女神に教義で説法は、ただの無謀
赤い救済の会。
それは、全身を赤一色で包んだ謎の集団。
以前会ったときは、幼馴染みの中でも賢く情報通だったジャネットにより、無言でその場を去るという方法で事なきを得た。
確か『迂闊に返事すると、別の宗教に入らされる』だったな。
さあて、シビラはどう返事をするか——。
「もちろん信じてるわよぉ〜!」
——思いっきり返事したぞこいつ。
ジャネットの言ったとおり、深い笑みを……随分と含みのありそうな笑みを湛えて懐に手を入れる。
そう、ここで『教義の真実』という口実とともに、自分たちの宗教へ勧誘してくるはずだが。
「特に! 教義の7章15節なんかはいいわよねぇ〜!」
ぴたりと、男の動きが止まる。
シビラは大きく手を広げ、まるで舞台女優のように踊りながら大きな声で演説を始めた。
「あの時のマニエルム様の、『人の上に人を作らず、人の下に人を作らず』という言葉! 同じ人間で格上や格下みたいな分け方することを否定して、太陽の女神様が微笑むところなんかは最高よね!」
「……! え、ええ……」
「更に! 15章に渡って広がる『お金で立場を買った者の破滅』は、いつ見ても気分爽快だわ! あの考え方こそが、アタシたちみたいな民にとって一番大切な部分よね! もう何度も読み込んで、あの章を信じて毎日頑張ってるわよ! 続く16章も、19章の10節もいいけど、やっぱ15よねー?」
ああ……俺は何を要らぬ心配をしていたんだ。
こうなるのは、当たり前のことだったな。
シビラは頭脳明晰で記憶力抜群の、本物の『宵闇の女神』なのだ。
その上、相手を手玉に取るのが得意なこいつに対して『教義の内容』でマウントを取ろうとするなど、愚かにも程がある。
まあぱっと見で女神だと分かる奴は、誰もいないだろうが。
既に男は冷や汗を流しながら、再び懐深くに手を入れていた。
あれは間違いなく、出しかけた教義『女神の書』を懐にしまったところだな。
「いやーアタシ達みたいな孤児院の出身者にとっては、お金で格付けをしない女神様ってほんと素敵なのよ!」
「こ、孤児院の出身ですか……」
「そう! お金で立場を作る人が大嫌いな、誇り高い孤児なの! 馬車の中に、ちょうど教会の管理者さんがいるのよ。アタシたちは手練れの護衛でもあるのよ〜!」
ローブ姿の人達は、明らかに焦った様子で動き出した。更に赤い服を見せていた男は、急いでその服を見せないように白い外装を着る。
そりゃそうだろう。『赤い救済の会』は、『太陽の女神教』の派生宗教だ。
王国の中心である女神教を主軸にしつつも、当然のことながら一致していない解釈があるが故に分かれたもの。
その女神教の中心側に近い人物が、馬車にいる。
慌てもするというものだ。
敵対しているのなら、フレデリカの情報を知られない方がいいかとも思ったが、そもそも孤児院で働く以上すぐにばれるだろうしな。
ならばむしろ、俺達みたいな戦える人間がフレデリカを守っていると知らしめた方が、彼女のためになる……そう考えたのだろう。
「まー貧乏暮らしだけあって、お金は大事って思うわよ? でも何よりも、お金で立場を買わずに自立することが大事! もしも金さえ払えば救ってやるとか、そーんなクソふざけたこと言う人がいたら——」
それまで踊りながら大声を上げていたシビラが、ぴたりと止まる。
そしてゆっくりと男の近くに行き……静かに一言。
「——アタシの全力で灰にするわ」
最後の明確な宣戦布告で、男は一歩後ずさった。
「……ま、あなたたちは見たところ神官系の人みたいだし、教義のお話なんてただの魔道士のアタシが言うのもおこがましかったわねー」
「は……はは……」
ただの魔道士とか、どの口が言うんだろうな全く。
シビラの口か。なら言うだろうな。
「あなたたちのことはよく知らないけど、何かの集まり? まあお互い無事だったことを女神様に感謝しましょ。平等に救われました! よかったわねー、運がよくて女神様に感謝感謝」
シビラは最初に赤い救済の会のことを『赤会』と略して呼び、自分の黒色中心の服を見せて違うことを証明した。間違いなく相当詳しいはずだ。
