幕間:悪魔の勧誘(セシリア視点)
リリィ様が去ったあと、研究室には微妙な沈黙が流れた。
ヴァン様がケヴィン様と目をあわせたあと、大きくため息をつく。
「リリィは休ませたけど……これからどうすっかなあ……」
「今までさんざん王子を説得してきてこの状況だもんね。これから改善する方法なんてすぐには思い浮かばないよ」
「あーもう、マジで面倒くせえ」
ふたりがぼやいていると、奥に立っていたドリー先生が、急に私たちの前へと歩を進めてきた。
「作戦がないわけではない」
「ドリー先生?」
突然雰囲気が変わった彼女を見上げて、ライラが怪訝な顔になる。いつもおとなしく、一歩下がっている彼女らしくない。立ち方や仕草も男性的だ。
「だが、それを語る前に、ひとつ秘密を告白しようと思う」
何を? と問い返す暇もなかった。
ドリー先生の姿がぐにゃりと歪んだ。輪郭がほどけて影のように変化する。その影はぐうっと縦に伸びたかと思うと、全く別の姿をとった。
黒髪と青い瞳は変わらない。しかしそこにいたのは、明らかに男性だった。すらりと手足の長い、鍛えられた騎士だ。
「ああああああっ、お前、ミセリコルデの!」
ヴァン様が叫び声をあげる。
「え? え? え? ドリー先生が……男の人?」
「待って待って、どういうことなの!」
ケヴィン様とライラも目の前の光景が信じられないのか、パニックになっている。リリィ様からドリー先生の正体を聞いていた私も、実際に変身した姿が信じられない。
「ヴァン以外にこの姿で会うのは初めてだな。改めて自己紹介をしておこう。俺の名はフランドール・ミセリコルデだ」
「待ってください、フランドール様はリリィの……あの……その……」
「まあそういうことだ」
ライラの疑問を、フラン様は肯定する。ヴァン様はガリガリと頭をかいた。
「やっぱりそうか! なんか雰囲気がおかしいとは思ってたんだよ!」
「俺があのじゃじゃ馬を放置するわけがないだろう」
「だろうな! スゲー納得した!」
「あなたの秘密はわかりましたけど……何故わざわざ俺たちに?」
ケヴィン様がそう尋ねてしまうのは当然だ。
ただ王子を更生する作戦を相談するだけなら、こんな秘密の暴露は必要ない。
しかしフラン様はにいっと口の端だけ吊り上げてほほ笑んだ。その青い瞳は底冷えしていて、全く笑っていない。
「共同作戦を行う上で、下手な秘密はない方がいい。それに……この作戦には少々、俺個人の意趣返しが含まれていてな……何故そんなことをするのか、いちいち説明する手間が省ける」
「意趣返しってお前……あ」
フラン様にツッコミをいれそうになったヴァン様が表情をなくした。ケヴィン様も、ライラも、私も何故フラン様が怒っているのか、その理由に思い至る。
「恋人が目の前でキスされそうになってたら……怒って当然……ですね……」
ケヴィン様の声は震えていた。
見ている私も怖い。
フラン様は私たちの前に紙束を置いた。
「これは、一年がかりで調べ上げた学園の内通者リストだ。王妃派だけでなく、キラウェア国、アギト国、その他の国から入り込んできた者も入っている。こいつらは、王妃に踊らされているアイリスやゾフィーとは違う。本物のスパイだ」
「まだこんなにいやがったのか」
リストの名前を確認しながら、ヴァン様が顔をしかめた。
「王子に現実をつきつけ、小娘どもを処罰し、ついでにこいつらもまとめて拘束するプランがある」
にい、と笑うフラン様は、まるっきり悪の黒幕だ。
「やりましょう」
意外にも、真っ先に返事をしたのはケヴィン様だった。
「王子の行動は目にあまります。今変えなければ取返しがつかなくなる」
「アレがあのまま玉座に座るとか、悪夢だもんな。俺もその話に乗るぜ」
「私もフランドール様に協力します。こんな状況、黙って見てられないもの」
ヴァン様とライラが同意する。
私は……。
「セシリア、お前はどうするつもりだ」
フラン様が私を見た。
「インパクトのある女子生徒がいると助かるんだが」
何をさせたいかはわからないけど、インパクト、ということは私を表舞台に立たせたいんだろう。
私が人前に出て、何かを変える。
そう思った瞬間、喉から声が出なくなった。
沈黙しているうちに、フラン様の眉間に皺が寄っていく。
「……お前の事情は聞いている」
彼はリリィ様の恋人であり、共犯者だ。
だから女神の運命も全て教えられているんだろう。私が、運命を拒否していることも。
「状況には同情するし、受け入れられない気持ちも理解できる。だが逃げ続けてどうなる」
「……」
「一年、あいつと共に過ごしてどう思った? 問題に立ち向かうあいつを見て、何も感じなかったのか?」
私は首を振った。
いつも矢面に立って戦うリリィ様の姿はどれも目に焼き付いている。
だから、どうにもならない『婚約』という問題で苦しむ彼女の姿は見ていて痛々しい。
「全部受け入れろとは言わない。だが、逃げるな。戦う者の前にしか道は現れないぞ」
その厳しい言葉に、私は何も答えることができなかった。
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