先行パーティーの治療と、新たなる敵。そしてジャネットとの記憶
先行していたという五人組のパーティーは、俺達より年齢が一回り高く見るからにベテランといった風貌だった。
だがその顔には、明らかに疲労が見える。
俺の視界を遮るようにシビラが移動し、こちらを見た。
分かってる、こういう場合に勝手に魔法を使うわけにはいかない、だろ?
もちろん俺も、そういった交渉でシビラより上手くやれると思うほど自惚れちゃいない。
「任せる」
「よし」
俺達には短いやり取りで十分。
シビラは俺の返事を聞いて勝ち気に笑うと、先行パーティー達に向き直った。
と、そこで小さな声が静かな空間に大きく響く。
「あのさ隊長、この子らも迷い込んだんじゃない?」
魔道士らしき男がひそひそ声で話しかけているが、おいこら聞こえているぞ。
男は俺と目が合うと、気まずそうに視線を逸らせた。
その男を見ていると、隣にいたエミーが指先で俺をつついてきた。
「今の、シビラさんとはどういうやり取りなの?」
「シビラに向こうのパーティーとの交渉を任せるという意味だな」
「……よく分かったね?」
「なんとなく、な」
エミーは「む〜……」と唸りながら、隣に戻っていった。……まあ、自分でもかなり気心が知れたような、慣れたやり取りだったなと思う。
ただ……もしエミーとシビラがコンビだったとしても、恐らくこれぐらいにはなっていたのではないだろうか、と思う。
見たところ、二人もかなり仲が良くなったようだしな。
シビラの頭の中は分からないが、シビラの考えていることは分かりやすい。
目指すは常に——最良の結果、だ。
「まず、代表の人は誰かしら」
「……俺だ」
三十路手前ぐらいの、精悍な戦士が手を上げた。
シビラはパーティーをぐるりと見渡すと、一人の女性のところで首が止まる。
その女性は……なるほどな、汗を流して呼吸を浅くしている。
「あなた、アサシンよね。もしかすると、黒ゴブリンの毒にやられたんじゃないかしら」
「……ええ、よく分かったわね」
「アタシも、まさに先日黒ゴブリンの毒にやられたもの。そして……こんなところに潜り込んで出られない理由も、その毒よね」
リーダーの男は黙って苦々しく視線を下げる。
素直に頷くことはできないが、否定はできないといったところか。リーダーのその表情が、シビラの言った内容が肯定であることを告げていた。
「防御ではなく回避で敵を引きつけるタイプの人に、動きを鈍らせる毒は危険。普通の毒消しは効かないのが、黒ゴブリンの毒の特徴。……さてここで交渉だけど。報酬、どれぐらい出せる?」
「やはりそっちのローブ姿の彼は、神官か? うちのが助かるなら……ギガント耳先、5でどうだ」
「んー。あなたたち、20は出せるわよね?」
「さすがに無理だ。……10でどうだ」
「それで手を打ちましょう」
もう少し粘るかと思っていたが、シビラはあっさり引き下がった。正面の男がほっとしたように嘆息する。
交渉を終えたシビラは俺のタグに触れた。
その瞬間に現れる、【聖者】の文字。
目の前のパーティーは、全員が驚いていた。
「ま、まさか本物の聖者……!」
「ついでに隣の可愛い子は聖騎士よ。アタシ達は下層目指してるの、迷い込んだわけじゃないわ」
そのことを伝えると、女の弓術士らしき人が、魔道士の男を怒ったようにばしっと叩いた。
失礼を言ったと俺達に頭をぺこぺこと下げていたが……まあ、あまり気にしていないから、そっちも気にするな。
「じゃ、ラセル。……一応声には出すように。結構もらったし、回復もサービスしていいわよ」
「分かった」
俺は女性の近くに行く。細い身体で敵の攻撃を回避するのは、度胸が要るだろう。
動きが鈍った際の恐怖は、重戦士の比ではないはずだ。
「もう大丈夫だ。《キュア》、《エクストラヒール》」
俺が近くで魔法を使うと、アサシンの女性は瞠目して自分の両手の動きを確認する。それから立ち上がり、その場で軽くジャンプをしながら、腰を低くして——視界から消えた。
俺が振り向くと、靴の音がした方に女性は立っており、自分の両手を見ていた。……これが、回避型の囮役か。初めて見るが、さすが第三ダンジョンに潜っていたベテランだけあって、並大抵の実力ではないな。
