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自己評価【三流】の魔法使いは貴族の地位を得る

作者: 森田季節
掲載日:2026/02/12

「アンリエッタ、お前との婚約を破棄する」


 エドゥアールは心底どうでもよさそうに言った。とっくに、アンリエッタへの愛情も興味も消えていたらしい。



「ああ、そうですよね……。私もそろそろ切り出されるのかなと思っていました」

「あん? お前も別れたがってたのかよ」



 エドゥアールは自分の側から婚約破棄したのも忘れて身勝手にも難詰するするように言った。

 おかげで酒場の空気がその周辺だけ少し下がった。



「いえ、違います! 違うんです!」



 アンリエッタは小さく首を横に振る。魔法使いらしい長い金色の髪が左右に揺れた。



「ほら……私、魔法の威力が全然上がってないじゃないですか……。クランの皆さんの足を引っ張ってるって自覚はありますから……」

「そういうことだ。お前の攻撃魔法の威力はこの2年間、全然変わってない。これだけ各地を旅してもな。これでやっていくのは無理なんだよ」



 同じクランの仲間の中には同情的な目もあったが、誰もアンリエッタに声をかける者はいない。アンリエッタも仕方がないと思う。お荷物だったのは事実なのだから。



 およそ1年前、同じクラン【精霊の露払い】に所属する剣士エドゥアールから、アンリエッタは婚約を申し込まれた。



 あの時、エドゥアールは誠実な顔で、こう言った。

「俺はひたむきなアンリエッタさんと一緒に道を歩いていきたい。1年後、俺たちが19歳になったら結婚式を挙げて、郊外で暮らさないか」――と。



 冒険者の生き方は危険と隣り合わせだ。若いうちから引退してセカンドライフを模索することは珍しくなかった。また、クラン同士での結婚による引退(男女共の引退と、女性だけの引退の場合と二通りあるが)もよくあることだった。

 それに、色恋のトラブルを防ぐためにも、周囲に事前に婚約を公表してしまうこともよくあることだった。



 アンリエッタもその時は幸せだった。その場で「よろしくお願いいたします」と答えた。

 たとえ、OKをしてすぐにエドゥアールからの呼び方が「アンリエッタさん」から「おい、アンリエッタ」というものになったとしても、それは横柄になったんじゃなくて、距離が近くなっただけだと思っていた。



 しかし、アンリエッタの魔法の威力がほとんど上昇しないことに、だんだんとエドゥアールはイラつきだした。

「くそっ! お前には田舎で簡単な魔法の教師でもやってもらうつもりだったのによ。これじゃ生徒もつかねえよ」

 そんなふうに当たられもした。



 だが、アンリエッタのほうも焦ってはいた。

 一般的な魔法使いの成長曲線に全然乗らない。

 ファイアやウィンドといった一般的な攻撃魔法の威力は上がらないのに、ファイエスとかウィンディスとかいった、一般的な魔法に近いが威力の劣る謎の魔法ばかり習得してしまう。

 ギルドでステータス確認をすると、謎の名称の攻撃魔法が表示されて、ギルド職員も「なんですか、これ?」という反応をするのだ。


 その都度、アンリエッタは苦笑しながら「お婆さんから習った詠唱がちょっとだけ特殊で……。それでファイアもアイスもウィンドも使えるんですけど、たまにこっちが出ちゃう時があって……」と説明をしなければならなかった。

 あの説明の時間は地味に苦痛だった。

 つまり、通常の攻撃魔法より劣ってる魔法というだけなのだから。







 そんなアンリエッタの回想はエドゥアールによって破られる、



「はぁっ!」



 酒場のテーブルにエドゥアールは木の杯を乱暴に叩きつけた。



「俺はこの一年間、剣の教師として独立できるように腕を磨いてきたんだよ。実は養成学校への内定もほぼもらってんだ。こんなクランで働くよりよっぽどいいぜ」



 同じクランの仲間が「おい、辞めるなんて聞いてないぞ!」と非難に近い声を出したが、エドゥアールは聞かずに続ける。



「でも、お前はずっと出来損ないのままだな。養成学校の教師にも、うちの娘をもらってくれって言われちまってさ。やっぱり俺は剣士だから、剣士の一族同士のほうが話が合うよな」



