慌ただしい彼女の一日
思い返してみれば塁斗は無駄に劣等感を抱かせるのがうまい男だった。
入学式の日に案内したとても可愛らしい女の子が塁斗を見つけたその瞬間、私が仲間と歩いている塁斗を見つけたその瞬間、呼び掛けが被ったあの気まずさと私の立場の無さと言ったら虚しいにも程があった。
「塁斗」と呼んだ私と「るいくん」と呼んだ彼女。
塁斗は片手をそっと挙げて、私じゃない彼女の名前を呼んだ。
彼女はそれまで私に対してひどく丁寧だったのに、急に誇らしげな笑みを浮かべて私にしたり顔で振り返る。
「案内、ありがとうございましたー!」
溌剌とした明るい声に、気持ちがじわりと沈んで行く。惨めにも残された私は、その場で立ち竦む事しか出来なかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
塁斗の入学式から一ヶ月が過ぎた。
それでも、私はあの瞬間をふと思い出す事がある。
ショックだった。惨めだった。
私はもう塁斗にとって、仲間でも何でも無かったのだ。
ふわふわなロングウェーブを揺らして駆けていく彼女の後ろ姿。
「転けんなよ」とからかう塁斗に彼女はむくれて「大丈夫だよ!」と言い返した。
はっきりと、鮮明に、頭の中に残る記憶。もはや映像と言っても良いくらいにそれは精密で細かかった。
感傷的になるのは余り好きではない筈なのに、妙にここの所感傷的になる日々が続いているような気がする。
手に持っていた紙が風に吹かれてふわりと飛ぶ。浅く息を吐き出して、飛んだ紙をしゃがんで摘まみ上げた。
「まぁ、考えてる暇があったら働けって事だよね」
単なる風の悪戯だろうが、そんな風にも思えたりして。
塁斗の事から思考を切り取り、小走りに生徒会室に向かった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「ご苦労さま」
迎えてくれたのは海嶺弟――浩さんだった。
柔和な笑顔がとても眩しい。出来るならこっちを見ないで別のところを見ていてほしい。
兄の海嶺椎名は会長、弟の海嶺浩は副会長。
海嶺浩さんは紳士的、兄である海嶺椎名さんは野性的。そんな言葉が似合う対照的なお二人である。
生徒会には不思議なことに見目麗しい人材が揃っている。会計と書記は女性だが、それもまた極上の美人。
生徒会室だけ別の空間になっていて、一般生徒の私なんかが入ると汚れてしまうとまで思わされる。けれども、校内で随一を誇る人気を獲得しているのは、私と同じ学年で二年の吹奏楽部の男の子だ。あれはまるで人形だ、人間味が薄すぎる。
ともかく、生徒会室は別世界。誰もが行きたがらない花園。
たまに行きたいという勇者も居るが、基本的には敬遠される。
それもその筈、綺麗な人達に囲まれて卑屈にならないという心の強い生徒がこの学校には多くない。かくいう私も苦手だが、塁斗の事で培ってきた「劣等感」に耐性がある。
美形美人に囲まれて、卑屈になって、それでもそんな感情を表に出さない位の修行は積んでいるという事だ。
「いえ。では、失礼します」
「あ、大住さん、ちょっと待って」
「はい?」
「これ、一昨年のみたいだけど……」
苦笑しながら返された風紀委員の新名簿。年号は2011年。
単なる編集間違いかと思いきや、私の名前は載っていない。知らない名前が沢山だ。
慌てて受け取り頭を下げて、内心で風紀委員長に舌打ちをする。
何が「持っていくだけで良いから」だ。一昨年の名簿じゃ意味が無い。
「すみません、新しいのすぐに持ってきます」
生徒会室に行きたくないと駄々を捏ねる先輩と同級生から頼み込まれて持ってきたのにとんだ赤っ恥だった。
来た時よりも何倍も早いスピードで校舎の中を駆けていく。
確認しなかった私も悪いが、これを渡したあの先輩は確認すらしなかったのか。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
風紀委員が使用しているコンピュータールームのドアを開けて、つかつかと先輩の前まで行くと先輩は私の勢いに押され狼狽しながら後ずさった。
