そう、今日買ってきた服の袖や裾を短く繕わなければならないのだ。


(ホント、サハルさんにはお世話になりっぱなし。何か返せる物とか、 ……私にでも出来る事って無いかなぁ……)


 そう思って考えてみるが、悲しい事に何も思い浮かばない。

 ……そもそも自分はいつまでここに置いてもらえるのだろうか。十年ぶりの『イール・ダール』だからと 大事にされているのは分かる。けれどまだ成人していない事になってる自分は、結婚も出来ず、 中途半端な状態だ。


(いっそ出て行った方がいいのかな……)


 ここにいれば、誰か一人は自分の伴侶として選ばれてしまうだろう。 夫の仕度も食事の仕度も出来ない――どころか、この世界の 常識すら知らない伴侶を迎える事になる男が、正直気の毒だと思う。


(何か出来る事見つけて、自活しなきゃいけないよね。でも、私何の取り柄も無いし……)

何となく暗い気持ちになりつつも、マコトはサハルに別れの挨拶をして、タイスィールの後を追った。




* * *




「あれがアクラムのゲル。元は長老の物だから一番造りがしっかりしてるんだ」


 タイスィールはそう言って、ゲルのほぼ中心、一際大きなゲルの扉を指差した。


「アクラム入るよ」

 扉を三度叩いてから、中に向かってそう声を掛ける。

 答えは無かったが、タイスィールは躊躇する事無く扉を開けた。


「ほら、マコトも入って」


 ゲルの中に入っていたタイスィールは、入り口で躊躇っていたマコトに声を掛ける。 おそるおそるマコトが中に足を踏み入れると、まず天井まで届く大きな棚が目に入った。その中に は所狭しとガラスや陶器の瓶が並んでいる。続いて壁に掛かっている不思議な 模様の布、動物か何かの骨。乾燥させた草。真ん中に 魔方陣らしきもの――その中心に全身黒づくめの 男が胡坐をかいて座っていた。


(……変わった人……)


 マコトは不気味な部屋の雰囲気と、一体化した男を見てそう思う。


「アクラムは占い師と、薬師を兼ねているんだ。何かあったら 彼に言うといい」


(薬師って……、お医者さんの事よね。古典で習った気がする)

 そういえば漢方薬らしき匂いがする。マコトは鼻を動かしながら、 再び周囲を観察する。では、壁に掛けられた骨や草や棚に並んだ瓶の中に入っているのは、 薬の材料なのだろうか。


「アクラム。マコトだよ」


 戸口に立ったままタイスィールはアクラムに向かってそう声を掛けた。 すると、目深に被っていたフードがほんの少しだけ動いた。


「『イール・ダール』……」

「そう。我々の花嫁だよ」


 歌うようにタイスィールは答える。


(その紹介のされ方は、ものすごく嫌です)


 心の中だけで突っ込んで、マコトは部屋の雰囲気に圧倒されながらも、タイスィールの隣に立ち、 自分の名前を名乗った。


「マコトです」

「……アクラムだ」

「お世話になります」


 ぺこりと頭を下げたマコトに、アクラムは頷くように俯いたかと思うと、そのまま沈黙してしまった。


(タイスィールさんとは別の意味で、掴めない人だなぁ……)


 すっぽりと被ったフードのせいではっきりとは分からないが、尖った顎やす っと伸びた鼻筋から察するに彼もきっと美形なのだろう。


(ああ、なんかちょっと凹むかも。この世界ってほんとに美形しかいないのかなぁ……)


 それ以上会話が続かず黙ったままマコトが立ち尽くしていると、 背後からタイスィールの声が掛かった。


「じゃあ、明日、夜明け過ぎに迎えに来るよ。少し遠いからね。 準備しておいて」


 しんと静まり返ったゲルの中。マコトは一歩も動かず硬く瞼を閉じて座り続けているアクラムを見て、邪魔をするべきじゃない、と判断する。


(サハルさんに聞けなかったこの世界の事、まだ色々聞きたかったんだけど……)


 気軽に話しかけられるような雰囲気では無い。今日も本当ならカイスに教えて貰うつもりだったが、 馬に乗っている時は掴まっているだけで精一杯だったのだ。


 マコトは仕方ない、と諦め、タイスィールが運んでくれた荷物を物色する。ここはひとまず 服を直す事にしようと思ったのだ。正直、仕事があって良かったと思った。こんな状態で二人でゲルにいたら息が詰まりそうだ。



「『イール・ダール』」


 荷物の紐を解き、どれから直すかと物色している所へ、突然アクラムが口を開いた。


「……はい……?」

 自分の事か、と一瞬考えたせいで返事に間が空いた。

 しかし何を言われるのだろうとマコトは、アクラムを見つめる。表情は変わらない所か、瞼さえ開いていない。一瞬空耳だろうかと思ったが、マコトが首を傾げるよりも早く静かな低音が続いた。


「何故嘘をつく?」


 その言葉にマコトの身体が凍りつく。


「あ……」

 嘘、と言われれば心当たりは一つしか無い。


(もしかして、バレてる……?)