 クランの仲間が「エドゥアール、お前の都合で婚約破棄するだけじゃねえか」とか「婚約が裏で決まってるとしても言うことないじゃない!」とかエドゥアールを責めている。

 しかし、当事者のアンリエッタはうつろな瞳でテーブルに置いた自分の手を見つめていることしかできなかった。



(私がちっとも成長しなかったのは事実だし……。幼い頃から身寄りのない私に魔法使いのお婆さんがいろいろ教えてくれたのに……)



 アンリエッタは幼い頃に両親を疫病で失った。

 そして、同じ村の魔法使いの老婆に14歳まで育てられた。

 老婆は「アンリエッタ、あんたはもう、魔法使いとしてやっていける力はあるよ」と言って寿命を迎えた。もう90歳ぐらいだっただろう。記録的な長命だ。



 それからアンリエッタは今のクラン【精霊の露払い】に入り、活動してきた。



 基礎的な魔法はひととおり使えたから、最初のうちはクランの戦力になった。クラン【精霊の露払い】はだいたい15人ぐらいが所属している冒険者集団で、いくつかのグループに分かれたりしてダンジョンを探索したり、ギルドの依頼をこなしているが、アンリエッタは魔法使い枠としてちゃんと活躍できた。



 しかし、周囲の冒険者が成長していく中で、じわりじわりとアンリエッタは置いていかれるようになった。



(なんで普通の攻撃魔法の威力が上がらないんだろう……。高難易度のダンジョンは入れない……)



 魔法の特訓は怠らずにやっているが、努力が報われているとは言いがたい。とくに最近は冒険者としての活動する機会も減ってきていた。

 最初のうちは、婚約相手であるエドゥアールが慰めてくれるかと期待もした。婚約相手ってそういうものだという意識も少しだけアンリエッタにはあった。



 実情は逆だった。

 エドゥアールのアンリエッタへの当たりはどんどん強くなっていったし、いつのまにかアンリエッタはエドゥアールにほとんど無視されていた。

 エドゥアールはこいつ、使えねえなと思っていたわけだ。



「どうやら、お前も自分の実力不足を自覚してるらしいな。俺たちは釣り合わなくなったんだよ」

「はい……。私の攻撃魔法の威力が上がってないのは事実です。エドゥアールさんを支えることもできそうにありません」

「そういうことだよ。じゃあ、両者の合意で婚約破棄ってことで。ほら、これは餞別代わりだ」



 エドゥアールは銀貨を5枚、アンリエッタの前に叩きつけるように置いた。



「それで、どこかに行けよ。州都に行って、しょぼい冒険者のクランにでも所属しろ」



 州都ニルスは人口は多いがさほど魔物の強いダンジョンもないので、冒険者にはさほど人気はない。つまり、仕事慣れした冒険者が集まるここからは出ていけというわけだ。



 アンリエッタの心はエドゥアールを恨みもせずに、ただ諦めていた。

 仕方ないのだ。

 自分が弱いのだから。



(急に強くなれるわけじゃないし。それに、仕事は探さないと生きていけないわけだし。だったら、私の実力でも仕事がある州都ニルスに行くのは正しいよね)



 アンリエッタはふらふらと席を立つと、酒場を出た。ほとんど何も食べてないが、何も食べる気はしない。



 宿に戻って、すぐに寝てもよかったが――



(日課は一応守ろう)



 アンリエッタは近くの空き地に行くと、魔法の練習をする。



「リエンタ・ソイ・アヴィリエ」



 緑色の炎が空き地に現れて、すぐ消える。



(もっと長く火が続けば見世物になるかもだけど……すぐに消えちゃうようでは難しいかな)



 どういう意味の言葉かアンリエッタにもわからない。ただ、育ててくれた老婆はこういった言葉とともに意識を集中させるのだと魔法を教えてくれた。

 ほかの一般的な詠唱の言葉でも魔法は使用できるが、こちらのほうが昔から慣れてはいる。なので、こちらの詠唱を使ってきた。



 緑色の炎はファイエスという魔法だ。

 同じ詠唱でも、少しズレたりすると、通常のファイアになる。いや、ファイアの詠唱が特定のズレ方をするとファイエスになるというほうが正しいのか。この奇妙ななおzの言語の詠唱はファイアを撃つためのもののはずなのだ。



