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二人とともに馬車に揺られる穏やかな時間と、驚きの街

3章スタートです。

 ガタンゴトンと、普段は外からしか聞かない音が木造の車体に響く。

 街のように舗装されているわけではない、土と草の道を走る車輪は、地面の凹凸をそのまま俺の身体に振動として伝える。


 俺達は今、貸し切りの馬車の中にいた。


 小さな窓から見える青い空をぼんやりと眺めつつ、揺れる度にしがみつく感覚を頭から遠ざけようとする。


 特に……対面の座席に座った、今にも「にっしっし」と笑いそうな……おい今マジで笑ったな?


「おやぁ〜、エミーちゃんと一緒になってから、ラセルはすっかり丸くなっちゃいましたなぁ〜?」


「はったおすぞ」


「できるものならやってみなさい?」


 ……出来るはずがない。俺の身体を固定しているのが、最上位職の一つ【聖騎士】のエミーだからな。

 当然筋力の加護も半端ではなく、俺が本気を出して動かそうとしても、簡単に動くほど柔ではない。

 もちろん、そういった強さも同じパーティーの仲間となると十分に頼りになるわけだが。


 しかし。

 それはそれとしてだ。


「エミー、もう少し緩めてくれないか?」


「ううう……ごめん、ちょっと、これ慣れなくて……」


 どんなに世界トップクラスの職業を持っていたとしても、本人の精神まで変わるわけではない。

 乗り物が苦手だったエミーは、こんな感じでずっと俺にしがみつきっぱなしだった。


 まあ、多少はいいだろう。別に嫌でもないしな。


「……えへへ……」


「あ、エミーちゃん実は割と大丈夫なところをわざと駄目なフリして、ラセルと近づくチャンス! ぐらいに思ってるパターンね」


「ぎくっ!」


 おい今ぎくって言ったぞ。わざわざ自分の口で言うヤツ初めて見たわ。


「あ、あはは……」


「エミー」


「はひ……」


 俺はエミーの頭に、溜息をつきながら開いている左手で遠慮なくチョップする。ちなみにこれは双方合意の行為だ。

 結構いい音が出たが、当のエミーはというと。


「……えへへ〜、ラセルのチョップだ〜」


「本当にお前、滅茶苦茶頑丈だよなあ……」


 最早俺の術士加護の筋力程度じゃこの反応である。

 やれやれ……全く、女神の加護ってやつは本当に凄まじいな。一緒に木剣を打ち合って、一度も勝たせなかった頃が懐かしい。


「はー! お熱いことで! いやーあっついわねー! 『熱砂の国』に向かってるわけじゃないのにねー!」


「自分から振っておいてそれかよ、静かにしてろ」


「やなこった!」


 そして、そんな俺達のやり取りを見ながらニヤニヤしっぱなしのお調子者が、目の前にいるシビラだ。

 表向きは、【魔道士】レベル……21だったか? もう少し上がったのかもしれないが……とにかく、そんな感じの冒険者先輩だ。


 しかし、シビラの本来の姿は、黒い翼を持つ『宵闇の女神』という正真正銘本物の女神である。しかも、教会が信仰している太陽の女神とは違う、闇属性専門の女神。

 実に腹立たしいことに女神と呼ばれるのに相応しい美しさを持っているし、実に悲しいことに本当の女神としての能力も備わっている。

 実に惜しいことに。実に。


「……ラセル、あんたホント容赦ないわね……」


「いや、言われる自覚がないのか?」


「世界最高の完璧美女で、全てにおいて慎ましく清らかなシビラちゃんのどこに惜しむ理由があるというのよ」


 どうやら俺の目の前にいる女は俺の知っているシビラじゃないらしい。

 何一つ一致してないからな。


「はったおすわよ!」


「闇魔法で返り討ちにしてやる」


「シビラちゃんに闇魔法が効くわけないでしょ、同属性なんだから」


 そりゃあ……本物の女神だし当たり前か。


「むーっ、ラセルがまたシビラさんといちゃついてる……」


「そういうんじゃないぞ」


「……うらやましいなあ……」


 エミーはエミーで、どう接したらいいか分からないな……。


 俺は、元々【聖者】ラセルとしてエミー達とパーティーを組んでいた。

 しかし攻撃魔法を使えなかった俺は、パーティーに貢献できずに追い出されることになったのだ。


