帝国の教会における頂点との遭遇
すみません内容のコピーミスをしておりました
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――その直後。
「……何だ?」
廊下の雰囲気が、来た時とは違うことに気付いた。
不自然に静かというか……何か行事でも行われているのかというぐらいに違和感がある。
ヘルマンがこちらに振り返り、小声でこちらにだけ聞こえるように話し始めた。
「……教皇様です。失礼のないように」
その意味を理解し、全員が息を潜める。
ヘルマンに続いて廊下を進むと、やたらと金の装飾がギラギラと激しい服に身を包んだ、高齢の男が歩いているのが見えた。
常に怒っているような眉間の皺が目立つ。
焦げ茶色の髪で掘りが深い老人は、太った体を揺らしながら歩く。
周りの神官が立ち止まり頭を下げているが、教皇とやらは顎を僅かに上げた実に偉そうな姿勢のまま無視を貫くのみ。
教皇はそのまま外にでも出るかと思いきや、廊下を曲がってこちらの図書室方面へと歩いて来た。
これは顔を合わせずにとはいかなくなったな。
「ヘルマン、何をしていた?」
「王国から来訪した【賢者】殿に、帝国の図書室を私の権限で閲覧させていました。第一室のみです」
「【賢者】か」
その会話を受け、ジャネットが頭を下げる。
教皇はジャネットを視界に入れ、挨拶は何も返さずヘルマンの方に視線のみ向ける。
「この件、後で伺います」
ヘルマンからの連絡事項に対しても、教皇は無言で頷きもしない。
それで十分という事なのだろう。
……全く十分なコミュニケーションに見えないが。
そんな俺の態度が出ていたのか、少し横目に見ながら小さく溜息を吐かれた。
教皇は図書室へと入れ替わるように足を進め……ふと俺に視線を向けて立ち止まる。
「頭が高いぞ」
「……ん? 俺か?」
まさか声がかかるとは思わず、思いっきり反応してしまった。
「教皇様。この者は王国の【剣士】です。礼を知らぬ者ゆえ」
いや剣士じゃねーけどな。訂正は……シビラが反応してないのなら、しなくていいか。
「礼がなってないと思えば、田舎者か」
そっちはまあ、田舎出身ではあるが……今のはアドリアではなく、セントゴダート王国民のことをそう呼んだと考えられる。
ここまで傲慢さが立場絶対主義に依っていると、却って腹が立たないな。
「礼をした連中には声をかけないのに、しなければ声をかけるのか?」
「……何、だと?」
言い返してくると思っていなかったのか、一瞬教皇は反応が遅れた。
そう。
こいつは面倒とか、時間短縮とか、その感覚で自分に頭を下げる者を当然のこととして無視してきたのだろう。
それが頭を下げないだけで俺に時間を取ってしまうというのは……自身の立場とプライドの関係上仕方ないのかもしれんが、何とも難儀な業だと感じる。
「教義にも、何だったか……立場の違いはあれど、本質的に人は平等とかあっただろう。上の立場からの親身な挨拶は最たる例とか、友好的な立場は上の者が作るとか。太陽の女神もそれを望むんじゃないか?」
まあ太陽の女神っつーかシャーロット本人なら、気さくな方がいいだろうな。
何と言っても本人がそんなヤツだし。
そんな俺の軽口は、皆の驚愕(とシビラの愉快そうな笑み)を集めた。
「違うな。太陽の女神は、その者の立場こそが高貴さの証明であると教義に書いている。生まれの貴賎が生涯覆ることはない。神に近しい者の職、故に【神官】なのだ」
一方、俺の言葉に対抗して教皇の口から出てきたのは、教皇なりの冗談だろうか。
「生まれの高貴さなんて言うのなら、あの焼き印はどうなんだ。後付けだろうに」
あれは疑いようもなく後天的な印だ。生まれの高貴さなど関係ない。
そう思ったんだが――。
「高貴でないから、印付きなどに堕ちるのだ。それは女神の意思に他ならないだろう」
まさかの奴隷紋ごと女神の責任にしやがったぞこいつ。
「現実を見たまえ、王国民」
最後に嫌な捨て台詞を吐くと、図書室へと入っていった。
……教皇がどんなヤツかと思っていたが、ある意味想像通りすぎてむしろ笑えてくるな。
俺が扉に向かって盛大に溜息を吐くと、ヘルマンが冷や汗を掻きながらこちらを見た。。
