初恋泥棒(ポール視点)
「いっ……つ」
腕を押さえながら、僕は廊下をとぼとぼと歩いていた。練兵場から医務室まで。広いハルバード城を横切って、歩を進める。このあとの夕食の時間を考えると、もう少し早く移動したほうがいいんだろうけど、できなかった。腕が赤く腫れあがっていたからだ。
腕を痛めたのは午後の訓練中だった。
基礎をひたすら繰り返す見習い騎士の訓練。走り込みのあとに何百回と素振りをして、最後に木刀で打ち合いながら教官から指導を受ける。先輩騎士からあちこち木刀で小突き回され、やっと終わると思った瞬間、失敗した。
相手の攻撃を受けるはずの木刀が空振りし、思い切り腕を打ち据えられる。
痛みに動かなくなった腕を抱えて、うずくまったのを見た教官は、即座に医務室行きを宣言した。
「ついてない……」
ハルバード城には、侯爵様や騎士たちを診る医者が常駐している。見習いの立場でも、怪我や病気になれば、すぐに診てもらえる、そこだけ見れば、すごくいい職場だ。だけどノーペナルティというわけにはいかない。訓練中の怪我の回数は成績書に記録され、何度も繰り返すようなら要指導。場合によっては騎士の素質なしとして、やんわり除隊を勧められてしまう。怪我をせず、健康でいることも騎士に要求される才能なのだ。
「先週も一回、医務室入りしてたし、しばらく行きたくなかったんだけど」
とはいえ、この腕では訓練そのものが受けられない。背に腹はかえられなかった。
医務室のドアをノックして、要件と名前を告げる。部屋の中からは、かわいい女の子の声が返ってきた。
「え……?」
ドアをあけてみる。
やっぱりそこには、ものすごくかわいい女の子がいた。
つやつやの長い黒髪に、真っ赤なドレス。紅い瞳は宝石みたいにキラキラ輝いている。
この子の名前は知ってる。侯爵様の娘の、リリアーナお嬢様だ。
といっても、毎日使用人の前で『タイソウ』と言って不思議な踊りをするのを遠目に見ていただけだ。こんなに近くに座っているのを見たことはない。
「見習い騎士のポール、だったかしら。今日はどこを怪我したの?」
「あ……う……?」
状況がわからず、言葉が出ない。
なぜ、お嬢様が僕の名前を知ってるんだ。あ、さっきドアをノックして名乗ったんだっけ。
「落ち着け」
ぱん、と背中を叩かれた。
見上げると、黒いローブを着たおじさんが立っていた。この人も名前だけは知っている。お嬢様の専属魔法使いで家庭教師のディッツさんだ。よくよく見ると、部屋にはお嬢様の他にディッツさんと医務室のお医者さんがいた。
なぜ。
ディッツさんは無精ひげの生えたアゴをかりかり掻いた。
「今日、お前の怪我を診るのはお嬢だ」
「へ」
なぜ。
「お嬢には治癒術を教えているが、座学だけじゃ身につかねえ。実際に怪我を治して、練習しなくちゃいけなくてな。ちょうどよく怪我してるから、練習台になってもらう」
「えええ……っ、いいんですか?」
「ハルバード騎士なら、お嬢に何されても文句は出ねえからな」
随分ひどいことを言われた気がしたが、すぐに頭から抜けていった。
お嬢様に治療してもらえる? 直接?