「すごい……すごい! 毒も、怪我も……疲労もなくなってる!」
「そういう魔法だ。あんたは一番動くんだろう? ならば、その方がいい」
「ありがとうございます、聖者様!」
「俺の方が年下だ、気楽に接してくれ。対価通りの治療だと思ってくれればいい」
その後パーティーの全員から、次々にお礼をされた。
……こうやって皆がアサシンの一人のために年下の俺に頭を下げるのだから、いいパーティーなんだろうな。
皆からの礼を、感謝される嬉しさと……ほんの少しのちくりとした感触とともに受け取ったところで、シビラが手を叩いた。
「はいはい、それじゃ話といきましょう。まずは……何故あんたたちベテランのパーティーが、中層なんていう自殺願望のありそうな階層まで潜っているか、よ」
シビラのその言葉に、パーティー五人の顔色が変わる。
明らかに先程までアサシンの女が毒で疲弊していた状態の方がマシだったと思えるほどの、動揺。
その表情は——『恐怖』で染められていた。
第三ダンジョンに潜る熟練者の五人組とは思えない、抗えない恐怖に震える姿。
それを後輩である俺達に隠すこともなく晒している。
……何やら、猛烈に嫌な予感がする。
リーダーの男は、自分の膝を強く叩く。
その瞬間に他の皆がはっとした顔で、リーダーの男を注目した。
シビラは腕を組んで、鋭い視線を向けている。エミーは俺の袖をずっと掴んでいた。
「くそっ、情けねえ。だが、あれは……あれは一体なんだ……!」
男が、語り出す。
五人組の『疾風迅雷』は、セイリスでも名の知れたパーティーだった。
戦士、戦士、剣士、魔道士、アサシンの五人で構成されたパーティーは、その名の持つイメージとは裏腹に、慎重なパーティーである。
熟練者というものは、いかにして成功するか……ではなく、いかにして引き際を見極めるかが大切であることを知っている者達である。
シビラが言っていたことだ。
第三ダンジョンを狩り場にできるセイリスきってのベテラン達は、今日も変わることなく第五層まで軽く移動して帰るつもりだった。
しかし、そこで思わぬ展開に見舞われる。
後ろからの不意打ちだ。
慌てて走った先で、全員揃って扉に飛び込んだ時……目の前に巨大な青いギガントが現れた。
そのギガントは、手の平を上に向けると、ぼんやりと光を出した。
「ギガントのフロアボス、遠距離攻撃タイプね」
「……そうなのか?」
「なんであんたがそこで聞き返すのよ」
シビラが当然の指摘をすると……突然五人が真っ青な顔で下を向き、弓術士の女は口元を手で押さえた。
話の先を促すようシビラが顎で先を促すと、男は少し唸った後、意を決したように、そのことを言った。
「……全身黒ずくめの……男、らしきものが現れて、フロアボスを倒したのだ」
その瞬間、シビラは腕を組んだままこちらに顔を向けた。
さすがのシビラも、今の情報を聞いて驚き目を見開いている。
「そいつが、突然話しかけてきてな」
——最近本当に暇なんですよね。これでフロアボスはいませんから、貴方たちは中層に降りなさい。
——降りたくない?
——でしたら、私の遊び相手になってください。……ああでも、貴方たちは存在が安そうだ。安いのは嫌ですねえ……アサシンなんて汚い職業を連れている凡人集団ですか。嗚呼、嘆かわしい……誇らしき存在の、オリハルコンの剣を持つ勇者や、ミスリルの剣を持つ聖騎士が現れないものでしょうか。
「いきなりそんなことを語り出して……俺達は、とにかく目の前の存在から逃げたくて、全員、全力で走った。少なくともフロアボスを一人で倒すようなやつに、俺達が相手になるとは思えなかった。後ろから男の耳障りな笑い声を聞きながら——」
その話を遮り、シビラは強めの声で確認する。
「もういいわ。全身黒ずくめっていうより、顔まで全身ぼんやりと黒いもやで覆われた、人間の影みたいなやつよね」
「……! そ、それだ! そいつだよ! なんで分かるんだ!?」
「そいつが『魔王』だからよ。アタシ達……つまり、【聖騎士】と【聖者】のいるパーティーが狙っている本命の獲物ね」
やはり、魔王か……!
