27.連れ去られたメイベル
ガンマの級友、メイベル・アッカーマンは夢を見ていた。
幼かったころのことを。
『えーん! えーん! ぱぱぁ、ままぁ、おねーちゃーん!』
その日は家族で、山奥の別荘に避暑にきていた。
別荘から抜け出したメイベルは、ひとりで花をつみにいった。
だが帰りに道がわからなくなり困っていたのだ。
がさり、と茂みが揺れる。
野生の獣だったらどうしよう、と思っておびえてその場から動けなくなった。
『メイベル!』
『おねえちゃん!』
『ここにいたのか、遅いから心配したぞ』
姉、アイリスは大汗をかきながらメイベルに近寄ってくる。
妹がいなくなったことに誰より早く気付いたアイリスは、必死になって探してくれていたのだ。
『勝手にいなくなるな。どこか行きたいなら私に言え』
『ごめんなさい……』
アイリスは微笑むと、ぎゅっとメイベルを抱きしめる。
不安がる彼女を、慰めるように、優しく。
『おまえが無事でよかった。さ、帰ろう』
『うん! ありがとう、お姉ちゃん! だいすきー!』
『ふふ、私もおまえが好きだよ』
在りし日のアッカーマン姉妹は、とても仲が良かった。
彼女たちはまだおのれの体に秘めた力と運命に気づいていなかったからだ。
そしてとある事件がおきる。そのせいで二人の関係は、今のようになってしまったのだった。
★
「ん……? ここは……」
メイベルが目を覚ますと、見知らぬ場所にいた。
彼女はすぐさま状況を理解する。自分は魔蟲に連れ去られたのだ。
すぐさま逃げようとする。だが彼女の両腕両足は、体の後ろで拘束されていた。
逃げられない。自分は捕まったのだと理解する。
「…………」
自分はこれからどうなってしまうんだろうか、という不安が胸に去来する。
敵につかまって、殺されてしまうのではないか、という恐怖がじわじわと侵食してくる。
「ガンマ……みんな……おねえちゃん」
助けてほしい、といいかけて、しかし言葉を飲み込む。
いつまでも甘えていてはいけない。自分は帝国軍人のひとりなのだ。
助けを待つだけの一般人では、ない。
「……錬金」
メイベルは杖を用いず、詠唱も用いず、錬金の魔法を発動させる。
地面がぼこりと隆起し、小さな土の人形ができた。
人形たちはメイベルを拘束してる縄をほどこうとする。
触媒たる杖がないため、あまり大きな魔導兵は作れないが、それでも触媒なしでこれほどの精度で、錬金を行えるのは規格外といえた。
ほどなくして、人形たちは縄をほどき終える。
メイベルは立ち上がって、周囲を見渡す。
そこは洞窟の中のようであった。四方を地面に囲まれており、近くには無数の巨大な卵があった。
「なに、これ……?」
卵のなかには人型のシルエットが浮かんでいる。
よく見ると、人間ではないことが分かった。
「ひっ、化け物!」
中にいたのは人間ではない。だが魔蟲族でもない。
人間のパーツに、無理やり魔蟲のパーツをくっつけたような、そんなちぐはぐさを感じられるもの。
「化け物とは失礼だな、嬢ちゃん」
「だ、だれ!?」
そこにいたのは、ひょろながく長身の男だった。
桃色の長い髪を無造作にまとめ、作務衣を着ている。
そのシルエットは、誰かに似ていた。
「リヒター、隊長?」
「ん? ああ、まあ知ってるか。同じ帝国軍人だもんな」
技術開発に協力している、蜜柑隊の隊長リヒター。その彼女に似てる雰囲気の男は、どうやらリヒターと既知のようであった。
「私はジョージ。蟲師をやってる」
「ジョージ……むしし?」
「略称だ。蟲たちの技術師ってところかな」
桃髪の男からは全く殺気を感じさせない。
オスカーやガンマの持つ、武芸者としての風格も持ち合わせていない。
技術者なのだろう、彼が自称した通り。
とはいえ、自分は魔蟲につれさられ、今ここにいる。ということは、この男もまた魔蟲側の人間、つまり敵といえた。
メイベルはすかさず自分の懐に手を入れ、杖を取ろうとする。
だが、しまってあった杖がどこにもない。
「回収させてもらったよ、君の黒い杖はね」
「! リヒターさんの杖……返して!」
「それはできないな。だって逃げちゃうでしょ君」
杖がなければ、敵と戦える魔導兵を作ることができない。
となるとここからの脱出も不可能だろう。彼の言うとおりだった。
「しかしリヒターのやつが作ったのか。はは、魔蟲の素材で武具を作るとは、なかなかやるじゃないか。参考にさせてもらおう」
「……あなた、人間ですよね?」
戦えない自分にできることは、せめて敵側から情報を引き出すことくらいだ。
魔蟲側にも人間の協力者がいる。これは、大きな価値のある情報である。
「そうだよ。見てのとおり」
「なんで魔蟲に協力するんですか?」
「うーん、なんでって言われてもなぁ。まあ、端的に言うなら、そう……面白いから、かな」
「は? 面白い……?」
何を馬鹿なことを言ってるのだろうか、この、ジョージという男は。
