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容易くない場面。だが、無尽蔵の魔力なら

 子供の頃、部屋に入ってきた虫を外に逃がしていた。

 当時の俺にとってそれは何でもなく、うねうねと動く六本の足にそこまで拒否感を感じることもなかった。

 エミーは『やだ無理!』と言って首を涙目で横に振り、ジャネットは表情を消しながら、しかし顔を青くしながらカクカクと首を横に揺らしていた。

 ……ジャネットが首を揺らすと上半身も揺れるので、速やかに俺は虫を部屋の外に全力投球した。羽の生えた虫は元気よく山へ飛んだ。


 ある程度年齢を重ねると、段々とあの虫の動きの気持ち悪さというのも、分かるようになってきた。

 特にダンゴムシの裏面なんかは、じっくり見るものじゃないよな。

 それが大きかったり、多かったりすると……。


「無理無理、無理無理むりむりむり……」


 盾を持てばどんな魔物も吹き飛ばす最強の防御を持つエミーが、俺の後ろからしがみついて、背中に顔を埋めながらいつかのように呟く。


 赤いゴブリンが俺達を認識するや否や、通路を塞ぐように設置されている金属で出来た檻の中で、一斉に動き出す。

 素手の赤ゴブリンが五指をうねらせながら、檻の中から手を伸ばす。

 檻の壁に張り付くように、そして赤ゴブリンの上に赤ゴブリンが乗って、頭上からも手を伸ばすように。

 その奥にも、べちゃべちゃと舌なめずりをした赤ゴブリン。

 檻の中がどれぐらい広いかも分からない。が、とてつもない広さがあるように見える。

 その全てが、こちらに敵意を剥き出しにしながら蠢く赤ゴブリンだった。


 ——なるほど、確かにこれは気持ち悪いな……。


 俺は数年越しに、あの頃のエミーの気持ちを味わうことができた。

 いや、そんな思い出話に浸っている場合じゃないな。

 俺はエミーの頭を撫でてなだめつつ、事情を知っているようなそぶりだった隣の頭脳担当に話を振る。


「シビラ、この悪夢のような光景の説明を頼む」


「……そうね。まず、下層が赤いから何かしらの関与をしているかも、という漠然とした予想。これは外れてもいい程度の、僅かな可能性……のはずだったんだけど」


 そこで、シビラは狼の耳を取り出す。


「オークを討伐している連中が赤会の息がかかってて、魔物の報告があるマデーラダンジョンの冒険者にかかってないのはおかしいと思った。結構強いグレートオークも混ざっている以上、中層にいる緑のゴブリンと緑のブラッドウルフぐらいは余裕かなって」


 グレートオークというのは、平野で一体混ざっていた大きめのオークのことだな。

 緑のゴブリンとブラッドウルフは、中層の敵だ。比べると、このダンジョンの魔物の方が弱い。


「だから可能性としては、下層に入れる冒険者みんな勧誘してる可能性があった。その上で、オークをダンジョン内で養殖して意図的にマデーラ周囲の平野へと『氾濫』させていると仮定して」


