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3日目_09

 

『佐梅原市の工場地帯で起きた爆発火災後、付近一帯に汚染された雨が降った事件で、警視庁は*日、製薬会社「トネリコ薬品工業株式会社」の本社ならびに関連施設の家宅捜索を行った。問題の汚染された雨を浴びた人間がゾンビに変貌したという目撃情報が多数あがっていることから、押収した資料を分析するとともに因果関係の判定を行う。捜査関係者が明らかにした』


 とあるニュースサイトより。



  ◇◆◇



 接触はしていないものの、私はドアと高坂君の間の狭い空間に閉じ込められていた。

 右の引戸が駄目なら左の引戸から出ればいいんじゃない? なんて思ったけれど、なんだか必死過ぎて滑稽だし、反対のドアも封じられたらそれこそ手詰まりで、その後の展開が想像できない。


「あの、もう外に出ても大丈夫だと思うよ?」


 私は恐る恐る身体を反転させた。

 ゲームにない流れはいまだに慣れない。台本のワンシーンがアドリブ劇にすり替わって、役者に丸投げされたような状態だ。

 とにかく大筋だけには影響を与えないように、言動には細心の注意を払わなければ。


「正直、衛藤には困ってる」


 そろそろ暗闇に目が慣れてきたのか、振り返って見上げた高坂君は、悩ましそうに眉間に皺を寄せていた。


「今までは、さっさとはっきりさせてくれよって思ってたんだけど、ここ数日アイツの心境も分かる気がして、複雑だよ……」

「そ、そっか」


 それはつまり、自惚れでなければ、高坂君の中での私の好感度はかなり高くて、本来の彼であれば早々に告白しているはずなのに、ゲームの制限のせいで白黒つけられない状態に悶々としているということだろうか。いや、さすがにそこまで考えるのは穿ち過ぎか。

 私は思わず考え込んでしまった。


「……ごめん、千歳。引き止めて。そろそろ、シャワー行かなきゃだよな」

「あ、そうだった」


 黙ってしまった私に高坂君は切なそうに微笑むと、解放してドアを開けてくれた。


「そう言えば、千歳。その膝どうしたの?」

「あ、これ? 昼間に思いっきり転んじゃって。明日にはきっと派手な青痣になってるはずだから、笑ってやって」

「マジで?」

「うん。会う人全員にもれなく突っ込まれちゃって大変だよ」

「ま、それ見たら言わずにはいられないわな」


 自虐的に言えば、高坂君は普段通りに屈託なく笑った。


「じゃ、行くね」

「おう」


 軽く手を振って踵を返す。

 が、次の瞬間、高坂君に名前を呼ばれて二の腕を掴まれた。

 びっくりして仰ぎ見れば、熱の籠った眼差しで見つめられる。


「こんなこと思うのは不謹慎かもしれないど、昼間は真剣に心配してくれて嬉しかったよ。ありがとな」


 言いながら、高坂君の手は肘下に向かって滑らされ、最後は手をつないだ状態みたいになった。その指先は、昼間と違って温かかった。


「うん」


 なんだかすごく照れくさくなってしまって小さく頷いた。そのまま俯いて彼の手をすり抜け、私は小走りで教室まで戻った。

 さすがに乙女ゲームの攻略対象というべきか、それとも元々の素養か。私は思わず奇声を上げたくなった。校舎の外には今日もゾンビがうろついている状況だというのに、青春し過ぎでしょう……