(まあ、赤い炎のファイアのほうが威力は大きいので、あまり意味はないけど……)




 ある時からアンリエッタは一般の魔法によく似た「色違い」の魔法が使えるようになった。

 たんなるファイアの失敗ではない。一応はファイエスという魔法としてステータスでは出てくるのだ。



 だが、それだけだ。肝心の魔法の威力は低い。

 ファイアの威力だってたいしたことがない。

 攻撃魔法が弱い冒険者のどこに需要があるのだろう。



「多分、州都に行けば仕事ぐらいはあるかな」



 夜の闇にぼそりとアンリエッタはつぶやいた。













 アンリエッタは州都に到着すると、ギルドに行って簡単な仕事を探すことにした。

 その中ですぐに目についたものがあった。



「『魔族討伐 参加者募集』か。とりあえずやってみようかな……」



 魔族ははっきりと人間に悪意を持って攻撃を仕掛けてくる存在だ。

 魔物と獣の厳密な差はない。そもそも違いの定義もあやふやだ。凶暴な獣を魔物や魔獣と呼んでいるだけと言うことも多い。



 だが、魔物と魔族は言葉は近くても全く違う。

 魔物は死ぬと死体が残るので皮が売りに出されたりもするが、魔族は死ぬと完全に消滅する。

 魔族の数はそこまで多くないが、周囲に与える影響が大きいので発見され次第、討伐されている。

 古代には魔族と人間が激しく争ったこともあるという。



 アンリエッタは早速、その討伐クエストに参加した。

 有象無象の冒険者を集めたからか、人数は30人いるが質はあまり高くはない。もっとも、アンリエッタもそんな質が高くない側の一人だと思っていたから、別に見下したりはしなかった。五十歩百歩だ。



「君たち、この先に魔族がいる。慎重に戦えば勝てるはずだが、あまり無理はしないように。無理をすれば死者が出る。別にとどめを刺した者だけに褒賞を厚くするといったことはないから慎重にやるように」



 統率をとるリーダー役の冒険者が移動中、全体に声をかけた。

 彼の名前はフェリクス。老境に差し掛かりつつある大魔法使いだ。

 この地域でもよく知られた魔法使いで、大成した弟子も多い。

 フェリクスは王国軍に所属している。軍所属の魔法使いはごく一部の認められた者しかなれないし、多くの者が王立の魔法学校出身で、魔法使いのエリートと言えた。



 多くの冒険者が王国軍に所属することを夢見るが、それは好成績を収めた優秀な冒険者しか軍所属になれないからだ。身分の高さで所属する者もいるが、どうせ一般の冒険者にはたたき上げしか道はない。

 フェリクスの格の魔法使いが魔族討伐の指揮をとるのは役不足であり、もっと身分の低い者でもいいはずだが、魔族討伐を行い平和を維持するのは国家の責務なので、軍所属の魔法使いが派遣されたらしい。



 アンリエッタを含む冒険者の集まりは郊外の原っぱへと進み、ついに魔族を見つけた。その魔族はオオカミを狩って、その肝を喰らっているところだった。



「青色の体してやがるな。角も生えてやがる」

「人間とはだいぶ離れてる。じゃあ、たいしたことねえな!」



 冒険者たちが色めき立つ。

 上位の魔族ほど見た目は人間に近くなり、魔法で角などを誤魔化せばもう誰も見分けはつかなくなる。そういった上位の魔族は人間社会に潜んで、国の転覆や人間の滅亡を画策していると言われている。

 そして、魔族の数が少ない間は、そういう上位の魔族が生まれるリスクも小さい。そこで、魔族を発見するとギルドで魔族討伐の集団クエストが立ち上がり、禍根を断つのだ。



 クエストに参加する冒険者たちに魔族を倒して社会を守ろうというほどの意識はない。実力のない冒険者にとって集団クエストに参加して多少ながらも給金をもらえるのはありがたいのだ。だが、参加人数が多ければ魔族討伐に一定の効果を得られるのも事実だ。



