アシュリーの真実。そして街に宵闇が降りる
俺の目の前には、あまり見たくなかった姿。
『赤い救済の会』信者のアシュリーがいた。
可能性としてはもう、これしか残っていないということぐらいは分かっていた。
『味覚覚醒粉』がこの街の体調不良の原因になっていたこと。
それを『神の粉』と称して赤い救済の会が配っていたこと。
そして……孤児院の子供も、その症状に冒されていたこと。
分かっていたんだ。
だが、理解したくなかった。
明るいアシュリーが、赤い救済の会の人間だったなど。
俯きながら、アシュリーがシビラの方を向く。
「……なんで分かったか、聞いてもいいですか?」
「そうね。お顔が綺麗になった時に、随分と音を立てて鏡を見に行ったじゃない? その時は結構派手に音が鳴るなと思ったわ」
初日に出会ったばかりの時の、どたどた走る姿を思い出す。
「でも、それ以外の時なんだけど……妙にあんたは足音小さいのよね。それが生来の癖か、職業によるものかは分からないけど」
「お見通しですか……」
「無論。アサシン系統なら不意打ちを受けた場合、間違いなく距離を縮めるか離れるかを一瞬で選ぶ」
「私が距離を縮めるつもりだったのなら、危ない判断ですよ」
「それは、コレ」
シビラが俺の服を手の甲で叩く。
「ラセルのローブの下側は、ファイアドラゴンの鱗から作った鎧。アタシも大差ない、そんなナイフじゃ刺せないわ」
「インナーがドラゴンメイルって……マジかぁ、こりゃ勝てないわ……」
アシュリーは俺の鎧を知ると、諦めたようにがっくりと項垂れた。
だが、こちらの用事はまだ済んでいない。
「さて」
シビラは座り込んで、アシュリーの近くに顔を寄せる。
直後に石の壁が左右から現れ、俺達の姿を隠すように並んだ。
無詠唱でストーンウォールを使ったわけか。
「どういうことか教えてもらってもいいかしら。まあ、大体予想はつくけど」
「……」
こんな時でも、シビラはいつも通りに見える。
やはりこういうことも、シビラにとってはよくあることなのだろうか。
俺にはどうしても折り合いが付きそうにないな。
「『赤い救済の会』の粉。味覚覚醒粉を使った調理は味も良くなるし、ぽんぽん配られたら使っちゃうわよね。体調が悪くなるような粉で、大昔に一度禁止されたって知ってたかしら?」
「——ッ!? そ、そんな……!」
「結構。まあ分かっていて使ってたのならアタシももう会話なんてしたくなかったわ。……でも、どうしてよ」
シビラは声を潜めて、アシュリーに顔を更に近づける。
「あの子たちは、よく育っていた。丁寧に育てられていると分かるわ」
そして……アシュリーの破れた服、首元にある赤い布を握りしめる。
「……どうしてよ。あんないい子たちがいて、みんな仲良く暮らしていて、どうして赤会なんてものに入っているのよ……!」
その反応を見て、俺は自分の目の節穴具合を呪った。
シビラが、冷静だと?
そんなの、ずっとこいつを見てきた俺なら、分かって当然じゃないか。
シビラがどれほど怒りを抑えているかぐらい。
だから——アシュリーの次の言葉は、俺ですら一気に頭に血が上った。
「あの子らは、私の本当の子供じゃないし」
その言葉の意味。
シビラはアシュリーに向かって、拳を振り上げた!
……が、その拳を高い位置で止める。
「どうしたんですか? 早く殴ってくださいよ。最低なこの私を」
「……」
「何なんですか? 暴力では解決しないって? 私はあなたたちのこと殺すつもりで——」
「本当の子供」
「——っ!」
怒り任せに殴るかと思っていたシビラは、一つの言葉を放った。
その瞬間、アシュリーの雰囲気が大きく変化する。
「アタシは、ラセルのことを尊敬していたあんたが演技だとは思わない。あの時確かにあんたはラセルに感謝していたし、真剣に崇めていた。そうよね」
「……当たり前じゃないですか」
「そんなラセルを、いえアタシかしら。どのみち仲間のアタシをあんたは刺し殺そうとした。赤い救済の会の命令だから」
シビラは、俺に確認を取るようにこちらを見た。
だが、直後シビラは首を横に振る。
「っていうのは、理由の半分……いえ、もしかしたらゼロかもね」
「どういうことだ、シビラ」
「ところでラセル、思わない? アシュリーもなかなか美人だって。声も綺麗だと思うわ」
このタイミングで、一体何の話を振ってくるんだお前は。
どんな意図があるというんだ。
……意図?
