エミー:シビラさんにも知らないことがあった
孤児院を出ても、昨日と同じような灰色の空と、昨日と同じような音のしない街。
外壁が高くて、孤児院の二階からでも街の外なんて見えない。
今日はとってもとっても、珍しい組み合わせ。
私とシビラさんだけの、二人パーティーである。
今回私達だけになった理由は、なんとラセルの立候補。
まさか留守番を申し出るなんて、驚いた。
これがサボり魔みたいな人だったら、留守番に立候補するのを自分の欲望丸出しぐらいにしか思わなかっただろう。
だけど……ラセルなのだ。
あの、活躍できなかった自分に対する絶望と、それでも私のために孤児院を守ってくれた責任感の塊である、ラセルなのだ。
そのラセルが、私の危機にも、活躍の場にもなりそうなシビラさんとのパーティーでの外回りを任せた。
ちなみに、ラセルが私のいないうちにどういうことを話したかという内容は、以前聞いている。
いつ話したかというと、アドリア村を出る前のこと。
ラセルは、寝るのが早い。
だから寝静まった後に、女子組で集まってお喋りするんだ。
ラセルのことが嫌いだとか、そういうわけじゃないよ。むしろみんな好きだからね。
でも、それはそれ、これはこれ。
ラセルを混ぜるとしにくいお喋りを楽しんでいるのだ。
そこで、様々なことを聞いた。
アドリアの魔王のこと。孤児院を狙う理由が、私の心を折ることだったこと。
そして……耐久力は術士でしかないラセルが、追放の原因となった私を救うためだけに、自分の命を魔王の前で危険に晒したこと。
その話を聞いて、私は泣いた。
いや、泣いたのは私だけじゃない。フレデリカさんも泣いていたし、ジェマさんだって『年を取ると涙脆くなっていけないねえ……』と、顔を背けていた。
もしかしなくても、ジェマさんが泣いたのを見たのは、あれが初めてだったと思う。
そのラセルが、今回はなんと留守番の立候補。
「ラセルなりの気遣いなんでしょ」
「え?」
隣を歩くシビラさんが、ぶっきら棒に呟く。
「気付いてるわよ。ここに来てから、ラセルがかなりアタシに配慮してくれているってこと」
シビラさんは、そのもやもや感をぶつけるように道に転がる小石を軽く蹴る。
石は灰色の空に影を作り、地面に落ちて音を立てる。
音のない街には、そんな小さな石ですら、大きな音で響いた。
「あいつは、『女神の書』を悪用されたアタシの気が立っていることに気付いてるわ。出会ってまだそんなに経ってるわけじゃないってのに、アタシのことをよく見ている。……全く、生意気よね」
シビラさんが、ぶつぶつ言いながら自分の髪を弄る。
「だから、アタシがいつも言ってる『最良の選択』のために、アタシたちを送り出したってわけ。本当なら、自分一人ででも解決に動くほどの奴よ。だけど、フレデリカのことを考えると誰かが残った方がいい。そしてラセルは、留守番なんていう選択をしてくれた」
「……」
「ラセルのくせに……ラセルのくせに」
そのシビラさんの呟きがどういう感情かは正確には分からないけど。
一つ言えるのは、今のシビラさんの心の中で、ラセルの存在が大きくなっているということ。
だから、ラセルと離れた今でも、ラセルのことを思い出して呟いている。
……ふふっ、なんだか一時期の私みたい。
「エミーちゃんが微笑ましい目を向けてくるのが、なんだかひっじょーに悔しい。そんなに今のアタシ、変かしら」
「んー。普段のシビラさんなら、効率重視! だからラセルが残るのが当然よね! みたいな感じになると思いますよ。ラセルがシビラさんの気持ちを考えて動いてくれてるみたいに、シビラさんもラセルの気持ちを考えているんですね」
「む〜、可愛いエミーちゃんがすっかり言うようになったわねー……」
はぁ、と溜息をつくシビラさんは、私から見ると本当にいつものシビラさんじゃない。
それでいて、とてもいつものシビラさんっぽくもある。
何故ならラセルが絡んだとき、結構この女神様はこうなってることが多いのだ。
「シビラさんって、ラセルのことをよく見てますよね。ずっと暮らしていた私よりも、ラセルの感情の機微に詳しそうで」
「き、気のせいじゃない? 過去の何万人という人間の機微から、共通のものを照らし合わせて予想してるぐらいのものよ」
「ふふっ、そーですか。まーラセルもラセルで、シビラさんのことよく話してますけど。間に入る私としてはちょっと面白——」
「——待って」
私が喋っている途中で、シビラさんが横で私の肩をガシッと掴む。
めちゃくちゃ真剣な顔で、こっちの方を見ている。
え、え? 何か変なこと喋りました?
