第一話 はじまり
乙女ゲーム風がっつりベタな王道の逆ハーレム小説です。苦手な方は脱出を!
高架の側の二階建ての古いアパートの階段を上り、所々塗装が剥がれた鉄の扉の前を三つ通り過ぎる。 佐々木、と遠慮がちに小さな右上がりの文字で書かれたプラスチックのプレートが掲げられた扉の前で、少女は足を止めた。
卒業証書と思わしき黒い筒と、透明のセロハンに包まれたカーネーションを片手に移し、 分厚い紺色のコートのポケットの中から、剥げた子猫のキーホルダーのついた鍵を取り出す。
「……っと」
焦りすぎたのか、鍵穴に差し込もうとした直前で鍵をすべり落としてしまった。 ちゃりんと鈴が地面に落ち、鍵と離れてころころと階段のほうに転がっていくのを目で追い掛けて溜息をつく。
「ちぎれちゃった」
百円ショップでアヒルと子猫のキーホルダーを母と購入したのは、もう三年も前だ。編みこまれた紐の部分は確かに擦れて細くなっていた。値段を考えればよく保った方だろう。
片割れのアヒルの鍵は仏壇の前にある、母の遺影とともに。
『まことー! ノリ悪いよ~! 卒業式くらいバイト休みなよ!』
鍵を取ろうと屈んだ拍子に握り締めていた一厘のカーネーションの鮮やかな赤色が目に飛び込み、先程まで一緒にいた友人の言葉がふいに蘇った。
彼らは今頃、高校生活を思い出し、楽しく過ごしているだろうか。
真は無意識に唇を噛み締める。
(私、感じ悪い……)
何の罪も無いクラスメイトを妬む自分に気付いて、真はいっそう気分を暗くさせた。いつもより感傷的になってしまうのは、やはり今日が卒業式だったからだろうか。
真はアパートからさほど離れていない公立高校に通っていた。 一年前に母が亡くなり、他に身寄りもない状態で、当時は高校を辞めるべきかと悩んだが、わずかばかりだが母が保険金を残しておいてくれたおかげで、何とか無事に卒業する事が出来た。
それでもやはり金銭的な余裕は無く、学校が終わればアルバイトに明け暮れる日々。しかし辛いばかりでは無かったのも事実だ。アルバイト先の小さなレストランの店長夫婦がどちらも気さくな人物で、母を亡くしたばかりの真を心配し、気にかけて可愛がってくれていた。
今日も折角の卒業式だからと休みをくれたが、臨月の奥さんの事を考えると、甘える事は出来なかった。それに就職先まで世話して貰ったのだ。
母の入院などで突然休みを取っても文句ひとつ言われた事が無い。 いつも二人は優しく、真もこの夫婦が好きだった。役に立ちたいと思ったからこそ、自分から今日のバイトを申し出たのに、こんな気分になってしまったのが申し訳ない。
(……っよし! お母さんに卒業報告して、バイトにいこう!)
軽く頭を振って沈みがちの思考を切り替え、真は勢いよく鍵を拾い上げた。
階段の方に転がった子猫の鈴を取りに向かう。
屈みこんで子猫を拾いあげようとした時、子猫のすぐ横の床に小さく穴が空いている事に気づいた真は、ふと首を傾げる。まるで電動ドリルで開けた様な綺麗な穴だった。見下ろした先は、予想していた一階の風景では無く、真っ暗な闇だったがコンクリートの分厚さ故だと不思議にも思わなかった。
(なんだろ……何か工事でもするのかな)
何はともあれ、落ちなくて良かったと、穴のすぐ 近くにあるキーホルダーを拾い上げようとしたその時、横にあった筈の黒い穴に 子猫が落ちていった。
「え?」
呟いた途端、その穴は一瞬にして大きく広がり、華奢な少女の身体を飲み込んだ。
高架の上を電車が走る音。通過したその向こうに、赤い夕陽が見えた時には、少女の姿も巨大な黒い穴もすっかり消え失せていた。
2007.9.28