 それから色々とあったが……その時シビラに【聖者】としてのレベル4つを捧げて【宵闇の魔卿】という職業を授与してもらい、俺は闇魔法を使う【黒鳶の聖者】となった。


 命名してくれたのは、ある意味一番の恩人だ。

 きっと向こうは俺が恩人だと思ってるだろうな。

 そういう関係、悪くないな。


「あら、ラセルは何か考え事?」


「ん? ああ、ブレンダは元気かなと思っていただけだ」


「……そう。ヴィクトリアさんの娘だもの、元気いっぱいよ絶対。きっとあんたより逞しく育つわよ」


「そうだな、お前よりも逞しく育ちそうだな」


 そうお互いに言い合って軽く笑った。小さい女の子であるブレンダのこととなると、シビラも優しい目をして茶化してはこなかった。

 こういう距離感が絶妙に上手いのが、このシビラという女なんだよな。だからどうしても、憎まれ口を叩いても、憎めない。


 会って僅かな日数だというのに、自然と『相棒』と呼べるような存在になった。

 それが、宵闇の女神としてではなく、ただの冒険者としての『シビラ』という存在への俺の感覚だと思う。


 車体が再びガタンと大きく揺れ、エミーが俺にしがみつく。

 ……何だか、俺が揺れないように固定してくれている気もする。いや、これってもしかしなくても、そういうことなのか?

 だとしたら……わざわざ言うのは、野暮だよな。


 ああ……しばらく戦い続きだったから、穏やかな時間だ。

 シビラみたいに実際にあるわけではないが、たまにはこうやって羽を伸ばさないとな。




 しばらく揺られているとこんな揺れも慣れるもので、ついうとうと揺られながら眠気が襲ってきた。

 その睡魔に逆らうことなく眠りにつき、たまに車体が揺れてもまた眠り直す。

 そういう流れを繰り返し、何度目かの目覚めとともに、俺は違和感に気付く。


「……何だ、この感じ……」


 俺は隣で同じように眠っていたエミーを起こす。肩を叩くと「ん……」と声を上げて、寝ぼけ眼が俺を近くで見つめる。


「エミー、起きろ」


「……。……っ!」


 突如目を見開き、がばっと離れる。俺が反応する前に、瞬く間に顔が赤くなっていくエミー。


「初々しいわねー」


 隣から聞こえた、いかにもこいつらしい声に俺とエミーは一瞬で振り向き、野次馬根性丸出しのシビラのニヤニヤ顔を同時に見る。


「さすが一途な幼馴染みちゃん、最高にかわいいわ!」


「ところでシビラ、何か違和感がないか?」


「何……って、ああ。もしかして『香り』のこと?」


 シビラに言われて気付いた。今まで嗅いだことのない匂いがするのだ。

 俺と同じように、エミーも驚いている。


「そ、そうそう。なにこの……なんだろ、不思議な……」


「じゃああんたたちにもう一つ尋ねるわ」


 実に楽しそうな顔でシビラは鼻に指を当てた後、手の平を耳の裏側に当てて片眉を上げる。


「他に気付くこと、ない?」


 そのポーズは、露骨に何が聞こえるかという答えでしかなかった。

 先程からガタンゴトンという音ばかりが聞こえて……。


「——あ」


 俺が気付いたと同時に、エミーからも声が上がる。

 何か……砂嵐のような? 大きな音が聞こえてくる。

 だが、大きくなったり小さくなったり……。


 俺とエミーが顔を見合わせていると、シビラがくつくつと笑い出した。


「んん〜、いやあ、田舎者を外に連れ出す瞬間は、いつになっても楽しいですな〜」


「おいシビラ、そろそろ答えを教えてくれないか?」


「ああ、それなら多分もうすぐよ」


 シビラがそう言ったと同時に、馬車が止まる。

 間違いない、街の門番のところまで来たのだ。


 それから少しの時間が経過した後、馬車の扉が開く。

 その瞬間に流れてくる風の強さ、それから……あの不思議な匂い。


 しかし、それ以上に俺達を驚かせたのは——。


「久しぶりの……海だーーーっ!」


 ——眼前に広がる、果てしなく続く青い水面だった。




 俺達の新しい拠点。

 その名は『港の街セイリス』。


 シビラが選んだのは、海に隣接した街だった。

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