 シビラは剣を抜き、目の前の檻を剣で鳴らすように振る。

 キィン、と音が鳴り、赤ゴブリンの指がいくつか飛んだ。


「その仮定が正しければ、赤ゴブリンも赤会が『氾濫』できるように準備しているという可能性も、僅かにあると思ったの。でもねえ……」


 シビラは剣を仕舞い、腕を組んで恨めしそうに正面を睨む。


「可能性としては本当に低い方だったのよ。これは街を滅ぼす規模のもの、つまり完全に証拠隠滅よ。ホラ見てみなさい、あまりにも魔力が高まりすぎて……アレよ」


 シビラが指を指した方には、当然赤いゴブリン……のはずが、妙に大きい。


「赤ホブゴブリン。間違いなく『低級ダンジョン』の、つまり本来の下層フロアボス」


「冗談だろ? まだ第十一層だぞ」


「そう。フロアボスが通常の敵として現れる。つまり——このダンジョンは、下層から完全に別。少なくとも、低級ダンジョンじゃないわ」


 フロアボスが雑魚として出てくるダンジョン。

 それを隠していた……むしろ育てていた可能性すらあるな。


 俺もさすがに、この紐と金属の檻がどういう意図で作られているかというぐらいは分かる。

 ダンジョンの魔力から生まれたゴブリンが、檻の中でしか生まれないように何らかの方法で調整されているのだ。

 そして、遠くからこの糸を切れば、街に赤ゴブリンが溢れだしてくるということだろう。


 街を滅ぼしかねないほどの、尋常じゃない量の魔物。

 数日程度の探索では、絶対に出会えないほどの数。


 それは……実に……。


「……楽しみだな」


 俺の呟きを聞き、シビラがニヤリと肉食獣のように口角を上げ、エミーの頭を撫でながら俺から自身へと抱き寄せる。


「おすすめは、スフィアよ。入口さえそれで塞いでしまえば、後はどうにでもなる」


「了解だ」


 俺は両手を構え、正面を見据える。

 シビラが「三、二、一」と言ったのを聞き、零と同時に俺も声を上げる。


「《ダークスフィア》《ダークスフィア》……」

「……《ダークスフィア》《ダークスフィア》」


 視界の端で、シビラが糸に火を付けたのが分かった。

 その瞬間、どういう仕組みかは分からないが、金属の檻が音を立てて開く!


 目の前には、開いた檻から溢れ出すように身を乗り出したゴブリンの群れ……を埋め尽くす、俺の闇魔法。

 両手から放たれた魔法を次々に赤ゴブリンに直撃していき、その命を奪い去っていく。


 何度も、何度も。

 闇の爆風を広げる球を打ち続けていく。

 ここからは、忍耐力との戦いだ。


 あまり複雑なことを考えていられないので、予め決めていたことがある。

 それは、『赤ゴブリンのいた広場を繋ぐ通路でダークスフィアが破裂するうちは、絶対に魔法を止めない』というもの。

 理由は簡単だ。次から次へと現れてくる魔物が、俺の魔法に当たっている証拠だからだ。


 相手はとにかく、数が多い。

 これぐらいで大丈夫か、とは思わない。

 エミーを怖がらせたお礼だ、徹底的にやってやるさ。


 それに俺の魔力は、どのみち無尽蔵だからな。

 こういう物量戦には一番向いている。

 どんどん来いよ、経験値ゴブリンども。

 この街には手出しさせない、全部俺の血肉となってもらう。




 一発、ダークスフィアが広場の内側まで入っていった。

 隙間が出来た証拠だな。


 その次の二発目は手前で破裂、三発目は再び中へ。

 四発目はまた破裂し、五発目と六発目は中へ。

 これは、段々と中が空いてきている証拠だな。


 そこから数分か……もしくは僅か一分ぐらいだったのだろうか。

 時間感覚が分からなくなるほど、喉が嗄れかねないぐらいの魔法を叩き込んだところで、手を叩く音が聞こえた。


「ハイおつかれ」


 俺はシビラの声を聞き、ふー、と息をつく。

 この第十一層の檻手前に魔物がいないことを察知していた以上、檻の向こうの魔物の数も把握しているだろう。

 そのシビラが、もういいと言ったということは。


「エミーちゃん、ほら見て。ラセルがやってくれたわよ」


「……うう、お恥ずかしいです」


「撫で心地よかったわ!」


 エミーがこちらを振り向き、小さく「ひえっ」と呟く。

 ただ、その全ての赤ゴブリンが動かないことを確認すると、へなへなと壁に寄りかかった。


「す、すごい〜……ラセル、よく頑張ったね……」


「なあに、これぐらいなら大丈夫……と言いたいところだが、本当に喉が渇いたな……」


 シビラは俺の様子を見て、自分のポケットから水の魔石を一つ取り出した。

 コップに水を注ぐと、俺に差し出す。


「はい、女神様からのプレゼントよ〜、ありがたく受け取りなさい」


「今はそんな軽口にも返せないぐらい余裕がないな、シビラ、助かる」


 俺がシビラから水を受け取り、喉を潤す。


「ありがとう、美味かった」


 そしてコップを返して、ほっとしたからか軽く微笑む。

 シビラはコップを受け取ると……少し目を見開いていた。


「どうした?」


「何でもないわ」


 よく分からない反応をしつつ、コップをバッグに仕舞うとハネた髪を弄り始める。

 いや、次の方針を聞きたいんだが……。


「ああー、そうね、ええそうだったわ。多分ここより大変な階層はないはず。降りましょ」


「了解だ。しかし……調子でも悪いのか?」


「なんでもないわよ」


 シビラはそっけなく顔を背けるが、何故かエミーの方がシビラの方をのぞき込んで楽しそうにしていた。シビラはエミーに見られていると分かると驚きに飛び上がり、エミーの頭をぐりぐりと乱暴に撫でる。

