闇ギルドに来たシビラの目的
「もう……私の昔話はいいでしょ。ここまで話したんだから、レティの話も――」
ヴィクトリアがそこまで言ったところで、レティシアが手を出して止めた。
「ごめん、あまり思い出したくないんだ。ただ、あれから色々あって。今はここ『不可視』をまとめ上げているとだけ話せるかな」
「ん……そういうことなら、分かったわ」
和やかに話が進んで行くかと思ったが、ヴィクトリアの過去の話を聞いて尚レティシアにとっての過去は思い出したくないほどのものか。
……大切な人が殺された過去よりも凄惨な過去というのは、あまり考えたいものではないな。
レティシアは話を切り換えるように、手を叩いた。
「そうだ、本題に戻りましょう。今回我々『不可視』に仕事の依頼をしに来たということなら、それ相応の覚悟を持っていると見なすわ。私も自分のメンバー達の将来を担ってるから、安請け合いはできないけど」
「もちろんよ。安い依頼にはならないはずだけど、知らないのよね……」
ここでヴィクトリアは、シビラの方に視線を戻した。
「やっぱりあなたが実質的な部分ではリーダーのようね」
「そりゃシビラちゃんの天才美少女オーラを見たら分かっちゃうのも仕方ないわよねー」
シビラの軽口に答えず、組織の頭はその目を細める。
相手を計りかねているのだろう。
その視線を受けて、シビラは堂々と応えた。
「アタシが望んでいるのはね――帝国最高権力者の完全失墜よ」
……一瞬、時間が止まったのかと思った。
数秒遅れて、ヴィクトリアが「え?」と小さく呟きながらゆっくり振り返る。レティシアもようやく言葉を理解したのか、ゆっくりと立ち上がってこちらに歩みを進める。
「念のため聞くわ。あなたは今、『帝国最高権力者の完全失墜』と言ったのね」
「ええ、そうよ」
堂々とその視線を受けるシビラに対し、片眼を細めて顔を近づける。
先ほどまでの雰囲気とは大違いだ。
「セントゴダート王国の人間によるバート皇帝陛下の暗殺に、私の組織を使うと?」
「あら、それは違うわ」
シビラはぱたぱたと手を振って、レティシアの顔を遠ざける。
「権力者と聞いて、皇帝の方が先に浮かぶのね」
「……。まさか」
「そうよ」
シビラは、天井の左側を見上げた。
地上であちらの方角にあるのは、帝国城ではない。
「教、会……!」
その呟きを肯定するように、シビラはニヤリと笑って頷いた。
予想外の答えに対し、今度は俺がシビラに質問する
「おい、マジかよ。シビラの狙いがあの教会ってのは」
「元々バート帝国での用事はいくつかあったし、やってきてからやりたいことも増えたんだけど、教会はその両方なのよね」
両方? 今の条件の両方に教会が当てはまるのか?