 気がつけば耳まで赤くなっていて、教室にいたみんなにからかわれた。




 シャワー室は戦場だった。

 限られた施設を大勢で使うのだから当たり前か。私も時間に追われながらシャワーを浴びた。

 湿布を剥がした膝は、赤い患部にぽつぽつと青い斑点が混じるという気持ち悪い状態になっていて、居合わせた人間に残念な目で見られてしまった。


「千歳っち。それ、普通の転び方じゃないと思う」

「んーと、ちょっとだけ宙を舞ったかも……」


 今日も今日とて、ドライヤーの仕上げを夏帆ちゃんにやってもらって、キャラデザそっくりに結い上げてもらう。

 本当はこのまま教室に戻って毛布にくるまり眠ってしまいたかった。が、ゲームの進行上、そうは問屋が卸さない。

 朝から晩までみっちりと組まれたイベントに、どんだけバイタリティー溢れちゃってるのさと、ゲームの自分に突っ込みたくもなる。現実の私はヘトヘトですよ。


【どこに向かいますか】


 →生徒会室

 →視聴覚室

 →第二体育館ギャラリー

 →美術室


 私はふわふわとした足取りで、第二体育館一階のシャワー室からメインフロアを見下ろすギャラリーへと向かった。一番近かったからとか、他が四階だからという理由ではもちろんない。


 第二体育館のメインフロアは、ステージのある一辺を除いて三方をギャラリーが囲んでいる。ステージと向かい合うギャラリーは用具室等の上階にあたるので十分な広さがあった。

 そこで、一早先輩を含む警備班の面々が、武器や防具、屋外に設置するバリケードの作成やメンテナンスを行っていた。


「一早先輩」

「萌。お疲れ。……どうした、その膝」

「よんどころない事情により……」


 私は一早先輩に声を掛けて作業を手伝っていただのけど、気がついたらギャラリーに置いてある新体操部のソフトマットの上で爆睡していたのだった。どうしてこうなった!

 途中二人で抜け出して、屋上で星を見るイベントだったというのに……


 焦って上体を起こすと、身体にかけられていたブレザーがずり落ちた。

 相当寝ていたようで、時刻はもうすぐ就寝時間の二十二時になるところだ。警備班の面々も後片付けに入っていて、一早先輩はシャツ姿だった。どうやらこのブレザーは先輩のものらしい。


 私は懸命に眠る前の状況を思い出した。確か、警備班の数少ない女子の子と出来あがった似非刺又の使い勝手を試していて、マットの上に倒れ込んだんだった。またこのマットが程良い柔らかさで身体全体を包み込むように支えてくれたので、ついその気持ちよさに負け……


「萌、起きたか」

「ごめんなさい、先輩。手伝いの途中だったのに」

「気にするな。気絶するほど疲れてたんだろ? もともとこれは警備班の仕事なんだから」

「スミマセン……。あと、これ、ありがとうございました」


 片づけを終えてこちらにやってきた一早先輩に上着を返す。


「ああ。おかげでいい絵が撮れたよ」


 ブレザーを小脇に抱えながら、先輩はスマホをいじりだした。何だろうと思って黙ったまま見つめていると、先輩は私にスマホの画面が向けた。


「ほら」

「あ゛!」


 見せられたのは先ほどまでの私だ。間抜けな顔で無防備に寝ている自分の姿に変な声が出た。


「先輩、何してんですか!? 今すぐ消しちゃってください!」

「断る」


 一早先輩は何食わぬ顔でスマホをロックすると、制服のズボンのポケットにしまってしまった。


「まあ、千歳。それくらい許してやれよ」

「白石先輩。でも、恥ずかしすぎます!」

「寝てるお前から野次馬や不埒な輩を遠ざけたんだから、少しくらい役得があってもいいだろう」

「野次馬ですか?」


 やってきた長身の白石先輩を見上げて首をかしげた。


「だって、お前。マットに沈んだ瞬間に寝落ちしちまったもんだから、病気か事故かって一瞬騒然としたんだぞ。で、よくよく見てみたら寝てるだけだったっていう」

「も、申し訳ないです……」

「集まった人間を追い払って上着をかける小田切の騎士っぷりを見せてやりたかったよ」

「そうなんですか? ……ありがとうございます」


 私は改めて一早先輩にお礼を言った。確かに相当疲れてはいたけれど、秒殺で寝入ってしまう程とは思ってなかった。随分驚かせてしまっただろうか。

 とは思うものの、それと寝顔の写真とは話が別だ。


「もし、千歳が十時までに起きなかったら、小田切がお姫様抱っこで運ぶ予定だったんだよな」


 いやいや。お姫様抱っこはもう十分ですから!