そんなに変なこと、喋ってないですよね?
一体何の尋問が始まるんですか?
「今さっき、ラセルがアタシのことをよく話してる、って言ってた気がしたんだけど……」
「ん? そうですよ。ラセルは再々シビラさんの話をしています。シビラさんとはマデーラに来てからずっと一緒だったので、ラセルもきっと沢山お話ししてるんじゃないかなーって」
シビラさん、私の両肩を掴んだまま顔を俯ける。
な、なんだろう……本当にシビラさんの様子がおかしい。
「…………わよ」
「え?」
何か呟いたかな、と思って顔を近づけた瞬間、くわっとこっちを向いて、両手を開いて自分の身体の前で大きな物を抱えるように、中腰のポーズになる。
いわゆる『訴えかけるポーズ』みたいなアレ。
「聞いてないわよッ!? え、待って、ラセルってアタシの話をエミーちゃんにしてるの? 何を話してるの? ヤバいこと話してるんじゃないでしょうね?」
「え、え、むしろ褒めてるというか。孤児の子がすぐに懐いたとか、あいつはあの辺すごいよなとか……そりゃまあ、全部ってほどじゃないですけど、基本的に褒めまくってますよ」
「うそ、聞いてないわよ。だってアタシは褒めろと詰め寄っても頭を叩かれてばかりで……」
「それラセルの性格だったらそうなりますよ……。ああ、あとフレデリカさんも聞いたって言ってましたね、ラセルがシビラさんを褒めるの」
「フレっちも聞いてるの!?」
シビラさん、赤面しながらふらふらと後ずさって、柵に背中をもたれかけさせる。
「アタシ、ぜんっぜん聞いてないんだけど……え、待って、ラセルってそんなに……?」
……うわー、本当に珍しい反応だ。ラセル全然喋ってなかったんだ。
これやらかしちゃいましたかね……?
ラセルと話していると、シビラさんの話題が出ることは珍しくない。
だってぶっちゃけ勇者とか聖者とか賢者とかより、『女神』って存在がいることの方が、どー考えても私たちみたいな人間には珍しいし。っていうか珍しすぎるし。
何より、その女神様ご本人が、こんなに人間味溢れる子供大好きのサバサバ美女なのだ。
シビラさんを褒めるのは楽しい。
だって、もうほんとに子供達に慕われてるシビラさんってすごく楽しそうで、その光景はどんな時よりも『女神様』って感じなのだ。
特に孤児院育ちで聖騎士職の私からするとそうだし、同じ境遇の聖者ラセルから見てもそう。
子供と距離を詰めるのは、簡単そうで難しい。好き嫌いは理屈じゃないから、物心ついてない頃の子供との距離の取り方は本っ当に難しい。
それがシビラさんにかかれば、秒だからね。しかも全員同時。
フレデリカさんも、決して子供達みんなと最初っから仲良しってわけじゃない。
だから、シビラさんがすぐに子供達に懐いたときに、その能力を褒めていた……ラセルと一緒に。
特に、女の子の扱いも上手いのに、剣聖に憧れる男の子ともすぐに仲良くなったのは、フレデリカさんには不可能なタイプの距離の詰め方だ。
結論。
ラセル、シビラさんのことめっちゃよく見てる。
「……うっそぉ……聞いてない……もっとアタシに言ってほしい……」
シビラさん、再び髪を弄りながらぶつぶつ喋る。
その様子を見て、どうしてもくすくす笑ってしまう。
だってシビラさんの反応、可愛すぎるんだもの。
あの黒い羽を広げた女神とは思えない乙女っぷり。
こんなに人間味のある感情豊かな女神様、どんなに不敬であろうとも親近感を湧かせないなんて不可能です。
そっかー。
何でも知ってて、どんな状況でも予言みたいに予測できちゃう女神様。
そんなシビラさんでも、自分のことだけは知らなかったかー。
「シビラさん、ラセルに褒めてほしいんですね」
