ディアナ:いつ対価を払うんだよ?
馬車の中、ガッタンゴットン鳴ってるけど、やっぱ街中じゃなけりゃこんなもんか。
分かっちゃいたけど、マジで出ちまったんだな。
あたいはぐっすり眠るヘンリーを起こさないよう膝枕をしながら、窓の外を見た。
自分が見たことのない世界。
知らなかった世界。
知ろうともしなかった世界。
あたいは生まれて初めて、帝国の外に出た。
剣闘士になったばかりの頃。あまり戦えていなかったし、人気も出なかった。
ただ、憎まれ役としてデビューして、何度かやられて……やり返すために強くなって、強くなって、強くなって。
石を投げられるのなんてマシな方、ダンジョンの中では後ろから火を撃たれたり、冗談みたいに恨まれた。
ただ、そうでもしないと自分達は『生』にしがみついてられなかったから。
……あーやめだやめ、今となってはその頃の記憶を思い出しても仕方ねーんだ。
あたいの剣闘士生活に、意味はなかった。
もしも実際に何が起こっていたかを考えると、あたいの給料はいったいどれだけ安いままでずっときていたんだろうね。
そんな安値のあたいに、どんな高値を払っても実現できない回復魔法が来た。
ヘンリーにも来た。あの寝込んでいたヘンリーが、普通に歩いたりできるんだ。
いつ闘病の限界が来るかと思っていたのだから、こんなに幸せなことはねえな。
その礼として提示された条件が――。
「ここか……」
――アドリアという村での、魔物討伐任務ってわけだ。
到着した頃には、すっかり日が暮れていた。
ぱっと見た感じ、マジでびっくりするぐらい田舎の村だわ。
建物と建物の間もめちゃくちゃに広いし、住居区を外れたらいきなり森というか草の密林だ。
これが、あの【聖者】や【賢者】の育った場所ってマジかよ。
「ん? おおっ……へえ……あんたは村の人じゃないな?」
「門番の人か。ここってさ、なんか入るのに許可とか要るか?」
「いや、別に。厳密には決まってないが、余所からならタグを提示してもらってる。嫌なら断ってもいいぜ。へへっ」
「いいや、嫌じゃねえ。見せるさ」
ここ王国でも自由に使えるらしいタグに触れ、情報を出す。
『バート』――ディアナ【剣士】レベル20。
うし、以前見た通りだな。
「に、にじゅっ……!?」
さっきまでヘラヘラしていた門番の男が、目を見開いて仰け反る。
「こっちの子は未成年なんだ。通っていいかい?」
「も、もちろん、だ!」
女だからか、それとも変な気を起こしてんのかわからねえがちょいと侮りが感じらる視線だったからな。
いやあたいに限ってそれはねえか。と思ったが、今の見た目は普通に女だったな。
うーん、慣れねえなあ……いや悪くはねーんだけどさあ。
「そうだあんた」
「あ、ああ。何だ?」
「コジーンって知ってるか? そこに用事があるんだ」
場所を聞いたところで馬車を降り、ヘンリーを起こす。
村を見て、ヘンリーは土の感触を楽しんでいた。
「のどかだね」
「ほんとな、シビラってここで過ごしてたのか? 似合わねー」
教えてもらった場所に向かう。
目印は少ない反面、迷うほど建物の数も多くない。
目的の建物すぐに分かった。
「えい、えい! ぼくが勇者だぞー!」
「ずるい! ぼくが勇者!」
小さな木剣を無造作に振り回す子供。
その二人を見る二人の子供。
近くには、切り株に座る女の子が音の鳴らない草笛に苦戦していた。
「晩ご飯ができたわよ。みんな手を洗ってね」
「はーい!」
桃色の髪をした綺麗な女性が現れ、子供達を呼ぶ。
子供達は我先にと小さな教会のような建物の中へと入っていった。
あった……本当に、子供達を育てるための施設……!