「一昨年の名簿ってどういうことですか?」
「へ?」
「へ?じゃないです。一昨年の名簿を持って行って花園で赤っ恥を掻いて戻ってきた私の気持ちがわかりますか?」
「あ……あは……」
風紀委員名簿、とでかでかと印刷された紙を先輩に押し付けて、足元に転がっていた自分の鞄を持ち上げる。
「帰ります」
「いやああああ待ってええええ!」
「待ちません」
「大住さああああん!」
「知りません」
「僕あんなとこに行きたくない!」
「私だって行きたくないですよ!」
風紀委員の会議も仕事も既に終了して何人かは帰っている。残っているのは駄弁っている風紀委員と風紀委員長の先輩だけだ。
名簿は先輩が準備したもので、私はただパシられただけ。それならもう帰っても問題は無い筈だった。
「先輩のミスじゃないですか。私はもう帰ります。疲れたんです」
「そんな事言わずに!新しいやつすぐに印刷するから待って!」
「……別の人に持って行って貰えば良いんじゃないですか?」
ちら、と残っている生徒を一瞥すると、あからさまに視線を反らされる。
近付く人間は妬みの対象、近付けば劣等感に襲われる。それだけ別次元の人間の元へはみんなして行きたがらない。
もっとミーハーできゃあきゃあ言って喜んで生徒会室に向かってくれる人が欲しい。切々とそう願いながら、仕方なく隣の椅子を引いた。
「早く印刷して下さい」
「ありがとう……!」
高河志乃――私の通う高校の風紀委員長その人である。
何となく強そうな響きの苗字だが、本人はいつも弱気で委員長なんて柄じゃない。
入学してから約一年、高河先輩とは何かと縁があって度々一緒に活動して来たけれど、いつも人の後ろに隠れて大きな出番の時は他の先輩に任せっきりだった。
当時三年だった先輩方が「高河を委員長にしろ」と言い残して卒業し、進級した当時の二年生はこぞって高河先輩を推した。
新入生や同級生にもさり気なく高河先輩に投票するよう言い回り、高河先輩はものの見事に風紀委員長になった。対戦相手すらいない状況でやむを得なく委員長に就任した訳だ。
先輩方は言っていた。
「高河を委員長にしたら仕事がとっても楽になるぞ」と。
高河先輩が委員長になったら仕事が楽になるんじゃない。高河先輩を委員長にしたら、もれなくその幼馴染である灯里先輩がついてくるから仕事が楽になるのだ。
本来はそうなる筈だった。
高河先輩と同級の風紀委員の先輩に聞いて高河先輩が委員長に就任した事の顛末の詳細を知ったのだが、結果として灯里先輩は風紀委員には入らず美化委員になった。しかも委員長。美化委員の経験がないのに、即委員長就任である。
一年間一緒に活動をして、灯里先輩の凄さは実際に見ているから納得が行く。
非常に理解が早く、臨機応変に対応出来る灯里先輩。
不測の事態にもすぐ動けて、心なしか教師のような物言いには素行の悪い生徒も素直に従ってしまうというツワモノ。
そんな灯里先輩を何故風紀委員長に推さなかったのか――卒業した先輩方の落ち度は其処にあると私は思う。
よりにもよって高河先輩。
何も出来ない、何も知らない、何もしようとしない高河先輩。
そんな人が委員長になって、じゃあどうやってこの委員会が回っているのか――というと。
「お願いね。志乃はあなたに懐いてるようだから」
ああなんか灯里先輩の幻聴が聞こえてきた。
いやいや、これは確かに過去に私が言われた言葉だが。
人見知りで引っ込み思案でうじうじとナメクジのような高河先輩はどこでそうなったのか私を非常に頼りにしている。
高河先輩が言うには、私は灯里先輩に似ていて話しやすいらしいけれど、そんな曖昧な理由で高河先輩のお世話役をやらされる身にもなって欲しい。
私は納得していない。絶対に納得していない。
「大住さーん!出来たよー!おーい、副委員長!」
風紀委員会副委員長、大住奏 副委員長という役職の隣に、私の名前があるなんて。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
そもそも、事の発端は高河先輩の親友であり新三年生風紀委員の白詰先輩の一言だった。