「そうよぉ……こっちでも叩かれたぐらい、本当に遠慮ないんだから。でも作戦立案とか、うまくいった後とか、たま〜に褒めるのよ。でも……そっか、ラセルは結構アタシのこと再々褒めてるんだ。ふふっ、そっかぁ……。ラセルが……そっかそっか……」
シビラさん、ニヤニヤしながらうわごとのようにそう繰り返していた。
だけど、やっぱり私がじっと見ているのが気になったのか、はっとしてこちらを振り向く。
「ううっ、セイリスでもエミーちゃんにはやられていたから、よりにもよってエミーちゃんにこういう姿を見られるのは恥ずかしいわね……」
「やっぱりラセルのこと、意識してますよね」
「……当たり前でしょ」
シビラさんは、再び前に歩き始めた。
「あいつはアタシに並び立とうとしてる。それは、普通の人間なら感じる必要もないほどの使命感や、普通の人間なら耐えられないほどの責任感。それをラセルは、全部受け止めるつもりでいる」
そして立ち止まり、曇り空に手を伸ばす。
「アタシに協力することで、アタシの役に立とうとしている。それは、あくまで『宵闇の誓約』を交わした宵闇の職業を持つものとして……皮肉で言われている『宵闇の眷属』なんてものになるためじゃない」
その手の平を、ぐっと握る。
「女神の相棒を、本気で狙っている」
女神は、絶対。職業を授与する、遙か天上界の存在。
その隣に対等に立つのは、雲を掴むような話。
普通は無理だ、絶対に諦めてしまうだろう。
だけど……諦めていない者がいた。
……そっか、ラセルはやっぱり、シビラさんの隣に並び立てるような自分を考えてるんだ。
本当に、凄いな……。
私は、かつてラセルが指先を少し切って流血しただけで大泣きしたことがある。
その頃の恐怖心も、今ではかなり乗り越えて、ラセルが料理をすることを認められた。
ラセルが、とっても素敵に成長した。
だからラセルのことを追いかけて、そのお陰で私も急速に進歩できた。
だけど……ラセルが凄すぎて。
近づけば近づくほど。その背が遠くなってるような気がしてくるよ……。
「あら、今度はエミーちゃんが考えすぎ?」
「……へ?」
シビラさんがこちらをのぞき込み、頬をぷにぷにつつく。
「心配しなくても、現段階で光と闇を象徴するような職業を両方持っているのは貴方たちだけ。エミーちゃんは、今のままでも十分過ぎるぐらい、ラセルに並び立つ存在よ」
シビラさんがくすくす笑って、離れる。
……そっか、他の誰でもないシビラさんが言ってくれるのなら、きっと本当にラセルに並び立てる存在なんだね。
でも、どうしても『今は』と思ってしまう。
ラセルの、目標へと突き進もうとする意思は、凄まじいものがあるからだ。
その時に、まだ私はラセルの隣にいられるだろうか。
街の門は閉まっていた。
「ぼさっとしてんじゃねえ女子供が! 魔物が多すぎるんだよ、お前等も離れた方がいいぞ!」
「ほいっと」
シビラさんが、気負いなさそうに私のタグを触る。
現れるのは、もちろん聖騎士のタグ。
「せ、聖騎士様……!?」
必ずこの反応いただくよね。
やっぱ特別なんだなあ、聖騎士っていう存在。田舎者だから『つよい!』ぐらいにしか喜ばなかった当時の自分を説教したい。
……そして、聖者を『回復魔法が被ってる』程度で追い出した、当時の自分も。
でも、そのお陰で今の黒ラセルはちょーかっこいいのだ。
結果オーライなんて言ったらさすがに不謹慎だし失礼だけど、でも私は今のラセルと一緒に旅できて幸せです。
ジャネットには申し訳ないぐらい。手紙、ちゃんと読んでくれたかな。
次いでシビラさんも自分のタグを表示させた。
レベルは高いのに、聖騎士ほどの驚きはない。
「アタシたち、先日も魔物を倒しまくったのよ。いくら囲まれても余裕なわけ。街の外、出してもらってもいいかしら?」
「は、はい、お二方がよろしければ、もちろんです……!」