「クエーッ!」

「おっ、あの魔族、逃げようとしてるぜ!」

「囲め、囲めっ!」



 剣士や武道家などの冒険者たちが我先にと動く。共通のクランなどではないから動きに連携はとれていないが数は多いので、魔族の逃げ場をふさぐことには成功した。

 魔法使いのアンリエッタは後方でじっとしている。攻撃魔法は味方に当たってしまう。



(出遅れちゃった……。でも、これなら魔族討伐は成功しそうだ……)



 しかし、魔族も逃げ出そうと必死に冒険者にぶつかってくる。



「キエーッ! クアァーッ!」

「こいつ、爪が無茶苦茶鋭いぞ!」

「猛毒を持ってるかもしれねえ! 気をつけろ!」

「やべえ! 突破されるぞ!」



 魔族の猛攻に包囲網が突破されそうになる。



「みんな、しっかりと囲め! 絶対に一対一で戦おうとするな! 守りつつ戦えば勝てる!」



 フェリクスがなんとか参加者の冒険者たちを鼓舞しようとする。

 本音を言えば、フェリクス一人であの程度の魔族ならすぐに殺せるはずだ。だが、それを繰り返せば、参加する冒険者たちの意欲は地に落ちる。冒険者の多くが無気力になっている社会はリスクが大きい。



「大丈夫だ! 適切に戦えば勝てるからギルドに依頼を出している!」



 フェリクスが鼓舞を図るが、冒険者は弱兵の寄せ集めだ。自分から前に突っ込んだような者まで逃げ腰になってしまい、隊列が乱れかかっていた。



「お、俺は逃げるぜ……」

「おい! 背中向けるんじゃねえ! 魔族が逃げるだろ!」



 冒険者が逃げていくせいで、囲みが壊れる。

 そして、アンリエッタは自分の真正面に魔族がいることに気づいた。



「えっ……これ、まずいんじゃ……」



 魔族とも目が合った感覚がある。

 魔族もとにかく脱出しようと、アンリエッタのほうへと向かってくる。アンリエッタをひ弱な人間だと判断したらしい。



「キエエエエーッ!」



(怖い……。けど……これでも冒険者なんだ。攻撃魔法の一撃ぐらいは……)



 アンリエッタは詠唱を行う。咄嗟だったから、言い慣れた詠唱のほうが口を突いて出た。



「リエンタ・ソイ・アヴィリエ!」



 緑色の炎がアンリエッタの手から現れる。



(まずい……。これ、ファイアじゃない……。威力が小さいほうのファイエスだ……)



 ちょっとした発音の違いで、ファイアがファイエスになる。具体的にどこの変化でそうなるかまだあまりわかっていないのだが、緑色の炎は威力が弱い。

 それでも打ってしまったものはしょうがない。

 当たれば多少のダメージは入るだろう。

 少しでも魔族の足止めになれと、緑色の炎の行方を見守った。



 だが――

 緑色の炎は魔族に触れると、その真っ青な体をあっという間に焼き尽くした。



 青い体は全身が炎の緑に変わる。




「ギアアアアアアッ! グアアアアッ!」



 魔族が断末魔の叫びを上げて、やがて消滅した。



「えっ……? 今の威力なら、ゴブリンぐらいしか一撃で倒せないはずなのに……」



 まさかあの魔族がゴブリン程度ということはありえない。今回の魔族は低位の存在だろうが、それでも前に所属していたクランで一対一で勝てる冒険者はいないだろう。



「おおおっ! 魔法使い、やるじゃねえか!」

「あんた、どんな強者だよ! しかも幸薄そうな顔してるけど、けっこうべっぴんじゃねえか!」

「見ない顔だけど、最近こっちに来たの?」

「緑色の炎なんて初めて見ました!」



 冒険者たちが男女問わず話しかけてくる。何が起きたかよくわかってないアンリエッタは愛想笑いでとりあえず対応した。



「あっははは……。ありがとうございます……。ラッキーパンチみたいなものですよ……」



 ただ、そんな戦勝ムードの中で、一人衝撃を受けて、アンリエッタを見つめている男がいた。

 今回のリーダーを務めていた大魔法使いフェリクスだ。











 翌日、フェリクスは古代魔法が載っている資料を図書館で確認した。



(やはり、あれはファイエスだ……。魔族に通常のファイアの10倍から20倍ほどのダメージを与えて焼き尽くす……)