堂々と知らないと言い張っているが、さっきから言っている内容は、赤い救済の会を的確に否定したもの。
ただし、敵意を持って話をしていたかどうか、相手は確認できない。
何故ならシビラの言ったとおり『人間は魔物ほど単純に相手できない』のだ。それは向こうがこちらを疑う場合にも、当然利用できる。
シビラは孤児でもなければ赤い救済の会もよく知っているため、言った内容は嘘だらけ。
しかし、馬車の中には本物の、教会孤児院の管理代表メンバーであるフレデリカがいるのだ。迂闊な疑惑をかけようものなら、太陽の女神教そのものに明確な敵意ありと認識される。
結果、『赤い救済の会』が取れる手段はない。
ははっ、完全にあいつら呑まれてるじゃないか。
さすがシビラだ、相手を圧倒する様は見ていて実に爽快だな。
「とりあえず、そちらの子が無事か見せてもらってもいいかしら?」
「——あっ!」
「ほいっと」
そしてシビラは、周りのローブ姿の人達が油断している間に、中心にいて守られていた、背の低い人物のフードを思いっきり外した。
確か、司祭と呼ばれていたはずだ。
その中から現れた顔は……赤いロングヘアの、幼い少女。
少女はシビラを、呆然とした顔でじーっと見ていた。
「い、いけません司祭様!」
男はフードを被せると、再び少女の姿が俺達から隠れる。
男は振り返りざまに、表面上は穏やかな顔をしながら頭を下げた。
「そ……それでは、我々はこれで……」
「そういえばあなたたち、何か言いかけてたわよね。名前なんていうの?」
「いえ! 名乗るほどのものではありません」
シビラの質問にびくりと震えて、大型の馬車の中へと集団は戻っていった。
——最後に、少女が振り向いた。
その視線は、シビラの方……の次は、エミーを見て、俺の方を見る。
目が合った気がしたので、軽く左手を挙げて応えた。まあ見えていなかったら、それでいいだろう。
……しかし、あんな小さい子を『司祭』という形で引っ張り出すとは。
連中は一体何を考えているんだろうな。
馬車が動き出したのを、当てつけのように両手を振りながらシビラが見送る。
そして馬車が見えなくなると……こちらに振り返り、ヴィネガーでも一気飲みしたかのような顔で舌を出した。
「うぇ〜っ、めんどっちーのに会ったわねー」
「全く面倒そうに見えなかったんだが……さすがだな」
「ま、こーゆーところは任せなさい」
シビラと顔を合わせると、お互いに軽く手の甲を合わせる。
そこでようやく、さっきまで凍り付いていたエミーが動き出した。
「……わ、わーっ! シビラさんすごい! あの人達ぱぱーっとあしらっちゃった!」
「んもー、エミーちゃんの反応はいつも可愛いんだから、アタシの疲れも吹っ飛んじゃうわ」
シビラがぐりぐりとエミーの頭を撫でる。
魔物の反応に止まった御者とシビラが話をして、再び馬車の中に戻った。
動き出した馬車の中で、フレデリカが黙って腕を組んでいる。
どうしたのか聞いてみると、その疑問を口にした。
「……この辺りに、あんな魔物いたかしら」
「それなのよね、アタシも気になったの」
シビラもフレデリカと同じ意見のようで、そもそも馬車が通るようなところに魔物がいたこと自体が珍しいとのこと。
確かにアドリアとハモンドの間で、道の途中で魔物が現れたことはあまりなかったように思う。
「いくつか可能性は考えておくけど……。とりあえず、着いてからいろいろ考えましょ」
「そうだな」
それから馬車に揺られること数十分ぐらいだろうか。
徐々に緩やかになる速度とともに、街を囲う柵が見えてきた。
馬車が街の中に入り、人通りの少ない道で止まる。
シビラが御者に銀貨を渡してお礼を言い、笑顔で御者を見送った後……真剣な顔になり街を見渡す。
俺もシビラに倣って街を見るが……確かに、まだ昼間にしては、活気が感じられないな……。
「さて、蛇が出るか赤会が出るか」
シビラお前、それもう赤会が出るって言ってるようなもんだろ。
心の中でシビラに突っ込みつつ、フレデリカの先導に従って孤児院を目指した。