「綺麗な髪をしてると思わない? ちょうど、赤会好みの」
「……。……おい、まさか……」
「ええ……最近、アシュリーにそっくりな可愛い子、見たわよね」
シビラが言い放った瞬間。
アシュリーは地面に落ちたナイフに手を伸ばそうとしたが、それより先にシビラのブーツによってナイフが弾かれた。
「条件、なのよね。恐らく『本当の子供』の何かに対する」
「シビラさん、ほんとあなた何者なんですか……」
「女神よ」
「……今ならそんな冗談も、本気にしてしまいそうです」
本当の女神ではあるのだが、シビラにとってはこの際どちらでもいいのだろう。
それに今の話、俺も条件に関しては思い当たることがある。
シビラから、ずっとこの街に入って話されていたこと。
赤い救済の会のやり方、その心への取り入り方。
「弱っているところをやられる、か」
「あら、ラセルも分かった?」
「『姿留めの魔道具』という高級品がある。庶民には手が届かないものだが、肖像画の代わりに採用しているところもある。持っているのは裕福な貴族の家や……それこそ、宗教の司教以上、とかな」
俺の言葉を聞いて、アシュリーが目を見開いた。
……当たり、だな。
アシュリーは、諦めたようにぽつぽつ話し始めた。
「結婚相手は、かっこいい人だと思っていました。冒険者仕事をこなす、誠実な人だと。それなりに可愛い自覚もあったので、愛されていると思いました。……違った、全然違った」
話しながら、段々と怒りに顔を染めて地面を叩く。
「あの人は、私の顔も身体も内面も声も、何も認識していなかった。あの男が見ていたのは、ただ一つ……私の髪の色だけだった。そんなことも分からないまま、呑気に私は一人の子供を産んだ。とびっきりの、私にそっくりな娘を」
……残酷な話だ。
僅かな時間しか一緒にいないが、アシュリーは明るく器量もいい、十二分に魅力的な女性だと思う。
アシュリーなら引く手数多だろう。そのうちの幸運な男が、アシュリーの結婚相手であった。
その相手が、髪の色しか見ていない。
……赤ってのは、他人を蔑ろにしてまで重要視するほど、そんなに上等なのか。
神の意志なら、そんなことも認めてしまうっていうのかよ。
「娘が出来て、すぐにあの人はいなくなった。後から知ったわ、赤い救済の会の司教だって。大司教の命令で、私に接近したんだって」
「それで、アシュリーは」
「ええ。『赤い救済の会』に入ることを条件に、マイラを近くで見る権利を与えられた。ただし、声かけは禁止。司祭に祀り上げられているあの子に何かあろうものなら、周りの信者から何をされるかわからない」
マイラ、というのがあの司祭の女の子のことか。
「更に特別任務を与えられた時は、報酬として『姿留めの魔道具』と『音留めの魔道具』がもらえるの」
目で見たように光景をそのまま紙面に残すのが姿留めの魔道具なら、音留めは文字通り声を留める魔道具だ。
魔力を込めて操作すればいつでも声を再生できる。姿留め以上の高級品で、庶民には手が出せない。
……なるほど、遠くから見るしかできない母親としては、喉から手が出るほどの報酬だ。
「ふうん……じゃあ、今回の条件も姿留めか何かかしら」
シビラの何気ない言葉に、今度はアシュリーが激昂した。
「姿見程度でシビラさんを刺して、ラセル様にご迷惑をかけるようなことはしません!」
「でしょうね、多分アタシを刺す条件が……『解放』とかなんじゃない?」
「……な」
シビラは予め、その反応を予想していたように畳みかけた。
アシュリーは気勢を削がれたように、驚きに絶句する。
「さすがにあんたの職業が【アサシン】だったとしても、殺し慣れているとは思わないし、殺しているとも思わないわ。でも……それを決意させるほどの内容なのなら、解放ぐらいでしょうね」
「……何でも、分かってしまうんですね。そうです、大司教様は『司祭の役目からの解放』と仰っていました」
説明を聞きながら、俺も頭の中で整理する。
赤い救済の会が、姿留めの条件としてアシュリーに命令を出している。
これは道具さえあれば、あまりリスクなく可能である報酬だ。
今回の報酬は、娘のマイラの司祭からの解放。
先ほどの言葉から察するに、狙いは俺ではなくシビラなのだろう。
『赤い救済の会』大司教の男に大恥を掻かせた上、司祭マイラの心を開くように絡んだ、太陽の女神教シスターの護衛であるシビラの暗殺。
だが、俺でも危うい部分ぐらいは分かる。
「シビラ。俺はどうにも『解放』されるか疑問なんだが……」
何気なく、シビラに話しかける。
だが、シビラから返事は帰ってこない。
代わりに、表情を消したシビラの呟きが聞こえてきた。
「……状況の弱みや、心の弱り目をつくことで、勢力を拡大した『赤い救済の会』。そのやり方は徹底していて、詐欺集団でしかない。自分たちにデメリットのある条件は、出さないわ」
シビラは、赤会のことを改めて話し始める。
それは、自分に言い聞かせるように。
そして、アシュリーに言い聞かせるように。
……何を、言うんだ。
嫌な予感がする。
「解放。『司祭の役目からの解放』と言ったのね」
「……そう、です」
シビラはここで……初めて、アシュリーの頬を思いっきり張った!