 はるか昔に対魔族に特化した魔法は継承者がおらず、消えてしまったはずだった。

 だが、あの女性魔法使いはそれをあっさりと行使した。



(何者かわからないが、放っておくわけにはいかんな)












 魔族討伐から二日目の朝。

 宿屋の主人があわただしく、アンリエッタの部屋のドアを叩いた。



「アンリエッタさん、起きてください! アンリエッタさん!」

「ふああぁ……まだ朝早いですけど、何かあったんですか?」



 アンリエッタはベッドから起き上がると、ドアの前まで行って応対した。ドアが薄いので開けなくても声はよく聞こえる。

 職探しをしないといけない身だから昼まで寝るつもりはないが、もう少しは寝ていたかった。



「それが、王国軍の籍がある魔法使い様がいらっしゃってまして……。自分のような庶民ではどうしたもんかわからないので……とにかく用意が済みましたらロビーまで下りてきてもらえませんか?」

「えっ、どういうことですか? 別に私、王家の墓を荒らしたことなんて一度もないですし、王城に盗みに行ったこともないですよ」

「そんなことは知りませんよ! とにかく偉い人たちが来てるんです! 対応をお願いします!」



(フライの魔法を使えば、窓から脱出することもできるけど……いや、悪いことはしてないはず……)



 ふと、元婚約者のエドゥアールがアンリエッタを犯罪者だとデマを流したりしたんじゃないかという疑いが浮かんだが、そこまでしてエドゥアールがアンリエッタを消す必要はない。そもそも報復できるような実力も縁もないとエドゥアールは思っていたはずだ。

 結局、髪だけ整えて、魔法使い用の一般的なローブに着替えて、アンリエッタは1階のロビーに降りた。ロビーといっても、古いソファが少し置いてあるだけだ。



 そのソファで座ってる者たちの中に見覚えのある男がいた。フェリクスだ。

 ほかの者も魔法使いらしい。そのローブは明らかに高級品だったし、王国軍所属の王国の紋章も金糸や銀糸で刺繍されていた。



「あっ、フェリクスさんですよね? 魔族討伐の時にはお世話になりました」



 丁寧にアンリエッタはおじぎをした。あの魔族は確実に死んだはずだし、害獣討伐にほかの獣の皮を混ぜて功績を水増しするようなことができる案件でもない。何か問題があったとは思えないが。



 その時、信じられないことが起こった。

 深々とフェリクス以下の魔法使いたちが席を立つと、頭を下げたのだ。そのままじっと頭を下げ続けている。



「えっ? えっ? 頭を上げてください! 私は所属してたクランにもいられなくなった三流の魔法使いです! 皆さんのような高位の魔法使いの方が頭を下げるような人間ではないです!」



 恐縮するというより、驚きが勝った。意味が全然わからない。



「アンリエッタさん、我々にご協力いただきたい。あなたが使っていたものはかつて人間と魔族とが苛烈に争っていた時代に作られた古代魔法なのです。今後、もし魔族の勢力が強大化した時のためになんとしてでも伝えていきたい」

「それって、緑色の炎の魔法のことですね。ほかにも青色の風魔法や、紫色の氷魔法がありますけど……。あれが古代魔法? たんに失敗作の変な魔法ではなくて?」



 フェリクスのほかの魔法使いたちが感嘆の声を上げた。



「間違いなく古代魔法だ……」

「まさか、使用者が残っていただなんて……。とっくに廃絶したと思っていたのに……」



(あの魔法、そんな意味があったんだ……。じゃあ、お婆さんは古代魔法の習得者だったんだ)



 たしか、老婆は幼い頃から土地に住んでいたものではなく、若い頃に流れてきたという話だった。地元から出ないなら魔法を覚える機会もないので、それ自体はおかしくないが、壮絶な過去でもあったんだろうか。



