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襲撃者の情報と、その事情。女神は手を差し伸べた

 尾行、という可能性は考えていなかった。

 来たばっかりだというのに、俺達もずいぶんと有名になったもんだな。


 至近距離に来たシビラに頷き、俺はその続きの声を聞く。


「ラセルにとっては初めての正式な対人戦になるのかしらね。やることは一つ。無詠唱で、トラップ。アタシがベンチを立った後、その足元」


 アビストラップ、か。

 最後に覚えた魔法であり、魔王の着ているものを吹っ飛ばした魔法だ。


「この魔法の真価は対人戦よ。本来なら危ないから使うべきではないのだけれど、ちょっとアタシも頭にきてるから」


 シビラは話し終えると俺の隣に座り、しばらくじっとしていた。

 時折左を見たり、かと思えば右を見たりしながら、腕を伸ばしている。


 満足したのかシビラが立ち上がり、それに俺も続く。

 やることは終わったのだろう、シビラと並び——。


(《アビストラップ》)


 ——最後に、シビラがいた場所に魔法を使う。

 ぱっと見ても、何が起こったかは全く分からない。


 そのままベンチを離れるように、ゆっくりと歩く。

 曲がり角にさしかかる直前、シビラは後ろを向いた。

 だが興味なさそうに顔を逸らせて、角を曲がる。


 曲がった直後——なんとシビラは一気に走り出した。

 手を繋いでいる俺も、つられて走る形だ。


 尾行してきている相手に気付かれるわけにはいかないため、声を掛けるわけにもいかず走る。

 そしてシビラが向かった先は、もう一つの曲がり角。

 そこを更に曲がると……元のベンチのある広場に出るはずだ。


 シビラは俺の方を黙って見ながら、腰を軽く叩く。

 ……剣、か。装備が軽装でも、さすがに持ってきている。

 必要になるというわけか。


 俺が剣を抜くと、その直後——!


「ッアア……!」


 大きな音とともに、悲鳴が上がる。

 間違いない、アビストラップが発動したのだ。


 シビラがすぐに出たのを見て、俺も走り出す。

 案の定そこには、服を大きく破れさせて倒れた赤会らしき男がいた。

 らしき、というのは……赤い服と白いローブがちぎれていて、全身赤だったのか自信がないからである。

 俺はその男に剣を突きつける。……死んではいなさそうだな。


 シビラが楽しげに腕を組みながら男を見下ろす。


「ちょっとぐらいは、ぬくもりに触れてみたいと思った?」


 倒れていた男は、目を見開く。

 ……そうか、アレはついてきた男がベンチに触れると思って温めていたのか。

 殆ど賭けだな。


「男は他の男がいい思いしてると嫉妬するし、誰も見ていないのならちょっとぐらいは、なんて思っちゃうものよ。特にそれが、このアタシならね」


 女神の美貌に逆らえない、男の悲しい性だな……。シビラはしゃがみ込んで、男の顔を覗く。

 実に楽しそうな顔だ。


「アタシらを尾行していた『赤い救済の会』の男、一体何を隠しているのかしらねー?」


「……」


「赤会のこととか知らないけど、命令されちゃった? 例えば……可愛い司祭の隣にいたクソきたねえオッサンとかに」


「っ! 大司教様になんと無礼な……!」


「やっぱ司教か」


「あ……」


 シビラは司祭のことを触れた時には表情を消していたが、男が失言したことにより再びニヤリと笑う。


「あのオッサン、助祭でなければ司教以上の可能性を考えていたわ。相手を様付けして持ち上げるのなら、下の立場より上の立場。上司に頭を下げられると、部下って断りづらいわよねぇ〜」


「……」


「中身がグズグズに腐っていても、表面が綺麗だと疑いづらい。それであんたみたいな末端まで、アレをいい人みたいに思っていたわけだ。……まだ子供の司祭を自分の欲のために利用する、大司教のことを」


 司祭を補助する立場なら助祭だが、あの司祭の動きは全て大司教と呼ばれた男が操っていたように思う。

 それは『頭を下げる上司』という断れない状況を自ら作って、あの司祭の子を操っていたというわけなのだな。

 その一見謙虚な大司教と錯覚する姿を、信者に見せる。……信者の心情は、大司教の手の平の上ってわけか。


 それにしても、あの男が大司教か……。


「尾行してたアタシに、大司教が誰かばらしちゃったわけだけど、あんたはどーする? このまま戻っちゃう? それともどっかに逃げる?」


「う……」


「あんたはアタシらが生かして返さない可能性も考えてるわよね。でも、アタシらが生かして返したとして、あんたが生きてるかは知らないけど」


 そう、だな。

 赤会の連中が、こいつを生きて返す保証はどこにもない。

 一度、失敗したのだから。


「や、やめてくれ……俺には子供が……」


 子供。

 その単語を聞いて、男が子持ちであることが分かった瞬間、シビラは露骨に不機嫌になった。


「子供がいるのに、よくわかんねー宗教のために自分の命を賭けたわけ? あんたは自分の子供と見たこともないどっかの神、どっちが大切なの?」


 そして残った首元の服を握ると、力を失った男の身体を持ち上げる。


「こうなる可能性ぐらい考えなかったの? そんなに、そんなにあんたにとって自分の子はどうでもいい存在なわけ? まだ赤い神を見たこともないのに?」


「それは……仕方なかったんだ……。赤い救済の会からの依頼は、多額の報奨金が出る。俺みたいな、妻に逃げられた家には、その金が……」


 ……なるほど、この男が尾行犯に選ばれた理由が分かった。

 経済的に弱っていたところを、金で釣られたのか。


 シビラは男の首元から手を離すと、愁いを帯びた目で肩に手を掛ける。


「あんたの事情は分かった。精神的に弱っているときは、正常な判断がしづらい。……だけど、どう聞いても捨て駒よ。成功したところで支払われる保証ないの、あんたも分かってるでしょ」