「志乃って大住に懐いてるよな」
そんな単純な一言で触発された風紀委員が「確かに」とか「そういえば」とか「俺も思ってた」とか言い出して、高河先輩のお世話をするのは私の役目だという変な固定観念を抱き始めた。
それはなかなか消えなくて、灯里先輩までもが任期を終える前に「志乃のことよろしくね」などと言い始め、新学期に入ってみればびっくり灯里先輩は美化委員になっていた、ということだ。
生憎と高河先輩も白詰先輩も灯里先輩とはクラスが違う。灯里先輩が美化委員に立候補するのを止める人は居なかっただろう。
役に立たない高河先輩が委員長になり、それを支える筈だった灯里先輩の突然の方向転換。
じゃあ誰が支えるのか――そこで白羽の矢が立ったのが私だったという事だ。
当然、灯里先輩には理由を聞きに行ったし風紀委員になって貰えるようお願いもしたのだが、理由が理由だけに引き下がるしかなくすごすごと帰るしかなかった。
「将来は花屋になりたいのよ」と、恥ずかしそうに頬を染めて俯いた灯里先輩を邪魔する訳にはいかなかった。
美化委員の仕事の一つに学校敷地内にある花の管理というものがある。うちの学校は校内清掃より花壇の育成に精を出していて、様々な品種が植えられているほか校長の趣味で土まで拘っている。
本当はずっと花屋になりたいと思っていたらしい。けれども、灯里先輩のお家はいわゆる上流階級で内申書での受けが良い風紀委員になることを薦められていたとか。
生徒会に入らない理由は、まぁ、何となくわかる。あれは入れない。
顔ぶれが中々変わらず、変わってもまた美しい人類となるとごく一般人の私たちには入る隙を与えない。
あれはあれでどうかと思うが、それなりに煩わしい校則を変えてくれたりしているので感謝している気持ちもある。
灯里先輩に付き合って風紀委員に入ったらしい高河先輩だが、置いてけぼりを食らった事には全然落ち込んでいなかった。
それもその筈、灯里先輩の背中を押したのは高河先輩だったと言うのだから。
じゃあお前ちゃんと仕事せぇよと言いたいところではあるが、言っても言っても涙ぐまれるだけなので仕事をしない部分に関しては既に匙を投げている。その代わりと言っては何だが、白詰先輩は仕事が早い。高河先輩が出来ない分、白詰先輩が持ち前の面倒見の良さでカバーしているから良しとしている。
高河先輩が委員長に推される理由は何となく把握していた。
ああ、灯里先輩を釣り上げたいんだなと。
先輩方はそこまでして言い回っていたのは知らなかったが、私も高河先輩が委員長になるのであれば灯里先輩は副委員長になるんだろうと思っていた。
けれども、委員長の投票が終わり就任が決定したあと――副院長の投票で私の名前が最初に出た。
その瞬間、私は目を剥いて椅子から立ち上がりきょろきょろと周囲を見渡した。
――あっれー……?灯里先輩が居ない。
あの衝撃は中々忘れられない。
灯里先輩不在の中、着々と進んでいく開票。
私が灯里先輩の名前を書いた投票用紙は無効になった。本人が委員会に居ないのだから。
同時刻、美化委員会では灯里先輩が委員長に就任していたと言うのだから顛末を全て知ってから私は愕然と立ち竦んだものだ。
諦めが悪いと言うが、それで良いのだ。諦められない。
これから先一年間、高河先輩のお守りをするだなんて冗談じゃない。
風紀委員は他の委員会よりずっと生徒と密接だ。
校則の提唱、頭髪検査、荷物検査、服装検査、遅刻者記録、校内巡回。生徒を相手にして取り締まる嫌われ者。
ただでさえ文句を言われる事の多いストレス過多な委員会であるのに、高河先輩の面倒なんて見ていたらこっちが過労死する。――まぁ、それは言い過ぎだが、疲れることに変わりはない。
私立だからこそ委員会が重要で、私立だからこそ教師が弱い。それは去年一年間でいやと言うほど感じていた。
高河先輩から半ば奪い取るようにして受け取った名簿の紙を手に廊下を全力疾走する。
風紀委員だから走っちゃいけない?残念なことに生徒会の変な新しい校則のおかげで堂々と走れるんです。
