悪役令嬢の新たなる試み
それから数日、ハルバード侯爵邸は平和そのものだった。
下町は地震災害の復興中、王城は火事の後始末を始めたばかり、といっても郊外に建つハルバードのお屋敷とは少し距離があるからだ。広大な敷地にはちょっとした菜園があり、他の食材も昔から付き合いのある農家から定期的に届けられる。
ただ家の中で過ごすだけなら、災害前と同じ暮らしを続けることが可能だった。
歴史ある侯爵家の財力と権力の安心感、ハンパない。
まあ、家の中が平和だからって、何もしなくていいってわけじゃないけどね。
「リリィ様、こちらでしたか」
庭のガゼボで作業をしていたら、声をかけられた。顔をあげると、庭の向こうからセシリアがやってくる。私は手に持っていた裁縫道具をテーブルの上に置いて彼女を迎えた。
「おつかれさま、ディッツのお手伝いはもういいの?」
「はい。すべての患者様の診察がすみましたので、今日はおしまいです」
ハルバード家の一角には現在、東の賢者ディッツによる特別診療所が設けられていた。私の専属魔法使いであるディッツに、外来患者を受け入れる義務はない。しかし、大災害にあった王都は前代未聞の医者不足状態。猫の手も借りたい医師会から頼み込まれて、『特に高度な治療が必要な患者』限定の外来専門診療所を開くことになったのだ。
街中で開業せずに、わざわざハルバード侯爵邸内に診療所を置いたのは、患者をふるいにかけるためだ。
治療を受けられるのは、宰相家か侯爵家の紹介状のある患者のみ。このルールを破って入り込もうとした患者は、侯爵家の護衛騎士に排除される。
冷たいようだけど、これは医者を守るための大事な対策だ。
いくら優秀でもディッツはひとり。
際限なく患者を受け入れていてはパンクしてしまう。
それに護衛騎士たちもただ追い返してるわけじゃない。軽く症状を聞いて、受け入れてくれそうな医者への紹介状を渡すように指示を出している。
治療を断った患者が門の前で死んでたりしたら、さすがに寝覚めが悪いからね。
「疲れたでしょ、座ってお茶でもどうぞ」
「ありがとうございます」
私がすすめると同時に、後ろに控えていたフィーアがすっとあいた椅子を引いた。
ぺこりとフィーアに軽くおじぎして、セシリアは椅子に座った。フィーアはまたすっと下がると、フードワゴンへと向かった。セシリア用のお茶とお菓子を用意するつもりだろう。
「セシリアがディッツの助手をしてくれて助かるわ。ジェイドは宰相家に出向中だから」
私が侯爵邸に戻った直後、東の賢者の弟子ジェイドはすぐ入れ替わりに王城にあがっていた。宰相閣下のもとで働くフランをサポートするためだ。
「女神の超アイテムに適応できる方は貴重ですからね」
スマホやスマートグラスのような、オーバーテクノロジーアイテムは、勇士七家直系の関係者にしか共有されてない。それらを自在に使いこなせる頭脳と魔力を持ち合わせ、さらに、私とフランを絶対に裏切らないジェイドは貴重どころの騒ぎではなかった。
ほぼ唯一無二の側近である。
私自身が動けない今、ジェイドを派遣することこそが私からフランへの最大の支援と言えるだろう。
「リリィ様は何をされていたんですか?」
「刺繍よ」
私はテーブルに置いてあった刺繍セットをセシリアに見せた。
濃い藍色の生地に、刺繍糸が何か所も刺してある。
「まあ」
セシリアが目を丸くした。
「珍しい、ってストレートに言ってもいいのよ?」
「いえ……それは、その」
セシリアが困惑するのも無理はない。
王立学園ではディッツ師匠のもとで、魔法の研究をしてることのほうが多かったからだ。こんな風に女子らしい趣味に没頭するのは、我ながらひさしぶりだ。
「でも、こういうちまちました作業、嫌いじゃないのよ。小夜子もゲームのレベル上げとか、コツコツ単純作業を積み上げるの、好きだったし」
ゲームのことを何も知らない母親に、『ずーっと同じ画面を繰り返してるけど、それって本当におもしろいの……?』と本気で怪訝な顔をされたのもいい思い出だ。
「それに、これはただの刺繍じゃないのよ」
私はにやっと笑った。






