海に教えてもらう本当の世界の広さと、俺達の小ささ
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楽しんでもらえるように頑張ります。
目の前に広がる、青くてきらきらと太陽の光を反射する、不思議な……。
「……これ、まさか全部水か?」
「や、やだなーラセル、そんなはずは……えっ、そんなはずないですよね?」
田舎者丸出しの俺達に対して、シビラが笑い出す。
「アッハッハ! いやー、いい反応ありがとう、二人とも満点よ! ええ、この目の前にあるもの、全てが水。塩を多く含んだ、大陸を囲む途方もなく大きな大きな水。それが、海なのよ」
俺もエミーもシビラの説明に返事できず、ただ呆然と『海』と呼ばれる巨大な湖のようなものを見る。
「ちなみに世界は、海の方が広くって、どっちかというと広い広〜い海の中に、大陸がある、ってぐらいのサイズ差だから」
「冗談……じゃないんだよな」
「もちろん。騙してるわけじゃなくて、ただの事実よ。陸の方が、ずっと小さいの。しかも王国とかあるこっちの大陸より、海の向こうの大陸の方が数倍は広いわ」
数倍……数倍!?
さすがにそれは信じられない。
「嘘だろ、王国と公国と帝国より大きな国なんて……ただでさえハモンドから帝国までの距離なんて、とんでもない遠さなんだぞ」
「シビラさん、ハモンドにいたんですよね? あの街より大きい城下町とか全部含めたのより、見えない大陸の方が大きいとかありえないですよ」
そんな俺達を見て、シビラは返事をせずに、どこか遠くを見るような達観した眼差しで俺達を見る。
海を背景に髪をかき上げなから、潮風に揺られた女神はただ一つの事実を告げた。
「つまり……あんたたちが見ていない『本当の世界』って、それぐらい広いってことよ」
その言葉はすとんと俺の心の中に落ちて、ただ言ったことが事実なのだということを理解させられた。
そうか……そんなに世界は、広いんだな。
子供の頃は、ヴィンスと、エミーと、ジャネットと。それからジェマ婆さんがいて、フレデリカさんがいて。
それだけが世界の全てだったから、みんなそれぞれ個性があって、フレデリカさんの料理もいつも美味しくて。
自分の周りは十分に楽しいな、なんて思っていた。
街に出ると、あまりにも自分の住んでいる世界が小さかったことを思い知らされた。生まれ育ったアドリアの村だけでも全員名前を暗記していないのに、女神の職業選定があったハモンドは、とてもではないがその比ではない。
名前どころか顔すら覚えきれないと思った。
その上で、ハモンドは別に世界一大きい街でもなかった。むしろ小さい方だった。
そして、シビラに連れてきてもらったセイリスから見る海は、俺達人間の世界がどれほど小さい環境なのかを、圧倒的な説得力を持って見せつけた。
世界の本当の形は、とても、とても、とても広いのだ。
「なんかさ」
シビラが両手を広げて、海風を全身に受ける。
「海見てっと、アタシら人って形の生き物の、記憶中枢と論理思考があれこれ悩んでることって……すっげーちっせーなあ! って思えるから好きなのよ」
音を立ててジャケットに風を受け、太陽の光を浴びた銀髪がきらきらと揺らめく。
その髪から覗く顔は、空と同じ曇り一つない快晴だ。
シビラを見つめていると、エミーが勢いよくシビラの隣に躍り出た。
急な行動に俺だけじゃなくシビラも驚いていると、エミーはがばっと両腕を広げて風を受ける格好になった。
「わぁーーーーーーーーーーーっ!」
そして……叫んだ。
エミーが、急に、海に向かって叫び始めた。びっくりした。
俺がまだ驚いている中、シビラは既に何か理解したのか、エミーを見ながら嬉しそうに口角を上げている。
何やら満足したようで、エミーは叫び終わるとくるりと回転し、こちらを向き直った。
「……うん! 私も海、好きかも!」
叫び終わったその顔は、まるで抱えていたものを声と一緒に吹き飛ばしたように、陰が減って晴れやかなものへと変貌していた。
「ん〜っ! エミーちゃんってば、ほんっとかわいいわね〜! あーもーアタシもエミーちゃんみたいな妹欲しかったなー」
「きゃっ、わっ、シビラさん……!?」
何がそんなに嬉しいのか、シビラがエミーを抱き寄せて頭をわしゃわしゃと撫でだした。
エミーは最初困惑していたが、すぐに気持ちよさそうにシビラに身を任せ始めた。それこそまるで、仲のいい姉妹みたいに。
「……ラセル、間に挟まりたい?」
「誰が挟まるか」
さすがにそんな恥ずかしいことは出来ん。何故かエミーが「えー」と残念そうな顔をしているが、挟まるつもりはない。
……無理矢理引き込まれたら抵抗できないことは考えないようにする。
それにしても……海、か。
俺も海を見ながら、風を受けてみる。
日差しもきついのに、風のお陰か随分と涼しいな。
なかなかいい気持ちだ。
——確かに。
確かに、広い……な。
「ラセルは、わーってやらないの?」
「やらねーよ。……うおっ!」
突然、大きな風が襲ってきて、俺のローブがはためく。
そうか、二人の服装よりも風の影響を受けやすいからか……!
