その人が得たものは、生まれより生き方に表れる
地下への扉を開くと、一斉に周りのメンバー達の視線が集まった。
急いで出たリーダーがすぐに戻って来たからだろうな。
「道を開けろ!」
威厳のある声でレティシアが叫ぶと、一斉に道が開ける。
十数人の『不可視』団員達と、何人かいる子供達は俺の顔を見ると、目的の人物であることを察したようだ。
「まだ事情は聞いてないの、すぐに【神官】を呼ぼうと思って」
説明しながら走るレティシアを追い、奥へと進む。
辿り着いた先は、初日に会ったあの部屋だった。
「容態は!?」
「あっ、もうお戻りに」
「いいから!」
倒れた男を看病していた男女二人がさっと引くと……そこには、来客用のソファに敷いたタオルが血まみれになっていた。
横たわっていたのは、俺達を最初に案内した男、ジェロームだ。
「ひ、酷い……!」
エミーが思わず口を押さえて、その姿から顔を背けた。
ジェロームの腕は、完全に切り落とされていた。
意識ははっきりしているようで、エミーの反応に表情を沈める。
この派手な怪我、間違いない。
「カマキリバッタ野郎にやられたんだな」
「……はは、いい呼び名だ。そうだよ……広場で腕をバッサリだ」
やはりか。
あの広場にあった血溜まりは、ジェロームのものだったんだな。
「勝てる相手じゃないだろうが、足も速いだろうに何故逃げなかった?」
「遊んでいた子が、いてな……戦うべきじゃないと、分かってはいたんだが……」
ジェロームは、確実にそれなりの力を持つ者であり、長い間生き延びてきた者だ。
回避と逃走ぐらいは余裕だと思ったが……そういうことだったのか。
しかし、あの広場のことで本当に合ってるのか?
実際にそうだとすると、どうしても一つ気になる事が出てくる。
「教会の近くだろ。何故そこで回復していない?」
「それは……足りないと、言われたからな……」
――は?
足りないから、だって?
「タグの全財産、そりゃ大富豪ほどじゃなくとも半年分の収入は残ってたんだが……この怪我には全く足りないと、止血すら断られてな……」
「何だよ、それは……」
俺が愕然としていると、ジャネットも信じられないといった様子で話し始めた。
「……あの場所は『太陽の女神教』の帝国本部です。教義の基本は『命を大事に』。女神の職業は魔物と戦う人類のためで、危機には利己を廃し全員生存目指して助け合う――あの教義は、全編通して殆どがその内容なのに」
「……だよ、なあ……?」
ジャネットの説明に、ジェロームは同意するように脂汗を滲ませながら苦笑した。
それから残った手で、自分の腹に……それからナイフに触れた。
「理由は分かる……。あいつら、見て、やがった……! 俺が『不可視』だと、知っている顔だ。紋持ちの人間だって……!」
「まさか、ただでさえ高い治療費の、吊り上げ……」
「だろうな……ようやく、レティシア様の負担を、減らせるほど未成年の飯代を出せるようになったのに……」
「ジェローム……!」
レティシアが、両手でジェロームの手を握る。
痛みを共有したようなその表情は、最早リーダーの威厳があるものではない。
――何なんだ、この状況は。
ジェロームが見ず知らずの子供を見捨てたところで、誰にも責められることはない。
斥候・短期戦型の【アサシン】は本来フロアボス向きではない。
その自らが何の得にもならない、何の縁もない教会の子供を助けた結果が、この治療拒否だというのか。
じゃあ何だよ、ジェロームが当然の権利として逃げ出せば、その逃げ遅れたガキが死んだとして、誰かが責任でも取ってくれるのか?
王国では緊急事態ともなれば、基本的に交渉より前に回復優先だ。
命があれば、いくらでも後払いできるからな。
子供を守った礼として、無料で治すぐらいは普通するぞ。
そうでなかったとしても、これほどの怪我ともなればまずは回復優先だ。
そのために、前衛で戦えない回復術士は、太陽の女神から魔法を得ているのだ。
それが、助けたのに支払わされるだけでも傲慢だというのに。
勝手につけられた腹の印一つで、過剰請求に治療拒否だ。
『生まれの貴賎が生涯覆ることはない』
『高貴でないから、印付きなどに堕ちるのだ』
『それは女神の意思に他ならないだろう』
――んなわけねえだろうがクソが!!
本物の高潔さとは、いざという時のそいつの取った行動に表れる!
勝てる闘いじゃない、負けるかもしれない闘いにこそ本質は、勇気は顔を出す!
何が女神の意思だ、本人を知りもしないで勝手に言いやがって!
ジェロームの行動に、間違いなくあいつは人間賛歌を高らかに響かせるだろうよ!