「……?」
近くでずっと凝視していたからか、シスターの女と目が合ってしまった。
いけね、これじゃ不審者じゃんか。
「すまねえ、ここはコジーンって場所かい? ジェマかフレデリカって人を探しててな」
「私がフレデリカですが……ど、どちら様ですか?」
めちゃめちゃ警戒されてる。
いや、傍目にはあたいってクソでけえ大剣を背負った女だしな。
そんなヤツがガキ達の群れをガン見てりゃこえーわ。
「あー警戒しないでくれ。えっとな、あたいはシビラって人に言われて――」
「まあ! シビラさん!」
◇
「そりゃあんた長旅だ、大変だったね」
孤児院ってとこに入らせてもらうと、元気そうな婆さんと一緒に食卓を囲むことになった。
桃色髪のシスターが、スープを器に注いでいく。
湯気から良い匂いがするなあ。
「いいのかい、いただいちまって」
「元々多めに作っていたのよ。ラセル君やヴィンス君はもちろん、エミーちゃんがすっごく食べたから」
へえ、本当にここで育ったんだな。
あいつらの過去を知るってのも面白いもんだ。
「それに、話によるとあんたは魔物討伐の任務をシビラさんから受けたんだろう? あの人が指名したのなら頼りにさせてもらうよ」
やっぱシビラ、信頼えぐいな。大体その名前で何とかなるってぐらいだ。
ヘンリーはスープを飲み終えると、ふわーっと息を吐いた。
「おいしい……! こんなにおいしいスープ、初めてです! フレデリカさんは天才ですね!」
「まあ~! 料理の感想を言ってくれるなんて、良い子が来てくれたね~!」
フレデリカってすげー美人さんが嬉しそうに笑ってるけど、いやマジで美味いんだわこれが。
国外から来たんで味とか合わないかと思ったが、とんでもない。
滅多に食べられなかった帝国での外食より断然……あー、うまく言えないが腹に優しいって感じで美味い。
中身は野菜だけを煮込んだ感じなんだが、すっげえなあ。
「こりゃ頑張んねえと、ただのタダ飯喰らいになっちまう。もし必要なことがあったら言ってくれ。肉でも何でも狩ってくるぜ」
「頼もしいわ! 子供達にもお肉を食べさせてあげたいんだけど、どうしても予算の都合がね……」
そうか。当たり前だが、食事を作るのには金が要る。
こんだけのものを作ったんだ、アホのあたいでもあの味の薄い野菜をここまでに仕上げた調味料が半端ない量あるのは分かる。
この上から肉なんて……でも勇者に憧れる子供って、肉もっと食いてえよなあ。
正直こっちとしちゃ、全身回復してもらった代金として働きに来てるのに、働く前から飯だけってすげえ後ろ髪引かれるよな。
「じゃ、腹ごなしにちょいと外を見回りに行ってくるわ」
「くれぐれも無理しないでくださいね」
「無理しなくちゃシビラのヤツに怒られるっつーの。ま、あたいは強いから心配してくれなくていいぜ」
そう言うと、ヘンリーの頭をくしゃくしゃ撫でて薄暗い村の外へと出た。
村の護衛と言いながら割と『魔峡谷』中心から遠いだけあって、しばらく出番はなかった。
それでも毎日見回りは欠かさなかったし、
後はそうだな、悪ガキ共の面倒見たり、勇者に憧れる男の子の模擬戦の相手もしてやった。
背が伸びてきてるヤツなんかも見込みありだが、まああたいの足元には及ばねえ。
女の子の遊びはよくわかんねえ。
困ってたんだが、ヘンリーがその辺りに交ざってうまくやってるらしい。
あたいの弟、もしかして天才か? とまで言うと姉馬鹿か。
でもあたいが剣の先生で弟が女の子守っておかしくねえかなあ。
「ぐええ、ディアナのやつつえーよ、誰か倒してくれよお」
「ラセルさんなら倒せるかな?」
ラセルってあの聖者か。そういや剣持ってたし、やっぱ憧れは勇者だったんだろーなあ。
名前が挙がるってことは、結構強い部類で通ってたんだろうし。
「ラセルはわかんね。あたいは帝国じゃ負けナシだったからな」
「負けたことないの?」
「ああ……いや、負けたわ。ヴィクトリアって剣士には完全に負けたな」
そう言うと、周りの子が一斉に茶髪の女の子の方に向いた。
「ディアナさんより強いの!? やっぱりお母さんって凄い……!」
「お前がブレンダか!? に、似てねー! 可愛いなあ!」
立て続けにそんなことをまくしたてちまった。
いやあたいだって負けたこと自体はクッソ悔しいんだよ。
ブレンダは似てないことに「えー」と言ってたけど、できればお淑やかに育ってくれよなー。
多分ヴィクトリアもそう思ってるんだよなあ。
◇
移住して十日後、ようやくというか何というか、襲撃があった。
「魔物だ! 前来たやつがまた来た!」
昼間からカンカン鳴るベルと、村の門がガンガン叩かれる音。
どうやらこの魔物、何度か来てるらしいじゃねえの。
あたいは走り出すと、門を押さえて震える門番達を尻目に——柵を跳び越えた!