「アンリエッタさん、あなたの魔法を遺していきたいのです。王国軍の魔法使いとして、我々に是非ご教授をお願いしたい。お金はお望みのとおりのものを払いましょう」

「フェリクスさん、私ごときにそんなものはいらないです……。もったいないです……ただ……魔法を遺すというところは是非ご協力させてください」



 はじめてアンリエッタが見せた強い意志のようなものを感じて、フェリクスは目を見張った。



「この魔法、私を育ててくれたお婆さんが大切に伝えていたものなんです。魔法を遺すことはお婆さんの遺志を伝えることにもなるかなと思って。それが私なりの孝行だと思うから」

「そんなことがあったんですね。ちなみに、その方のお名前はなんと?」



 アンリエッタはとても久しぶりに老婆の名前を告げた。



「アンリエッタさん、その名前は権力争いを避けて、若くして隠遁した伝説的な魔法使いを示すものです」



 フェリクスは信じられないといった様子で手で顔を覆った。



「そ、そうなんですか? ですが、私は冒険者をしてきましたけど、そんな話は聞いたことが……」

「ええ。この話を知っているのは王国軍に所属する魔法使いぐらいのものです。在野の冒険者として働く魔法使いの中には伝わってないでしょう。逆に言えば、この名前の価値を知らないあなたが我々にウソをつくことは不可能。あなたの言葉はすべて正しいということだ」



 フェリクスについてきたほかの魔法使いの中には、感極まったように涙をためている者まであった。



「お婆さんの名前を遺せるなら私はどこにでも行きます」



 アンリエッタはそう答えた。







 その後、アンリエッタは王国軍所属の王立魔法学校の講師のポストを得た。

 自分よりはるかに威力の高い魔法を使えたり、自分より年上の者も混じっている生徒たちに恐縮しつつ、アンリエッタは古代魔法を教えた。

 同時に、フェリクスら高位の魔法使いの協力の下、古代魔法の教科書を作る仕事にも取りかかった。



 講師としての優れた功績からアンリエッタは翌年には爵位を与えられ、子爵相当の地位になった。

 それから、自分より3歳歳上の伯爵家出身の魔法使いと恋に落ちて、正式に婚約した。

 これを機にアンリエッタも伯爵相当の地位に引き上げられ、伯爵家として正式に認められた。

 この一族はその後、古代魔法の専門家を代々輩出し、対魔族戦でも何度も活躍した。その家はウィザード伯爵家の通称で親しまれることになるが、これは別の話だ。











 一方、エドゥアールは剣士養成学校の教師にはなれず、新しい婚約者作りにも失敗した。

 理由はエドゥアールに娘との婚約の話を提案していた教師が後日婚約破棄の話を知り、激怒したからだった。



「君はすでに婚約者がいるなどという話を一度もしていなかった。どういうつもりだ!」



 その教師は喫茶店にエドゥアールを呼び出すと強く難詰した。



「いえ、それはお話をいただいた時点で、もうあなたの娘さんに乗り換えるつもりだったからで……」

「乗り換えると言ったな。つまり、君は自分の都合で平然と人間を見捨てる奴だということだ、そんな奴が娘を一生見捨てずに愛してくれる保証などどこにもない。しかも、私が婚約の話を出したことで、君の元婚約者は話を破談にされたのだろう? これでは私がすべてのきっかけを作ったようなものだ……。その方に面目も立たん」