村で威張り散らしていた酒場のおっさんみたいな喋りが、聖騎士のタグ一つでこの変わりよう。
なんだか最早貴族特権みたいでちょっと怖いね、便利だけど、あまりこれに慣れないようにしよう。
この紋章が目に入らぬか〜! みたいな。ジャネットが読んでたよね、紋章一つでみんな地面に膝を突くやつ。
「それでは、開けますが……大丈夫ですか?」
「今は正面にいない。開けたらすぐ閉めて結構、帰る際には呼ぶわ」
「はい、分かりました!」
そして門が開き、私達はその僅かな隙間より外に出る。
「門の外は別世界でした、ってね」
シビラさんが軽く笑って両肩を竦める。
だけど私は、そんな軽い言葉に返せないぐらい、絶句していた。
「——こん、なに……!?」
門から出た瞬間。
初日に見たあの背の低い豚面の魔物が、一斉にこちらを見て……ニタァ、と笑った気がした。
無理。無理無理。
あの時のゴブリン並に生理的に無理な顔。
「そういえば、ラセルはこの好色な魔物に対して怒っていたわね」
「あっ、初日に出たから一緒に戦ったんですよね」
「ええ。剣を持ったラセルに、背中側を守ってもらったわ。やっぱり男の子に守ってもらうのってどうしてもときめいちゃうわね」
う、うらやましい!
そりゃ私って聖騎士だし? ちょー固いし? なんかもうぶっちゃけ殴られてもダメージないぐらい強いらしいし?
だけど、だけどそれとこれは別!
ラセルが魔物から庇ってずばずば大活躍してくれるなんて、それもう絶対やばいやつ。
やられたら私は、多分自分から抱きつかずにはいられないやつ。
うーっ、ラセルが『女神に職業を押しつけられたから太陽の女神は嫌い』みたいなことを言っていたの、今はちょっと気持ち分かります!
「でも、あのときは本当にアタシを守るんじゃなくて、アタシと並び立って戦うことに意義を見いだしていたように思う」
……あ、そっか。背中合わせで戦ってたのなら、それは二人で対等な関係で協力するためだ。
ラセルは、既にシビラさんとの対等な関係を意識している。
近づいてきていた魔物を、シビラさんが魔法で燃やしながらこちらを見た。
「それじゃ、ある程度片付けたら別行動にしましょ」
「わ、分かりましたっ!」
いけないいけない、意識を切り換えなくちゃ。
私は、剣を構えたシビラさんと同じように剣を構えて、隣に並んだ。
そっか……そういう意味では、今も私は女神と並んで戦っているわけか。
もしも。
もしも、ラセルが本当に、女神と並ぶ存在になるとするのなら……私は……。
——そうだ。
私もなればいいんだ。
『女神と並ぶ存在』へ。
そうすれば、必然的にラセルを見ても私だけ置いて行かれているという感覚はなくなるだろう。
この目標は、とても険しいのだと思う。
だけど、私は一度死んだ。
ラセルに命を捧げるつもりが、ラセルに生き返らせてもらった上で、ラセルに力を渡されて救われた。
なら、ラセルに並び立つ存在になることに人生の全てを賭けてもいいのではないだろうか。
ふと湧いて出た簡潔な結論に、私は思う。
——この冷静さも、やっぱり【宵闇の騎士】が出してくれたのだろうか。
私は自分の心の意識の変わり方に、改めて自分の心の変化を意識した。
突然、弱々しい私の心をぐっと支えてくれるこの力、そしてこの精神の切り換え方。
ちょっと自分が変わってしまったようで、時々怖くもある。
だけど、その結果がもたらすのは常に最良。
そして自分の意思が乗っ取られていることはない。
ある意味では、『勇気』みたいなものだ。勇気ある者……まるでこれが、勇者の力みたいだね。
何度も救われた、不思議な私の内面の力。
まだまだ分からないことだらけだけど、うまく付き合っていこう。
そして、どこまで行ってもラセルの隣に立てる自分になるのだ。
よーし、がんばるぞーっ!