「それは……」


「……ねえ。知っていること、ぜーんぶ話してくれてもいいのよ? そうしたら、みんなで生き残る方法ぐらいは教えてあげる。アタシは赤会の連中よりも、頭はいいわよ?」


 男はシビラの説得に折れると、俺達に様々な情報を話した。


 何を命令されたか。

 他の協力者は誰か。


 何を知らされていたのか。

 そして……何を知らされていないのか。


 そのうちの一つを聞き、シビラは眉間に皺を寄せる。


「まさか……そういうこと……?」


 何か、今の情報の中に大切なものがあったのだろうか。

 だがシビラが真剣に頷いている様子から、これで隠されていた部分が暴けたのだろう。




 シビラは情報を聞き終えると、男の身体に白い布を被せた。

 それから行った場所は……男の家。


「まず大前提として、あんたは人を襲った罪人として逮捕されること。見たところ、兵士は赤会ではなかったわ」


「そ、それでは子供が……!」


「アタシら、孤児院に世話になってるからそこで一時的に世話をするわ。孤児院にいるのは聖騎士の子だし、赴任しているのは教会の管理メンバーで優秀よ。この街だと親元よりある意味一番安全かもね。……あら?」


 シビラが今後のことに関して説明していると、家の中から男の声を聞きつけたのか、子供が玄関の扉を開けた。


「おかえり……って、うわとーちゃんぼろぼろじゃん。どうしたの?」


「ああ、ちょっとヘマしちまってな」


「かーちゃんがいなくなってから、ぼーっとしてばっかだよなー。また騙されたりしないようにしっかりしろよー」


「……そう、だな……ああ、全く、この子も危ないところだったのか……失敗しても、成功しても……」


 子供と会話していて、男はようやく気付いたようだ。

 もし赤会にとって都合が悪くなったとき、自分が消されるのなら子供も一緒だと。

 ……きっと不安定な精神が、子供の声を聞いて戻ったのだろう。


「なあ。しばらくとーちゃんは帰ってこられないかもしれない。それまで、ここのねーちゃんが、世話してくれる。どうだ?」


「このねーちゃん?」


 シビラはちらと部屋の中を見た後に、しゃがみ込んで両方の握り拳を見せる。

 少年はその姿にはっとすると、両手の握り拳をぶつけて……なんだこれは? お互いに踊るかのように叩き合っているぞ?

 両手を上に下に、片手ずつ交互に、そして両手の平を最後にタッチ。


「ねーちゃん、剣聖様の挨拶できるなんてイケてるな!」


「あんたもその年でマスターしてるなんて、いいセンスしてるじゃない! イケてるわね!」


 どうやら部屋の中にある剣聖にまつわる何かを見て、その挨拶の合図を再現したのだろう。

 さすがの子供好き。当然のように、この子とも一瞬で距離を詰めたな。


 すっかり笑顔で懐かれたシビラが立ち上がり、驚いている男に真剣な顔で答える。


「この子は、『赤い救済の会』とは関係ない。それを、赤い神ではなく……太陽の女神に、誓える?」


「ああ、もちろんだ。この子は俺の活動には関係ない」


「分かった。この子は、アタシが責任を持って預かります。……大丈夫、また元通り会えます」


 シビラは最後に丁寧に言葉を選び、初めて優しく微笑んだ。

 その微笑みは、女神そのもの。


 シビラの子供に対しての真摯な姿に、男は心を打たれて初めて涙を流した。


「うっ……俺は、なんということを……」


「弱り目を狙われたあんたを、アタシは責めない。失敗はしてもいいわ。一番駄目なのは、立ち直らないことだから。子供のことを思いながら、しっかりした頼れるとーちゃんになるために反省しなさい」


 男は最後に深く礼をし、一緒に街の兵士に身柄を預けるところまで見届けた。




 兵士に連れられる父親を見た少年は、急な展開に飲まれている。そんな子供の頭を撫でつつ、シビラは笑顔で「大丈夫」と伝える。

 それから手を繋いで、孤児院へと歩き出した。


 ……俺が思っていた以上に、赤い救済の会のやり方は汚かった。

 魔物に襲われているところを救って信者を獲得していたのに、その魔物を襲わせていたのがそもそも赤会なんだものな。


 そして今回は、家族を失った男の心につけ込むようなやり方。

 さすがにこれ以上、黙って見ているわけにはいかない。


 それは、隣のこいつもそうなのだろう。

 今回は本当に、真剣そのものだ。


「ラセル」


 シビラが、俺の名前を呼ぶ。


 そういえば、シビラはあの男の情報で何を理解したのだろうか。

 いくつか断片的な情報と、誰か分からないがあの男以外にも刺客がいる、という話ぐらいしか理解できなかったが……。


 続く言葉を待っていると……シビラはとんでもないことを言った。


「もしかすると、街を覆う体調不良の原因が分かったかもしれない」

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