 仲がいい……のか? まあ悪いよりは全然いいが……女子組はわからん。




 それから第十一層に降りたが、確かにシビラの言ったとおり魔物は強かった……が、俺にとっては大した相手ではない。普通のダンジョンだったな。

 第十五層まで降りると、準備をしてフロアボスに挑む。


 中にいたのは、ギガントのような身の丈のゴブリン。

 それが複数体だ。


「黒のゴブリンキング、三体いるわ! これはおいしいわね!」


「そうだな! 《アビストラップ》!」


 俺は速攻で、中心にいたフロアボスに高威力の魔法を放つ。こちらに踏み込んだ瞬間に、その魔法は発動した。

 セイリスの魔王は、その服ごと吹き飛ばした魔法。やはりダメージが大きいのか黒ゴブリンキングは叫び声を上げつつも、手に持った大きな鉈を振り上げて距離を詰めてくる。


「させない……!」


 そこで、今回の探索で初めてエミーが前に出る。

 盾が光ると、黒ゴブリンは向こう側へと吹き飛んでいった。


 向こう側に吹き飛んだ?

 エミーは、聖騎士と宵闇の騎士のスキルを使い分けることができるのか……凄いな。


 俺がもう一発魔法を叩き込むと同時に、エミーの盾から大きな音が鳴る。

 見ると、床に鉄の細槍のようなものが落ちていた。左右の黒ゴブリンキングは、弓を持っている。

 人間サイズなら、間違いなく設置して使う大弓だな。


 そして、エミーの盾は黒く光っていた。

 今の矢の攻撃は、『引きつける』ことで防いだのか。

 さすがだ、防御の上では本当に頼りになる。


 エミーがずっと隣に準備している、という安心感は特別なものがあるな。

 だから俺も、落ち着いて魔法を撃つことができる。

 やっぱりお前の存在は大きいよ。


「《アビストラップ》」


 冷静に二重詠唱で魔法を放ち、こちらに移動している最中のフロアボスに高ダメージを当てる。

 中心の近接タイプは、それで動かなくなった。後は弓のみ。


「《アビスネイル》」


 回避せず、移動もしないとなると積極的に打ち込むのみだ。

 黒ゴブリンキングは避けずに撃つのみなのか、そのまま数度魔法を叩き付けると倒れた。

 もう一体も、同じように倒す。


 ゴブリンばかりのダンジョンの経験値は頼りなかったが、どうやら第十一層の物量と、高難易度化したフロアボスが大きかったようだ。

 待ちに待った、あの声が聞こえてきた。


―― 【宵闇の魔卿】レベル13《ハデスハンド》 ――


 なんと、全く違う系統の魔法だった。


「レベルアップした。毛色の違う魔法を覚えたぞ」


「ハンドを? タイミングいいわね! そいつは実際に魔王に無詠唱で叩き付けてみてちょうだい。必ず重宝するようになるわよ」


「そいつは楽しみだ」


 当然のように魔法の効果を言ってくるシビラに対して、ふと気になったことを聞く。


「過去に一番強かった宵闇の魔卿は、レベルいくつまで行った?」


「秘密の方が楽しくない? でも超えたら教えてあげるわ。ぶっちゃけそんなに遠くないのよ、歴代最強。だから、アタシも楽しみね」


 もう、歴代最強に近いのか。

 完全防御無視の最上位職による歴代最強、実に楽しみだ。


 それにしても……最強、か。

 ほんの少し前の俺には考えられなかった呼び名だ。

 このパーティーでの戦いの先に、俺はどこまで行くのだろうか。

 そして……どれだけの魔王に手が届くのだろうか。


 そんな俺の旅路における三体目の魔王が、この先に居る。


「このまま魔王に挑むぞ」


「ええ。今回はアシュリーとマイラちゃんの関係でゆっくりできない。作戦会議して、すぐに挑むわ。エミーちゃんもそれでいいわね」


「はいっ、頼りにしてます!」


 俺達はフロアボスの先の階段をしっかり見つつ、魔王討伐の準備を始めた。

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