ベテランのパーティー達は、初めて知った魔王の情報に驚いていた。
しかし……その顔に、先程まで浮かんでいた恐怖の表情はない。
その顔の変化を見て、ふと、俺の記憶の扉が開く。
あれはいつだったか。
ジャネットに何かの本を紹介してもらった時のことだ。
その本の知識も興味深いものだったが、ふと俺は、ジャネットへと浮かんだ疑問をぶつけた。
『ジャネットはどうして、本をたくさん読むんだ?』
その質問の回答は、知識を得ることが楽しいこと、物語を読むことが楽しいこと、そして誰も知らないことを自分だけ知っている気持ちよさなど、様々な理由があった。
もちろん、ただ本を読むのが好きというのも理由の一つ。
その中の一つに、こういったものがある。
『知らない知識、未知の情報、そういったものがあるのが怖い』
『どうして?』
『……知識がないせいで、取り返しがつかない失敗をするかもしれない。他にも、僕がどうすればいいか、方法を知らない状況が目の前に現れたら、って想像すると……』
それはジャネットの本心だったのだろう。
優越感以上の、恐怖。知識があれば成功する状況で、知識がなかった場合の想像。
そして……未知の状況にどう対処すればいいか分からない想像――。
魔王は強いし、当然のことながら戦うとなると怖い。
それでも、きっと人は『魔王だと分からない』よりは、恐怖感は和らぐのだ。
「本命の獲物……なるほど、あんたたちは魔王にも対抗するだけの力があると、そう言ってるんだな」
「もちろんよ。自殺願望はないし、腕に覚えのある奴ほど慎重に、引き際を見極めて生き残る方法をしっかり考える……でしょ?」
シビラが冗談めかして言うと、初めて目の前のパーティーに余裕のある笑いが生まれた。
「とりあえず、アタシ達と一緒に移動しましょ」
「すまない、頼む」
一通りの情報交換を終えた俺達は、パーティーで上のフロアまで同行した。
その間に魔物は現れなかった上、フロアボスもいなかったので安全に第五層まで戻って来られた。
「ここの先ね、ちょいっと横道があったから挟み撃ちにされちゃったのよね」
「それでか。だが少し違うな、襲ってきたのは後ろから四体が一気に来たのみだ。それで危険と判断して」
「あら、そうなの? まあ……いいわ」
シビラは少し言いよどむと、そのまま五人組のパーティー『疾風迅雷』を見送った。
エミーがほっとしたように息を大きく吐いた。
「はぁ〜っ……ちょっと緊張したけど、無事で良かった……」
「ああ、この先なら多分大丈夫だろう。……シビラ?」
俺はエミーと安堵の溜息をついているというのに、シビラは先程から口元に手を当てて、ずっと考え込んでいる。
こういう悩む姿は珍しい。
「……バックアタック? アタシ達には、上層の魔物らしからぬ挟み撃ちをしたのに、バックアタックオンリー?」
「それが、どうかしたのか?」
「何かしら……まるで、魔王の要望通りフロアボスの空間に押し込まれるような形で、魔物が動いたって思ってね。少なくとも四体同時は有り得ないわ」
その言葉に、俺はあのパーティーが抱いていた不安が、まるで自分に襲いかかってくるような錯覚を覚えた。
そして、シビラは言う。
「何よりも……アタシは知らないのよ。『魔界』以外に出歩ける魔王の存在を」
その瞬間、全身をぞわぞわとしたものが走る。
俺が一番の物知りだと思っているシビラが『知らない』と言ったことに、俺の身体がここまで反応するとは。
——ああ、そうか。
これがジャネットの気持ちだったんだな。
知識が豊かになったが故の、頭脳で頼れる相手がいない『未知への恐怖』という感覚。
お前はずっと、これを抱えながら、俺達のために知識を蓄え続けてくれたのか。
……本当に、お前は凄い奴だよ。
こういう感覚に陥るということは……知らず知らずのうちに、シビラを精神的に頼りにしすぎている部分があったのかもしれない。
今度は、全員でこの恐怖に打ち克とう。
大丈夫……俺達には、力を持ったお互いの存在がある。
俺はシビラの言葉を聞きながら、まだ見ぬ魔王との戦いを意識した。