 真顔で不穏なことを口にする白石先輩に、私はムンクの叫び状態で戦慄いた。寝顔の写真のことも頭からすっぽ抜けるほどだ。


「そこは普通に起こしてくれて全然構いませんからね」

「いや、萌がもしその膝が痛くて歩けないと言うのだったら、俺は――」

「一早先輩まで、真面目な顔して御冗談を……」


 そこから、三年生二人にいいようにからかわれてしまった。恋愛イベントのはずだったのに、とんだ目に遭ってしまった訳で、私は寝落ちした自分を呪ったのだった。

 一早先輩の好感度の低さは危険だ。どうにか挽回しなければと、頭の片隅にメモっておく。




 今日はさっさと寝てしまおう。

 教室に戻った私は両親におやすみメールを送信すると、体操着に着替えて毛布にくるまった。

 だけども、意識が落ちる寸前、あることに思い当ってぱちりと目を開けるた。

 もしかして明日の朝、川西さんが部室棟に忍び込んで、例の死体を見つけてしまうんじゃない!?

 私はむくりと起き上った。

 ゲームには名前も出てこなかった川西さんが、いつどこで部室棟と倉庫の鍵を手に入れるのかは分からないけれど、何かしらの対策をしておいた方がいいかもしれない。


 眠気は完全に吹き飛んでいた。私は教室を抜け出すと、東翼の階段から一階の職員室を目指した。本棟中央の階段を使ってしまうと、機動隊が常駐している事務室の前を通るはめになるのでそれは避けた。

 鍵を入手できるとすれば、おそらく職員室だ。

 真里谷先輩が使ったマスターキーは、運営本部がある会議室から拝借してきたというし、立花さんが使っていた鍵の束が、もともと職員室にあった予備の鍵のような気がする。彼はあの後、鍵の束をどうしたのだろう。


 とりあえず、職員室の保管場所に鍵がないことだけでも確認しないと、今夜は眠れそうにもなかった。


 降り立った一階の廊下は怖いくらいに静まりかえっていた。緑色の光を放つ非常灯だけが光源だ。

 私はここまで誰にも会うことなく、職員室の中に滑り込むことに成功した。スマホの画面をライト替わりに、キーボックスが設置されている壁際まで進む。

 キーボックス自体の施錠はダイヤル式だったけれども、そのダイヤルを回す以前にその扉は全開になっていて、中には鍵ひとつ残されてはいなかった。たぶん運営本部が持っていったのだろう。


 問題は、その隣にあるキャビネットに仕舞われた予備の鍵だ。もしかすると、こちらは手つかずで残っているかもしれない。

 がしかし、私がその引き出しに手を掛けるのと同時に、出入り口の扉がスライドした。戸口から差し込む一条の光が、私の姿を暗闇の中に浮かび上がらせる。


「そこにいるのは誰だ?」


 この声は――


「立花さん……」

「千歳さん!?」


 またしても、立花さんは予期せぬタイミングで現れた。彼も職員室を見張っていたのだろうか。


「何の用事でここへ?」


 立花さんはライトの光を私から逸らすと、職員室の中に入って扉を閉めた。


 ここまで想定外に動けるとなると、彼も記憶持ち確定かもしれないと思ったけれど、真里谷先輩に相談なしに話すのも躊躇われたので、いったん誤魔化してみることにする。


「実は……美術準備室の鍵をなくしてしまって」

「そう。でも、もう予備の鍵は運営本部に保管されているよ。昼間まではそこにあったんだけどね」


 我ながら咄嗟によくそれらしい嘘が吐けたなと呆れるものの、立花さんはそんな私にも真摯に対応してくれる。

 そうして、言い出しにくそうに切り出された立花さんの次の言葉に、私は目を見開いた。


「千歳さん。その、もしかして、君も記憶が……」

「!」


 やはりそうなんだ! 立花さんも前世の記憶を持っている!