恐らく後者は、今の治療費吊り上げの現状を見たから思ったのだろう。
王国と違い、あまりにも神官がケチくせえからな。
オマケに魔物の討伐は全部剣闘士に任せっきりというどうしようもない状況だし。
ならば、前者は元々バート帝国の教会に関して思うことがあったということだ。
となると、回復魔法に関連したこと以外で、となる。
「同じ太陽の女神教だろうに、何か帝国だけ元々気に入らない何かがあったのか?」
「そういうことになるわね。……ま、ここでは明確に話せないけど」
後半を小声にした今のシビラの言葉で、一つはっきり分かったことがある。それは、これが女神関連のことだということ。
レティシアの前である今、こいつが本物の女神であることを話すわけにはいかない。
しかし、それにしてもシビラの目的はあまりに規模が大きい。
影響は当然、帝国中になる。それによって生活が変わる者も多いだろう。
この女神、人間界に干渉しまくりだ。
いや今更か。シビラだしな。
レティシアは、頭を押さえて首を振った。
「前言撤回。馬鹿じゃなさそうな相手でも、とんでもない無茶振りするクライアントだっている。……いや、とびきりの馬鹿なのかしら」
「褒め言葉として受け取っておくわね!」
シビラのペースに巻き込まれたレティシアは頭を押さえる。
こいつに絡まれると初対面でもこうなる気持ち、存分に分かるぞ……俺はお前に同情しておこう。
「大言壮語するのはいいけど、一体何が出来るというの?」
「んっふっふ……ふっふっふっふふッフフフ……! ところでアタシ達、既に一件の用事を終えてきたのよね」
いかにも抑えられないといった様子で不気味に笑い、ささっと話を切り換える。
「それこそがヴィクトリアと一緒に来られた理由でもあり、ここに来てから解決したいと思った彼女の問題」
「ヴィッキーの、問題解決?」
「ずっとヴィクトリアの動向を追いながらも情報収集していたのなら、心当たりがあるんじゃないの?」
シビラの言葉に、すぐに思い当たることがあったのだろう。
片眼を大きく見開くと、レティシアはその目で机の上にあった紙を拾い上げる。
「まさか、あの『カジノ・グランドバート』!」
「やっぱりすぐ分かるわね」
「一番怪しかったのよ。ヒラリー前オーナーが就任後即行方不明になり、エーベルハルトに変わった。マリウス暗殺も一番線が濃いと思っていたけど、結局あの時は掴めなかった」
そこまで話して、レティシアははっとして友人の顔を見る。
「一人で恨みを晴らす力はあった。だけど……それでは、罪が暴かれないどころか、よりによってエーベルハルトが同情を買うでしょう。私は死罪、もし免れたとしても……牢の中で産んだ子は、良くて私と同じになる」
ヴィクトリアの言った『同じ』が指し示すものは、何よりもレティシアが分かるもの。
奴隷紋だ。
元々印があるヴィクトリアが殺人罪を受け、その子供が牢の中で産まれたとして、誰が育てるのか。
帝国には、孤児院がないのだ。
それを『良くて』と言ったのは、悪い場合、子供は産むことすら……いや、これ以上は考えないようにしよう。
「でもね」
ヴィクトリアが、口元に手を当てて笑う。
「あいつの罪状が、知る人ぞ知る話どころか帝国中に知れ渡っちゃって! オーナーの地位も剥奪、今は彼が牢の中よ」
「こっちでも把握してるわ。突然天変地異が起こり、建物が破壊されながら中身のトリックが暴かれまくった。たった一日で、全てがひっくり返ったって……ま、まさか……!」
レティシアの視線を受けたヴィクトリアが、視線をシビラの方に移す。
当のお調子者は、皆の視線を集めて両手の指を二本立てた。
「ちょー楽しかったわ!」
それはもう、いい笑顔で言い切った。
……ほんとこの女神、いい性格してるよ。
「本当なんだ……エーベルハルトの転落って、ヴィクトリアが手を下した一人なんだ」
「ええ。転落後に自分の素性をバラした時、下品だと分かっていたんだけど、ちょっと気持ち良くて変なテンションになっちゃった」
まあ状況と因果関係を考えるとそりゃそうだろう。
自分の最愛の旦那を殺した男が、旦那の作り上げた利益を全部吸い取って自分と同じ立場の剣闘士をこき使っているんだ。
むしろ最後の最後にエーベルハルトと対峙するまで、よく我慢したものだなと思う。
「そう、そうなんだ……そんなに上手く……」
レティシアは、手元の紙を見ながら俯く。
引き出しの中から何か古い紙を手に取り、中に書いてある文字をゆっくりと読む。
「教会……」
その指が、僅かに震えている。
あれには何が書いてあるんだ?
短くない時間が流れる。
窓からの光が少し暗くなる。雲でも出たのだろうか。
部屋の温度も少し低く、空気が重くなったように感じる。
乗るかどうか……判断に迷っているのだろう。
急に無言になった空間に対し、俺達は互いに顔を見合わせて待つしかない。
やがて天に向かって目を閉じると、レティシアはシビラに向き直った。
「悪いけど、やっぱりこの依頼は受けられないわ」






