今日初めて、俺は与えることができた。そして、待ち構える相手は……
腕の中に収まった、幼馴染みの重さを感じる。
俺だって、『お姫様抱っこ』ぐらいは知っている。
たとえ教えられなくても、これがエミーの憧れるシチュエーションであることぐらいは、なんとなく分かる。
実際、鎧を装備した人間を持つのはかなりきついが……ま、今日は本当に頑張ってくれたんだ。
少しぐらいはいいだろう。
かつて俺は、ずっと自分の無力感に苛まれてきた。
活躍したいと思っても、動くことができず、かといって自分の得意分野には既に場所がなかった。
シビラに、戦い方を教えてもらった。
そして、俺だけの力をもらった。
俺はあの日から、自分の足で歩くことができるようになったと思う。
本当にそうだろうか。
思えば、その全てはシビラに助けてもらったからだと思える。
このセイリスに着いてからも、本当に細かい部分まで気を回し続けてくれた。
相棒である認識はあったが、それでも『与えてもらっている』部分が多いなと思っていた。
だから俺は、エミーの剣に闇属性を付与した。
これは、シビラに指示されたからではなく、俺が自分で考えたことだった。
シビラは既に、エミーの心のわだかまりを見抜いて、救っていた。
それでも昔の思い出と繋がった、エミーの職業に関しては、長い付き合いであった俺でなければ気づけなかったであろうこと。
それ故に、シビラではなく、俺からでなければ駄目だったのだ。
——俺は今日、初めて『与える』ことができたのではないかと思う。
なあ、シビラ。
これで俺も、お前の横に並び立てるようになっただろうか。
俺だろうが、イヴだろうが、誰かに手を自ら差し伸べて救ってしまう、そんな誇り高いお前に——。
「……んっふふふ……フロアボスが十八体だなんて、ぼろ儲けね〜。鎧付きは耳の形も違うし、特に親玉はこのでかい耳! ギルマスから大金ふんだくれるわよぉ〜」
——そうだった。
お前は肝心なところで、そういうヤツだったな……。
「はーい、お二人さんもそろそろその辺でいいでしょ」
俺の口に指を当てておいて、ぱんぱんと手を叩いてその解除を催促するシビラ。
エミーと目を合わせると、さすがに照れくさくなったのか俺の腕から降りた。
……腰が抜けたのが本当かは分からないが、回復魔法は一応使っておいた。
「とりあえず、回収するものは回収したわ。二人ともお疲れ様」
「ああ、お前もな。シビラなしでこのフロアボスと戦うのは想像するのも恐ろしいな……」
「うん、ほんとだよね。シビラさん、ありがとうございました」
「結果から見りゃアタシは今回ダメージソースになってないんだから、あんたらの頑張りのお陰よ。アタシの想像を超えるなんて、やるじゃない」
シビラは嬉しそうに、エミーと俺の頭をがしがしと撫でる。
……エミーは嬉しそうだが、俺はお前にそんな対応されたいわけではないぞ。
「……エミーちゃんは最高に可愛いのに、ラセルときたら仏頂面よね。アタシに触れられただけで男はみんなメロメロになるべきなのに」
「自意識過剰にもほどがあるぞおい。そうじゃなくてだな……」
俺はシビラの手を腕で軽く除けると、自分の手で頭を掻きながら、視線を逸らして答えた。
「こういう、上司と部下みたいなんじゃなくてだな……もっと対等な関係というか、そういうのでありたいんだよ」
少し驚いたように目を見開くと……ニーッと笑って口元に手を当て、いかにもからかい甲斐があるおもちゃを見つけたぞ、みたいな顔をした。
くそっ、俺は馬鹿か。
シビラ相手にこんなこと言うと、結果は分かってただろ。
「んっふっふ……。今のでシビラちゃん、ラセルが本格的にアタシにぞっこんと見たわ!」
「そういう意味じゃない」
「照れなくてもいいわよ〜。ま、アタシに並び立とうというのなら……」
シビラは一歩下がって、不敵な笑みのまま親指を立て、背中側を指した。
次の瞬間、惜しげも無く黒い羽が、ばさりと大きく開く。
「このアタシ『宵闇の女神』ができることを、あんたもやってみせることね!」
「とんでもねー無茶振りだなおい!」
神の能力とか持ってるわけないだろ!