突然降ってわいた幸運に、頭がいっぱいになったからだ。
「お……お願い、します」
椅子に座って、腕を差し出す。お嬢様はすっと顔を近づけてきた。
かわいい。しかもなんかいいにおいがする。
「かなり赤くなってるわね。何があったの?」
「訓練中に、木刀を受けそこねて」
「なるほど……」
お嬢様の手が僕の腕に触れた。片手で手首を持ち、あいた手でちょんちょん、と患部を確かめるようにつついてく。
「痛い?」
「平気……です」
むしろ、ぷにぷにの指先が気持ちいいです。
お嬢様の体温がそばにあるのがうれしすぎて、もう腕が痛いのかくすぐったいのか、気持ちいいのか、何がなんだかわからなくなってきた。
「打ち身ね……。筋肉や、骨に異常はないみたい。少し熱を持ってるから冷やしたほうがよさそう」
そこまで言って、お嬢様は顔をあげた。確認するように、ディッツさんに向かって首をかしげる。
上目遣いのポーズもかわいい。
ちょっとまって。女の子ってこんなにかわいいものだったっけ? どこから見ても、可愛くない場所がない。どこからでも、いつまででも見てられる気がする。
このまま時間が止まってしまえばいいのに。
ふっと横から無造作に手を掴まれた。ディッツさんから無遠慮に患部を確認される。
しばらくして、ぽいっと腕を放り出された。
「ふむ、お嬢の見立てに問題はない。合格点だな。あえて付け加えるなら、肘のココな。関節のところはもっと注意して見たほうがいい」
「なるほど、勉強になるわね」
こくこく、とお嬢様がうなずく。小動物っぽいしぐさもかわいい。
「患部を冷やしたほうがいいわね。湿布をするから、もう一度手を出してちょうだい」
指示に従って、僕はもう一度腕を差し出した。ひんやりとした薬を塗りつけた薄布をかぶせられたと思ったら、その上から包帯を巻かれる。
「最後に痛み止めの魔法で……」
バラ色のかわいい手が包帯の上に乗せられると、痛みがゆっくりとひいていった。
「はいこれで大丈夫! 今日一日は安静にしてね」
にこっとほほ笑まれて、体中の血が沸騰するのを感じた。今日の僕はなんてついてるんだ! こんなにかわいい女の子に手当してもらって、その上笑いかけてもらえるなんて。この腕の包帯は一生の宝物だ。
「あ……」
ゴンゴン。
お礼を言おうと口を開いた瞬間、ノックの音が僕の言葉を遮った。
「失礼する」
返事を待たずに、ドアが開かれた。見ると、黒衣の男の人が部屋に入ってくる。黒髪に、周りを威圧するような鋭い青い瞳の青年は、お嬢様の補佐官のフランドール様だ。
「フラン!」
補佐官様を見るなり、お嬢様が声をあげた。
「お勉強の時間は終わりだ。そろそろ今日提出された書類をまとめないと、夕食をとる暇がなくなるぞ」
「ええっ、もうそんな時間?」
お嬢様はあわてて窓の外を見る。いつの間にか外は暗くなっていた。
「ディッツ、あの」
「ああ、処置は終わってるからもう行っていい。カルテはこっちで書いておくから」
「お願い!」
お嬢様がぱっと立ち上がった。そそくさと僕から離れて、補佐官様の隣に立つ。
「あ~まだあと一仕事あるのか~!」
口をとがらせる表情はかわいいけど、ちょっとかわいそうだ。もっとゆっくりしていけばいいのに。
「今日はチェックさえ済めば終わりだ」
ふわ、と補佐官様の手がお嬢様の頭に触れた。
「お前はよく頑張ってる」
ゆっくりと頭をなでられた瞬間、お嬢様は花が咲くような笑顔になった。
「わかればいーのよ、わかれば!」
今まで見せた表情の中で、一番かわいい。
「行くぞ」
「はーいっ!」
補佐官様に手を引かれて、お嬢様はうれしそうに部屋から出ていく。その瞳に宿る感情は、ついさっき自分がお嬢様に感じたものとまったく同じ。
きっと、お嬢様は、補佐官様を。
「……」
ぽん、と肩に手を載せられた。ディッツさんが気まずそうに無精ひげの生えたアゴを掻く。
「あ~……残念だとは思うがな? あきらめろ」
「……はい」
その晩、僕はベッドの中でちょっと泣いた。
ソフトカバー版「クソゲー悪役令嬢① 新装版」が、2025/07/25より、全国書店で発売されます!
電子から紙へ!
新たな「クソゲー悪役令嬢」の情報については、活動報告をチェック!!!