 周囲に疑ってるものなどいなかった。今日一日一緒にいたカイスなど、もっと下かと思った、と 真顔で言われた位だった。どうしてバレたのだろう。


「何を言って……」


 とりあえずそれとは限らないし、と引きつった笑みを浮かべてそう呟いた言葉を、 淡々としたアクラムの声が遮った。


「年齢を偽った理由について聞いている」


(やっぱり……!)


 気付いていたのだ。

 どうしよう、と考えるよりも先に、真っ直ぐに向けられたアクラムの視線に困惑する。そこで初めて彼の瞳の色が金色だと言う事に気付いた。深い黄金色の双眸にまるで見透かされる様なその瞳は自分を責めている気がした。


「……ぁ……」

 マコトは手にしていた布をぎゅっと握り締め、 搾り出すように吐き出した。


「……あの、……私はまだ十八で、この世界では大人かもしれないんですけど……っ向こうの世界じゃ、ようやく高校卒業したばっかりで……」


 我ながらつまらない言い訳としか思えない言葉に、 マコトはぎゅっと眉を寄せる。

 けれど、それが正直な気持ちだった。


 暫く沈黙が続く。アクラムは静かな表情のままマコトに再び問いかけた。


「一族の男との婚姻が嫌なのか」


 今更何を言っているのだろう。マコトは睨み付ける様にアクラムを見た。


「決まってるじゃないですか。知らない人といきなり 結婚しろだなんて……有り得ないです……っ!」


 勢いのままそう叫んだ事を、マコトはすぐに後悔した。

『イール・ダール』――未来の一族の誰かの『花嫁』だからこそ、自分は ここに滞在を許されているのだ。それを拒否するなど、出て行けと言われ ても仕方無いと思う。こんな砂漠の中で放り出されたら、間違いなく 死ぬ。


 何を甘えた事を言っているのか、そう返されると思った。

 しかし、次の瞬間、アクラムはあっさりと頷いたのだ。


「そうか、分った」


 そう呟いて、再び瞑想に戻る。

 それは一体何に対しての返事なのか。マコトはやはり掴み所の無いアクラムの様子に、困惑を隠せなかった。

 マコトが不思議そうに凝視している事に気づいたのか、 アクラムは瞼を閉じたままふっと眉を寄せた。


「何だ?」

「いえ……あの、私が成人してるって、他の人に言いますよね……?」

「何故」


 真顔で聞き返されて、マコトは返答に困る。


「何故って……」

「私は理由が知りたかっただけだ。お前にはお前の考えがあるのだろう」


 マコトは眉を寄せ、アクラムの言葉の意味を考える。


(……とりあえず助かったって事……?)


 もしかすると、純粋に自分が知りたかったから、 アクラムは聞いたのだろうか。


「……」

(……やっぱり変わった人だ)


 とりあえず分かった事は、アクラムはこの事を誰にも言う つもりは無いと言う事。つまり、あと暫くは このまま今の状態でいられるという事なのだろう。


 ようやく肩の力を抜いてマコトは、握り締めていた手の 中の布を絨毯の上に置き、アクラムに向かって小さく頭を下げた。


「あの、有難うございます」

「何の礼だ」

「その、黙っていてくれる事についてです」


 安堵の溜息と共に漏らしたマコトにアクラムは、「興味無い」とつれない言葉を返した。


(悪い人じゃないのよね……きっと)


 変わってはいるが、先程より側にいるのが苦では無い。

 現金な自分にマコトは苦笑いしつつ、やはり再び 「有難うございます」と繰り返した。


 少し間が空いて、アクラムは抑揚の無い声で 占い師らしい言葉を呟く。


「ただ偽りは自分に咎となって返ってくる。――それだけは覚えておけ」


「……そう、ですね」


 アクラムの言う事は何となく理解できる。けれど今 結婚なんて考えられない。

 それきりアクラムは黙り込んでしまい、マコトは溜息をついた後、 再び布を物色し始めた。



「マコト」


 ふいに名を呼ばれて、マコトはまたアクラムに視線を戻す。


「顔が赤い」

「え? ……ああ、日焼けしてしまったみたいですね」


 出かけにサハルに注意された通り、市ではフードを目深に被 りなるべく下を向いていたが、やはり焼けてしまった様だ。ほんの少しだけ鼻の先がひりひりしているが、冷やす程のも のでは無いだろう。


 鼻先を指先で撫でてマコトは再び口を開く。


「熱とかじゃないから、大丈夫ですよ?」


 薬師と言っていたから、やはり気になるのだろうか。

 マコトが首を振ると、アクラムは少し考えるよう に天井を仰いだ後「そうか」 と短い返事をした。


(……そういえば何で、アクラムさん私の本当の年齢分かったんだろ……)


 針に糸を通しながら、マコトの頭にふとそんな疑問が過ぎったが、――その答えを知るのは まだまだ先の事だった。






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