「いくら王国民とはいえ、随分と大胆なことをしますね……」
「単純に疑問に思っただけだ。教義の内容なら話せるかと思ったが、あれは駄目だな」
「困りますよ、指定の日までは計画通り進めたいので、大人しくしてもらわないと」
「悪いな、声をかけられるとは思わなかったんで文句はあの教皇に言ってくれ」
これに関しては、もう忌憚なく言っておく。
頭を下げない程度で無視できなくなるなら、自分の立場が証明できないというだけの、普通の状況すら嫌になってしまうだろうに。
「ま、どんな相手か見られて良かった。そうだな、ジャネット」
「ん」
ジャネットは図書室の扉に一瞬目を向け、すぐに外へと歩き出した。
そうだな、もうここに用はないだろう。
◇
一応行動の許可が出たのは図書室までということで、教会の玄関でヘルマンと別れた俺達は帰路についた。
曇天の赤い屋根は、雲に覆われたまま俺達に迫るように低く感じる。
今日話した内容は、迂闊に喋れないだろう。
俺達は宿まで真っ直ぐ帰ると、緊張を解くように深呼吸した。
「思わぬ協力者が現れたな」
「そうね。酒飲み仲間にはなりそうにないけど」
最初から酒飲み仲間じゃねーだろ。
そんな軽い反応をするシビラに溜息を吐きつつも、俺は今日の本題であった帝国教会の図書室について整理するため、ジャネットにある程度の確信を持って声をかけた。
「やはり、目的の棚が空っぽだったな?」
「……気付いてるよね」
そりゃあ、さすがにな。
帝国の装丁をした、『勇者伝説』と『聖女伝説』。
それらに限って、最新版になっていた。
奥の棚にあったものは、心理や科学の知識に関するもの。
太陽教の神官が、内容までは把握していなかったもの。
「『自我』に関してはジャネットに教わったな。世界の全てが真実でなかったとしても、そう思う自分だけは確かにある。自分の意思の自覚……だったか」
「そうだね。僕はそれ故に疑り深くなって、ケイティから逃げてきた時は『自我』を疑ったりもしたけど。そういう意味でも、マーデリンには感謝かな」
「……えっ、私ですか?」
急に話を振られて、マーデリンが一瞬遅れて自らの顔を指差した。
今回の件について、王国でも帝国でもない場所から来た自分には関係のないことだと思っていたのだろう。
「マーデリンは、ラセルの治療を受けて完全に回復した。自分の意識が戻ってきたし、『天界』では旧知の友人達と不自然なく会話できていた」
「そう、ですね。はい。間違いありません」
「だから思ったんだ。ああ、僕の意識がジャネットのままなのは、間違いないんだって」
知識を得すぎて、思慮が深すぎて。
結果、ケイティによって『自我』が既に自分のものではないかもしれないという可能性に至ってしまったジャネット。
一度そうなると、俺のキュアが本当に効いているかどうかすら確証が持てなかったのだ。
あの頃の、全てを疑うジャネットのことはもう思い出したくもないな……。
「それ、私は何もしてないような……」
「そうだけど、それでもお礼。貰っておいて」
「えっと……ありがとうございます? あっ、どういたしまして?」
なんともふわっとした返事をするマーデリンに感化され、ジャネットはふっと笑う。
「話を戻すけど、もう一冊の本は」
「感覚ナントカーっつってたな、確か……」
「『感覚統合――五感の働きについて』というタイトルだ」
忘れていたタイトルを思い出そうとしていたところへ、ジャネットの方が先にヘルマンの言ったタイトルを答えた。
いや、それは正確な表現ではないだろう。
正式なタイトルを答えたのだ。
帝国内でも、二冊目が見つからないほどの希少本を。
――やっぱり、そうだよな。
ジャネットも、それに後ろで口角を上げて無言で頷いているシビラも気付いただろう。
「本棚が空でも問題はない。盗まれた本、僕が全部読んでるからね」
つまり、こういうことだ。
「俺達のアドリア孤児院で、地下図書室を作った人物。間違いなく窃盗犯と同一人物か仲間だな」
それはまさに、追い求めていた情報の答えに辿り着いた瞬間だった。
「え、え、ええええーーーーーーっ!?」
相も変わらず気付くタイミングが遅すぎるエミーに、シビラが「こういう反応が最高よね!」と抱き寄せて頭を撫でまくっていた。