俺はまだ、バート帝国の教会のことを軽く見積もりすぎていたのかもしれない。
ここまで……当事者でもないのに、ここまで怒りが湧き上がるのは初めてだ。
教皇――あいつには必ず、この俺の怒りを全て清算させてもらうぞ。
「……寒い……これは、本格的にまずいですね……。これは、目も……?」
「そんな……!」
「……もう、生き延びたとして……あなたの、負担になるだけで……それでも最後は、一目……」
「ま、待って、待ってよ……うそ、嘘……!」
長躯の男に生気がなくなりかけ、死相が浮かぶ。
命の炎が揺らめく中、遂にこいつが動いた。
「ラセル」
「ああ」
職業を与えた女神の友人は、二人の姿をじっと見る。
見たことがないほど表情が死んでいる彼女は、今何を感じているのだろうか。
ただ、分かることがある。
きっと、俺と同じだ。
今にも外へと暴れ出しそうな怒りの炎を、内側に無理矢理押し込めているんだよな。
「『宵闇の誓約』としてではなく、『宵闇の女神』として言うわ。――事前交渉とかクソいらねえ! 人類史上最大の力を見せつけてやりなさい!」
「任せろ!」
俺達の声にレティシアが振り向き、場所を入れ替える。
……俺達が取り逃した魔物を、代わりに見知らぬ子供を守ったことで死の淵に立った男。
その行動で、こいつがどういうヤツかなんてすぐに分かる。
教会の広場にいた子供は、王国のそれとは全く違う。
この国には孤児院がない。
ハッキリ言って、比較すりゃ相当に恵まれた側のガキだろうな。
だが……そんな子供を、王国の孤児よりよっぽど悲惨な目に遭ったであろうこいつが命と引き換えに助けた。
いい男だ。
こういうヤツは、今の帝国に居てもらわなくてはな!
「《エクストラヒール》!」
(《エクストラヒール》!)
地下の部屋に、視界を覆い尽くす光が溢れる。
俺の腕から、何かが流れて――すぐに循環する感覚があった。
「念のためにこちらも入れよう。《キュア》!」
(《キュア》!)
今まででも特に大きな魔法を使った感覚だった。
……まあ相変わらず魔力量自体は全く減っていなそうなんだけどな。
光が収まった頃には……白いタオルを押しのけるように、元の腕がその場所にあった。
顔色も一気に良くなったな。
「調子はどうだ?」
呆然としていたジェロームは、ゆっくりと自分の腕を持ち上げて指を握る。
一本ずつ動かし、腕の両面を何度も確認して、ソファから立ち上がった。
誰もが無言の中で、男は何度もその場で全身の動きを確認する。
やがて全てを確認し終えると、ようやく俺に返事をした。
「何ともない……」
「当たり前だ」
俺は、自分のタグに触れる。
シビラに教えてもらったように、頭の中で職業を呼ぶ。
(《セット:聖者》)
教わるのが遅くなったのは、恐らくシビラにとって自分の領分から大幅に外れた、他の女神の能力なのだろう。
普通は使わないしな、こんな魔法。
カチャリ、と何か鍵穴の中が回ったような不思議な感覚を覚えた。
成功した手応えを感じながら、その情報を表示させた。
『セントゴダート』――ラセル【聖者】レベル8。
「改めて自己紹介しよう。俺は『黒鳶の聖者』ラセル。今代の【聖者】だ」
「……」
「言っちゃ何だが、あんたはこっちに戻って来ていて良かったな。教会の誰と比較しても俺の方が回復魔法は上だ」
ジェロームは再度、呆然と俺の話を聞いていた。
やがてじわじわと意味を理解し、呟いた。
「俺は、助かったのか……」
男から自然と呟きが漏れる。
その声で危機は去ったと理解した瞬間……決壊した者がいた。
「――わああああああぁぁぁぁぁぁあああ!」
それまで気を張っていたレティシアの、緊張の糸が解けたのだ。
そこにいたのは、『不可視』という帝国の裏組織を束ねるリーダーではない。
ただの、仲間の無事に安堵する一人の女性だった。
「怖かった……また、喪うんじゃないかって……っ」
それを何よりも理解するのは、かつて同じ境遇で育った幼馴染み。
また、今と近い状況になった者だった。
「私も、ラセル君に救われたの」
ヴィクトリアは、泣き崩れるレティシアを後ろから抱きしめる。
「調子に乗って、魔物の毒を貰って……娘を残して死ぬ寸前だった。それが最初に、ラセル君に助けてもらった時」
ああ、俺にとって最初に誰かの役にたった日だな。
思えばあれからだろうか、積極的に誰かを助けるようになったのは。
子供のように泣きじゃくるレティシアを、ヴィクトリアはしばらく宥め続けた。
他の『不可視』メンバーと、あとエミーにイヴも貰い泣きしていた。
凶悪なフロアボスの殺戮を、ジェロームが防いだ。
ジェロームの命の危機を、俺が救った。
フロアボスは、既に倒した。
ようやく、あのカマキリバッタ野郎との決着がついたな。
これにてフロアボスによる怪我人はゼロ。
人間の完全勝利だ――。