有事の時、やむを得ないと周囲の人間の過半数が判断した時のみ、廊下を走ることは許される。だから教師はむやみやたらに生徒に「廊下を走るな」と注意が出来ない現状にある。
最初聞いた時は「バカじゃないの」と言いたくなったけれど、今はそれなりに重宝している。
生徒会室に書類を配達、なんてことになれば過半数の生徒は走る事を許すだろう。
ただ、生徒会の難点は頻繁に怒る校則の改変。
風紀委員は必ず新しい校則に目を通さなければならない。
頭髪検査で許されるレベルの染髪、服装検査で許されるレベルの着崩し。
面倒なことこの上ないが、私も恩恵に預かっている以上文句を口には出せなかった。
少しだけ暴露するなら、私立は寄附にそりゃあ重きを置いていて、生徒会の面々はジャンルは違えど権力者のご子息ご息女。
これは風紀委員の中でも結構秘密な話である。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
とにもかくにも走る走る。
視界に生徒会室のプレートが入ったのを機に足を止め、深呼吸してドアをノック。
ちゃんと確認もしたし、間違ってない。私の名前はきっちりあって、年度も今年のものになっている。
「どうぞ」
「失礼しま……」
がらがらぴしゃん。とはいかず、なめらかにスライドして生徒会室のドアは閉まった。いや、閉めた。
何だか花園に違う人種が紛れ込んでいるようだ。
「カナデ?」
ドアの向こうから聞こえる声に心臓がぶるりと震える。
何で、こんなタイミングで会わなくちゃ行けないんだろう。
あの日、私の名前は呼ばなかった癖に、こんなにも簡単に今は呼んで見せるんだから。
「大住さん?」
ああ、良かった。海嶺さんだ。多分、浩さんの方。
目の前でドアが開いて、出てきてくれた事を悟る。
「あの、新しい名簿です」
ぱっと顔を上げた先に、ぎらりと光る三白眼。卒倒してしまいそうな位、驚いたしぶっちゃけビビった。だけど、何とか持ちこたえて愛想笑いで紙を差し出す。
「おう。お疲れ」
室内に一瞬目を向けると棚に向かって手を伸ばす海嶺浩さんが視界に入った。
――そっちか!声掛けるだけだったのか!
実際に出てきたのは海嶺椎名さんの方だった。
浅黒い日焼けた肌はいかにもスポーツ選手らしい。
確か、誰かが言うには海嶺椎名さんは自転車がスゴイらしい。マウンテンバイクとか何とか言っていたが、興味のない私が持つ認識なんて自転車に乗って頑張る人くらいなものである。
流石にカゴ付き荷台付きのママチャリなんて想像していない。すらっとしたやつだ。確か。
「カナデ」
呼び掛けている声に反応なんてしてやらない。
最初に無視をしたのは塁斗で何故私だけ応えてあげなければならないのか。
精々虚しさを味わうが良い。私だって恥ずかしくて虚しくて切なかったのだ。
「じゃあ、失礼します。遅くなってすみませんでした」
一礼して、即退散。
椎名さんはまじまじと私を見つめていたけれど、その瞳が何なのか私は噂でよく知っている。
椎名さんは危険人物。すぐに女の子に手を出すと学校内では有名だ。
だから回避。私に興味を持つ持たないの問題ではなく、少しでも隙を見せたら食われてしまうというのだから恐ろしい。ああ恐ろしい。
「呼んでるだろ、聞こえねぇの?」
くるりと踵を返して片足を上げた状態で、しっかり掴まれている右手は一体どうしたことやらだ。
渋々振り返り、睨みを利かせて塁斗を見れば塁斗はあろうことか爽やかさ100パーセントの笑顔を私に向けていた。
こいつ、バカか。バカなのか。
あれだけ私を惨めにさせて、この笑顔を向けようと思う思考が理解出来ない。
「うるさいな。聞こえてる。何か用?」
「いや、別に用は無いけど――カナデも証言してくんない?」
「証言ってなに?あんたもしかして何かしたの?」
「何もしてねぇって」
面倒そうに後頭部を掻いて、あまつさえため息すら吐いてみせるこの厚顔無恥な男に誰か正義の鉄槌を。
どうして塁斗がこんなにぞんざいに私を扱うのか意味が――ああ、そういうこと。新しい子が見つかったから私はもういらないって?
