珍しくないことが、当たり前でいいとは限らない
俺のウィンドバリアに皆が集まりつつ、シビラが軽く褒める。
「以心伝心、いい判断ね。まあ住人も迂闊に手を出してこないとは思うけど」
「でも、好意的って感じは全くないですね……」
エミーが、近くの建物二階の窓を見ながら呟く。
……こっちは何というか、気配で分かる感じだろうな。
明らかに歓迎されていない雰囲気だが、こちらも用事があるので遠慮なく足を進める。一応ある程度武器は持って来ているが、エミーは鎧を着ていないし盾もない。
街中でぶらつくにはさすがに厳ついからな。
「んー、以前より荒廃しているんだけど、そういう意味で変わってないといえば変わってないわね」
シビラがぶらぶら歩いていると、近くの建物から一人の少年が現れた。
この少年に対し、シビラが前に出て声をかけた。
「こんにちは、少年! そこ、通してくれるかな?」
「お金をください。お腹がすいています。お金をください。それか食べ物をください」
いきなり会話もそこそこに金をねだるか。
なんつーか、少し予想してはいたが直球で来るんだな。
シビラは俺達を確認するようにぐるりと視線を向けると、少年の近くで膝を曲げた。
「よし。ラセルと……あとジャネットちゃんも。この子の左右に回ってくれる?」
「僕ですか?」
何故か俺とジャネットが指名され、互いの顔を見合わせつつも言うとおりに動いた。
二人で並んで立ったところで、シビラが手持ちのバッグから何かを取り出した。
「一応持ってきておいてよかったわ。これ、食べて」
シビラが出したのは、棒状のビスケットだ。
やや硬いが、その食感もなかなか良く俺達も子供の頃よく食べていた。
「えっ……い、いいの……?」
「こっそりね。ちゃちゃっと食べて、ここで飲み込んでしまいなさい」
「うっ、うん……!」
少年はクッキーを手に取る。こちらからは後頭部しか見えないが、サクサクと食べる音が聞こえてきた。
やがて少年がビスケットを飲み込むと、次にシビラは銀貨を取り出した。タグ決済に一本化していると以前話していたが、どうやら今日は現金を持ち歩いているらしい。
「ところで……黒い服で、丸い印をつけた人達のこと知らない?」
「えっと、時々見る……。ここから奥行って、右……かな」
「分かったわ。ありがとう。ここでのことは、二人の秘密ね?」
シビラは銀貨と、五つほどビスケットを取り出して少年に渡す。それから汚れた髪を気にすることなくクシャクシャと撫でると、用事は終わったとばかりに立ち上がる。
「うっし、それじゃ行きましょ」
そう言うと、さっさと歩き始めてしまった。
俺達は互いの顔を見て首を傾けつつも、シビラを追った。
しばらく歩いて、再び人の気配が少なくなった頃。
おもむろにシビラは振り向き、話を始めた。
「さっきの少年。気付いたかしら」
「何か事情がありそうなのは分かったが、よく分からなかったな」
「そう。じゃあエミーちゃんは何か気付いた?」
ここでシビラは、エミーに話を振った。
俺やジャネットが気付かず、エミーだけ気付いたことがあるのか?
「えっ? そうですね……気になったことといえば、あの子が出てきた家の二階から物音が聞こえて、カーテン裏からずっと視線が向けられてたことぐらいですかね」
マジかよ、全然気付かなかった。
ジャネットに視線を向けると、「人がいることぐらいしか……」と返ってきた。
こういう部分は完全にエミーの持つ知覚の鋭さの方が優れているな。
「アタシが気になったのは、最初の言葉がえらく流暢だなって思ったことよ。アレ台本あるわ、最初から何言うか決めていたわね」
「確かに不自然だったが……」
「口調が違うし、アタシとの会話を想定していなかったから返答が辿々しかったの」
なるほど、あの少年の言葉が妙に安定しない印象だった理由が分かった。
だが、それが建物の中に人がいることとどう繋がるんだ?
「ま、代表して下の子の面倒見てるって感じかしら。ディアナとヘンリー姉弟の関係で、どっちも焼き印つけないとこうなるわね。だって孤児院がないんだもの」
あれが……年長の者なのか? 孤児院がないだけで、ああやって日々を過ごして……。
「こういうのは、帝国では当たり前なのか?」
「……」
何でも即答するシビラが、珍しく答えを言い淀む。
「まあ、珍しい話ではないわ。珍しい話ではないけど――」
後ろを振り返り、あの家があった区画を眺めながら子供好きの彼女は渋い表情を隠すことなく言った。
「――当たり前の話とは思ってほしくはないわね」
そう断言するシビラは、今までにないぐらい嫌そうな顔をしていた。
「ま、普段の生活がこれなら、それを無闇に荒らす気はないわ。久々に寄っても、変わってねーなーってぐらいの感想。根本的な変革がない限り、まだ不干渉でいくわ」
そうか……あまり人間の世界を積極的に弄るつもりはないのだろうな。
神々は人類に教義を残し、後は人間の自主性に任せることにしたのだ。
「それはそれとして、この現状は太陽の女神に報告しまーす」
「めちゃめちゃ干渉する気満々じゃねーか!」
「やりたいことをやるのが一番よ!」
あっけらかんと答えて、それまでの会話を全部吹っ飛ばしてしまった。
話を聞いていた周りのメンバーも、驚いたり苦笑いだったりと様々だ。
やれやれ……ま、それでこそシビラって感じだろう。
「そうだな、お前には遠慮などという言葉は似合わん。やりたいことをやってもらっていいぞ」
「あら、遠慮なく平穏な日常を吹っ飛ばしに来るかもしれないわよ」
「それが悪い結果になることはないんだろ?」
俺の返答にまた軽口が返って来るかと思ったが、目を見開いて無言になった。
いや何だよ、反応に困るだろ。
「……わ、分かってるじゃない」
髪の毛を弄りながらぼそぼそと呟くと、またずんずんと進んで行った。
結局何なんだったんだ……。
何故かここで、ジャネットが視線の先に現れた。
「そりゃ僕も苦労するよね」
「今日はお前も何なんだ……」
言うだけ言って、ジャネットもさっさと先に歩き出した。
前にもこんなことあった気がするな……。
「ラセル」
次にエミーが声をかける。
「何だ、エミーも一言あるのか?」
「えっと、ないわけじゃないけど」
何なんだよ、あるのかよ歯切れが悪いな。
「そうじゃなくて――いるよ」
その言葉にはっとすると、すぐ先を歩いていたジャネットがこちらを見ていた。
シビラも表情を引き締め、俺の近くまで戻って来る。
「……勘が鋭い者がいる」
突如、低い声がその場に響いた。
シビラが背を向ける形で振り向くと同時に、建物の陰から一人の男が姿を現した。
ナイフの柄には、シンプルな円の模様がある。