急な変化にアシュリーは反応が遅れ、衝撃のままに地面に倒れ伏す。
孤児院の子供が本当の子供じゃないと言われても、それどころか自分が殺されそうになっても、手を出さなかったシビラ。
そのシビラが、ここまで怒った理由。
「心の弱り目の上、魅惑的な提案。当事者だから、冷静でいられなくて判断ができないのは仕方ない。仕方ないけど、あんたがそれで自分以外を危険に陥れるというのなら、話は別」
「な、なにを……」
「ましてや、それが自分の全てを捨ててでも守りたいほど一番大切なものだったとしたら、アタシは尚更あんたを許せない」
一番大切なもの、という単語にアシュリーは目を見開く。
俺も、これから一体何を言うのか、予想がついてしまった。
「クソ宗教どもの定番なのよ。『解放』という単語を『生贄』の隠語として使うのはね!」
生贄……!
シビラは、あの赤会の大司教が、司祭の子を生贄として処理すると……それを『解放』と称して、アシュリーに……母親に人殺しを強要していると、そう判断したのか!
どこまでも汚いやり方。
あまりにも残酷すぎる事実。
アシュリーは、目を見開くと頭を抱え、ガタガタと震えだした。
その顔には絶望だけが色濃く残り、目は恐怖に揺れている。
「……じゃあ……私が、もし今日、シビラさんを殺していたら……!」
「マイラちゃんが死んで、赤会の連中があんたを処理しておしまい。だって、この街の郵便ギルドが赤会によって管理されているもの。連絡を意図的に遅らせて、自殺か事故かに見せかけて証拠隠滅して隠蔽工作できるわ」
「郵便、ギルド……?」
「郵便ギルドの上の階、部屋真っ赤よ。冒険者ギルドの救援が届かない理由はそれ、握りつぶしてるの。今朝アタシらはそれを突き止めてきたところ。これが郵便ギルドの裏にあったわ」
シビラは袋の中から、今朝拾ってきた焼け焦げた紙切れを見せる。
よく見ると、冒険者ギルドの救援依頼だと、僅かに分かるような内容をしていた。
「まあ、つまりは」
シビラは、残酷に……しかし憐憫の情を隠しきれない目で、アシュリーに宣告した。
「あんたは、親子共々あのクソ大司教の道具だったってこと」
アシュリーは現実を認識すると……ぼろぼろと涙をこぼしながら、自分の顔を手の平で覆った。
「……うっ、ううっ……ひどいよ……あんまりだよ……。私が……私が何をしたって言うの……。ずっと、真面目なシスターで……毎日他人の孤児のために頑張って……それでも、いつかマイラが取り戻せたらって、思ったのに……!」
それは、あまりに悲痛な声だった。
何が悪かったのか……そんなの、何も悪くなかったに決まっている。
アシュリーが普通の女性で、人より頑張りすぎるシスターだということぐらい、近くで見ていた俺でも分かるからな。
アシュリーが、ここまで残酷な目に遭っている理由。
髪が、赤かった。それだけの理由だ。
……あまりに惨い。『赤い救済の会』は、本人が赤いからといって、幸せにしてくれる宗教ではないのだ。
「アシュリー」
シビラが、決意を秘めたように強くその名を呼んだ。
まだ涙を流しながらも、アシュリーはシビラの方を向く。
「アタシがマイラを助けると言ったら、アシュリーは協力する?」
それは、今の状況を考えれば、あまりに望みの薄い希望的観測。
成功しても、失敗しても、司祭のマイラは生贄として使われるという絶体絶命の状況。
——だが、それを言ったのが、このシビラならば。
「どんな協力でもします。命を捧げてもいいです。もう助からなくっても、死んでもいいです。あの子が無事なら」
アシュリーは答えた。
それに対して、シビラは首を振る。
「それでは駄目。あなたにとっては他人でも、孤児院の子供達は、あなたのことを本当の母親のように思っている。そんなことぐらいアタシでなくても分かるわ」
「……ッ!」
「あなたは本当の娘のマイラを、孤児院の子と一緒に紙芝居を見ながら揚げ菓子を待つ、贔屓なしの『対等な友達』にすること。協力の条件はそれよ。だから、死ぬことは許さないわ」
アシュリーは、そのあまりに優しい『協力条件』に再び滂沱の涙を溢れさせながらも、目を開いてしっかりと頷く。
シビラも、その真摯な顔を見て頷き返した。
「よろしい。では——」
夕日は沈み、この街に巣くう邪教の色をひととき消す。
世界は、静かに夜を迎えようとしていた。
街の全てを、塗り潰したかのような赤。
その空も、必ず夜は上書きする。
それは、約束された必然。
この街を引っ繰り返す、青い幕が降りる。
宵闇の時間だ。
シビラは、黒い羽を顕現させた。
「——その願い、『宵闇の女神』シビラが引き受ける」
唖然とする敬虔なシスターに、知略の女神は勝利を約束した。






