行かないで
「ご主人様、お髪のお手入れ終わりました」
「ありがとう」
風呂上りの髪を整えていたフィーアに、私は笑いかけた。
波乱の御前会議が終了したあと、ようやく私は二日ぶりの我が家に戻ってきた。
大法廷はともかく急病人の手当てで夜更かしの上、ランス討伐の作戦会議に出席とか、イベントが多すぎる。食事してお風呂に入ったら、もうくたくただった。
「お茶をお持ちしましょうか?」
気づかわしげにこちらをうかがうフィーアに首を振る。
「さがっていいわ」
「しかし……」
「ひとりになりたいの」
口をついて出たのは拒絶だった。
ああもう、こんなことを言いたいわけじゃないのに。
「食事の間休憩をとってもらってたけど、フィーアも疲れたでしょう? 今日はもう休んでちょうだい」
「……わかりました」
言葉を重ねると、フィーアは静かに頭を下げて退室していった。
ドアが閉まるのと同時に、ベッドに飛び込む。ふかふかのおふとんの上に、行儀悪く寝転がった。
「戦争……か……」
ぽろりと言葉が口からこぼれた。
声に出してみても、まだ現実感がない。
侯爵令嬢として国内情勢は把握している。東の国境で戦闘がおきてることも、西の魔の森でお父様が戦っていることも、知っている。
でも、私自身はずっと王都の限られた場所にいて、日常の生活を送っていた。
もちろん、ローゼリアのような暗殺者と戦うとか、生きるか死ぬかのピンチはあったんだけど、それと戦争の危機はまた別物だ。
このあたりは、戦争と縁遠い平和な日本で暮らしていた小夜子の影響かもしれない。
そんな感覚だからか、フランがヘルムート討伐部隊の指揮官になったことを、まだうまく受け止められなかった。
理屈では理解している。
今回の戦争は、除籍されたとはいえ元勇士七家の討伐戦だ。
七家のいずれかが先頭にたち、指揮をとるべきだろう。
フランは宰相閣下の息子で、強くて、有能。
加えて彼は邪神との戦闘経験も豊富だ。
突然籠城戦を始めたランス城には、まず間違いなく邪神の罠が張り巡らされている。実際に相対したことがあり、ユラのやりくちをよく知るフランが、まず間違いなく最適。
わかってる。
わかってはいるんだけど。
それでも、恋人が戦地に向かうことが受け入れられない。
ハーティア高位貴族はすべて騎士だ。
全員、成人の時に有事に命を賭して戦うと誓っている。
今がその有事だ。
フランは責任をはたさなくてはならない。
お父様も、クレイモア伯爵も、ダリオも、戦場で戦っているすべての騎士が、命を脅かされながら必死に戦ってる、ってわかってるけど。
あなただけは行かないで。
あなただけは、死なないで。
どうしようもなく我儘な感情が、あとからあとから湧いてくる。
言っちゃダメ。
願っちゃダメ。
人の上に立つ者が、時に死を命じなければならない貴族が、それだけは言ってはならない。
わかっては、いるんだけど。
ぐちゃぐちゃの頭のまま、私は布団につっぷした。
どれくらい時間が経っただろうか。
ふと、人の気配を感じて目を覚ました。
明かりの落とされた室内に、誰かがいる。彼はベッドサイドに座ってこちらを見ているようだった。
さらりと髪がなでられる。
その指先は、ひどく心地よかった。
このままもう一度眠ってしまいたい衝動と戦い、重い瞼を必死で押し上げる。
悪くない気分だけど、何かがおかしい。
「……?」
ぼやけた瞳に映ったのは、月光に照らされて佇む青年の姿だった。
鋭利な刃物を思わせる鋭い瞳はサファイアブルー。右目の下にはぽつんとひとつ泣きボクロがある。
「フラン?」
会いたいと願っていた、青年だった。