どうせ出来ないと思って言ってるんだろう、俺もそう思うが、そのうち本気で目指してやるからな!
けらけら笑いながら、あっさり羽を仕舞うシビラ。
こいつ、本当に今、見せびらかすためだけに女神の羽をこの世界に顕現させやがった。
最早女神の神秘性とかカケラもないな……。
……って、今更何を言ってるんだ俺は。
神秘性とか、そんなの元からないよな。
だってシビラだもんな!
「わわわ……」
エミーがシビラの方を見て驚いている。……ってそうか、あれ見るのは初めてか。
「エミー、あれが女神の姿をしたシビラだ。……まあ見ての通り、こいつの中身そのものがコレなんで、あまり女神って感じがしないが」
「ちょっと、それどーいう意味よ」
「そのまんまだ。大体近接冒険者の服にその短髪で女神ってどうなんだ」
「長い髪とか邪魔なだけじゃない、この世界に顕現する度にバッサリ切ってるわ。近接戦闘じゃ邪魔でしょ」
新事実、シビラは元々長い髪を毎度ばっさり切り捨てていた。
俺がジャネットから『髪は女の命』と聞かされていた話は幻だったらしい。
理由も徹底して実用重視、女神らしさみたいなものは、全部ゴブリンの餌にでもしたような女である。
やれやれ、実にシビラらしい返答だと納得するしかないな……。
「さて」
シビラはおちゃらけていた雰囲気を止めて、視線を鋭くしながら扉の方を向いた。
つられて俺達もそちらを向くと……!
「扉が……!」
その先は、間違いなく最下層。
つまり……あいつがいる。
「余裕綽々じゃない。……ダンジョンで、ラセルの逃げ場無し攻撃から逃げられるわけがない。今度はアドリアダンジョンの『忘却牢のリビングアーマー』の時と違って、エミーちゃんがラセルの前に出て攻撃を防ぐ。アタシも魔法で場所を埋めていくつもり」
ずっと一緒に戦ってきていたのに、シビラは既に何かしらの対抗手段を考えているらしい。
なるほど……頭の回転なら、まだまだ並び立つなどおこがましかったな。
「一応聞いておきたい。どうするんだ?」
「石壁の魔法、アレ天井から生やしたりもできるのよね。部屋を狭くして、その上で石の壁に石の槍をグサグサ刺しまくって、上に逃げられなくするわ。恐らく上空に避ける動きができる敵と見たから、先手を取って相手に不利なダンジョンメイクをアタシがやる形ね」
ダンジョンメーカーに、ダンジョンメイクで挑む……相も変わらず、シビラは発想があまりにぶっとんでるな……!
本当に心から、こいつだけは敵に回したくないと思える頭脳だ……。
「うわ……シビラさん、よく思いつきますね……」
「これぐらいできないと、ただの【魔道士】じゃ役目なんてないのよ。ま、その辺は任せてちょうだい!」
シビラの言葉に何よりもの頼もしさを感じ、俺とエミーは頷く。
さあ、いよいよ決戦だ——。
——扉の先は、あまりにも予想外な光景が広がっていた。
シビラは何かを既に察したようで、部屋の中心へと怒り肩で足を進めていく。
「あ、あいつ……あいつッ……!」
そして、部屋の中央にある紙を拾うと……「またやられたッ!」と叫びながら、その紙を燃やしてしまった。
俺とエミーは、慌ててシビラの近くに行く。
「シビラ、今の紙は?」
「あんたら、あの魔王が最後に言った内容、覚えてる?」
「最下層まで降りてこい、という内容だったと思うが……」
「少し違うわ。『孤児院の人間とは思えないほどの強さで、遊び甲斐があると判断したなら、暇つぶしの相手にする』という内容よ」
思い出した、確かにそういうことを言っていた。
……嫌な予感がする。
「あいつーっ! こういう状況だと、満を持しての最終決戦ってやつで盛り上がるじゃないの普通はッ!」
「何と書いていたんだ」
そしてシビラは、その衝撃の内容を叫ぶ。
「たった一言、『暇すぎて飽きました』って書いてたのよ!」
な……。飽きた、だと……。
俺達が、決死の覚悟で挑んだ改造下層フロアボスとの戦いを……苦戦して時間がかかったがために『待つのに飽きた』から、いなくなったというのか……!?