「ふぅん。どうだか」
「大住さん、志賀くんと知り合い?」
志賀塁斗――入学式で、私を完全無視したかつての友人である。
見事な無視っぷりにはいっそ喝采の拍手すら送っても良い。
「いいえ、知り合いじゃありません」
「は?」
「知りません」
「おい、カナデ」
意味が分からない、とでも言いたげに眉を寄せる塁斗だが、意味が分からないのはこちらである。
今更なにをしろと言うのか、都合の良い時だけ引っ張って後は知らん顔の癖に。
「とりあえずどっちも中に入れ」
睨み合う私と塁斗の後ろで椎名さんが呆れ顔を浮かべた。
次から次へと問題が起きて、今日は厄日なのだろうか。
椎名先輩に逆らえる訳もなく、恐る恐る花園に入る。
うわぁ、もう酸素が吸い取られているような気分――なんて息苦しい空間なの。
真っ青な顔で椅子に腰掛けた私の対面には椎名先輩、隣には塁斗が座る。
「あのな、コイツ――志賀塁斗がちょっと問題有りそうなんで、何か起こす前に引っ張って来たっつー訳だ」
「だから何もしてねぇだろ。するつもりもねぇって」
椎名先輩にうんざりしながら返す塁斗。
うん、やっぱり椎名先輩の方がイケメンだ。流石は花園。塁斗もかなりのイケメンだが、椎名先輩の方が魅力たっぷりと言う感じがする。レベルが違う。言うなれば塁斗はホストで椎名先輩は俳優のようだ。
「ぞろぞろ後ろに引き連れて校内闊歩するのが「何もしてねぇ」に入るのか?大住、入学前の志賀はどんな感じだった?」
「ええっと……」
答えにくい。あれはもはや黒歴史。
かなり答えにくいのだが、椎名先輩に嘘というものを吐いたら後が怖いのである。
生徒会室に入ったことが知られるのもマジで怖い。
ひとつひとつ思い出しながら、記憶の奥を掘り返していく。
「椎名先輩はギャングって知ってますか」
「……あー、つまり志賀はそういう」
「違ぇよ!」
突っ込みを入れる塁斗は鋭い目つきを私を睨み、余計な事を言うなと言外に脅してくる。
証明しろって言ったのはアンタでしょうが。全部吐くわよ。椎名先輩が相手だもの。
「そんなに吹っ切れたものじゃないですけど、似たようなものです。るい……志賀はぞろぞろ仲間を引き連れて街を散策する探検隊みたいな」
「一時期流行ったよなぁ、あるあるたんけんた」
「違ぇ!カナデ……てめぇ……!」
「まぁ、暴走しない族ですね。基本的には大人しいです。喧嘩っ早いとこもありますが」
チームとか、カラギャンとか、グループとか、表面上からは見えない部分で色々と面倒な世界だが、そこには確かにルールがあってそこには確かに絆がある。だけど、世間一般的に見ればそういう言葉でしか表せない。
一時期そこに頼っていた私も私でどうかと思うが。
「不良ってことか」
「別に、売られた喧嘩を買ってただけで」
「ま、いいけどな。この学校内で問題起こさないでくれりゃ校外では好きにしろよ。後ろにぞろぞろ引き連れんな。他の生徒の邪魔になる。どうしてもしたいってんなら生徒会に嘆願書持って来い。理由次第じゃ考えてやる」
生徒会の管轄は校舎の中の問題だ。校外で起こした事にまでは首を突っ込んだりしない。
確かにそれは親の仕事だと私も話を聞いていて思う。
塁斗の素性――というより、何となくの背景を知って椎名先輩はぞんざいにそうやって締め括った。
ぞろぞろ引き連れているところが簡単に想像出来る。邪魔になっているだろうな、ということにも考えは行く。見つけたら風紀の取締になるが、先に生徒会が発見してこうして注意してくれたのは非常に有難い。