 教師は愕然としていたが、とにかく正義にもとる行為をする男ではなかった。



「君の生き方は剣士の道に反する。娘との婚約は解消させてくれ。剣士養成学校の教師の話もなかったということで」

「いや、それは困ります! なにせ、俺はもうこんなクランに辞める、もっと安定したいい人生を歩むって言ってるんだ!」



 今更、頭を下げてクランを続けさせてくれとなんて言えない。【精霊の露払い】はこの近くではそれなりに評価の高いクランなのだ。別のクランに所属すれば生活水準も落ちる。



「仲間なら『やっぱり続けます』と言うぐらいは可能だろう。それとも、まさか君はクランをバカにした発言でもしたのか?」



 図星だった。明らかに言う必要のないことをクランの連中に言ってしまっていた。



「とにかく、君の身から出たサビだ。君の責任でどうにかやってくれ」

「くそっ! 全部アンリエッタのせいだ!」

「それは婚約者だった方の名前だね。すべては君のせいだったように思うがね」



 今更エドゥアールは自分の責任を認めることなどできなかった。








 その後、ぱっとしないクランに所属先を移したエドゥアールは酒の席などで何度もアンリエッタの悪口を言い続けた。

 そのクランでも長続きせず、それから彼はクランを転々とした。剣の鍛錬も行われず、いつしか完全に三流の剣士になっていた。

 それでもアンリエッタへの悪口だけは止まらなかった。



「全部はあのしょうもない魔法使いのせいだ。ちっとも魔力が成長せずに変な色の魔法ばかり使って。あれは魔法使いじゃなくて曲芸師だな」



 だが、それが彼の命取りになった。

 ある日、安酒場の中でアンリエッタの悪口を言っていた時だった。



 王国の紋章が入った鎧の軍人がぞろぞろとエドゥアールを囲んだ。



「な、何だよ……。俺が何かしたって言うのかよ……。アンリエッタっていう魔法使いの悪口言ったぐらいだろ……」

「貴殿は貴族の名誉を著しく損なう発言を続けている。貴族侮辱罪で連行させてもらう」

「貴族? あんな三流魔法使いが貴族なわけないだろ! それとも貴族を自称して各地で変な色の炎でも出して小銭を稼いでるのか?」



 その一言を軍人たちはたしかにその耳で聞きとった。

 軍人の一人が国が認めた貴族の年鑑を開いて見せた。



「ここを確認しなさい。アンリエッタ・ルシヨン。王立魔法学校の講師で地位は子爵に準ずる。いや、もう正式に結婚を機に侯爵家と認められたのだったかな」

「なっ? そ、それは赤の他人だろ……。だいたいあいつに姓なんてないはずだ」

「姓は講師になった際に必要から生まれ故郷の地名を選んでつけたものだ。魔法の色が異なっているという点からも間違いなくアンリエッタ・ルシヨン様のことだな。まあ、貴族侮辱罪だけで死刑になることはないから安心しろ」

「待てよ! あんなのが貴族になってるなんて想像できるわけないだろ! どんな手を使ったんだ? 老人の貴族の後妻にでも入ったのか?」



 あわてて使った彼の言葉はすべてその場にいた軍人に記録されていた。



「君、いいかげんにしなさい。簡単には出られない量刑になるぞ」

「だって、そうだろう? あんな戦闘で何の活躍もできなそうな奴がどうやって魔法使いで立身するんだよ! 戦えない魔法使いが偉くなるわけないだろ!」

「……詳しくは知らないが、アンリエッタ・ルシヨン様は戦闘はお得意ではないが、魔法を教えるのはとても熱心で、しかもわかりやすいという話だ。数年前まで誰も知らなかった古代魔法を使える魔法使いがすでに増えてきているらしい」

「な…………? 古代魔法だって?」

「そうだ、それを何種類も駆使し、しかも後進のために教育する。伝説の魔法使いと言っていいほど功績だ。英雄に爵位を与えることは前例も多い」



 エドゥアールは何かに気づいた。

 もしかして、あの変な色の魔法は古代魔法だったのか?

 ならば、あれを古代魔法として売り込んでいれば、自分も王家に仕えるどころか、貴族になっていたってことではないのか?

 それを成長しない三流魔法使いとして切り捨ててしまった。



 選択を誤らなければ、今頃自分は大豪邸で葡萄酒でもたしなんでいたのだ。

 それが酒場で安酒をひっかけている……。



「あはははははっははははははははっ! ははははははははっ! 全部俺のミスだな! はははははははっ! 笑えよ! 笑ってくれよ!」

「酒のせいか、どうも錯乱しているようだ。このまま連行するぞ」

「しかし、王家の信頼も厚い大魔法使いをこれだけ侮辱して……。しばらく出てこれんかもしれんな」





 エドゥアールはそのまま身柄を拘束され、裁判で有罪となり、投獄された。それ以降の彼の足跡はわからない。




◆終わり◆

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― 新着の感想 ―
なんとなく思ったのですが、この物語にジャンルの「恋愛」要素はないような気がしました…
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