相手の心理、シビラの策。そして俺達の心は一つになる
「おかえりなさい、アシュリー。用事は済んだの?」
「はい、フレデリカさん。ちょーっと肌のお手入れをしてもらってまして」
「えっ!? ねえラセルちゃん、私もお願いしてもいいかな?」
俺はアシュリーの言葉に反応したフレデリカへ、苦笑しつつ回復魔法を使う。
笑顔でお礼を言うフレデリカに苦笑し、そのまま夕食を待つ。
「そういえばアシュリーちゃん、自分の使う塩はどうしたのかしら?」
「あー……やっぱりフレデリカさんと同じで、岩塩を挽く方がいいかなって思ったんですよ」
「まあ! 同じ道具に共感してくれて嬉しいわ」
俺とシビラは仲良く料理を始めた二人を笑顔で見届けると、黙して部屋へと戻った。
『……本当に、女神……女神様だったなんて』
シビラが、その羽を顕現させた直後のこと。
呆然としながらも、シビラの姿を見て呟くアシュリーに、シビラは腕を組んで堂々と頷く。
『偽物の神様じゃない、本当の女神よ。だからアタシは、『赤い救済の会』が偽物の神を崇めていることも、知ってるってわけ』
何よりも説得力のある、赤い救済の会の否定。
アシュリーにとっては、今まで教えられてきたものの全てを否定するようなものだろう。
だが、彼女はその姿をすぐに受け入れた。
『信じます。でも、何故表立ってそう言わないのですか?』
『太陽の女神教からすると、真っ黒な翼を好意的に捉えられないの。太陽の女神からしても、ちょっと信仰が強くなり過ぎちゃったのよね。第一顔が割れると動きにくくなるもの……でも、代わりにこうして、一人一人を見て回れるのよ』
そうして表舞台に立たず陰で魔王を討伐しつつも、子供達の世話をしたり助けたりするという、随分と距離の近い女神様が地上に降り立ったわけだ。
セイリスの孤児院も、救ったばかりだしな。
そんなシビラが次に助ける子が、マイラである。
既に考えがあるのか、シビラはアシュリーへと次の作戦を伝えるのだった——。
「——チャンスを待っている、と伝える?」
そして今、二人のシスターが料理を始めるのを見届けた俺達は、部屋に戻ってきたところだ。
今まであったことを、エミーにも説明する。
表情をころころと変えながらも、エミーは最後まで真剣に聞いた。
その次に、今後のアシュリーについて。
裏庭でシビラが立てた策の内容を、ここで復習する形だ。
「ええ。大前提として、人質事件というのはなかなか成功しにくいものなのよ」
「どうしてなんです?」
「言うことを聞いてもらうためには、人質が生きている必要がある。死んでいる人質のために、何かをしようと思うことはないわよね」
「あ」
俺も、その説明は納得したところだ。
人質が生きているかどうか分からない状態で、命令を聞く気にはならない。
「その上で、いくつか相手にとって有利な情報を与えるの。この場合は、例えばアタシが魔道士であることとかね」
相手にとって、アシュリーを『使える人材』と認識してもらうことで、任務を引き延ばすことができる。
「他にも『シビラと一緒にいる聖者ラセルの傍には、寝る時にも睡眠を必要としない聖騎士エミーが守っている』とか、『聖者と聖騎士から信頼を得ているのは、街では自分だけ』とか、沢山情報をねじ込んだわ」
「えっ、私のことですか?」
「もちろん情報は嘘よ」
すぐに否定したシビラに、段々慣れてきたのかエミーも「ですよねー」と苦笑しながら頭を掻く。
「最後に、今日の出来事ね」
留守にしていたエミーにも、新しく入ってきた剣聖に憧れる少年の親が『赤い救済の会』のメンバーで、朝に俺とシビラを狙っていたことを伝えてある。
俺の闇魔法が高威力であったこと、シビラの対応が確実だったことなどから見落としがちになるが、あの男もそれなりに強い者だった。
「とりわけ【暗殺者】ってのは、そこまで沢山いる職業じゃないわ。それ相応に貴重だから、連中もぽんぽん使い捨てできない。マイラちゃんの姿を見せるだけで言いなりになってくれる……と思い込んでる以上、下手に動くわけにはいかないわ」
シビラは、腰の剣を抜きだし、蛍光魔石のランプの光を反射させる。
「アシュリーのナイフは、小さい。赤会を崩壊させられるほど巨大な鉄槌ではないわ。だけど——」
その切っ先を、水平に向ける。
「——司教の一人二人には、確実に届く。その可能性を考えた時、みんな『自分だけ』は無事でいたいものでしょう? 特に……ああいう連中は、ね」
アシュリーが激昂し、赤会に反抗するように動くとしたら。
間違いなく、狙うは司教以上。立場の高い者ほど、命を賭けて刺し違えるように動くだろう。
だから、命令権が強い上位の者ほど、アシュリーを暴走させるような真似はさせない。
「人質を取っているということは、相手を縛っているようで、相手に縛られてるも同然なの。今は身動きが取れない、ということを赤会の連中は下手に頭がいいから理解している」