「……面倒臭ぇな」
「学校ってのは面倒なもんだ。従えない奴はいらねーんだよ。辞めたきゃ辞めろ」
「生徒会っつーのはそんなに偉いのかよ」
偉いに決まってるじゃない。主に寄附の意味で。
学校はとても感謝しているに違いない。
「さぁなぁ。生徒会に入りたきゃ生徒会選挙に望め」
落選は確実だけどね。塁斗じゃこの花園には混ざれない。誰の目から見ても明らかだ。
「そういや、大住」
「はい?」
「志賀の事知ってるっつーと、お前もそういう不良やってたクチか?」
「いやぁ……」
不良をやっていた、というよりも。
「カナデは俺の元カノだけどな」
まぁ、そういうことである。
高校に入学して途端に連絡が取れなくなって、再会したと思ったら入学式のあの所業。
私はとっくに捨てられていて、私がいたあの場所には別の女の子が座っている。
そして、今――塁斗はハッキリ私を元カノだと言った。
私の中でまだ確定事項じゃなかったそれをいとも簡単に肯定した。
「へぇ、元カノになってたんだ」
「はぁ?」
これには一言言ってやらないと気が済まないのが私の性分。というか、ここまでコケにされて黙っていられようはずもない。
出来るだけ穏やかに笑って塁斗の方を振り返る。
「別れるとも何とも言われてなくて、久しぶりに再会したら無視されて――今、この場で元カノだって言われた私は、一体どんな顔をすればいいのかしら。ねぇ、塁斗くん」
「カナデ……?」
「別れるならハッキリ片付けんのが普通じゃないの?あんた頭沸いてんの?」
「大住、ちょっと落ち着け」
「連絡すらしないで別れた気になって、自分はさっさと新しい彼女作って随分といい身分ね。そういう性格だって最初から知ってたら、絶対に付き合わなかった、って思う程度には今あんたのこと最低だと思ってるわよ」
高校生活一年目で、不安で、環境に慣れるのに必死で、毎日へとへとだった事にプラスして連絡を待ち続ける日々。
あんなにストレスを感じた一年はこれから先もないだろう。
……今年も忙しそうではあるが。
カッとなった怒りが、沸点を通り越して冷却に向かう。
ぷしゅう、と気が抜けたみたいに肩を落として息を吐いた。
「もういいや。なんか疲れた」
怒るのでさえ、疲れてしまった。
そんな気力すら、もう湧いてこない。
「すみません、お騒がせしました。失礼します」
呆然とする塁斗――志賀を置いて、生徒会室を後にする。
とぼとぼと廊下を歩き、コンピュータールームへ向かった。
荷物を取って、もう帰ろう。
溢れそうになる涙を必死に我慢してひたすら足を進める。
つかれた。つかれっぱなしだ。
ドアを開けて中に入ると、高河先輩が振り返った。
「お帰り、大住さん。ありがとう」
へにゃりと笑うその顔に、妙に感傷的になって。
「ありがとうじゃないですよ……!なんでこんなに私が疲れ……っ」
気が緩んだ私の前で、高河先輩があたふたする。
「え、なんで、なんで泣いてるの。大住さん、えっと、泣かないで」
「泣いてません」
「泣かないでよおおおお!僕どうしたらいいの!」
「泣いてないですってば!」
「泣いてるじゃない!涙出てるよ!」
「泣いてないですから!」
「泣いて……うん、泣いてない……」
「でしょ」
流れる涙に気付かない振りをして、どうしたら良いか分からない顔をして、心配そうに私を見つめる高河先輩を見ていたら、何となく笑ってしまって。