「あーっ、もーっ! この女神シビラちゃんがこうも出し抜かれるなんて! っていうか信じらんないわ、あいつはもう既にこの最下層にいない!」
シビラの叫びを聞いて……ふと、当然の疑問が浮かんだ。
「なあ、シビラ」
「何よ!」
「……この最下層で待つのに飽きたのなら……あの魔王は、どこにいるんだ……?」
シビラは目を見開くと、ぐるりと首を回して最下層のフロアに通路がないことを確認し、俺達に向き直って叫んだ。
「戻るわよ!」
その指示に頷き、結局この日の俺達は、そのままセイリス第三ダンジョンを抜け出すことになった。
既に通ったダンジョンの道を踏みしめながら、俺は思う。
今回の戦いで、得るものは大きかった。
だが、同時に、あまりにもすっきりしない終わり方となった。
帰り道を先導するシビラの背中を見ながら、俺は言葉にできない胸のもやを抱えて走った。
門番に無事を報告し、街に帰るとすっかり夜である。
こんな時でも宝石商は物を売り、貴族は物を買う……前見た男だな、また買っているのか。金持ちは凄いな。
……生まれの高い、安い……か。いや、今考えるのはよそう。
宵闇となった青い世界で、シビラは真っ先にギルドを目指す。
「帰ったわ! 受付……って、あんたは」
「おう、帰ってきたか!」
シビラが受付に声をかける前に、ギルドの広間で『疾風迅雷』のリーダーの人がいた。
「待ってたんだよ、無事をよ」
「あー、ひょっとしてアタシらが戻ってこれるかどうかを?」
「当然だろ? 皆はもう帰ったが、それでも心配していた。俺はリーダーとして不安の種を除く必要がある、だから無事を伝えるために残ったんだよ」
そう言って笑った男は、なるほど確かに熟練パーティーのリーダーを務めるだけある器の人物だと思えた。
「そう……良かったわ。アタシらも、あんたたちがやられてないか心配になってね。無事で安心したわ」
「さすがに上層じゃやられねーよ」
「そういう意味じゃ……ああいえ、何でもないわ。そうよね、数も減ってたから今更やられないわよね!」
シビラは魔王の話題を出しかけて……伝えないように引っ込めた。
それから受付で諸々の話をして、シビラはギルドマスターの部屋へと入り、すぐに用事も終えて皆で宿に戻った。
部屋に戻ると……三人は、静かにお互いを見る。
この戦いで、それぞれの内面が色濃く出たように思う。
孤児院出身の【聖者】であり、【宵闇の魔卿】である俺。
同じく孤児院出身でありながら、神聖なる【聖騎士】となったエミー。
そして……かつての宵闇の魔卿とともに挑んで敗れた、シビラ。
その俺達三人の中にある気持ちは、間違いなく同じだろう。
シビラは、孤児のイヴを救ったことはもちろん、アドリアの孤児院を守るために動いたほどの子供好きだ。本人が言わなくても、そんなことは分かる。
そして俺とエミーも孤児院出身であり、その思い出は何にも代えがたい大切なものだ。
——安価。低俗。貧賎。
あいつは、俺達の人生をそう言い切った。
聖騎士になったエミーの、その内面を全く見なかった。
ただただ、高いか安いかでしか見なかったのだ。
それを知った今は、奴に対して怒りしかない。
しかし、シビラを二度も出し抜いた、魔王としては完全に常識から外れた規格外の能力。俺の不意打ちを後ろ向きでも避けるほどの強さ。
ここから更に、予想外の手を打ってくる可能性も十分にある。
何が起こるか分からない、決して楽な相手ではないだろう。
もしかすると、無事では済まないかもしれない。
……それでも、だ。
「倒すわよ」
「当然だ」
「はい、絶対」
俺達の心は一つ。
短い言葉で、十分だった。
セイリスに潜んだ、最凶最悪の魔王。
どんなに強い相手であっても、どんなに想像を超える相手であっても。
必ず、俺達が倒す。
これにて3章は終了です、ありがとうございました。
この章では、三人の内面を大切にしつつ、ラセルの成長と一歩進んだ格好良さを書いていきたいと思いました。
引き続き、4章での魔王決着編を書き薦めていきます。