結果、マイラはアシュリーが生きている限り、無事であり続ける。
人質という手段を取ってしまい、生贄というところを見抜かれてしまったが故の、赤会の決定的なミス。
その上で……相手にするのが、このシビラなのだ。
「手持ちの手札で『一番アシュリーが優秀だ』と連中に思わせることが、一番の作戦。その上で更に、アタシ達がしばらく滞在することも伝えた」
つまり、滞在期間が長くなることにより相手側にとってもかなりの余裕が出る形だ。
下手に場を動かして失敗させるより、情報収集がうまくいっているうちは経過を見守る、という方針……に、こちらの意図で相手の思考を操作する。
もちろん言うまでもなく、滞在期間の情報も嘘だ。
だが、あの大司教は第一手で失敗した。
既にシビラに、顔を知られている。
ならば、アシュリーに任せるしか方法がない。
更にアシュリーが優秀だと誤認するほど、強いと思い込む。
故に……自分たちを襲わせるような下策は避けようとする。
——相手の心は、全て手の内。
『赤い救済の会』は、敵に回す相手を間違えた。
「頼りになるな、『宵闇の女神』」
「あんたもね、『黒鳶の聖者』」
たまには口に出して持ち上げてやろうと思ったが、むしろ返されてしまった。
「ああいう連中を相手にする時は、どんなに正義を説こうと最終的に力がモノを言うわ。……普通の【宵闇の魔卿】は、誰かを助けるような性格をしていない。特に防御や回復なんて苦手分野だし、あんた以外なら絶対に提案していないわね」
力を持ち、【宵闇の魔卿】でありながら誰かを助ける性格をし、回復魔法が使える……確かに俺しかいないな。
「そうやって認めてもらえるのは悪くないな、素直に受け取っておこう」
「アタシはいつでも素直に受け取ってるから、もっと毎日褒めてもいいわよ」
「言ってろ」
こんなタイミングだが、必要以上に緊張していても仕方がない。
これぐらいの軽口を言い合うぐらいがちょうどいいだろう。
「アタシ達は水面下で解決まで動く」
俺はシビラに頷く。
隣で黙って話を聞いていたエミーも続いた。
「何をすればいい。俺もあの赤会の幹部は一人残らず殴らなくちゃ気が済まないぐらいだ」
「私もです。話を聞くほど、アシュリーさんがかわいそうで……。私もラセルも、親の顔は知らないけれど、産んでくれたことには感謝しています。マイラちゃんは、親のことそのものを知らないかもしれない、絶対に母親と一緒の方がいいです」
俺達は親の顔など知らないが、それでも見知らぬ親のことを事情も知らぬまま恨んだりはしない。
それは俺達がフレデリカとジェマ婆さんのもとで恵まれていたこともあるが、やはり誰が何と言おうと血が繋がった相手なのだ。
それを、あの子は何も分からないまま、あんなふうに祀り上げられて……。
ちょうど、俺とヴィンスの中にエミーが混ざって剣を打ち合っていた、それぐらいの年齢だ。
ジャネットの読む本が、まだまだ子供用のものだったぐらいの年齢。
遊びたい、と思ったことすらないように思う。
それどころか、自分と同じ年齢の子供が、この世界にいることすら知らないのかもしれない。
壇上でマイラの傍に立つ、大司教の薄っぺらい面を思い出す。
……許せるかよ。
あんな横暴を見逃すほど、俺は穏やかじゃないぞ……!
「あの大司教は、何としてでも俺の手で自分のしたことを理解させてやる。そのためなら、どんなことでもやってやるさ」
シビラとエミーも、俺の顔を見て頷く。
「既に、仕込みはしてあるわ。作戦は明日の動向を見て伝える。いいわね」
「了解だ」
「わかりました」
俺はシビラの指示を待ち、フレデリカとアシュリーの料理が出来上がった声を聞き、食卓へと降りた。
並ぶ料理は、どれもおいしそうだ。
……今日は、あの粉を使っているわけではないんだな。
アシュリーは俺と目を合わせると、黙って頷いた。
「あら? アシュリーとラセルちゃん、まさか……」
「ち、違いますよフレデリカさん! 本当に何もないんです、本当にラセル様には負い目ばかりで……」
「もう、そんなに慌てなくてもちょっとからかっただけじゃないの。却って怪しいわよ?」
アシュリーのちょっとした違和感にフレデリカも気付いたようだが、軽く流してくれたようだ。
フレデリカは、何も知らなくていい。
お前はただでさえ、子供達のために頑張りすぎているんだ。
もう、俺はフレデリカに世話されるだけの弟分じゃない。
だから、フレデリカの出来ない部分は、俺に任せてくれ。
翌日の朝。
アシュリーがシスター服を着込んで出て行ったのを確認すると、俺達は装備を調えた。
今日は久々に、エミーも一緒である。
「それで、今日は結局どこに行くんだ?」
まだ今日の予定を話していなかったシビラに催促する。
いつも勿体ぶるお調子者女神は、指先を立てて勝ち気な笑顔をしながら、目的を言った。
「マデーラダンジョンの攻略よ」






