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第5楽章 「光ある現世へ…」

 飛び込んだ鏡の中には、左右の反転した地下練習室が広がっていたの。

 元の世界と違ってドアが張り開けられているのが、何より私を安心させたよ。

 多分、この男の人が張り開けたんだろうね。

「気をつけてくれ。割ったら終わりだからな。」

「う、うん…」

 何度も念押ししてくる男に頷き、私達は慎重に全身鏡を運び出した。

-現実世界にある地下練習室のドアは閉まったままなんだけど、この全身鏡はどうなっているんだろう。

 鏡を運んでいる途中で、そんな疑問が湧いてきたの。

 それで物は試しとばかりに、運ぶ途中で鏡を覗き込んでみたんだ。

 そしたら現実世界にある方の全身鏡も、地下室の廊下に移動していたの。

 もしかして、この全身鏡はSF映画で言う「特異点」にでもなっていて、現実世界でも物体をすり抜けられるようになっていたのかな。

 科学者でも理系でもない私の頭では、正確には解き明かせないけど。

 いずれにせよ、そんなのは大した問題じゃないね。

 今の私にとっては、脱出出来るかどうかの方が最重要課題だもの。


 消灯されてエレベーターが動かないので、階段を使わなくてはならなかったり。

 左と右が反転しているので、どっちに行けば出口なのか戸惑ったり。

 色んな事はあったけど、キャンパス内の木陰に何とか鏡を運び出せたよ。

 閉じ込められている間に一夜が明けていたみたいで、堺音大の校舎群は朝焼けに赤く染まっていたんだ。

 鏡の中でも、昼夜の区別はあるみたいだね。

「じゃあ、君が先に行ってくれ。」

 御言葉に甘えて、私が先行する事と相成ったんだ。

 それに学生である私だったら、早朝のキャンパス内をウロウロしても、そんなに不自然じゃないからね。

「よっと…」

 さっきと全く同じ要領で、私は鏡の中を潜り抜けたの。

 連休中の早朝という事もあり、キャンパス内に人気は無い。

 だけど案内板の文字から、ここが正常な世界である事は一目瞭然だったよ。

 近くの幹線道路を走る自動車のエンジン音に、雀やカラスの囀り声。

 今までの日常生活で何気なく聞き流していた色んな音が、こんなにも懐かしく、そして愛しく聞こえるなんて、思ってもみなかったよ。

「私、帰って来れたんだ…!」

 そうした安心感から気が緩んでしまったのか、私の頬を涙が伝っていたんだ。


 そんな私の意識を現実に引き戻したのは、鏡の中から射すくめるように私を見つめている視線だったの。

 いけないなぁ、私ったら。

 あの男の人は、鏡の中の世界を長い間彷徨っていたんだもの。

 元の世界への恋しさは、私とは比べ物にならない程に強いはずだよ。

「大丈夫、今なら警備員さんもいませんよ。」

 不安そうな顔を覗かせる男に、私は小声で呼び掛けたの。

 悪い事をしてる訳じゃないけど、この人は音大生じゃないからね。

「済まないけど、もう少しだけ手を貸してくれないか?この鏡を壊すんだ。」

 今しがた出てきたばかりの全身鏡を、男は忌々しそうに見つめていた。

「どうして?私達、この鏡があったから脱出できたのに…」

「こんな物に人間は頼ってはいけない。人間には触れてはいけない領域が、この世界にはあるんだ。」

 言われてみれば、それも尤もな話だったよ。

 もし出入口が残っていたら、また誰かが鏡の中に入ってしまわないとも限らないしね。

「行くぞ…せ~の~で!」

「よいしょっと!」

 私は男と協力して全身鏡を持ち上げ、それを校舎の壁に叩きつけたの。

 壁面にぶち当たった全身鏡はものの見事に破壊され、バラバラになった破片が朝日をキラキラと反射して飛び散っていったんだ。

 何とも儚く、そして美しい光景だったよ。

 破壊から生まれる美もあるんだね。

「これで良い…これで良いんだ…」

 粉々に破壊された全身鏡の残骸を見つめる男は、肩の荷が下りたような穏やかな顔をしていたんだ。

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