 彼の方から言い出してくれたなら、私もそれに応えなければ。真里谷先輩が私に声を掛けてくれたように。

 ――立花さんも『love or death』ってゲームで遊んだことがありますか?


「立花さんも、ら――」


 だけども、私は言葉を続けることができなかった。

 突然、見えない力によって喉がキュッと締め上げられてしまったのだ。

 首に手を当てるも、喉の違和感はなくならない。はたまた息を吸おうするのに、口がパクパクとなるだけで一向に空気が気道に入ってこない。


「どうした、萌!?」


 私の異変に気がついた立花さんが倒れ込む私の身体を支えてくれた。


 このまま、窒息して死ぬんじゃないかと思った。

 が、視界に白く靄がかかったところで、どうにか呼吸が元に戻った。私は空気を求めて無我夢中で息継ぎを繰り返す。その背中を立花さんが摩ってくれた。


「過呼吸か!?」


 立花さんの言葉に辛うじて首を左右に振る。逆です。酸素を、酸素をください……


 荒い呼吸に胸を上下させながら、ようやく酸素が行き届いた脳みそで考えてみる。

 この状況は、真里谷先輩から聞いた、前世の記憶を持たない人間に喋ろうとした場合の制限なんではないだろうか。苦しいから試さないように言われていたが、確かにこれは頻繁に経験したいものじゃない。


 どういうこと? 立花さんは『ラブデ』の記憶を持っているんじゃないの? さっきだって、『萌』って呼んだ。


 立花さんの個人ルートに入ると、後半名前の呼び方がファーストネームに変わったりする。


『ラブデ』の話をするには、真里谷先輩も私も知らない条件があるのだろうか。


 なんてことを考えていると、本日二度目の浮遊感が私を襲った。


 ひえーーー。

 お姫様抱っこ再びである。


 というか、今気がついたけど、思いっきり体操着だ。絵師デザインの凝った制服とは違って、ゲーム未登場の体操服は垢抜けないったらありゃしない。


「た、立花さん」

「いいから、捕まってて。すぐに横になった方がいい」


 そう言われて連れてこられたのは、職員室の東側の出入り口のはす向かいにあたる応接室だった。二人掛けのソファの上にゆっくりと寝かされる。


「すまない。君を追いつめてしまったようだ」


 脈を測る立花さんの視線が、腕時計から私の顔に注がれる。


「違います。これはその、貧血、そう、脳貧血みたいなもので」

「だといいんだが、パニック発作の可能性もある。こんな状況だ。君も色々辛いだろう」


 立花さんの大きな掌が、労わるようにこめかみから頬を撫でる。


「心因性のものではないと思います……」

「自覚がない場合もある。本当は本職に診せた方がいいんだろうが……正直、医務室には近づいてほしくない」

「え?」


 苦虫を噛み潰したような表情で言う立花さんに、なぜだか胸騒ぎがしてくる。なんだろう、この展開。


「負担を掛けたくないから、詳細は折りを見て話すけど……。養護教諭の桃井には注意してくれ。極力避けて、絶対二人きりにはならないでほしい」

「桃井先生……ですか……」


 意外な人物の名前に、頭の中が真っ白になった。

 桃井先生はゲーム本編では真っ先にゾンビの犠牲になった人だ。ゲームの内容を知っている人から見たら、今も健在な彼女の存在は矛盾に思うだろうけど、ここまで警戒するものだろうか。二人きりになるなとは、穏やかでない。

 立花さんは私の知らない何を知っているというのだろう。

 知らないということが、今とてつもなく恐ろしい。


「ごめん。怖がらせたかった訳じゃないんだ。君が元気になったら、きちんと理由を話すよ」


 立花さんは怯える私をいたましそうに見つめていた。

 

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[一言] 5年以上更新がないのに読み始めたわたしが悪いんです。 でも…続きが読みたい…! それよりまずご健勝でいらっしゃることお祈りしております
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