「ええっ!?」
驚く声を無視し、門を壊そうとする相手を見つける。
人間の肩ぐらいのサイズで、紫色の毛。明らかに魔物だな。
よく見るとこいつは……マジかよ、猪タイプだ。
魔猪ってことは——食えるな!
巨大猪はあたいを認識すると、猪突猛進! とばかり思いっきり突進してきた。
ぶつかりゃ並の人間は踏ん張りも利かずにいいように吹っ飛ばされるだろう。
だがこの程度でビビるほど、ヤワな鍛え方してねえ。
「あの糸目ママには負けたが、あたいは本来負けナシなんだよ。——オラアッ!」
ぶつかる寸前に横をすり抜ける形で、魔物を下から斬り上げる!
帝国のダンジョンにもいたが、こいつら背中は硬いからな。初手で腹狙いが当てやすい。
弱って速度が落ちたところを、横っ腹だ!
『——!』
思いっきり体を突き刺すと、魔物は痙攣して倒れた。
念入りに首も刺して、くたばったことを確認する。
門番が目を丸くしているのを手でひらひらと応対し、孤児院の前まで持ってきた猪を、ドスン! と置く。
その音を聞いてか、建物の中からフレデリカが現れ、目を丸く開いた。
「よっ、フレデリカ。これ、あいつらの晩飯になる?」
「……な、なるわ! 凄い……久々にごろごろのお肉でお腹いっぱい食べさせらせる! 余りは腸詰め、燻製、他にも……ああ、いくらでも作れそう!」
嬉しそうに食材の調理法を考えるフレデリカを見てると思ったんだが、自分の力がこれだけストレートに誰かを喜ばせられたってこと初めてか? こっちが嬉しくなるな。
「そういえば、解体とかもやるのか?」
「さすがにその辺りは、専門の方に解体してもらうことにしています。とはいえ、こんな大きさの魔物が出たことが初めてだから、大丈夫かしら?」
「それなら、解体もあたいが今から冒険者ギルド行ってやってくるよ」
あたいの提案に、フレデリカは目を見開いて驚く。
「そんなことまで任せてもいいの? 確かに解体に参加した方が費用も安くなるし、取り分も多くなるけれど大変よ?」
「ハハッ、じゃあ参加で決まりだな。なんつったってコレを持ち運んで吊り上げるのは、村の男衆を見てもあたいが一番適任みたいだからさ」
それに、と続ける。
「これはね。ずっと病弱で、生まれてからあたいが馬鹿だったせいでずっとベッドの上だった、ヘンリーのためでもあるんだ。あの年だけど、友達ができたの自体初めてだからさ。みんなにとってのいい姉貴になれればって……ああもう、これ内緒な?」
こんなこと大真面目に語る気なんてなかったというのに、調子狂うなー……。
そんなあたいの下心も垣間見える弁明に、フレデリカはむしろ余計に感動したようにこちらに身を乗り出して来た。
「ありがとうございます、ディアナさん! 子供達も大喜びですよ! ヘンリー君も、すぐに
人気者になります。本当に、ディアナさんが村に来てくれてよかった……!」
「いや、そもそもコレが元々の仕事なんだよな。その上でヘンリーまで食わせて貰えるんだから、お礼を言われちゃ仕事を請けた立場がねえって。気にすんなよ、な?」
そう返すも、シスターさんからは剣闘士時代には得られなかった尊敬の眼差しが眩しい。
——ああ、なんかこれ、もらってばかりだなあ。
回復魔法の代わりとしてシビラに指示された孤児院の守護だけど。
このぐらいの仕事で、めちゃめちゃ喜んでもらえてる。
飯の心配がないから、金の心配ももうねえわ。ヘンリーも友達ができた。
なんつか、対価を払ってる感じが全然しないんだよ、この仕事。
全然魔物少ねえし、村の柵は頑丈だし、何よりダンジョン中層組のあたいには余裕だし。
本当に、何の欠点もないほど、楽で、楽しくて、充実している。
「……今頃あいつら、どうしてっかなあ」
あたいは自分を助けた連中に、また礼を言わないとなと北東の空を見上げた。
薄青くなった空と涼しい風が、長く伸びたあたいの赤い髪を揺らした。