「蟲どもは人間と違い、多種多様な進化の可能性を秘めている。外敵が強ければ強いほど、蟲は過酷な環境に適応しようと進化する。あるときは外敵を食らい、あるときは、環境への適応の過程で、人間では想像もできない進化を及ぼす。それが面白いんだよね」
「だから、魔蟲側に協力してると?」
「そう。私の知的好奇心を彼らは満たしてくれる。彼らはおれの技術力を求めてる。ギブアンドテイク。良好な関係を築けている」
「じゃあ、この卵の中の人間たちは、あなたが……?」
「ああ、私が作った【改造人間】さ」
「かいぞう、にんげん?」
「魔蟲の細胞を人間に移植して作られた人間だよ。うまくいきゃ通常の人間が魔蟲族並みの力を発揮する」
卵の中には異形種となった人間たちが眠っている。
こんな姿に変えられたら、もう人間社会では生きていけないだろう。
「なんで、こんな残忍なことができるんですか?」
怒りで声が震えていた。
軍人である彼女からすれば、たとえ名前も知らない相手だろうと、困っていたり、苦しんでいる人がいたら助けるし、彼らに理不尽な仕打ちをする存在を決して許せない。
「残忍とは失礼だな。実験だよ。大いなる革新のための必要な犠牲。君たち帝国だって、同じようなことしている。君たちの満ち足りた暮らしのために、いったいどれだけの犠牲が強いられてきたのか、君は知ってるのかい?」
「それは、知らない……けど! この人たちを無理やりさらってきて、実験体にするのは間違ってる!」
「平行線だね。君はどうにも大局的な視点にかけてるらしい。ああ、リヒターもそういえば君と同族だったね。まったく、せっかく兄妹で力を合わせようと手を差し伸べたのに、彼女ときたらやれやれ……」
ジョージの口ぶりから、どうやらリヒターの兄であることがわかった。
リヒターは人類の平和のために力を尽くしているというのに、この男は、自らの面白いという個人的な感情のために、他者の命をもてあそぶ。
そして、それを何とも思っていない。
「吐き気を催す邪悪とはあんたのことね!」
だがジョージは全くショックを受けている様子はない。
けろっとした顔で言う。
「君から見たらそうかもしれない。だがそれは君の単なる感想にすぎない。私は誰に何と言われようと、私の信じる道を進む。そのためなら何百何千何万もの命を犠牲にできる」
ゆるぎないまっすぐな瞳。
目の奥にあるのは、強い意志の光。だが、どす黒く輝く悪の光だ。
「さて、と。おしゃべりはこれくらいかな。どうやら君のお仲間が助けに来たようだ」
ジョージは懐から魔道具を取り出す。
板状のそれをメイベルに向かって見せる。
遠くの映像を映し出す魔道具のようだ。
「ガンマ! それに……お姉ちゃんまで……」
胡桃隊のみんなは必ず助けに来てくれると、思っていた。けれど、姉がこの場にいることは意外だった。
自分のことを嫌っていたはずだったのに……。
「おねえちゃん……どうして……」
「アイリス・アッカーマンはどうでもいいんだ。おれの興味があるのは、ガンマ・スナイプ。彼の存在だ」
「ガンマの……?」
「ああ。どうにも彼は人間離れした目と射撃の腕を持っている。通常の人間ではありえない」
リヒターもガンマに興味を示していた。兄妹科学者が、そろって注目している。
「そんなに、ガンマはすごいの?」
「ああ、すごいってもんじゃない。おれの推測では、彼はこの世界で唯一無二の存在さ。なぜなら……おっと」
ドガンという爆発音とともに、地面に大穴が開く。
メイベルはそれが、ガンマの放った魔法矢であることに気づいた。
「メイベル!」
「ガンマ! それにお姉ちゃん!」
穴から出てきたのはガンマとアイリスだった。助けに来てくれたことが、純粋にうれしかった。
「この地下迷宮は、複雑で初めて来た人は必ず迷う。トラップも各所にしかけていたのに、どうやってここがわかったのかな?」
ジョージからの問いかけに、ガンマが冷静に返す。
「魔法矢でメイベルの居場所はわかっていた。それに、俺に罠は無意味だ。俺には見えるんだ、いろんなもんがな」
「なるほど、トラップをここに仕掛けよう、という敵の悪意を君は肌で感じたわけだ。はは! やはり君は素晴らしい、最高の実験体だ!」
ジョージはさっきまでの冷静さを失っていた。まるで新しいおもちゃを見つけてはしゃぐ子供のようだった。
一方でガンマは実に冷静だった。すさまじい速さで魔法矢を、ジョージめがけて躊躇なく放つ。
だが、途中で魔法矢がはじかれる。
「ぜひとも君を捕まえたい。ということで、改造人間くんたち、あとは任せるよ」
卵の殻を破って、中からジョージが作った改造人間たちがはい出てくる。
部屋中にあった卵から孵化したので、ものすごい数だった。
「改造人間は1体で魔蟲族並みのスペックを持ってる。その大群を前に、君たち二人だけで果たして対処……」
バシュ! という音とともに、改造人間たちの1割程度が、一瞬で消し飛んだ。
ガンマの魔法矢だ。彼は一瞬で矢を放ち、敵が知覚できないスピードで狙撃したのである。
「獣が何匹いようと関係ない。俺は狩人だ。人間に仇なす害獣は、俺がすべて駆除する」