「先輩がだめだめだから、私が頑張らなきゃいけないんですよ」
「ごめんねぇ」
「なんで先輩が涙ぐむんですか」
「不甲斐ない先輩で……僕は……」
「泣かないで下さいよ、先輩泣き止むまで長いんですから」
「う……」
「あーもう泣かないでくださいって!」
「大住さんを守れるように僕これから頑張るからねえええ」
「いや、まずは仕事して下さいよ……」
塁斗のことも、風紀委員のことも、ひとまず区切りはついたから。
きっぱり切れた塁斗との関係、自分で提出した風紀委員名簿。
二つに決着がついたあたしは普段より身軽で晴れやかだった。
「明日からまた疲れるんだろうけど」
主に高河先輩のお世話で。
――だけど、それもまぁ良いか。
うじうじと体操座りで涙を流す高河先輩の隣で、少しだけ休む事にした。
「大住さん?寝たの?寝ちゃったの?」
呼び掛ける声に反応する前に、短い眠りに私はついた。
そんな私を見て、高河先輩がにっこりと笑った事は後にも先にも知らぬままである。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「台風みたいだったねぇ!」
そう言うのは生徒会書記、北條璃々(ほうじょうりり)その人だ。
「ほんと。でも、新入生だけじゃなくて在校生にも可愛い子がいるじゃないの」
隣から賛同するように会計の島崎朱香が身を乗り出す。
会長である椎名は携帯を見たまま固まり、それを不審に思った浩が後ろから覗き込んだ。
「注意されたな、椎名」
「あれが志乃のお気に入りかよ、先に言っとけっつの」
「知ってたらあの子に加勢したのぉ?」
璃々は悪戯めいた笑みを唇に乗せて椎名を見つめる。
「どうだかな。まぁ、多少話は聞いたんじゃねーの」
「あら、志乃君のお気に入りってあの子だったのね」
へぇ、と朱香は興味深そうに呟いた。
高河志乃のお気に入り――名前だけは知っていたが、当人の写真はおろか会わせる事すら許さなかった志乃が突如送って来たメールはそれはそれはお怒りで。
「灯里からも届きましたよ。ほら、椎名」
ひょい、と浩は椎名に携帯を投げる。
上手くキャッチした椎名は文面を見て顔を顰めた。
「うっげ、灯里の気に入ってる子ってのもあいつか」
「あらまぁ、告げ口されてるねぇ。誰が言ったのかっしらーん」
璃々は自身が斎賀灯里に告げ口をした張本人だという事を打ち明けずに椎名をからかう。
「志賀塁斗――要注意に入れとけ」
生徒会が管理する、生徒の為の要注意生徒リスト。
追加が決まった志賀塁斗は書記の璃々によってフルネームを追加される。
「しが、るいと、っと。明日には許可が下りるんじゃないかな」
要注意リストに入れられた生徒は調査表の閲覧が可能になる。
誰でも彼でも見られる訳ではなく、生徒会が要注意だと踏んだ生徒のみリストに追加し申請をして閲覧許可が教員から下りれば生徒会メンバー全員がそれを閲覧する事が出来るのだ。
余程の事をしない限りリストに追加はされないが、今回は高河志乃のお気に入りだという彼女が志賀塁斗には絡んでいる。言うなれば特別措置だ。
「ま、寄附金最高額者の息子には生徒会も手厚くしねぇとなぁ」
高河志乃。
今現在、理由あって苗字は違えど、某証券会社のたった一人の御曹司でもある。
斎賀灯里の父はそこで秘書として働いていた。
将来有望な志乃を幸か不幸か手にした少女は、何も知らず志乃の腕でぐっすりと眠っていた――。