俺が踏ん張っているところで、急に身体が風の抵抗を受けずにしっかりと固定される。
見てみると、エミーが俺にしがみついていた。
「ラセル、大丈夫!?」
「あ、ああ……助かった、ありがとう」
「どうしたしましてっ! えへへ、ラセルを早速守っちゃった」
何がそんなに嬉しいのか、エミーはむしろ自分からお礼を言いそうになるぐらい顔をだらしなく緩めていた。
と思ったら、きりっとした顔で口角を上げ、俺を見上げる。
「ラセルには絶対にもう、指の皮一枚、髪の毛一本怪我させないからね!」
「髪の毛は怪我じゃないと思うんだが……」
何がそこまでエミーを駆り立てるのか分からないが、すっかり曇りも晴れて、気合いは十分のようだ。
「……エミーちゃんってば、こんな真っ昼間からアタシの前で相手にしがみついて身動き取れなくするなんて大胆ねー」
「はひゅん!?」
シビラからの一言に、ファイアドラゴンの火を浴びたケトルぐらいのスピードで湯沸かしされたエミーが、真っ赤な顔で離れた。
シビラはそんなエミーの肩を抱きながら、けらけら笑っている。
……がんばって慣れろよー。その女神様は、踏み込んでいい場所なら本当にズカズカ踏み込んでくるからなー。
……それにしても。
「——確かに、広いな」
改めてもう一度、その海を振り返り実感する。
この海の広さに比べたら、俺の人生の、それも僅かな期間の悩みが、本当に小さいものに感じる。
単純に比較できるものではないが……なんだろう、この揺れ動く果てしない水面と、周期的な音を全身の五感で感じていると、自分の全てがこの雄大さに包み込まれるようで……。
ああ……そう思えただけでも、この場所に来られてよかったな。
……もしかしたら、俺とエミーを海に連れてきたのも、こういう目的があったんだろうか。
だとしたら、やっぱりシビラは頭も気も回るヤツだな。
口ではさすがに伝えづらいが、感謝してるぞ。
シビラはやはり気付いているのか、俺が少し口角を上げながら頷くと、肩をすくめて軽く笑った。
それはシビラに似合う、冒険者先輩らしい反応だった。
白い建物が建ち並び、空の青さと相まって爽やかさを演出する街並み。
その道を、時折鎧の兵士達が兜の中から目を光らせつつ巡回する。
厳戒な印象も受けるが、それがこの自由を感じる街の日常を守っていると思うと、あの屈強な兵士達も街の一環だと思えるな。
先導するシビラについていく形で、俺とエミーはそんなセイリスの街を見て回る。
珍しいからつい見てしまうが、さすがに田舎者丸出しだろうか。
「ああ、ひょっとしてじろじろ見ちゃうの気にしてる? セイリスは商いの街でもあるから、あんまり気にしなくていいわよ」
「よく気付いたな。しかしそういうことなら……」
俺も遠慮なく、面白そうなものを探してみるか。
エミーは特にそういう目を気にすることなく、遠慮なくあっちこっちを見ていた。
その視線が、ある一点で止まる。俺もそっちの方を見てみると……。
「……なんだ、あの赤いぶよぶよしたもの……?」
「あわわ、ラセル、あれ絶対魔物の類いだよぉ……」
その魔物は、商店の男が触ると、表面の模様をまだらに変化させた。
あれは絶対魔物だ、間違いない。
そういうものを売っているのか?
ちなみにシビラは、ずっとニヤニヤしながらこっちを見ていた。
……絶対あれが何か知ってる顔だな。まあそもそもここに誘導してきたのがシビラなんだから、この街にあるものを知らないわけがないか。
活気のある市場を抜けると、目の前には白くて四角い建物。
いかにも綺麗な高級宿といった形だ。
その受付に冒険者タグを見せ、記録されている情報から魔法で金額を支払う。
お金を預け入れて支払いをするという冒険者ギルドの仕組みらしいが、俺はあまり使ったことがない。シビラは使い慣れているようだったな。
「『宵闇の誓約』様、三名様でよろしいですね」
「ええ。一番上の部屋、よろしく」
「かしこまりました」
明らかに良さそうな部屋に案内してもらい、部屋に入ると……広い部屋と、綺麗な家具と、街を見渡せる大きな窓。
完全に観光気分だ。
「それじゃ、今からここでの活動指針を説明するけれど」
いよいよ、セイリスでやることを教えてもらうわけだ。
俺とエミーが緊張してシビラの答えを待っていると——。
「まずは! セイリスの街を食べ尽くすわよーっ!」
——思いがけない答えに、エミーと揃ってずっこけた。
……やっぱこいつ、別に俺のためにとかそういうんじゃなくて、観光に来たかっただけじゃないのか?
それが理由だったとしても、そうじゃなかったとしても、結局は『いかにもシビラだな』と思ってしまう辺りがこいつの面白いところだが。
しかし、そういうことなら——俺達も、しっかり観光しないとな!






